誓約


 蒼子達がカフェプリムラを発ってしばらくした頃。


「ねぇ、暇じゃない?何か話そうか?」


 相変わらず喫茶スペースの隅で手足を拘束されたまま身動きの取れないリィンが素貴に話しかけた。


「君と話すことなんか無いよ。黙っていられないならそこで懺悔の言葉でも唱えていたらどうだい?僕は聞かないけどね。」


 素貴はテーブルに座り、リィンの方向を向いたまま決して彼と目を合わせる事は無く、そう言った。


「なんだつまらないなぁ…。一応君の娘の恩人だと思うんだけど?」


「どの口が言う?君達が僕の家族に何をしたと思ってる。蒼子が元気になったって足りないよ。」


 素貴の強い態度は崩れない。そうさせるのは他でも無い、彼の決意のみだ。


「…君、ちょっと生き急ぎすぎだよ。」




 ─1─


 ───15時16分。


 マスター、宵、蒼子の3人は、再びマスターの運転で瀬上家の本拠地がある東京へ向かっている。


「さあ、マスター。さっきの話の続きだ。神とか神器とか諸々説明してもらえるかな。」


 蒼子は食い気味にそう言った。


「その前に蒼子よ、私が君に話した事は覚えているかな?まだ随分小さな頃だったから忘れていても無理は無いが。」


 宵が言っているのはかつて青峰家が襲撃され、素貴と共に倭文家へ逃げてきた時の話だろう。


「はい。それは覚えてます。スピラナイトの起源は神代まで遡る、ただし、具体的な成り立ちは記録に残っていない…んですよね。」


「ほう、これは驚いた。随分記憶力が良いのだな、感心したよ。」


(或いは───記憶を遡った影響か。成程、随分仔細まで見せられた様だ。だとすると、やはりあの悲劇も追体験しているのだろうな。)


 宵は窓の外に目線を移し、そのまま黙ってマスターへ話題をパスした。


「起源については俺が把握してるから、簡単に教えてやる。そもそもスピラナイト自体、お前らの言うそのに与えられた力だ。」


 正直なところ、蒼子は宵の話さえ脚色の加えられた伝承だと思っていた節があった。古事記とか日本書紀のような、そういうレベルの話だと認識していたのだが。


「ただ、本題にはそこまで関わらないから今回は省くぞ。要するに、スピラナイト使いってのは昔から神々と少なからず縁があるって事だけ理解してくれればいい。」


 マスターのその説明を聞いた時、蒼子の頭には過去の記憶で見た三家の在り方───宵の説明した倭文家の考え方についての話がよぎった。


 ──────────────────────



 ───倭文はこの力を神の力と信じ、恵を与えて下さった神へ、力によって獲得した万物を捧げようとした───



 ──────────────────────


(わたし、もしかして宵さんの前で結構失礼な事言ってたかな…?)


 少々の気まずさが助手席に座る蒼子の首を前方に固定した。


「気にする事は無い。青峰と倭文では思想が違うのでな。そもそも三家は互いへの理解に労を費やした事など無かったはずだし、青峰と倭文はかつて利害関係があった故、多少の親交が残っているだけの事…。」


 蒼子は考えが読まれていた事にぎくりとした。今更だが宵は手練のスピラナイト使いなのだ。正確には蒼子の感情を読み取り、考えている事を推察したのだろう。そんな宵の言葉はどこか冷たさがあって、蒼子は少し体が冷えた気がした。


「…続けていいか?」


 マスターが少し気まずそうに空気を変えようとした時、蒼子がずっと気がかりだった1つの疑問が脳内を巡った。


(そもそもマスターって何者なんだろう…スピラナイトにも詳しいし…あの時だって戦えてたし…スピラナイト使い…?だとしたら三家の人間…?)


「で、海斗が神器を扱えた理由だが…あり得るとしたらあいつが縁あった神と結んだしかない。」


 マスターは回想した。かつて海斗が話した、彼が人間を辞めた日の話を。



 ─2─


 ───1995年8月



「ぉわッ!?」


 それは人の目で見切るにはあまりに速すぎる剣閃。それをこの女性は軽々と、片腕の一振りでやってのけた。


 この女と戦っていると、人の世の外側にはとんでもない化け物がいることを思い知らされる。


 あぁ、上には上がいるんだな、と。


「あぁチクショウ…タンマだ…、休憩させてくれ…。」


 地面に尻と手を付けて息切れを起こしていた瀬上海斗が、目の前に立つ───純白に輝く布に、それはそれは鮮やかな赤いラインが襟や帯揚げの部分を彩っている着物を着た、黒髪の女性に降参の意を示した。


「これで、260戦1勝259敗だな、海斗。」


「ンな事いちいち覚えてたのかよ…。」


 少々投げやり気味に言葉を吐いた海斗に対し、着物の女性は丁寧な所作で刀を仕舞うと、「茶でも飲もうか。」とゆっくりとした足取りで小さな家屋へ向かっていった。



 とある神社から少し離れた所に建てられた、少なくとも2人以上の来客は想定されていなさそうな間取りの小屋で茶を啜っていると、ただでさえ狭い部屋を2人分は圧迫しそうな大男が訪れた。


「おぉ、海斗じゃねえか。背伸びたんじゃないのか?」


「アンタ…ウメタロウ…だっけか…?」


 海斗は曖昧な記憶を手繰り寄せて目の前の大男の名前を確かめた。


「ははっ、1年ぶりだな。相変わらずに扱かれてるのか。」


 大男は笑いながら持ってきた大荷物を台所の横に置くと、流れるように食事の準備を始めた。


「扱かれているは少し語弊があるぞ?私は頼まれて稽古をつけてやっているのだ…。」


 と呼ばれた着物の女性は立ち上がってサイタロウと呼ばれた大男の隣へ向かうと、「いつも悪いな、客人なのだからゆっくりしていてくれ。」と言いながら厨房に立つが、男は「料理、したいんだよ。」と頑なにそこを動かなかった。


「で?どうだ、強くはなってんのか?」


「どうだかな…前より上手くクソ親父達の目を欺いてここに来れるようにはなってんじゃねぇかな。」


 少しぶっきらぼうにそう答えた海斗に対し、静子は穏やかな表情でこう言った。


「ここには結界を施してある、例え瀬上家と言えど見破れるものでは無い。ここにいる間は安心して心休めると良い。」


 静子の穏やかな立ち振る舞いを見ていると、どこか自分が心の底で求めていた何かを感じてしまう自分がいる。ただ───


「ただ、なんつうか…根本的に違うんだな、俺とアンタらじゃ…もう何度も手合わせしてもらってるが、最近思うよ。文字通り次元が違う。」


「お前、瀬上家をブッ潰したいんだっけか?ただの反抗期にしちゃ気合い入りすぎな気がするし、何か理由でもあるのか?」



 海斗はその問いに対し強い口調で断言した。


「瀬上家は存在してちゃいけねぇ。俺の正義がそう言ってるからだ。」


「正義ねぇ…。」


「そうだ。瀬上は人としてやっちゃいけねぇ事に手を出そうとしてる。俺はそれを止めたい。だけどな…その為にはを超えなきゃいけねぇんだよ…。」


「人間を超える…?」



 3人は食事を終えると、海斗は1人木刀で素振りをし、静子とウメタロウの2人は離れた所でそれを見ながら食後のコーヒーを嗜んでいた。


「馳走になったな。海斗が来ているので、どうしても貴殿の料理を食べさせたかった。あの子も喜んでいたよ。」


「にしても、まさかアンタが人の子へ指南をするなんてな。正直まだ驚いてるぜ。何だって海斗の面倒を見ようなんて思った。」


 静子は少し後ろめたそうに答えた。



「私達は立場上スピラナイトの使い手達の行先に手を加える事はできない、それは理解している…だが、彼の強い思いを無下にする事も…私には出来なかった。」


 ウメタロウは何かを汲み取ったかのように、静子を慰める。


「まぁ、あんまり根詰めるなよ。立場を悪くするのはどっちかと言うと静子…アンタの方だ。」


 しかし、少し間を空けてから何かに気がついたかのように、ウメタロウは自分の発言を訂正した。


「あぁ…悪い、優等生のアンタがその辺の根回しをしてない訳無かったか。一体どういう理由で上は海斗を匿うのを許可したんだ?」



「海斗は…恐らく上にとっても貴重なサンプルになり得る筈だ。彼の行先を拓いてあげる事は、この力の行く末を拓く事にも繋がるのだと、私は信じている。」


 静子はとにかく生真面目な女性だ、信頼も厚い。だからこそ、彼女の言う事には、それだけで説得力があったのだろう。


「まぁ、日頃の行いかもな。アンタの言う事だから、上も信じたんだろう。だが───


 ───あんまり肩入れしすぎると、後が辛いぞ。」



「分かっている…今回の私達の目的は…あくまでも禍津神の暴走を止める事だ…。だから…時間の許す限りは彼に教えたいのだ。彼の目的の為に。例えそれが、彼にとってどのような結末をもたらそうとも。」



「……あの少年に、相応の覚悟を見たか。俺はそう受け取るぜ。だから俺は何も言わない。後悔だけは無いようにな。」


 そう言ってウメタロウは立ち上がり、小屋の中へと戻っていった───



 ───そして、その数日後、彼らの周りで2つの事件が起こった。


 1つは、後に第二次神魔戦争と呼ばれた、神々と魔の戦い。4年に渡って続いたこの戦いで、乃木静子は争いの原因となったと呼ばれる神の暴走を止めるために最後の一人になるまで戦い抜き、最後には禍津神と共に姿を消したと言われている。


 そしてもう1つは、青峰家襲撃事件。

 人の世とは理の異なる場所で行われていた神々の争いは苛烈を極め、人の世にも少なからず影響を及ぼした。争いの影響で、倭文家に張られていた結界は損傷し、結果的にデミ・スピラナイトの侵入を許したのである。



 その戦いの最中───


「静子!!!行くのか…?」


「あぁ。すまないが指導はここまでだ───



 だが、そうだな…今の君なら、きっと扱えるだろう。」


 静子は最後の決心を固めるように海斗へ確認をした。


「本当に、良いんだな。」



 海斗はそんなものは不要だと言わんばかりに、その問いへ即答した。


「今更だろ。俺は…アンタからそれを貰う為に、ここまでやってきたんだ。」


 ああそうだ。この男はそういう人間だった。1度固めた覚悟は何があっても揺るがない。そういう精神性を有していたからこそ、彼は若くして心象領域を会得出来たのだろうし、の権能に耐えうる力を蓄えられたのだろう。


 だから、静子も迷う事をやめた。



「人の子よ…その覚悟見事なり───


 ───我、乃木静子の権能を預かりし者。約定に従い、ここに誓約を履行せん。」


「───我、瀬上海斗。神より賜りし秘宝を有する者。約定に従い、ここに誓約を履行せん。」



 2人を囲うように黄金に輝く光が辺りを覆う。

 覆った光が霧散していくのと同時に、海斗の左手には一振の刀が握られていた。


「───ここに、誓約は結ばれた。神薙の刀は君のものだ。良いか?この刀はあらゆるえにしを断ち切る神器だ。君の意思1つで、人同士の繋がりは因果に作用して切り絶たれ、記憶や、想いさえもその人間から断ち切る事が出来る。君の思惑通り、可能なはずだ。だからこそ…その力の使い方を誤ってはならない。それだけは、努努忘れるな。」




「海斗。必ず…必ず思いを遂げて欲しい。安心してくれ、瀬上海斗のは、必ず私が導いてみせる。」



 ───この誓約により、本来は所有する神にしか扱えない神器を瀬上海斗は有するに至った。


 この後、海斗はその刀を持って倭文家の救援へ向かい、1人の少女の人生を変える事になる。




 ─3─


「つまり、海斗はその誓約によって神薙の刀の所有権を得たと。だがそれが今回の事象とどう関わるのだ。」


 話を聞き終えた宵が問いを投げた。


「考察すべきなのは神薙の刀を使えるようになった経緯の方だ。誓約ってのは神が人間に自分の力を与える代わりに、人間側がそれに相当するものを神へ捧げる、言わばとんでもなく高位の等価交換みたいなもんだ───


 ───海斗は瀬上家の目的に何かしらの確信を得た。それに対抗する為にはどうしても神薙の刀の力が必要だった。だからあの刀の本来の所有者…乃木静子と神の元で修行するに至ったんだ。神器なんていう人の身で扱えないようなものを正しく扱える…その証明をする為に。そして、何よりそれを正しく使いこなせるだけの力をつける為に。」


「で、重要なのはその誓約の中身だ。これについて俺は1つの結論が出せている。だが…残念ながらお前達にそれを打ち明ける事はできない…。」


 最後の最後で強烈な手のひら返しを食らった事で蒼子が少々声を荒げた。


「えぇ!?いや…そこまで話しておいてそれは無いんじゃ……。」


「すまん。だが、誓約の内容ってのは当人達以外に公言しちゃいけないなんだ。だから俺も聞いたわけじゃない。ただ、なんてものの所有権に相当する程の対価なんて、人間は1つしか持ち合わせちゃいないんだよ。」


 まるで察しろと言うようにマスターはルームミラー越しに宵を見た。


「…成程。大体わかった───


 ───己の生…とりわけ魂に関する取引だったという事だな。」


 肯定も出来ないが否定もしない。そういう様子でマスターは運転を続けている。それが彼にできる精一杯のだったからだ。


「どういう事…?」


 蒼子はここに至っても話の全貌が見えて来ず、困惑した表情を浮かべた。


「要は海斗の身に尋常じゃない事が起こっていて、瀬上家はそれを利用する為に倭文家を襲った。今はそれが理解出来れば十分だ。」


「彼らにどんな目的があろうが今は分からんが、少なくとも我が一族に危害を加えた───押しかけるには充分な理由であろう?」


 マスターは吹っ切れたようにニヤリと笑った。ルームミラーに映ったそんな彼の顔を見て、後部座席の宵もまた、少しばかりの怒りを滲ませたような微笑みを浮かべた。





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