2012年6月2日

 ───2005年3月15日


 デミ・スピラナイトと瀬上家との戦いから2ヶ月近くが経過した。


 蒼子は何とか立ち直り、今は普通に学校へ通うようになっていた。宵とマスターも引き続き海斗の行方を捜索してくれている。


 最後に林子が電話で伝えてくれた炎のスピラナイト使いという手がかりから、蒼子達が瀬上邸を発った後に瀬上家を襲撃し海斗の体を奪取したのは、恐らくデミ・スピラナイトの一派…一色炎爾と思われた。


 あまりにもタイミングが良すぎるその襲撃から、彼らは何処で我々の動きを監視していたのか、瀬上家側に内通者がいて、適切なタイミングで沙耶と連携を取っていた可能性など様々な考察がなされたが、結局真実は今のところ何もハッキリとしていない。


 そう、戦いは終わったが───事態は何も解決していないのだ。



 だから、蒼子は一つの決心を固めた。




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 ───よく晴れた日の午前、肌寒い空気が漂う頃。



「準備は良いか?蒼子や。」


 蒼子の自宅前で、彼女を呼びかけるのは倭文宵である。


「あぁぁ……まっ、ちょっとだけ待って!」


 大きなスーツケースを段差に躓かせながら玄関をくぐった蒼子が彼女の呼び掛けに答えたが、スーツケースだけをその場に残してそそくさと家の中へ戻っていく。


「焦らずとも良い。これから長いからな。良く準備しておくのだぞ。」


 宵の視線は穏やかだった。これからまた長い付き合いになるのだ、気長にやろう。そういう面持ちだった。


「宵さん、すいません…準備に手間取ったみたいで…。」


 頭を掻きながら少し笑みを浮かべ、素貴が外へ出た。


「良いとも。それより別れは十分か?しばしの離別となるぞ。」


 宵の問いに対し、素貴の答えは案外あっさりとしていた。


「子供の成長の為なら、笑って送り出すのが父親ってものでしょう。僕が寂しそうにしてちゃ、蒼子が行きづらくなりますよ。」


 あくまでも爽やかにそう笑う素貴に対し、宵はただただ彼のその姿を噛み締めるように微笑んだ。




 ──────────────────────


 蒼子は自室に駆け込むとタンスの戸を開けて大事に閉まっておいた一着のアウターを取り出した。


「危ない危ない…これを忘れるところだった。」


 手触りから相当大事に使い込まれた事が伺える、黒のライダース───


 戦いの中で汚れきっていたそれは、クリーニングに出しておいたお陰で清潔感を取り戻しており、これからの新しい生活に対する期待感を煽る様な心地さえした。


「さぁ、行こうか、海斗…。」


 海斗が残してくれた唯一の形見を大事に抱き抱え、蒼子は部屋を飛び出した。




 ───そして、時は流れ…。





 ─3─


 ───2012年6月2日。



「また雨か。」


 梅雨入りした事もあり、ここ最近は随分雨が多い。雨が嫌いな訳では無いが、こうも連日のようにジメジメしていると流石に気分が落ちる。


 ───時刻は16時11分。悪天候のせいで普段より薄暗い中、少し古臭い洋風の部屋の中で明かりもつけず、青峰蒼子はタバコの火をふかしてぼうっと外を眺めていた。


(───あれから7年か。)


 過去の因縁と罪が生んだ戦いから7年。戦いが終わった後はスピラナイトの研究と訓練の為に倭文家の下で暮らし、高校も県北の高校へと転入した。もちろん全ては瀬上海斗の所在を追う為、そして、同じ様な悲劇を二度と繰り返さない為。その為に蒼子はデミ・スピラナイトと彼らに関わるについて調べ続けていた。


(私も今年で24か。時の流れは残酷だな。)


 転入先の高校では気持ちを切り替えて臨んだお陰か、それなりに楽しい学校生活を送ることが出来ていた。もちろん、下校後はひたすらにスピラナイトの研究と鍛錬に励む毎日だったので、青春らしい出来事と言えば学校行事くらいだったのだが。


(あぁ…何だか昔の事を考えると息が詰まるな。こういう時は外に出よう。リフレッシュだ。)


 そう言って立ち上がり、伸びをしてタバコを乱暴に灰皿に押し付けた後、蒼子の目に再び外の景色が映りこむ。一連の心の機微が何だか自分の人生の様で、よりげんなりした。



(あぁ、そういえば雨だったね。)



 ──────────────────────


 大雨と雷が、まるでこの世の終わりのように降り注いでいる。


(なんだ…さっきより強くなってるじゃないか…。私が外に出た途端これか。あんまりじゃないかな、その仕打ちは。)


 蒼子は濡れる足元の様子を見て役に立たない傘に対し苛立ちをぶつけた。


 を出て歩く事10分。突如蒼子のスピラナイトが僅かながら反応を示した。



(…?───この感覚…どこかで…。)


 広い国道沿いから住宅街へ入っていく道を、恐る恐る前に進む。進むにつれて確実にハッキリしていく反応と共に、蒼子の感覚は対象の解像度を上げた。



(これは……───間違いない。1年ちょっと前か、確かそれくらい前に突然現れたあの反応に近い…。)


 蒼子が感じたスピラナイトの感覚───それは1年程前にたまたま調査で訪れていた隣町、宇都宮市の田舎の町で突然現れて突然消えた反応と酷似したものだった。


 そう、忘れるはずもないのだ。あの感覚は、とかなり近しい感覚があったのだから。


 思わず蒼子の足取りがせっかちになる。ビシャビシャと音を立てながら向かった先に、1人の人間の姿を見た。



 服を着たままシャワーを浴びたようにびしょ濡れになっている少年が、何かを叫びながら走ってこちらに向かってきている。



「なんで……なんでこんな…!───



 ───こんな思いしなきゃなんねぇんだよ!!」



 空に向かって、少年が叫んでいる。


 その姿を見た時、まるで忘れもしないあの日々の自分に重なった様な気がして、少しだけ胸が締め付けられた。



 黒い短髪をびしょ濡れにして、青いワイシャツをシワだらけにして。


 少し華奢な体をより細く見せてしまう様な、茶色で七分丈のパンツを泥だらけにしている───


 ───歳は…きっと一回りは下だろうか。その少年を見て、蒼子がその蒼色の目に宿したのは紛れもない希望だった。



(そう。だから私は、君に託す事にしたんだ。だからあの日、私は君に手を差し伸べる事にしたんだよ。)



 ぐちゃぐちゃになった少年に手を伸ばしながら、蒼子はかつて自分を救ったを思い出すようにして、少しくすぐったくなるような言葉を吐いた。




 ───その瞬間、まるで2人の時間だけが止まったかのように、雨の音が止んだ気がした───




「───やぁ、少年。人の心が大好きな、ミステリアスなお姉さんはお好みかな?───」











 ───蒼色の夜〜夢想劇前日譚〜 完───

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蒼色の夜 幸村 京 @kyo_yukimura

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