青の世界─兆─



 ─1─


「わたしはだれ。」



 暗闇の中、木霊する1つの声。



「君は……呪われた子どもだよ。」



 途端、暗闇が渦を巻いたような気がした。

 視界が戻った訳では無い。耳も聞こえていない。声も、手足の感覚も無い。だから実際に見えた訳では無い。それでも、瞼の裏に模様が見えた様な、そんな感覚があった。



 そう、今の自分には、体があるという感覚が無い。



 五感の一切が失われたその場所で、は唯一残された思考のみで、何者かと会話をしている、と思っている。


 現にわたしが意思を伝えれば、わたしの思考の中では返事があるのだから。これは立派な会話と言えるだろう。



「わたしは、どうして呪われてしまったの?」


「呪われた。わけじゃないんだよ。君はね、呪われて生まれてきたのだから。だから、呪われたんじゃないんだ。君は呪いとして生まれてきた、の方が、正しいんじゃないかな。」



 そうか、わたしは最初から呪いだったんだ。なるほど、少しだけ自分の事が分かってきた。では───


「わたしのおとうさんやおかあさんは呪われていたの?わたしよりも前の人たちは、みんな呪いだったの?それともわたしだけが呪いだったの?」




「皆だよ。みーんな、のろいを、もって、生まれてきたんだ。」


「呪いがあると、どうなるの?」




「そうだねえ。人によるけれど、少なくとも、まともな生活は、できないんじゃ、ないかなあ?──────」


 頭の中で響く声は、まるで入力されたテキストのように平坦なトーンでそう言った。


「それはつまり、不幸な人間って事?」


「どうだろう───ほら、幸せって人それぞれ、だろう?だから、なあんにも起こらないへいぼんなひびが、幸せだと思う人も、いるだろうけれど、ぎゃくに、毎日がサプライズの連続のような、ハプニングのれんぞくの様な、そういうさ、なんて言うのかな?普通じゃない日々が、とてつもなく幸福にかんじる人も、いるんじゃない?」


 彼の言っている事はよく分からない。だから話題を切り替える事にした。



「私は、幸せな人間だと思う?」


「わからないね、じっさいどう思うんだい?」


「わからないよ。だって、わたしは今、生きているかも自分でわからないんだもん───


 ───あなたはどうなの?あなたは私と同じなの?幸せ?」


「そうだね、実のところ、ぼくにもわからないんだ。ぼくも、からだが、ないからさ。」




 次の言葉が口をついて出たのが何故なのか、自分でもわからなかった。ただ、滑り出すように自然と口から出てきたような感覚だった。




「寂しい?」




 それを聞いた頭の中の声は、饒舌な口を初めて止めて、一瞬だけ黙りこくった。


「あぁ……いやいや。寂しくないよ───


 ───ぼくにはさびしいということがどういう事かわからなかったんだけどね。いまわかったよ。そうかそうか、今までのぼくは、きっと寂しかったんだろうね。」


「え、でも…寂しくないって…。」




「それはね、君が僕を心配してくれたからさ。それで気付いた。そうか…僕は独りじゃなかったんだね…。」



「そう…なんだ。それは良かった。じゃあさ───


 ───私も独りじゃないって事…でいいよね…?」



「あぁ、そうだね。君と僕は一緒さ。だから僕達は寂しくなんかない。それはきっと…幸福な事なんじゃないかな。」


(あぁ、そうだ。わたしは─────



 ──────私は…。)


 その瞬間、じわじわと止まっていた思考が動き出した感覚があった。それまで自分がなにをしていたのか、どんな目にあったのか。走馬灯の様に記憶が流れてくるような。


 蒼子はその時初めて、体の中心が熱を帯びる様な感覚を覚えた。それで初めて、自分には動かせる体がある事を認識した。


「君一人で背負いきれないなら、僕が一緒に背負ってあげるよ。君が外に出る事が怖いなら、僕が手を引っ張って一緒に外に出てあげる───」



 その瞬間、世界が明転した。それと同時に頭の中で響く声は、頭の中では無く、明確に自分の目の前から聞こえてきた様に感じた。



「───だから、蒼子。お前は独りなんかじゃない。独りになんかなるんじゃねぇ。どんな事があったって、迷惑かもって思ったって、執拗いくらい周りと歩き続けろ。」


 聞こえてくる声と共に、自分の輪郭がハッキリしてくる。徐々に、徐々に…痺れた体にジワジワと血液が巡るようにして、蒼子の体が大きくなっていく気がした。



「───大切な誰かが居るその場所までは…最期に俺がちゃんと連れてってやる。」



 聴覚と、他の体の感覚が完全に戻った後、次に戻ったのは視覚だった。


 ───目の前で、白くて大きな、大きな光が広がっていく──────



 ───さぁ、行こうぜ。お前の母ちゃんが遺してくれたモンを探しに。」




 ─2─


 気がつくと蒼子は水面の上に立っていた。


 空を覆うのは白みがかった、澄んだ青。気持ちまでもが晴れやかになるような…雲ひとつ無いとても気持ちの良い空だった。


「ここは……。」


 蒼子は両腕を広げて風を感じてみた。しかしその場に風が吹く事は無い。だというのに、何故か蒼子はとても心地の良い風を全身で感じているような気がした。




「とうとう、ここまで辿り着いたのね。蒼子。」



 前方から聞こえてくるその声に、蒼子は聞き覚えがあった。



「お母さん……だよね?」



 蒼子の目の前に立っていた、華やかな水色が全身に散りばめられた白い着物を着た女性は、間違いなく過去の記憶で見た青峰紫季───蒼子の母に違いなかった。


「思い出してくれて嬉しいわ…あなたの中に自分の意思を遺しておいた甲斐があったみたい。」



「お母さんは…ずっと見ていてくれたの?私の事…。」


「もちろん。それが親の勤めなんだから。大切な娘を独りで遺して逝っちゃうわけないじゃない──────


 ──────ほら!おいで、蒼子!」



 蒼子は痙攣する口元を堪える事無く、溢れ出る涙を止めること無く、水面を蹴った。思い切り走った。その時だけは童心に還る様に。何もかも忘れて、ずっと憧れていた行為に走った。



「うわああああああ!!!!おかさあさああああん!!!!」



 紫季は優しく蒼子を抱きとめると、そのまま何も言わず泣き続ける蒼子を包み込んだ。


「もうやだよぉ!意味わかんない力のせいで人といるのが気持ち悪くて!海斗と会ってやっと普通になれるかもっておもったのに!!またおかしくなって!!───


 ───何度も何度も襲われて!!───


 ───海斗は死んじゃった!!しかも…海斗を殺したのはいた事も知らなかった…私の…お兄ちゃんだった!!!──────




 ───なんでこんな目にあわなきゃいけないのぉ!怖いよぉ!!!」



 ずっと言えなかった気持ちを、初めて吐いた。


「頑張ったね…うん、頑張った頑張った…。」



「もう十分頑張ったのよ、でもね、あなたが本当に普通で、平和な日々を送る為にもね、最期にこれだけはあなたに任せなきゃならないの。だから、お母さんのお願い聞いてくれる?」



 紫季は蒼子が泣きじゃくる間も変わらず頭を撫で続けた。そうやって宥めるように、紫季は蒼子の気持ちを補充し続けた。


「わたし…これ以上……何をすればいいの……?」



 蒼子は母の胸に顔を埋めたまま、ぽつりと最後の弱音を吐いた。


「私の…お母さんの力を、ここで使って。大丈夫、あなたは私と同じ力を持っている。だから私にはわかるの───


 ───あなたの力は、あなたも、あなたの大切な人も、護る事ができる。」



「───その力があれば…私は…私も皆も平凡に暮らせるように…なる…?」



優しく目を瞑って、紫季は答える。


「それはあなた次第。でもね、この力はあなた達に迫る災禍を祓って、当たり前の日常を取り戻すには必ず必要になる。だから他でもない、あなたとあなたの大切な人の為に…あなたは最後にもう一度だけ頑張る必要があるわ。できる?」



紫季の問いかけに少しばかりの嗚咽を堪え───蒼子は応えた。


───母に強くなった自分を見せるように。


───母に…自分はもう頑張れるよと。そう見栄を張るように。



「───うん…。できる。私、がんばる…!」




 ─3─



 快晴の空。


 濁りの無い水面。


 軽やかな風。


 暖かい、日差し。



 青峰蒼子の精神世界こころのなかが、青い世界で満たされていく。




 。それは青峰紫季の心象領域。




 。乱れた心も、傷ついた精神も、例外無く全てを癒す。それは、正当なスピラナイト使いにとって、正に奇跡に等しい心象領域であった。






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