蒼色の夜


 ───瀬上陣営と蒼子達が激戦を繰り広げる一方、異様な静けさが漂うカフェプリムラ。



「蒼子ちゃん、元気になったかな。」



「え…あ、あぁ…。」


 素貴は思わず呆気に取られた。彼はあくまでも「そうか、もう知ってるのか」としか思わなかったのだ。


 なぜ知っているのか、その疑問に辿り着くまで僅かながら時間がかかった。そこに至るまでの時間分、素貴は彼女を信頼していたのだろう。



「そっかそっか、上手くいったんだね、リィン。」


 そう言う沙耶はいつの間にか素貴の横を通り過ぎていて。



「…あ…。」



 素貴の体はそれでも動かなかった。これを混乱と言うのだろう。素貴は無意識にそう考えていた。


「ふう…やーっと外れたよ。同じ体勢のまま何時間だろう、全く───


 ───体中、ガチガチになる所だった。」



 リィンの拘束が、沙耶によって外されている。


「……ッ!!」


 素貴は咄嗟に近くに備えておいた刺股を手に取った。しかし──────



「ごめんね、おじさん。」



 次の瞬間、素貴の手に握られていた刺股は宙を舞っていた。




 ─1─


 瀬上陸奥との激戦を終えた宵は、事実上の終わりを迎えた戦場の様子をざっくりと見渡していた。


「うっ…ごほっ……。」


 唐突に訪れた体内からの危険信号。思わず口を抑えた掌は真っ赤な色に染まっていた。


「ふふ…年甲斐も無く大はしゃぎしてしまったな…。」


 辺り一面の家屋は吹き飛んでおり、もはや人家の体を成していなかった。この様子だと他の人間も巻き込んでしまっているだろう。だが、彼女にとってはそこに感じる罪悪感などは無いに等しかった。


 ───そして同時に、宵の放った心装、贋式・天沼矛も、用意された30本の殆どが砕け散ってしまっている。


「さて、助太刀すべきは…。」


 宵は蒼子と才太郎、どちらの加勢に向かうべきか僅かな時間思考を巡らせ、すぐに結論を出した。



「助けるべきは──────



 ─────────才太郎の方か。」




 ─2─


「…ぺっ…。」


 巨大な爆発音が響いた僅か数分後。蒼子は周囲に倒れる黒スーツを着た瀬上家の人間達を他所にして、口の中で不快な味を醸し出す唾血を吐き出してから口を拭った。



 ───蒼子と瀬上家の構成員達の戦いは呆気なく蒼子の勝利で片が付いていた。それは決して、先の宵による大攻撃の余波による影響では無い。


 ───彼女はたった1人で、10人のスピラナイト使いを相手にして勝利していた。


「痛て…ちょっと捻ったっぽいな…これ。」


 足首に感じる少々辛い痛みのみと引き換えに。


(とにかくマスターの加勢に向かわないと。多分宵さんの方は片付いたんだ。あのサイトウって男はヤバい───


 ───心力が、全く感じられなかった。)


 スピラナイト使い達は自身の持つ力の源であるに対して敏感な為、ある程度の距離感であればその大きさを把握出来るのだが、心力とは特別な力でも何でもなく、簡単に言ってしまえば感情の持つエネルギーと同義である。故に心力は全ての人間が持つものであり、それは沙耶の様な蒼子にとっての普通の人間も有するものだ。


 ───だからこそ、あのサイトウという男から一切の心力が感じられなかった事が不気味で仕方がなかった。



「マスターの位置は…あっちか──────」


 蒼子が才太郎の所在地に目星を付けて向かう方向を定めたのとほぼ同時に、彼女から少し離れた位置で瓦礫となった家屋が崩れる音がした。


「───!?瀬上陸奥───!!」


 突如現れた巨大な心力反応に、蒼子は咄嗟に反応して足を止めた。



「青峰蒼子……。」



 蒼子の体の状態、服の汚れを見て陸奥は確信した。そうか、この少女は──────



「ふっふふふ………面白い……!」




 ─3─


「瀬上陸奥……生きていたのか。」


「生憎体は丈夫なものでな…とは言え流石は倭文家当主…此度ばかりは心血を注いで作り上げた心装一つを失う事となってしまったが。」


 陸奥の姿は、最初に目にした時よりもずっとみすぼらしい姿になっていた。薄手で格式高そうな黒いコートは土埃を被って汚れきっており、丁寧に整えられた重めのセンターパートにしてあった髪型は崩れ、歩く度に前髪が彼の目の前をゆらゆらと揺れている。



「───一つ提案がある、青峰蒼子。瀬上の養子にならないか?」



 陸奥が蒼子から少し離れた位置で足を止めた。



「何だ。取引か?」


 蒼子の目は動じない。心の中で母と対話し、蒼色を宿した彼女の眼は、一切揺れること無く陸奥を真っ直ぐと見据えている。



「そのつもりは無かったのだが…要望があるのなら聞こう、君がその気になるのであれば、海斗の体も返そう。どうだ。」



「───!?」



 その提案に、全く動じない事など出来はしなかった。だが───


「お前達は…海斗の体で何を成そうとしている。わたしがその代わりになる、とでも言いたげだが。」


 蒼子の落ち着いた様子に陸奥は益々関心を示した。


「成程、三家と関わるのは随分久しく、知見も少ないと見ていたが。随分聡明な様だ、益々気に入った。ならば少しだけ話そう、我々の悲願を…──────



 ──────我々は、このスピラナイトの力によって全人類が繋がった世界を作る!心の色を読む事が出来るこの力によって、全ての人類は互いの真なる姿を認識出来る様になるのだ…その世界には嘘も偽りも無い…真実のみが存在する世界、この極地に至った時、人類は人間としての段階を越え、更なるステージへと到達できる!」



「私はそれを、己の力で成し遂げたい…!だがその為には時間が足りんのだ……この体では…人の身では…悠久にも思える進化の過程の全てを踏破し、悲願に到る事が出来ない……私はそれを知っている…だが、諦めきれん!私の心は、私の理想を!夢を!己の手で掴み取りたいと!そう願って止まんのだ…!」


 陸奥はそれまでの機械的とも言える様子を変え、まるで夢を語る少年の様に興奮した様子でそう話した。



「あぁ、不思議だ。」


 一通り、陸奥の理想を聞き終えてから蒼子は言った。


「お前の感情を読もうにも、全く読めない。」


 そうか、理解し得ないものは想像のしようが無い。確かにそうだ、だから私はこいつの心の色が読めないんだろう。だとしたらこいつの言うは到底成し得ないものだ。それでもここまで真に迫った様な物言いが出来るのは、恐らく何かしらの算段がついているからなのだろうか、それでも───


「やっぱり、お前の思想は理解できない。」


 蒼子は目の前の男に対して言い放ったが、陸奥はそれを嘲笑した。


「理解する必要は無い、ただお前は、私の為に力を尽くしてくれればそれで良いのだが。その様子では交渉決裂といったところか。青峰など…もはや存在しないに等しい家系に籍を置いたまま、それ程の可能性を秘めた才能を放置するとは、あまりにも愚かだぞ青峰蒼子。」



 その言葉に対し蒼子の目に力が籠る。


「お前は言ったな…さっき宵さんに向かって…倭文家を唯一の同胞だと…。」


 蒼子の心力が上昇する。陸奥もそれを感じ取り、臨戦態勢に入った。



「違うぞ…私がここにいる…───」


 青峰が存在しない?


「───青峰家は終わってなんかない…」


 それは違う。私にはこの血が流れている。


「私が……私は………!!」


 終わった家系と揶揄されるのであれば…ならばこの身を以て証明しよう。私の血は、確かにここで息をしているのだと。





「私は!蒼子だ!!!!」





 ─2─


 蒼子の決意を込めた叫び。それに呼応する様にして、辺りの風景が一変した。


「ふふふふ………その眼…やはりか……!」


 陸奥は目を見開き、昂りを抑えきれずに口角を上げた。


 蒼子の持つ蒼色の眼───海斗と同じく心象領域を発現させた者特有の色を映す眼である。


 徐々に移り行く景色に、陸奥はただひたすら高揚した。敵の術中に嵌められているにも関わらず、彼の心が観せる色は歓喜そのものだった。



「──────術式…解錠。」



 周囲の風景がすっかり姿を変えきった。



 周囲を覆う景色、その風景に陸奥は見覚えがある。一度だけ目にした事があったのだ。青峰家で次期当主となる人間が、7にして特別な訓練も無く心象領域を発動させたと。機会があって見せられたその風景、青峰紫季が見せた青く澄んだ心地の良い世界、あの世界に比べて───



「随分、みすぼらしい世界だな。不完全と言ったところか?」


 蒼子が展開した心象領域には雲があった。


 母の映した世界はとても心地好くて、気持ちまでもが晴れやかになるような…雲ひとつ無いとても気持ちの良い空だった。しかし、蒼子の世界にはそれが無い。


 心地好さは無く、肌寒さが身を震えさせる。


 空は蒼いが、どこか暗さがあって、時折陽の光を雲が覆う事がある。



 完成した世界の様を見て、陸奥は少しだけ落胆した様に声のトーンを落とした。


───青峰紫季の心象領域か。同一のそれを継承するとは…本来有り得ん事象だが。益々愚かなものだな。これほど豊かな恵物を有していても、青峰という腑抜けた思想がそれを全て台無しにしている。」


 続けて、陸奥は自分の知っているこの世界についての情報を開示した。


「この領域に包まれた、術者が味方と認識した者はスピラナイトの持つ正の心力を注がれ続ける。能力者にとっては、これは正に奇跡に等しい。致命的な心の傷もたちどころに癒し、活力を漲らせるのだろう。故にこれは、デミ・スピラナイトにとっては猛毒だ。マイナスの性質を有する奴らにとっては毒の水を飲ませられ続ける事に等しい、だが──────



 ──────この世界が効力を示すのはの筈だ。世界の規模から見てあの2人はこの世界に入れていない。であれば、正当な能力者である私に使ったところで意味が無い。血迷ったか、それとも元より愚かなだけか?」


 陸奥の挑発とも取れる言葉に、蒼子はため息をついた。


「正当、か。そうか、お前がそうなら、私はきっとそうじゃないんだろうな…───



 ───私は青峰の人間だ。だけど、同時にで居続けられなかった逸れ者…未熟者なんだよ。」



 その時だった。



「ごはっ………?」



 陸奥の口から、鮮血が吐き出される。



「なんだ、これは。」


「私はね、瀬上陸奥…1度、心象領域の正しい発動に失敗してるんだよ。だから…お母さんの力を…残してくれたあの人の心を…受け取れなかったんだ…───



 ───10年前、悲劇の時。私はお母さんの遺してくれたこの力を、歪めてしまっていたんだ。」



 それは、かつて幼き頃に彼女が犯した罪の話。意図せずマイナスの心象領域を発現させてしまい、何人もの命を無意味に奪ってしまった、あの事件の事だ。


「がはァ………ッ!!?」



「お前は私を、所詮は青峰…そう思っていたんだろう。戦いから逃れ、平穏に隠れ、研鑽の手を止め、自分達の暮らしだけを尊んだ、負け犬と───


 ───それがお前の敗因だ、瀬上陸奥。」


 陸奥の中から止まることなく心力が消失していき、立っていることさえ苦痛になっていく。


「これが私の心象領域───の世界だ。」



 蒼子が発動させた心象領域、蒼の世界───


 その世界は母の持つ青の世界に負の心象領域の力が混ざりあった、歪な力。


 効果範囲は自分以外の敵味方問わず。敵に対しては心力に作用し、力を奪い続ける。更に奪った心力によって、自分以外の味方全てを癒し続ける。



 大切な人の全てを自分の力が続く限り癒し続けた母に対し、蒼子のそれは、、身内を救う、そういう能力であった。




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