俺の勝ちだ

 戦闘は始まっているはずなのだが、マデオラは斧を構えない。

 緊張感のない彼の構えは、まるで先ほどまでの談笑の延長線上にいるような錯覚を起こしそうになるが、その背後からは一転して殺気が嫌というほどに漂っている。

 徹に武術の心得はないが、それでも相手が本気でこちらの命を奪いに来ているのだということが伝わってきた。


 すぐに武器を使う気がないとなれば魔法だろうか。

 結局誰も徹にマデオラがどう強いのかを教えてくれなかったが、さっきの「特に魔法が使えるようになってからは」という言葉からすれば、魔法が使えるはずだ。


 とにかく、相手が何をするにしても先に倒してしまえば問題ない。

 そう考えて徹が一歩を踏み出そうとした、その時だった。


「フォレスト・オブ・ミスト」


 マデオラがその言葉を唱えた瞬間、徹の視界は突如発生した霧で覆われてしまった。足元以外のほぼ全てが白くなった中で、どこからかマデオラの声が響く。


『悪いな。先手必勝ってやつだ』


 マイクを通してスピーカーから聞こえているような、エコーが強めの声だ。しかも、どこから発信されているのかが特定出来ない。


『霧の中に入ったやつは視覚の大半と聴覚を奪われる。しかも厄介なのが、幻覚を見せてるわけじゃないから状態異常を解除する魔法でもこの霧は晴れない。いわば辺り一帯を覆う魔法結界のようなもんだ』


 言われてみればマデオラの声以外何も聞こえなくなっている。


『この霧を晴らせるものならやってみろ。少なくとも俺は、俺自身の手で解除する以外にこの霧が晴れるところを見たことがない。ちなみに、俺からは全て見えているし全て聞こえている』


 なるほど騎士団が苦戦するはずだと、徹は心の中で感心した。

 さて、どうしたものか。

 適当に足や腕をぶん回せばいいのかもしれないが、それだと洞窟が崩落する可能性がある。まずこっそり付いて来ているはずのクレアやセドリックが生き埋めになるし、丈夫な徹の身体でも無事かどうかはわからない。危険な賭けだ。


 あれこれ悩んでいるうちにどすんと何かが身体に当たった。

 石でも投げられたのだろうか、当たった場所を触っていると、更にたて続けに似たような感触が徹の身体を何度も襲ってくる。

 武器だ。一瞬視界にちらりと映った限りでは、ナイフや斧による攻撃を受けていたように見えた。


『武器で切り付けても効かないってあんた人間か?』


 やはり盗賊たちからの攻撃だったらしい。

 彼らも視覚と聴覚を失っていた場合、相打ちの危険があるから攻撃はして来ないはずだ。マデオラが指定した者は霧の効果を受けないなどの抜け道があると思われる。


 このままでも負けることはなさそうだが、いつまでも手をこまねいているわけにはいかない。

 徹はボコボコに殴られながら数秒思案した末に、あるものを試してみることにした。

 半身に構えてからゆっくりと右腕を引き、一つ呼吸をした後に前へ向かって腕を突き出す。イメージとしては釣竿を投げる時の力加減で、最初だけ力を込めた。


 するとどうだ。


 凄まじい風が巻き起こり、徹を中心にして左右に分かれるように霧が晴れた。


「は?」


 徹の正面からやや右の離れた位置にいたマデオラが、間抜けな表情で間抜けな声を漏らした。かと思うと、斜め右に飛ばされて壁に身体を打ち付ける。

 団員たちも同じように吹き飛んだが、徹の近くにいた何人かは直接拳に触れてしまったようで、胴体や頭部がない者もいた。


 徹の周囲には血やその他が飛散しておぞましいことになっている。見た目や匂いで少し吐きそうだ。


「がはっ!」

「ぐえっ!」


 運よく即死を免れた者たちも壁に叩きつけられた影響で気絶もしくは吐血しており、仲間の死を憂いている暇もないようだ。

 台風でも過ぎ去った後のように滅茶苦茶になった調度品の中に埋もれていたらしいマデオラがひょっこりと顔を出した。


「おい待て、それはいくら何でもありえねえだろ……」

「戦いの最中で恐れ入りますが、もしよろしければ、どのようにありえないのか教えていただいてもよろしいでしょうか?」


 自分がとんでもないことをしでかした、とはうっすら自覚している徹だが、如何せんこの世界の初心者なので具体的な説明が欲しいところだ。


「あんたまじかよ」


 しかめ面でそう言った後、マデオラが調度品の山から這い出てくる。その姿を見て徹は彼が生きていることを遅れて認識した。

 驚いた。拳に触れなかった団員たちも、見た限りでは全員が瀕死になっているというのに、彼はまともに会話が出来るレベルの負傷で済んでいる。


「くそっ、こりゃ全員だめだろうな」


 ようやく出て来たマデオラは、部屋を見渡して悔しそうにそう吐き捨てた。


「さっき俺はこの霧が幻覚じゃない、辺り一帯を覆う魔法結界のようなものだと言ったのは覚えてるか」

「はい、覚えています」

「つまりだな、この霧は幻覚じゃないが、本物の霧でもない。あくまで魔法の一種ってことなんだよ」

「なるほど、つまり私が拳によって起こした風で物理的に霧を払う、というのはありえないのですね」

「そういうことだ。あんた一体何者なんだ? いや、」


 マデオラは首を左右に振ってから訂正する。


「何なんだ?」


 遂に人間としてすら扱われなくなってしまった。

 だが一方で仕方ない、とも徹は思っている。魔法を物理で消す、という理を無視した離れ業をやってのけてしまったのだから。徹自身がこの力のことを理解していないので何をどうやったのか説明出来ないのもたちが悪い。

 だから質問に対して、敢えて徹はこう答えた。


「式上徹と申します」

「それはさっき聞いたし、そういうことじゃない」

「あなたのお気持ちは理解して差し上げているつもりですが、それでも私は私、式上徹という人間です」

「……」


 観察するように徹を睨んでいたマデオラだったが、やがて額に手を当てると、天を仰いで笑う。


「ははっ、そりゃそうか」


 再び徹に視線を向けるマデオラの表情は穏やかで、先ほどまでの殺気はもう見る影もなかった。


「じゃあ、あんたを人間と見込んで頼みがある」

「私に出来ることでしたら」

「俺を殺してくれ」


 ほんの一瞬ではあるが、徹がその言葉の意味を理解するのには間が必要だった。


「出来れば生きたままあなたを捕らえたいのですが」

「ってことはやっぱ騎士団絡みか」

「……」

「まあ、それは別にいい。察しはついてたからな。だがいいか、これは投降じゃなくてあんたへのお願いだ」

「あくまでこの場で命を絶ちたい、ということで間違いないでしょうか」


 マデオラは静かに、力強く頷く。


「手下たちは全員助からない。なら、俺も一緒にここで死にたいんだ」


 周囲を見渡せば、もう動いているものはほとんどいない。いても虫の息で、その命は風前の灯というにふさわしかった。


「俺は救いようのない馬鹿で、いつか殺されるか捕まるのを待つだけの罪人だった。だがこいつらはそんな俺を慕ってついて来てくれた。血が繋がってなくたって、全員を家族だと本気で思ってたんだ」

「家族、ですか」

「ああ。あんたには家族はいるのか?」


 徹はその問いに、少しの間を空けてから答える。


「いましたが、私にとっての家族というのはあまりいいものではありませんでした」

「そうかい」

「ですから、あなたが羨ましい」


 マデオラはそれについては何も言わず、代わりに一つの提案をした。


「じゃあ、あんたも家族になればいい」

「私とあなたが、家族に?」

「ああ。俺たちは先に地獄で待ってるからさ。あんたも来いよ。そしたら今度こそ一緒に酒を飲もう。一緒に酒を飲んで笑えば、もう家族も同然だ」


 徹には理解出来ない。

 この男はまるで善人のようなことを言う。どうしようもない悪人だと証明されているはずの人間が、グラスの村にいる気の良い農民たちと似たような表情で、似たようなことを言うのだ。

 いや、勘違いしてはいけない。徹は首を振って気を保つ。

 マデオラはたくさんの罪を重ね、人も殺している。どう考えても善人ではないし、このまま野放しにするようなことがあってはならない。

 何より恩のある村の人たちのために、何としてもこの男には消えてもらわねば。


 決意を新たにした徹は静かに戦闘態勢をとった。それを見たマデオラが穏やかに微笑みながら言う。


「そうだ、それでいい」

「一応確認させていただきますが。これからあなたを殺すことになります、よろしいでしょうか」


 マデオラは何ら迷うことなく頷いた。


「ああ。頼むよ」


 徹は拳を引き、力を溜める。

 彼は頑丈なのである程度は力を籠めなければいけない。そして、出来れば頭部を破壊して苦しむ時間を与えることなく死なせてやりたい。


 相手の頭部を目掛けて拳を放つ。

 だが、その瞬間、マデオラは清々しいまでの笑顔でこんなことを言った。


「悪いな、兄弟。俺の勝ちだ」


 それは一体どういう意味なのでしょうか。

 そう問いたかったがもう拳は止められない。


 気付いた時には、マデオラの頭部を構成していたものが爆ぜていた。

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