決別の日



 ─1─


「ぐぅッ!!?がはッあァッ!!」


 力の全てを奪い取られ、瀬上陸奥は地に伏した。


「終わりだよ、瀬上陸奥。お前達の負けだ。」


 自分よりもずっと経験の浅い少女に己が敗北するとは。これまでの陸奥であれば、そんな事は誇りが許さなかった。だが、今ここで起こっている事実───ただ立っているだけの少女に、自分が成す術もなく追い詰められている現実に、心が砕かれた。心力が失われるとはそういう事だ。



 最後の一滴まで搾り取るつもりで領域を維持していた蒼子だったが、目の前で苦しむ陸奥の姿を暫く見つめ、その術を解いた。



 ───周囲の風景が元の景色に還っていく。上空に広がるのは真っ暗な夜空。皮肉な程に綺麗な星空だった。



「さて、瀬上陸奥。海斗の居場所を教えろ。言わないのならこの場で殺す。」


 地に伏したまま蹲る陸奥に向かって、刃の様な言葉を吐いた。


「ん…ふふ……はは…いいだろう──────



 ──────海斗の体は……。」



 陸奥が全てを告げようとした、その時だった───。



「ごほっ………」



 上空から何者かが飛来し、陸奥の首に刃物を突き刺した。


「───な………!」


 あと一歩で目的を果たせた所で訪れた予想外の出来事に、蒼子は開いた口が塞がらなかった。



「よう、アンタ青峰なんだってな。」


 陸奥を殺した彼女は、ゆっくりと立ち上がりながら蒼子の方を向いた。


 真っ黒な長い髪は、まるで蒼子のようで。


 コートを羽織りつつも露出している腹部からは、女性としてはかなり引き締まっている体型が見て取れる。その面影は、どこか海斗を彷彿とさせた。彼も相当身体は鍛えていたからだ。


 蒼子と真っ直ぐに見合った彼女は、己の名を名乗った。



「アタシは瀬上林子。コイツの娘で、海斗の妹だ。」




 ─2─


「海斗の……妹………。」


 そういえば海斗は言っていた。以前に家族構成を尋ねた時に、自分には1人妹がいると。彼女がその───だが、目の前に立つ彼女が最愛の人の妹だとしても、今の蒼子の煮え立つ感情を抑える理由にはならなかった。


「お前…………──────


 ──────何て事しやがった!!!!」


 乱暴な口調と共に放たれた、1発の拳。林子は避ける事もせず、それを受け入れた。それでも林子はその場から崩れること無く、少し低めの声で次の言葉を放った。



「痛って…。後で一発殴っていいよな?それくらい痛かった。まあいいや、海斗の居場所が知りたいんだろ。残念だけど、クソ親父は知らなかったんだよ。だから殺した。」



「は……?」


 海斗の居場所を知らない、そんな筈は無い。海斗を攫ったのはこの男の筈だ。だと言うのに当事者がその所在を把握していないなんて事ある訳が無い。そう思いつつも、それ以上にこの女の死生観にも衝撃を受けた。確かにこの男は人間とは思えない、だが、それでも己の肉親を躊躇なく殺して見せたその行動に、蒼子は警戒心を研ぎ澄ませた。



「あぁ…ごめん、青峰じゃわかんないよね、アタシらの感覚。一つだけ言えるとすれば、アタシはこいつが心底嫌いだった。こいつがやろうとしてたことも何とかして止める、そうやってお兄ちゃんと約束した。だから…アタシが今ここで止めた。それだけだよ。」


 海斗との約束、その言葉の真偽は知る由もないが、彼女が嘘を言っているようには見えなかった。少なくとも、蒼子のスピラナイトは彼女を正と判断した。



「とにかく、お兄ちゃんの居場所はこいつを頼ったってわからなかった。」



 林子の言葉に多少の信頼を得た蒼子は対話を試みた。


「なら、海斗はどこに?」


「それはアタシも知らない。ただ…クソ親父はお兄ちゃんの身体をサイトウに任せてた。だから───」


 2人は同じ方向を向いた。そういう事であれば事はまだ決していない。宵と才太郎の元へ加勢するべきだろう。蒼子は恐る恐る目の前の人物に尋ねた。


「力を貸してくれるってことで…いいんだよね?」


「ああ。よろしくね、蒼子ちゃん。」



 ──────────────────────


 ひとつの戦いが決した一方で、神と神、そして神に近しい力を持つ者の戦いは勢いを緩める事無く続いていた。



「おらぁ!」


 ───才太郎の拳と。


「はァッ!!」


 ───それを退け放たれた、サイトウの刃。


 才太郎がそれを左腕で受け止めると、背後から宵の一撃が走った。


「行け!」


 放たれた超速の矛がサイトウのみを捉え、両者の距離を確保する。そこに追撃する様に才太郎は重力弾を放った。


 吹き飛ばされたサイトウへ三発の銃弾が打ち込まれる。


「やったか!?」


 しかし、宵の言葉は虚しく宙に消え、程なくしてサイトウが立ち上がって再び構えを取った。


「宵さん!マスター!」


 両者が見合い、出方を伺う中で戦いを終えた蒼子が林子を連れ合流した。これで四対一である。


「なぁサイトウ、もうアンタの負けだよ。知ってんだろ?お兄ちゃんの居場所、吐いてくれよ。」


 林子の姿を見たサイトウが一瞬絶望した様な表情をしたが、すぐに全てを受け入れた様に刀をぶら下げ、脱力した。


「そうか…主は負けたのか。」


 サイトウの様子に安堵したのか、何か希望を見たのか。才太郎は説得する様に穏やかな声で話しかけた。


「なぁハジメ…もうお前が仕えるヤツはいない。お前がどういう経緯でここにいるのかも…俺は正直興味はねえ。だからよ…もう止めにしないか?」


 才太郎はかつての同胞に語りかけた、しかし。


「それは出来ない。私がこの剣を捧げると決めたのは…陸奥様だけでは無い。」



 揺らぎそうな決意を無理やり突き通すサイトウに対し苛立つように歯を食い縛った才太郎が、言葉を繋いだ。



「じゃあよ…じゃあお前にとってよ!───


 ───海斗は何だったんだ……。ガキの時から見てたんだろ?毎日毎日面倒見てたんだろ!?死んだんだぞ!!!アイツは!!!!お前はアイツの遺体を………どんな気持ちで運んだんだ!!!なぁ!!!!答えろよ!!!!」




 才太郎の心からの叫びに対し、暫しの沈黙の後、サイトウが重そうな口を開いた。


「──────決まっているだろう。」



 次の言葉を紡いだ彼の姿に、才太郎は全ての敵意を投げ出した。



「だいじな…だいじな………おとうとのつもりだったよ………。」



 ───昔は人懐っこくて、いつもサイトウにくっついて回っていた海斗。それがいつの日か、送迎の為に顔を合わせるだけになった。海斗が瀬上に不信感を抱くにつれて、サイトウと海斗の心の溝は深まっていった───


 ───決定的な決別はあの日だ。海斗が親しくしていた老人が亡くなった、その真実を海斗が知ってしまったあの日。あれ以来、海斗は一切サイトウと口を聞かなくなった。もちろん、父である当主陸奥とも───



 ───揺れていた。ただただ葛藤していた。自分が刀を捧げた主への忠誠を続ける事、いつしか愛おしい存在になっていた少年の嘆きを癒す事、その両者に。ただ…結局彼が選んだのは、己の捧げた忠誠心の一択のみだった。




 サイトウの顔は涙でぐちゃぐちゃに歪んでいた。そこに居たのは、ただ1人の紛れも無い人間だったのだ。神の遣いも瀬上の懐刀も、全てを投げ出して晒した顔だった。




 ─3─


「海斗様のご遺体はここに安置してある。安心しろ、あれから傷一つつけていない。」


 戦いを止め、サイトウの案内で海斗の遺体が安置された蔵へやってきた一行は、海斗を迎える準備をする様に各々が息を整えた。


「お兄ちゃん……ごめんね…。」


 林子が涙ぐんで蔵の戸へ手をかけた、その時───


 ───蒼子の携帯電話が勢い良く音を鳴らした。



「あ…ごめん…沙耶だ……。後でかけ直しとくから───」


 そう言って着信を切った蒼子の携帯が、再び乱暴に音を鳴らした。


「…なんだよもう……今それどころじゃないんだって。」


 再び蒼子は着信を切るが───



 三度目の雑音に、蒼子は思わず電話をとった。



「沙耶…?どうしたの?何かあった?ごめん私今──────」



 電話口から聞こえてきたのは予想外の人物の声だった。


 ───蒼…子……───



 耳元に聞こえてきたのは沙耶の声では無かったのだ。



「お父さん…!?どうしたの…え…沙耶は!?」


 あまりにも弱々しく鳴いた父の声に、蒼子は異常事態を検知した。


「どうした蒼子?素貴がどうかしたか?」


 才太郎の問いに反応する間もなく、続けて声が聞こえてくる。


 ───あ、蒼子ちゃ〜ん。ごめんね、とりあえず早めにこっち来れるかな?お父さんまで失いたく無いよね?───



「沙耶…どういう事だ……。」



 ───いいからいいから!早く帰ってきて?それじゃね!───



 いつもと変わらない、沙耶の軽快な声で告げられたあまりにも乱暴な言葉の羅列。それが蒼子の心を雑に掻き混ぜた。


「マスター…宵さん!マズい、お父さんが!!」


 蒼子の取り乱した様子に一行がざわついたが、混乱が発生する前に心強い声が彼らの背中を押した。


「安心しろ、海斗様は我々がここで責任を持って預かる。」


 もはやサイトウの言葉に疑心を感じる余地は無い。才太郎はかつての同胞へ信頼を預け、互いに背を向けた。


「すまん…恩に着る!」



 こうして蒼子はマスターと宵を連れ、海斗に再会を誓って瀬上邸を後にするのだった。


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