世界が私達に託した呪い

 ─1─


 ───瀬上邸を後にする形で東京を出た蒼子達は、再び長い時間をかけて栃木へ帰ってきた。


 時刻は既に22時を回っている。


「お父さん!!!」


 カフェプリムラのドアを乱雑に開けた蒼子が叫んだ。


「蒼子……!!」


 父の身の安全を確認し、蒼子と素貴は互いに駆け寄った。


「良かった…無事か……で、こいつはどういう状況だ。」


 才太郎は言葉を紡ぎながら目の前に立っているリィンと沙耶を見た。


「沙耶……なんでそいつと一緒にいる……どうして拘束具が外れてる?」


 父を背中に回した蒼子が沙耶に向かって問いを投げた時、はっとした様に宵が口を開いた。



「沙耶……?───


 ───蒼子や…その少女は沙耶と言うのか…?」


(あの少女、確か前に青峰を訪れた時にすれ違った子か…。)


 それに対し蒼子は少し迷いを見せつつも自分の知っている彼女について端的に告げた。


「そう…沙耶は私の……友達だ。」


 それを聞いた宵が脱力する様に言葉を吐いた。



「成程……そういう事か。本当に人として終わっているのだな、デミ・スピラナイトよ……。」



 宵は知っていた。蒼子の近くにはデミ・スピラナイトの内通者がいる事を。それを海斗には報告していたのだが、海斗はそれを蒼子に告げる前にこの世を発ってしまった。


「どういう事……?」


 蒼子は思わず尋ねた。この状況に対して本当に理解が及ばなかったからだ。



「蒼子…落ち着いて聞くのだぞ。目の前のそいつは君の友人などでは無い、少なくとも彼女にとってはな───


 ───彼女の名は一色沙耶。デミ・スピラナイトの末裔だ。




 ─2─



 ───信じ難い事実が宵の口から告げられた。


(沙耶が……デミ・スピラナイト……?だって…あの子からは異様な心力を感じた事なんて───)


 そこまで考えた所で蒼子は自分が力を真に目覚めさせてから沙耶と会っていなかった事を思い出し、自分を納得させた。



「蒼子ちゃん、おめでとう!わたしほんっとうに嬉しい!大好きな蒼子ちゃんが、わたしの理想的な子に育ってくれて!」


 沙耶は小さくパチパチと拍手をしながらそう言った。


「でも可哀想〜。蒼子ちゃん、もう普通に生きられなくなっちゃったね!あんなに───私は平凡に生きてたいだけだよ…───とか言ってたのに…。」


 蒼子の口真似を混ぜながら軽快なテンションでそう言う沙耶に、蒼子は絶望を隠せなかった。


「なんなんだお前は……お前らはなんなんだ……散々私から奪っておいて…まだ奪い足りないのか…。」



「う〜ん…それは違うかなぁ…。私達はね、蒼子ちゃんに全部をあげたいんだよ。私はその為にこうやって蒼子ちゃんと仲良しになったんだから!」


 沙耶の熱意に嘘は無い。彼女は本気で言っているのだ。


「そう、僕達が君をターゲットにしたのはね、青峰蒼子、君が欲しかったからだ。生まれながらにして心象領域を発現させた天才、青峰紫季…彼女を得る事には失敗した。息子の炎爾は最初は失敗作だと思ったんだけど、なんとびっくり、負の心象領域を発現させて、今じゃウチのエースだ。血の可能性は十分理解してる。だからね、今の君は喉から手が出る程欲しいんだよ。」



 そう。リィンの言うように、最初から沙耶は自分と友達になりたかった訳じゃない。



 ───この力に悩まされて、苦しめられて。



 ───使い方を学んで、そのお陰で少しはマシな対人関係を築けるようになったと思っていた。でも。



 ───友達ができたという喜びは、大きな間違いだったのだ。



 蒼子は何も言えなくなった。言い返す気力も失ってしまった。



「蒼子ちゃん、私達はね、呪われてるんだよ。だからね?どんなに頑張ったって普通に生きたいなんて…そんな事考えない方が良いよ?」


 蒼子の心を追い込む沙耶達の言葉に、痺れを切らした宵が反論した。



「黙って聞いていれば侮辱が過ぎるな、デミ・スピラナイト風情が。まともでないのは貴様らだけだ。蒼子が普通に生きられない?笑わせるなよ。彼女は既に並のスピラナイト使いなどとうに超えている。荒削りではあるが、感情もコントロールできるようになってきている。十分に普通の生活を送れる様になっている…。」



 宵の言葉は、今まで穏やかな顔をしていたリィンを強く刺激した。



「侮辱…?──────



 ──────



「誰のせいで…僕達がこうなったと思っている……?どんなに取り繕っても僕達には隠しきれないがある、そうさ!その通りだ!だけどなァ!!!そもそもそうなったのはお前達の実験のせいだ!!!探求心に溺れたお前達の非人道性の化身!それが僕達だよ!わかるか!?あぁわからないか!スピラナイト使い風情にはァ!!!!」



 取り乱し感情的になるリィンを沙耶が宥めた。その様子には少し焦りの様なものが見える。



「落ち着きなよリィン、ね?ここでキレたってしょうがない。」



「ふぅ……ふぅ…!ふぅ!!!」


 興奮して息を乱すリィンの姿に、一同は思わず身を引いた。その反応を見た沙耶はそれまでとは打って変わって冷たい眼差しをこちらへ向けた。



「おかしいよね?リィンは強い感情を発しちゃうと制御出来なくなるの。そうなるともう誰にも止められなくなる、自壊するまでね。だからリィンはそうやって巨大化した感情を事で自分を保ってきた。カーネルもそうだった。破壊衝動を抑えられなくなったリィンが自身の感情を切り離して生まれた存在だったんだよ。」


「今のリィンにカーネルはいない。だから自分の破壊衝動を抑えるので精一杯だ。だってのに、あんたらが散々煽ったから…ほら見てみなよ?泡吹いて苦しんでるよ、あーあ、これじゃぼう───」



 沙耶の言葉はリィンの耳をつんざくような奇声に中断させられた。



「むぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!─────────おォ!!─────────オぉ!!!!──────ぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!!!!」


 苦しむリィンから、瘴気の様なモヤが発せられている。彼の叫びが少しボリュームを落としたところで、沙耶が言葉を続けた。




「───暴走しちゃうよって言おうと思ったら、言わんこっちゃないね。ごめん、今日はここまで。…多分また生まれちゃうなこれ。」



 そう言ってリィンと向かい合った沙耶の背中に意を決して無理やり絞り出した蒼子の言葉が突き刺さった。



「待て…っ!待てよ!──────


 ──────沙耶……私は…私達は……。」



 蒼子がつっかえながらも必死に紡ごうとした思いは、まるでドミノの様に沙耶の言葉に倒されていった。



「友達だよ、わたし達は。蒼子ちゃんに利用価値があるうちはね?蒼子ちゃんの力はわたし達が真のスピラナイトを手にする為に必要なんだ、だから、またね?蒼子ちゃん。大好き。」



「あ……あぁ………………。」


 蒼子の中で、友達と呼べる人物が再びゼロになった瞬間だった。



 次の瞬間、蒼子達の足元に強力な電磁波の様なものが走る──────



「うぉッ……!!?なんだ……こいつはッ!!!………動けん……!!!」


 人の身では無い才太郎ですら抗えない、強力なエネルギーがビリビリと周囲の床にほとばしる。



「っくぅ………一色沙耶……貴様只者では無いな……?」



 先の戦いで最も疲弊していた宵も抵抗できず、その場で身動きが取れなくなる。



「くっそっ………沙………耶…………ッ!」



 動けない蒼子達の横を、沙耶は同じように電撃を喰らわせて宙に浮かせ、身動きを取れなくしたリィンと共に悠々と抜けていく。



「あぁ、でも遊園地はほんとに楽しかったよ。また行けるといいね、蒼子ちゃん。」



「さっ………さやぁぁぁぁ…………ッ。」




 ─3─


 こうして、蒼子達とデミ・スピラナイト、そして瀬上家までをも巻き込んだ戦いは終わりを迎えた。


 しかし、絶望はここで終わらなかった。


 沙耶達がカフェプリムラを後にした直後に酷い疲れが蒼子を襲い、そのまま気絶した様に床に倒れた彼女をソファで寝かせてから一息ついた後、蒼子の携帯電話が大きく鳴り響いた事で代わりに電話をとった才太郎の元に最悪のニュースが飛び込んできたのである。



「──────アレ…?蒼子ちゃんじゃない……あ、あの大きいオジサンか……まあいいや……ごめん大きいオジサン…………お兄ちゃん……パクられた…………──────」



 電話口で聞こえてきた声は瀬上林子のものだった。彼女の様子は酷く疲弊しており、恐らく先程まで戦火の最中だった事を思わせる。


 パクられたってのはどういう事だ。と、分かりきったことを確かめるように才太郎が尋ねると、林子は吹っ切れた様に口火を切った。


「──アタシもサイトウもコテンパンにやられた上にお兄ちゃんの体も奪われたんだよ……炎のスピラナイト使いに…───」




 ──────────────────────



 海斗を失い、友人も失い、挙句死にものぐるいで取り返した海斗の遺体も奪われた。



 ───あぁ、もう疲れた。



 今はただただ、そういう気持ちだった。



 何も成せなかった事を悔いる余裕も無ければ、自分はこれからスピラナイトという力をどう扱おうかとか、そういう小難しい事どころか、今の蒼子には明日からの学校をどうやって過ごせばいいかすら考える事が出来なかった。


 今の彼女の思考を埋め尽くす思いはただ一つ。



 ───あぁ、もう全部終わりだ。



 そうやって何もかもを投げ出して、彼女は慣れ親しんだベッドの中に温もりを求め、意識を闇の中に落としていった。

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