明転
─1─
───2005年1月11日
青峰蒼子が自失状態に陥ってから既に3週間近くが経過しようとしていた。
相変わらず蒼子は自宅での療養を続けており、父、素貴も周囲の助けを借りながら、何とか介抱を続けている。
辺りもすっかり暗くなった頃、青峰家の玄関がガチャリと開いた。
「こんばんは…!」
明るく明朗な───それでも彼女の普段の様子を考えればいつもよりは少し暗めな様子で家の中に入ってきたのは、蒼子の同級生である沙耶だった。
「あぁ、沙耶ちゃん。いらっしゃい。いつも悪いね、寒かったろう、少し休んでいきなさい。」
「いや、こちらこそ!いつもありがとうございます…様子はどう…?」
素貴は何も言わず蒼子の部屋へ案内すると、沙耶も何も言わず、彼女の部屋で腰を下ろした。
「蒼子ちゃん…聞いてよ、三学期初日から課題出されたんだよ?見てよこれ、こんなに!」
沙耶はカバンからクリアファイルを取り出し、数学の教師から配布された両面印刷の紙を取り出した。それとほぼ同時に、素貴は蒼子の部屋を後にした。
「あ、今1枚なんだからすぐ終わるよ。って思った?ザンネーン、これまだ履修してない範囲なんだなー。予習だってさ、よしゅう!見てみて、なんでグラフの線が曲がってるの?こんなのわかんないよぉー!」
沙耶は何も言わない蒼子に向かって話し続けた後、少しだけ黙ってからぽつりと零した。
「無理だよ。」
「わたし、ばかだもん。」
「蒼子ちゃんがいないと、こんなのできないよ。」
「ねぇ、蒼子ちゃん。どうしたら元気になってくれるの?」
沙耶は反応の無い蒼子の前で、彼女に見られないように涙を零した。
「ねぇ、海斗くん。どうして負けちゃったの…?」
彼女が零した涙と弱音が、力が抜けたように正座をする沙耶の膝元を濡らしていく。
─2─
「おじさん、お邪魔しました!」
目の腫れもすっかり引いた頃、沙耶は青峰邸を後にした。
「今日は早いね、予定もあるだろうに、いつも本当にありがとうね。」
素貴は少々疲れた顔でそう言った。
「いえいえ…いつも遅くまでお世話になっちゃってるから、今日は早めに帰ります。おじさんも無理しないでね…?」
親友がこんな状態になって、自分も辛いだろうに、自分の弱さも見せずにいる。家族である自分の前ではあくまで自分は他人に過ぎないのだとこの子は思っているのだろうか。兎にも角にも若いのに本当によく出来た子だと素貴は改めて感心していた。蒼子も歳の割には落ち着いていると素貴は思っているが、それでも彼からすればある種沙耶は出来すぎているくらいしっかりしている印象だった。
「いやいや…沙耶ちゃんも無理しないで、今度手土産でももってお邪魔させてもらってもいいかな。」
「そんな…!全然、お構いなく!私は来たくて来てるだけだから…!」
最後まで芯を貫きながら、そう言って去っていく彼女とすれ違いで青峰邸を訪れた2人の人物が姿を見せると、沙耶は少し足早になりながら軽く会釈をしてその場を後にした。
「すまんな、こんな遅くに。少し邪魔しても良いか?」
「あぁ、宵さん。それに───」
「よう、ちゃんと飯食ってるか?まかない持ってきてやったから、一緒に食わないか。」
カフェプリムラのマスターもまた、倭文宵と共に素貴の元を訪れていた。
「2人ともありがとう…ちょうど作るかどうか迷ってたんだ。助かります…。」
─3─
マスターはまかないの用意を、素貴は茶の用意を終えて3人が食卓につくと、最初に口を開いたのは宵だった。
「先の少女は蒼子の友人か。21時近いが1人で帰してしまって良かったのか?この辺りは真っ暗だろう。」
特に他意の無い、会話の切り口程度の認識で聞いた質問だった。
「あぁ、僕もそう思っていつも近くまで送っていくよう言うんですが、断られちゃうんですよ。駅までは家の人が迎えに来てくれるそうで。幸いバス停まではそんなに遠くないから大丈夫かとは思います。」
「全員フォークでいいか?俺は箸で食う派なんだが。」
そう言いながらマスターは用意したパスタを食べるための食器を持ってソファに腰掛けた。
「ありがとう、梅谷さん。箸じゃ食べづらくないかい?」
そう言った素貴の顔が、今日初めて心の内から綻んだ。
そんな風に何気ない会話と共に食事を終えた3人が本題に入る頃には、時刻は既に22時を過ぎていて。
そんな何気ない会話をしていても、そこに娘を加えられないという事実は常に素貴の心を締め付け続けている。
「馳走になった。して、素貴よ。今日顔を出したのはな───」
宵がそこまで言うと、マスターは綺麗に言葉を繋ぐようにしてこう言った。
「アンタの顔が今にも崩れそうになってるから、もう結論から言うぞ───
───明日、蒼子を元に戻す。」
その言葉が瞬時に実感を伴うには、素貴の心は疲弊しすぎていた。何せ睡眠もろくに取れていないのだ。だからといって医者にかかる時間的余裕もなかった。彼はずっと、家で常に過去のような暴走するかしないかの綱渡り状態になっている蒼子を見続けていたのだから。
「──────あぁ。」
「出来るのかい……?元に………蒼子は治るのかい……?」
「付け加えるなら確実では無い。ただ、ここ数週間我々が倭文家の知見を総動員して練りに練り上げた計画だ。失敗など私が許さぬ。」
「さらに付け加えるなら、俺がわざわざ上に帰ってまで持ってきた情報も加味してある。まず間違いない。これは上手くいく。」
マスターが希望を補強し、素貴の背中を押す様に言葉を投げかけた。
「ありがとう!!!!本当に………ありが───!!」
感極まって立ち上がり、込み上げる何かに喉を支えさせながら感謝を述べる素貴を、宵は冷静に、それでいて穏やかな笑顔で制止した。
「まあ待て。その言葉は取っておけ。ちゃんと結果で評価してくれぬか、青峰素貴。」
「あぁ…すみません…。それで、蒼子を…どうやって…?」
「あぁ。方法を編み出すのは難航したが、やり方は至ってシンプルだ。蒼子のスピラナイトを、完全に覚醒させる。要は──────
──────あいつに心象領域を扱える様にする。」
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