災禍の一族


 蒼子達が倭文家を後にし、しばらくが経った頃。



 リィンは諦めがついたのか、それまで減らなかった口数が激減し、とうとう素貴に悪態をつくことすらしなくなっていた。流石の素貴も同じ体勢でいる事に疲れ、何度か立ち上がっては意味も無くテーブルの周りをゆっくり周回したり、座ったりを繰り返していた頃───


 ───表にはcloseの看板が出ているはずの、カフェプリムラのドアが開き、ドアにぶら下がるベルが音をたてた。



(来客?)


 素貴の意識が入口に向かい、入ってきた人物を認識した瞬間、彼の口が声も出さずにあんぐりと開いた。


「え…君…沙耶ちゃん…?」



「あ…おじさん!?」




 ─1─


 ───17時43分。


 青峰蒼子、(仮称)梅谷才太郎、倭文宵───瀬上家本邸に到着。


 辺りはとうに日の光を閉じきっており、目の前にそびえる巨大な日本家屋群は闇を纏った妖怪屋敷のように見えた。


「東京って聞いてたけど、あんまり栃木と変わらなく無いか、ここ。」


 蒼子は自分が想像していた東京の景色とは随分かけ離れていた辺りの風景を見てそう言った。近くの通りは多少車の往来が地元より多かったくらいで、人の少なさは生まれ育った田舎と大差無いように感じる。


「御三家とはそういうものなのだ。人目を避けて、人目につく事を避けて───そうやって己の素性が割れないように生きる。ただ自分達の成すべき事の為に命を全うする…。」


 人里離れているとはいえ瀬上家がわざわざ人の多い東京という地に腰を据えているのは、があるからなのだが。


 そう話す宵の表情はどこか、いつに無く影を落としていた。


 しかし、彼女らが各々の感情に思考を落とす余裕は、目の前の勢力からは設けられていなかった。


「準備はいいか───あちらさんは出来てるみたいだぜ。」


 マスターがそう言いながら向ける視線の先───瀬上邸正門には、既に数人の黒服が足早に数を揃え始めていた。


 当然、その様子は蒼子と宵も認識している。


「青峰蒼子様、倭文宵様…それからの付き人の方ですね。」


 黒服達の様子は3人が想像していたものとはかけ離れていて、随分と平和的な様子だった事に呆気を取られた。まるで客人をもてなす様なその応対には些か気持ち悪さを催す程に。


「当主より案内を承っております。と申します。こちらへどうぞ。」



 自身をサイトウと名乗った黒服の内の1人が、物腰柔らかく、それでいて一切の隙の無い様子でそう言った。しかし、その様子に心を緩める者はただの1人も居らず───むしろ彼の名前を聞いたマスターは前にも増して警戒心を強めた。


(サイトウ…?いや…まさかな…。)




 ─2─


 ───17時56分。


 青峰蒼子、(仮称)梅谷才太郎、倭文宵───瀬上邸内部に到着。


 所謂寝殿造というものに近い造りをした巨大な屋敷のうち中心に位置するその建物は、最低限の明かりで照らされており、駆ければどこかで足を躓かせてしまいそうな程見通しが悪かった。まるで過去にタイムスリップしてしまったかのような気さえする程に、その内部は現代の様子からは浮世離れしていた。



 どのように進んできたのか…既に記憶に無い程に入り組んだ道をサイトウの案内で進んでいき、屋敷の奥へ到着した3人は、想像よりもずっと狭い───当主が座す間としては少々素朴な部屋で、瀬上家当主と邂逅するに至る。



「道中ご苦労であったな、倭文家当主、青峰の生き残り…そして…貴殿を私は何と呼べば良いか?」



 低く、少しだけしゃがれた声で、ゆっくりと目の前の男は語りかけた。



「何でもいいが、今は梅谷才太郎と名乗ってる。気に食わなきゃ好きに呼べ。」



 マスターの問いに対して回答を出すように、瀬上家当主───瀬上陸奥セガミリクオはマスターの呼び名を定めた。


「そうか、では敢えてそので呼ばせてもらおうか、梅谷才太郎。」



 瀬上陸奥は来客に動じること無く、手元のコーヒーに手をつけてから話を続けた。


「ここに来た目的は分かっている。だがおいそれと元愚息の体を返す訳にはいかないな。貴殿らがここに来たように、こちらにも相応の目的がある。」


 分かりきっていた回答を早々に告げられ少々肩に力を入れつつも、先に口火を切ったのは蒼子だった。


「…元愚息って…自分の息子なのに…死を悼む事もせず、人様に何もかも投げておいて、今更父親面する事もしない…あなたは一体どういうつもりなんだ…?何がしたいんだ?───」


 徐々にエスカレートしていく怒りに体を預ける様に、蒼子は決意を放った。


「───死者を…私達の大切な人を冒涜する様ならこちらも容赦はしないぞ、瀬上家当主。」


 彼女の決意に同調する様にして、宵とマスターも身構えた。


 ───目の前にいるのは瀬上家の当主だ。少なくとも三家の中では最もスピラナイトによる戦闘を得意とし、かつその手段に抵抗が無い。そういう一族のトップなのだ。その事前情報が3人の警戒心をより強めた。



「ふっ…やはり青峰家というのはどこまで血を分けても人間なのだな…。道理で早々に滅ぼされる訳だ。」


「何……?」


 陸奥の冷たい微笑に強い怒りを感じた蒼子が目を見開いて抵抗した。


「我々瀬上は一族の掲げる目標こそが至高だ。そしてその成就の為に生きる一族だ。それは倭文も青峰も変わらぬのだろう。だがな、我々はを知っている。人の儚さを知っている。何よりも、私がそれを理解している───


 ───そして、我々の掲げる理想は到底人の身で体現できるものでは無い。それも十分に理解しているつもりだ。ならば、どうして人の価値観に縛られる必要があろうか?」



「答えになっていないぞ瀬上陸奥───」


「いいや、私は充分な回答を出している。それを理解できないのは貴殿らが低俗な領域で留まっているからだ倭文宵。私は残念でならん。かつては共に肩を並べ、この力の可能性に胸を馳せた仲だと言うのに、今となっては残された唯一の同胞だと言うのに…もはや瀬上の理想についてこられる者は我々以外に存在しないという事か。嘆かわしいな。」



「少々突っ込み所が過ぎるが、もう良いだろう。どうせ話の通じる相手では無い事は重々理解してここに来たつもりだ。」


 宵が呆れたようで、それでいて変わらぬ口調でそう言うと、瀬上陸奥も意を固めた様に合図を出した。


「そうだな、理解の及ばぬ物にこれ以上の言葉は意味を持たんだろう…ここからは、この力に問うまで。」


 陸奥が、右腕をゆっくりと前に突き出した。



「やれ───サイトウ。」


 彼の号令と共に、いつの間にか背後に立っていた男が構えを取ってこちらを向いていた。



「───御意。」


(───な……こいつ…!いつの間に───)


 サイトウの居合からの斬撃───最初の餌食になったのはマスター───梅谷才太郎。




 ─3─


「ッチィ!!!」


 切り伏せられるか否か、そのギリギリで反応した才太郎の腹部の布が一瞬で引き裂かれる。



「こいつは俺が!宵と蒼子はそっちだ!」


「あいわかった。」



 返事と共に宵が心装を展開し、天井を突き破った。


 木材が弾け飛ぶ音と共に、宵が頭上に放った巨大な矛が夜の闇を仄かに照らす。


「贋式・天沼矛。」


 同時に蒼子が頭上へ跳躍する。人間離れした跳躍───空中に舞った蒼子が、上空の矛を掴み取る。



「───ふん!」


 蒼子の手から放たれる、神速の矛。それはまるで神さえも殺す勢いを感じられる。


 矛は屋敷の屋根を再度破壊し、陸奥の元へ着弾するが───



 ───それよりほんの僅かに早く、陸奥は上空へ跳躍していた。



「───ほれ。」



 宵が軽々と右手の指を立てると、1度着弾した矛は再度獲物目掛けて突進する、しかし───



(必中の矛か…成程。)



 ───陸奥はそれを、あろう事か空中で掴み取った。



「なッ……!?」



「逃げられぬのならこうすれば良い。違うか?」



 陸奥は両手で矛を抑え込むと、下方向からの膝の一撃でそれを真っ二つに割って見せた。


 ガラスが割れる様な音が周囲に響き渡る。




「贋作とは言え神器の模倣だ、そう易々と手に出来るものでは無い。とは言え担い手は倭文家当主…後2,3本は隠し持っているのだろう?」



「齢50を越えて尚その身体能力か。流石は修羅に身を落とした一族なだけはあるな、瀬上陸奥。」




 天沼矛の投擲を終え屋外で着地した蒼子が、一足遅れて残された屋根の上に着地した陸奥をしっかりと見据え、宵の加勢に加わろうとするが───




「大人しくしてもらいます、青峰蒼子。」


「ッチ…!」



 蒼子の周りを黒服の男が囲う。瀬上家の戦闘員達である。


 目の前の脅威に比べれば恐らく三下だ。とは言え彼らは自分よりもずっと長く力の鍛錬に励んだ者達だろう。そう簡単に倒れてはくれない。



 だが、先程の動きを見て確信した───瀬上陸奥は、海斗に勝るとも劣らない実力を有している。宵の実力の全てを把握している訳では無いが、倭文家は戦闘の為にスピラナイトを鍛えてきた一族では無いと聞いている。流石の宵でも分が悪いのでは無いかと考えた。であれば───



「あぁもういい!全員まとめてかかってこい!」


 今の自分の力は正直未知数だ、実戦経験が浅い分自分でも測りきれていない。だとしても、いちいち三下を1人ずつ相手にしている余裕は無い。



 梅谷才太郎とサイトウ。


 倭文宵と瀬上陸奥。


 青峰蒼子と瀬上家の人間達。



 それぞれの戦いの火蓋が

 今ここに切って落とされた。

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