蒼色の夜

継承(つながれ)たもの

喪失と恵物の狭間で


 ───以上が、スピラナイトを巡って起きた、過去の出来事の一端だ。


 随分駆け足で話してしまったからね、君も疲れてないかい?


 ほぉ……ふむふむ。なるほど、ようやく自分の得た力がどれほどおぞましいものか気づいてくれたみたいだね。



 それで?私が君にこの話をする前に言ったことは覚えているかな。



 あぁ、そうそう。この話を聞き終えた時、君が抱く感情がどんな色か、私がそれを見定める。まさか忘れてないよね?物語を読む前にはあらすじに目を通しておいた方が良い様に、話の前提は常に頭に入れておくものだよ。


 ───濁っているか、澄んだ青か。君の心がどんな色に染まるのか。



 でも、やっぱり私の見立て通りだったね。



 あぁ、良かった。あの時君を見つける事が出来て、本当に。


 こうして君を抱きしめる事ができて、本当に良かった。




 ─1─


 ───2004年12月下旬。


 その日は久しぶりの大雨だった。この寒い時期に珍しい事もあるものだね、と、父は呟きながらコーヒーを入れている。



 1週間ほど前に起こった出来事は、未だに蒼子の心を蝕み続けている。このままではいつ、再びスピラナイトが負の感情に侵されてもおかしくは無い。


 今の彼女は、侵食し続ける負の感情を、周りの介助によってなんとかギリギリせき止めている状態だった。


「蒼子、暖かいコーヒーを入れたよ。今日はうんと甘くしておいた。その方がいいと思ってね。」


 父、素貴はそう言って丁寧に蒼子の前にコーヒーを置いた。出来たてのコーヒーから立ち上る湯気が、香ばしい匂いを放って素貴の好意を周囲に充満させている。ソーサーがたてるカチャリという音以外に、彼の優しさに答えた者は居らずだったが。



 ざぁざぁと降る雨が、時折強い風によって窓を叩いている。


「今年はホワイトクリスマスって訳にはいかなかったね。これじゃあブルークリスマスって感じだ。はは…おかしいね。ブルーじゃまるでイルミネーションに照らされてるみたいで…何だか少し趣を感じてしまうよ。」


 そんな風に素貴が語りかけても、それに反応を示すのはコーヒーのうねる湯気だけで。


「そうだ、後でケーキを開けようね。今年はチョコレートケーキにしてみたんだ。」



 チョコレートは蒼子の大好物なのだが、コーヒーの示す反応は先程よりもずっと弱々しかった。



 そこからは、ただただ沈黙だけがその場を支配する時間が流れた。



 辺りに漂う香しい匂いを感じなくなり、素貴はゆっくりと中腰になって、蒼子を抱きしめた。



「うっ…………ぐぅ…………ッ……。」



 まるで壊れたおもちゃのように、抱きしめられた蒼子の首がだらりと後ろに仰け反った。


「ごめんなぁ………僕が………あの時選択を間違えたから………結局……──────


 ──────あぁぁぁぁぁッ!!!結局…

 ………僕はぁッ!!!!家族を誰一人として…救えなかった!!!!!!ただ逃げただけだ!!逃げてただけだ!!!僕がした事は逃げる事だけだった!!!!──────



 紫季も!!!!蒼子も!!!!!炎爾も!!!!

 みんな…みんなみんなぁ!!!!あぁッ!!!ああああああ!!!!!!」



 彼の魂の叫びは、虚しく雨の音に溶け込んでいくだけで、そこに何かを残す事は無かった。




 ─2─


 ───同日、廃工場付近にて。



 マスターは、倭文宵と共に再び現場の確認に訪れていた。


「正直今でも信じられんよ。最強と言われた海斗が死んで、彼を殺したのが青峰炎爾…行方が知れず、死んだとすら思われていた青峰家襲撃事件の被害者───青峰紫季と素貴の長男とは…。正直今も実感がわかぬ。すまんな…疑っている訳では無いのだが…ええと───」


「今は梅谷才太郎と名乗ってる。呼びづらければ好きに呼んでくれ。」


 戦場となった廃工場の付近、県道沿いに車を停めた二人は、人の気配など一切感じられない田舎の奥地で重い足を規則的に進めている。


「梅谷か…うん、まぁ…良いのではないか、どうせ即席で名乗ったに過ぎぬのだろう。戸籍を持つ気になった時は共に考える位はしてやろう──────


 ───ところで、の調子はどうだ?」


 倭文宵の問い掛けに、マスターは軽やかに反応した。


「あぁ、悪くないぞ。助かった。あんたの助けが無ければここまで上等な物は出来なかった。」


 そう言いながら、マスターは一色炎爾に奪われた左腕を何度か上下に動かして見せた。


「貴殿の体自体、用意した義体だろう?義手を作る事くらいどうと言うことはなかったのでは無いか?」



「それがそうでも無いんだ。体一個作るより、俺の体に適合できる腕一本作る方が面倒なんだよ。それに、義体からだを用意できたのはの手配があったからだ。俺の力じゃ到底作る事はできん。」



 2人にとっては取り留めもない会話をしながら、改めて両者は今回の目的の確認をした。



「海斗の有していた神器───神薙の刀。あの場に残っていれば良いが…。」


 倭文宵は僅かに残る可能性に少々の懸念を呈しているが、一方のマスターは些細な懸念すら持ち合わせていない様子だった。


「問題ない。あれは持ち主と海斗にしか触れる事も叶わん。無論、俺達もだ。とは言え状況を確認せず放置しとく訳にもいかんからな、何かしらの結界は施す必要があるだろう。」


「その持ち主も、今は行方知れずか。聞く話によれば、どこかの人間を依代にしているとか、どうとか…。」


「どうだろうな、5年前…もうすぐ6年か。第二次神魔戦争で、あいつは暴走した禍津神を治めて共にいなくなっちまった。どこかで生きてはいるんだろうが…。自分の力のルーツにもいないとなると、本当に何処で力を蓄えてるのか検討もつかん。



「やはり心配か?かつての同僚の行方が知れないと言うのは。そういう感覚はやはりあるのかね。」


「どうだろうな…。他の奴らは知らんが、俺はもう…失う事に慣れすぎた。」


「その割には、海斗が死んだ日は随分人間臭い顔をしていた様に思えるがね。」


「あいつは…なんだろうな、少し特別だったのかも…しれないな。」


(あぁ…もしかすると、俺はあいつを息子か弟か…そういう何かだと思っていたのかもしれないな…あぁ…──────


 ──────本当に…笑えてくる。)



 暫くして、二人は件の地に辿り着いた。


 程無くして───



 ───最初に肩を落としたのはマスターだった。



「あぁ…なんだよそれ。どういう理屈だ。」



 現場を知らない倭文宵は、その姿を見て一瞬希望を見たのだろうか。一瞬ハッとしたような顔をした様にも思えたが、直ぐに横のマスターに同調するよう、やはり肩を落とした。



「梅谷…これは。」


 マスターは、何かを堪えるように空を見上げて告げた。



「あぁ、死んでるよ。間違いなく───



 ───立ったまま…なんだよそれはよ……チクショウ………。」


 言葉尻が近づくにつれ、マスターは堪えきれなくなった嗚咽を言葉に滑らせていった。


「まて…梅谷…。」


 宵が何かに気がついたかのようにマスターの感情を遮った。


「ん…何だ…。」


「戦いがあったのは一週間前だろう?だとしたら流石におかしくはないか…───



 ───なぜ、海斗は殆ど傷んでいないのだ…?」


 その言葉に、マスターは血の気が引くような感覚を覚えた。宵の言う通り、海斗の遺体は殆ど腐敗していない。12月とはいえ一週間も屋外で晒されていたにも関わらず、彼の体は素人目に見ても明らかにのだ。


 その奇妙な現実に、マスターは一つだけ心当たりがあった。


「まさか……おい、そういう事か……。」


 落胆した。心の底から。彼が思い当たった憶測は、彼にとっては海斗の死よりも余程残酷な結末だったからだ。




「海斗……お前がこの刀の代価に差し出したのは………。」



 ─3─


 ───瀬上海斗、享年27歳。


 生前瀬上家より勘当されていた彼の遺体は、生家に引き取られる事は無く、代わりに倭文家が預かることになった。


 一応瀬上本家にも連絡はしたのだが、現当主であり彼の父である瀬上陸奥セガミリクオは取り合う事は無く、『瀬上海斗は既にこちらの人間では無い。その後をどう取り扱おうとも、判断はそちらに一任する。』と言い放った。


 最後に、『とは言え、一応は当家の血を流す者だ。所在のみ明かして貰えれば有難い。』と。故に倭文宵は倭文本家で一時保管し、内々で葬儀を執り行う旨を伝え、彼については特段の滞り無く事が進んだ。


 そして、問題の神器、神薙の刀についてだが。


 こちらは少々厄介な事になっていた。


 神薙の刀はまるで寄り添う様に立ち尽くしたまま絶命していた瀬上海斗の横に突き刺さっていたのだが、海斗の遺体を運び出した後、マスターと倭文宵の2人がこれに触れる事は出来なかった。


 いや、正確には行えなかった。


 かの神器が放つ神性は、まるで自身の主以外が触れること自体を意志を持って拒むようにして、その場に佇んでいた。


 触れれば間違いなく無事では済まない。その直感を脳内に注ぎ込まれる様な───そんな直感が働いたのである。


「仕方がない。少々時間はかかるがここに結界を張ろう。」


 マスターの提案により、神薙の刀には倭文家が得意とする降霊術を用いた結界が施され、そこにマスターの有する神性による補強がなされた。


「倭文家の真価はこの降霊術にある。その中でもこれ程強固な結界を有する者を現世に降ろせるのは私だけだ。これは、ますます簡単には死ねなくなったな…。」


「あぁ…頼むぞ、俺のアシストも骨組みが崩れれば元も子も無い。」


 2人が施した結界───


 ───倭文宵による、霊感を持つ者に対し物理的な拒絶を行い、かつ霊感を持たぬ者に対してはようにする、認識阻害の一次結界。



 以前倭文家の別邸に施したものと同一の結界である。本来霊感を持たない者には神薙の刀自体見えないのだが、念には念をという事でこの結界を施している。



 そして、マスターの神性による補強─── 一次結界による物理的な防御性能を高め、かつそれを突破し得る神性に対する拒絶反応を載せた二次結界。


 最後に、倭文宵の持つ心装───贋式・天沼矛にステルス機能と、結界の心力と連動させる事で結界が感知した標的に対し自動で射出させるオートメーションを組み込んだトラップを上空に配置した、最終防衛機構。


 三重に護られた防御を施す事で、2人は神薙の刀の守護を完成させた。



「これで、とりあえずは安心だろう。一つ問題が片付いたな。」


 マスターは手首を回しながら言葉を続ける。


「次の問題は───


 ───蒼子だ。」


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