敗戦
戦いが終わるとすぐにクレアとセドリックが部屋に入って来た。
口と鼻を手で覆ったクレアがぐるりと周囲を眺めてから呟く。
「……ひどい有様ね」
徹が戦っていた辺りを中心として、部屋には血や人間を構成していたものが散乱している。
「申し訳ありません」
「いえ。さっきも言ったけど、領民の安全のためだもの。もう盗賊たちが生きてるかどうかは問わないわ」
そして、クレアはかつてマデオラだったものに視線をやりながら続けた。
「まあ、せめてマデオラの頭部くらいは残しておいて欲しかったけどね。これじゃ本人かどうか確認しようがないじゃない」
「重ね重ね申し訳ありません」
徹としては契約内容に沿って出来る限りのことはやった。何か文句を言われても謝る以外にない。
「セドリック。一応、全員の生死を確認するわよ」
「かしこまりました」
「シキガミはその辺で休んでて」
徹はお言葉に甘えることにした。一方的な戦いだったとはいえ、生まれて初めて人と戦って、殺しもしたのだ。疲れないわけがない。
しかし、休める場所がなかった。
どこへ行っても色々なものがまき散らされているし、そもそも遺体の側に座ったところであまり気分が安らぐとは言えない。
部屋をぐるりと観察した結果、調度品の上なら何とか休めそうだ。
徹はマデオラだったものの横を通り過ぎて、その先にある調度品の山へ向かって歩いていく。そして、その中にあるベッドに腰かけた。
そうして深く息を一つつくと、心が落ち着くことに気付く。
ここに来てずっと平静を保っていたつもりだったが、特にマデオラと相対してからはそれが乱されていたのかもしれない。彼は本当に不思議な人物だった。
間違いなく善人ではないが、かと言って悪人という言葉だけで片付けるには何かが足りない気がする。結局、それが何なのかはわからずじまいだったが。
もう一つ、徹には疑問がある。
マデオラの遺体を見ていると喉元から込み上げてくるものがあるのだが、それの正体がわからないのだ。
最初はただの吐き気かと思った。罪悪感こそあまりないが、さすがの徹も人の遺体を見て平気なわけはない。それに、見た目だけでなく匂いもすごいことになっている。
実際、戦場で人の死を目の当たりにしたことがあると思われる騎士団のトップ二人ですら、さっきから何度もえずいていた。
だがどうにも吐き気だけではないようだ。
しかし、徹の思考はそこで中断されてしまった。
「全員死んでるわね」
確認を終えたクレアが立ち上がってそう言ったからだ。
同じく確認を終え、セドリックがそちらに歩み寄って声をかける。
「諸々の確認のため、団長は一度本部へお戻りください。私は調査の団員が来るまではここにいます」
「そうさせてもらうわ」
頷いたクレアは、次に徹の方を向いた。
「シキガミも、とりあえずは帰ってもらって大丈夫、なんだけど」
徹の下から上へと目線を移動させてから続ける。
「その格好だとさすがにまずいから、一度替えのローブを持って戻って来るわ」
「お手数をお掛けします」
徹を覆う黒のローブには、付着してはいけないものが至るところに付着している。このまま帰れば別の騎士団員に拘束される恐れすらあった。
その後、替えのローブと共に、翌日騎士団本部を訪れて欲しいという旨の通達を受け取った徹はオリオールの宿屋に帰った。
早めの時間に出発したこともあって到着したのはまだ昼の時間だったが、疲れ切った徹はそのまま部屋に直行し、ベッドに沈んだ。
至らない点は多々あったものの、この世界に来て初めての依頼を無事遂行出来たことには変わりない。自分に合格点をあげてもいいのでは、などと考えているうちに、気付けば意識を手放している徹であった。
そして翌日に騎士団本部を訪れた徹だが、今後のことに関して連絡があったり、この街での滞在先を聞かれただけで、肝心の報酬、つまり村のことに関しては諸々の手続きが残っているためにお預けとなった。
更に数日後。ようやく事態が収まりつつあり、報告をしたいので騎士団本部にもう一度来てほしいとの連絡を受ける。
現在、徹は騎士団本部内にある団長室にいた。ローテーブルの向かいにはクレアが中々に渋い表情をしながら座っている。
「何度も足を運ばせて悪いわね」
「とんでもありません」
宿の滞在費は経費として騎士団に負担してもらっている。徹としてはただのんびりと観光を楽しんだ数日間だった。
クレアの隣に腰かけているセドリックが、こちらも似たような表情をしながら徹に報告をする。
「シキガミさんが倒した男はマデオラでほぼ間違いありませんし、盗賊団は壊滅しましたので依頼は達成です。領主様からも許可が下りたのでグラス村の農地の接収は中止ということで、すでに使者を村に派遣してあります」
徹はほっと胸を撫でおろした。これで何の憂いもなく村に帰れる。しかし、二人の表情を見れば一件落着、とはいかないことは明白だ。
やはりというべきか。徹の想定した通り、クレアが続けて「本題」に入った。
「確かに盗賊団は壊滅、と言って間違いないんだけど……」
少し言い淀んだ後、クレアはその先を告げる。
「恐らく何名かに逃げられているわ」
それが本当だとすれば、確かに騎士団にとっては重大なことだ。
だが徹も生き残りがいたかどうかのチェックはしている。クレアがローブを取りに戻った間、セドリックと共に洞窟中をくまなく探したのだ。もし生き残りがいるのなら、最初からあの場にいなかったというケースしか考えられないが。
しかし、次に発せられたのは徹が予想だにしない言葉だった。
「調べた情報と遺体の数が一致していなかったから、団員を揃えてもう一度詳しく拠点内を調査したのよ。そしたら、あなたとマデオラが戦っていたあの部屋の端にある本棚の裏に隠し通路を見付けたわ」
がつん、という衝撃が徹の脳を襲う。
『悪いな、兄弟。俺の勝ちだ』
徹は、あの最期の言葉の意味をようやく理解した。
考えてみれば単純な話だったのだ。マデオラは隠し通路からあらかじめ団員を逃がしておいて、その人たちが無事逃げ切れるまでの時間稼ぎをしていた。
妙におしゃべりだと思ったし多少の違和感はあったが、そういう人柄なのだと勝手に納得してしまっていた。
『やろうと思っていた、などという言い訳をするな。結局やっていないじゃないか』
大嫌いな上司の、理不尽だと思っていた言葉が今は身に染みる。結局、おかしいと思っても思うだけでは全く意味がなかった。
「これは推測の域を出ないのだけれど、逃がしたのは主に家族がいる団員だった可能性が高いわ」
ああ、そうだろう。あの人ならそうする。
本当はマデオラが一人で残ろうとしていたところに、団員たちが自分も残る、などと次々に言い出したのだろう。それで家族のいる者だけ説得して行かせた。
妄想にしか過ぎないその光景が、実際に見て来たかのように、徹の脳裏にありありと映し出される。
悔しさを誤魔化すために腕に力を込めていると、全身が震えてしまった。それをどう捉えたのか、セドリックが慌てて補足する。
「別にシキガミさんを責めているわけではありません。逃げられたのはあくまでこちらのミスです。この案件に関わった以上、シキガミさんにも知っていただくのが筋かと思いまして」
「いえ、滅相もございません。私のミスです」
「いえ、本当にこちらのミスですので。どうかお気になさらず」
「いえいえそのようなことは」
「もういいから。終わったことをどうこう言ってもしょうがないでしょう」
謝罪合戦を一言で終わらせたクレアは話題を切り替える。
「それと、シキガミに対してはこちらが本題なのだけど」
「はい、何でしょう」
まだ何かあるらしい。しかもこちらが本題とは一体どのような案件だろうか。
徹はわずかに警戒心を強め、心の準備をしたのだが、それはまたも予想の斜め上を行くものだった。
「ガンドの面倒を見てやって欲しいの」
「え?」
「ガンドの面倒を見てやって欲しいの」
「申し訳ありません。言葉そのものは聞き取れたのですが、意味が理解出来ません。説明して頂いてもよろしいでしょうか」
「あいつ、調査の結果ほぼ無罪ってことがわかってね」
「ほぼ無罪、ですか」
やれやれ、という表情でうなずくクレア。
「ええ。ファミリーには最近入ったばっかりで、特に罪は犯してないらしいわ。つまりほとんど一般人ね」
「えぇ……」
徹は思わず間抜けな声を漏らしてしまう。そんなことがあるのか。
「何でマデオラファミリーに入ったのかって聞いたら、悪いことするのがかっこいいと思ったからですって」
それは理解できる。誰しもとは言わないが、若い頃にそのような価値観を持っていた人は多いだろう。何を隠そう徹もその内の一人だし、最近も不良が喧嘩する漫画を読んでかっこいいと思ったものである。
しかし、それで盗賊団に入ろうなどとは思わないが。
「それでも盗賊だった手前、一応罰は与えようってことになって、罰金を科して数日牢屋にぶち込んだの。そしたらあいつ一文無しになっちゃった上に、『でかい男になって帰って来る』って出て来た手前、故郷にも戻れないらしいのよ」
そんなことを言っておいて牢屋に入れられただけというは確かに帰りづらい。それはわかるがそれとこれとは別問題だ。
「あの、それでどうして私が彼の面倒を?」
「今後のことを聞いたら『兄貴のところで世話になる』って言ってるの」
「その兄貴っていうのはもしかしなくても……」
「あんたのことよ」
徹は頭を抱えそうになるのを必死で堪えた。
捕まった盗賊の今後を気にかけてやるというのは素晴らしい。この騎士団長は本当に優しい人なのだろう。だが、それで自分が巻き込まれるのは勘弁して欲しいというのが徹の本音だ。
「何故私のところに?」
「『あの人について行けば強くなれる』とか何とか言ってたけど」
「私も裕福ではありませんし、自分のことで精一杯なのですが」
「何も養えって言ってるわけじゃない。グラスの村であいつが生活出来るようになるまでの手伝いをして欲しいのよ。人を紹介したりとか、色々あるでしょ。私たちとしてもしばらくは監視役がいてくれると助かるしね」
正直、村の人たちにガンドを紹介したくはない。と言いたいところだが、見た目は怖くても話せば意外と悪い奴ではなさそうだったのも事実。
今後悪さをしないことや、盗賊だった過去を秘密にすることなど条件付きではあるがうまくやっていけそうではある。
徹が黙って思案しているのを好機と捉えたか、クレアがもう一押しと言わんばかりに続ける。
「もちろん、ただでとは言わないわ。引き受けてくれたら報酬はきっちり用意させてもらうつもりよ」
「報酬、ですか」
「ええ。マデオラにかかっていた懸賞金でどうかしら」
非常に魅力的な提案という他ない。
徹はまだこちらの世界に来て間もなく、まともな収入と言えばロブからもらった数日間の労働による報酬だけだ。それも、今回の旅でほとんど尽きてしまった。
あの男にかけられた懸賞金となるとすごい額になりそうなので、さすがに全て一度に持って帰るのは色々と無理があるが、少しずつなら問題はない。
もはや断る理由を見付ける方が難しかった。
「わかりました。お受け致しましょう」
「決まりね」
満足気に頷くクレア。
「それでは早速、報酬の受け取り方やガンドさんのことについて色々とお伺いしたいのですが」
「あ、ちょっと待って。まだ話は終わってないの」
まだあるんかい。
思わず喉元まで出かかった言葉を何とか抑えつつ、徹はクレアを見た。
クレアはただでさえ凛々しい顔立ちを更に引き締めて徹に問いかける。
「あなた、今後も騎士団と仕事をする気はない?」
悪くない話だ、と徹は思った。
極力関わるべき相手ではないが、村のことを考えれば嫌われると困る。逆に恩を売っておけばいざという時に役に立つ。
「私でお役に立てることがあるのなら是非」
しかし、クレアは徹の二つ返事に対して逆に警戒の色を浮かべる。
「話が早過ぎるわね。報酬に関してとか、色々と聞かなくてもいいの?」
「もしよろしければ、報酬はなしということにしていただきたいのですが」
「報酬はなし? それは一体どういうことなのかしら」
「申し訳ありません、語弊がありました。報酬は、グラスで何かトラブルが起きた時に優先的に駆けつけてもらう権利、ということにしたいのですが」
これには納得してくれたようで、クレアは首を縦に振った。
「なるほどね。それは構わないけれど……別にそれに加えて金銭や物品を受け取ったっていいのよ?」
「シキガミさんの力にはそれだけの価値があります。契約が成立すれば有事の際には遠慮なく依頼しますので、逆に言えば、報酬に関してはそちらからも遠慮なくお申し付けていただく方が助かります」
セドリックの補足を受けてもなお、徹の意思は揺るがない。
「今回の報酬に関しては金銭的に困窮している面もあって遠慮なく受け取らせていただくのですが、以降はその必要はございません。むしろ身に余る金銭は敢えて持たないというのは私の主義。これはもうそういうものだとご理解いただくしかありません」
「そう。理解はしがたいけれど、いいわ。これで契約成立ね」
「ありがとうございます」
二人と固く握手を交わした後、騎士団本部を後にした。
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