現心交錯─結─


 腹に風穴を開けられた海斗と、一色炎爾と名乗った男の会話は、ただひたすらに静けさに包まれていた。



「最後まで警戒を解かなかったのにな、俺の顔を見た瞬間、お前、安心したろ。俺が生きてて嬉しかったか、一瞬でもそう思ってしまったか。それが敗因だよ。お前は最後の最後で、叛逆の世界の発動条件であるから、俺を省いちまったんだ。」


 瀬上海斗の心象領域───叛逆の世界の効果は、あくまでも術者が敵と認識した相手にのみ適用される。瀬上海斗は黒コートを一色炎爾───もとい青峰炎爾と認識したその一瞬だけ、行方知れずのまま死んだと思われていた青峰家の長男の存在に安堵してしまった。故に海斗の世界は僅かな間だけ、目の前の男を効果の対象外としたのである。




 ─1─


 目の前で起こっている出来事に、一瞬脳の血流がスピードを上げた。


 故に高速回転する自身の思考に追いつく事が出来なかった、視覚が取り込んだ情報を、取り込んだまま咀嚼できずにいた。


 海斗の腹を黒いコートの男の腕が貫いた。その事実をあくまでも目の前で起こった事象として、記号のように認識することしか出来なかった。


 腹を貫かれた割にはあまり出血が多くないな、そう認識した時、初めて目の前で起こった出来事が蒼子の感情に作用した。




「か…いと…──────




 ──────海斗ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」




 溢れ出る感情に任せて叫んだ言葉は、放った彼女でさえちゃんとした言葉になっていたのかわからなかった。それくらい乱暴に感情を吐露した。


「蒼子…ダメだ…!」


 泣き喚きながら海斗の元へ駆け寄ろうとした蒼子を、間一髪でマスターが残った右腕で抱き抱える。


「はな…せ!!!!海斗が!海斗がぁ!!!」


「気持ちはわかる!俺だって悔しいさ!だが…ここであいつを救うことを海斗は望んじゃいない!」


 宙で子供のように暴れる蒼子を必死に抑え込みながら、マスターは海斗と反対方向に逃げようとした、しかし───



「うるさい!うるさいうるさいうるさい!!私がやるんだ!!私が!!!!───」



 意図せず向けた蒼子の視線が、ピタリと一色炎爾の視線と交わりあった。



「───わたしが…!あいつを!殺す!!!」




 ─2─


 蒼子の感情のボルテージが最高潮に達する。それは喜びでも、怒りでも、悲しみでも心地良さでも無い、明確な憎しみの感情───蒼子の心がその感情で満ち足りた時、彼女の全身から禍々しい心力が溢れ出した。


「うぉッ!?」


 蒼子を抱えたマスターの右腕が強く弾かれ、その勢いで勢い良く転倒する。



 解放された蒼子は、まるで宙を蹴り飛ばしたかのようにスピードを上げ、炎爾の元へ突進した。


(へぇ…すげぇ。マイナスの心象領域を抑え込んだままエネルギーに変換してやがる。でも無意識だろうな、多分すぐもたなくなんだろ。)



「蒼子……ダメだ………。」


 海斗の思いも虚しく、蒼子は目の前の炎爾に思い切り殴りかかった。


「死ね!!!!」


 これまでにないほどの速度での攻撃。しかし、蒼子の決死の攻撃は呆気なく炎爾に避けられてしまう。


 蒼子の右腕は回避と共に炎爾に逆手で捕まれ、そのまま進行方向へ投げ飛ばされる。


「あぁッ!」


 地面に叩きつけられ、転がり。それでも動きを止めること無く、蒼子は再び攻撃を続けた。


 ───強烈な左フック。


 ───右上段からの回し蹴り。


 ───左足からの膝蹴り。


 ───回転からのかかと落とし。


 その全てが、炎爾によって尽くガードされ、最後にはたった1発の拳が蒼子を再び炎爾の間合いの外へ放り出した。


「がはっ……。」


「すげぇな、ずっと籠の中の鳥みたいに丁重に育てられてた割には強くなってんじゃん。やっぱ才能か。そういや紫季おふくろの系統が色濃く出てたんだっけか。まぁ、だとしたら納得だが。」


 海斗との戦いで満身創痍の筈の炎爾だったが、蒼子相手には一切苦戦する様子を見せず、一つ一つの動きを的確に捌いていた。


「なぁ、アレアンタが鍛えたのか。すげぇよ見てみろよ。あんなにオレ達と近い色の感情がダダ漏れになってんのに、全然暴走する気配がねぇ。一体どうやったんだ?」


 炎爾はふらつく海斗に向かって問いかけた。


「さぁ……な…。してやっただけの…筈だったんだがな……。」



 海斗の答えを受け、煮えたぎる感情を押さえ込んで固める様に、炎爾は無表情になった。





「そっか──────




 ──────やっぱお前ら死ね。」



 炎爾は周囲一帯を焼き尽くすように、火炎放射を放った。




 ─3─


 コンクリートの間から無理やり顔を出すようにして生えていた雑草が、尽く燃えている。


 ぱちぱちと小さな音を立てながら、辺りには焦げ付いた臭いが広がる。それは瀬上海斗の心象領域による擬似的な感覚とは違う、紛れもない本物の焦げた匂いだった。



 倒れ込む蒼子の方向へ、間一髪で取り出した防御用の心装の展開が間に合った海斗がジリジリと寄っていく。




「蒼子……逃げ…ろ……。」



(今ので守りは最後だ……これ以上は護ってやれねぇ……。)


「ッくぅ……!!」


 最後の力を振り絞るようにして海斗の前に降り立ち、蒼子を再び抱えたのはマスターだった。


「マスター……わりぃ、後は頼んだ……───


 ───それから…帰ったら蒼子に伝えてくれ───」


 マスターは海斗の言葉を聞き終えると、俯いたままその場を離れようとした。



(かい………と………?)


 かろうじて意識を戻した蒼子が虚ろな目で海斗を見た。お互い今にも意識を失いそうになりながら、確かに互いの心を見た。



 互いの心で、会話をした。



──────────────────────


(蒼子…言ったろ………たとえ俺が死にそうになっても……お前は俺を見捨てて逃げろ………──────



 ──────そうでもしねぇと…俺は俺を許してやれない……お前に再会してしばらくしてから……あの時のガキンチョだって知った時………俺は自分を殴りたくなったよ……記憶を捨ててやったって……お前は結局力に悩まされてた…挙句こんな目にまで合わされた……力まで……取り戻しちまった……。)



(そんな事……私は海斗のせいになんてしようと思わない!海斗は何も悪くない!だって海斗は…海斗は私のヒーローなんだから!!───


 ───だから!!!───


 ───もっとずっと一緒にいてよ!!)



(わりぃ…時間だ…。これ以上はお前を逃がす余力も無くしちまう…ありがとう…今の言葉で少しだけ…気が楽になった気がする…。)



 瀬上海斗と青峰蒼子を繋ぐ精神のパスが解けていく。



(…?ダメ…ダメ…!だめだめだめ!!やだ!やだよぉ…!!かいとぉぉぉ!!!!)



──────────────────────



 繋がりが切れたその瞬間、蒼子はスイッチが切れたように意識を失い、抵抗力を失った事で、マスターは彼女を容易く抱えてその場を離れて行く。



歯を噛み砕く勢いで、力を込めて離れて行く。




(不思議だな…俺はちゃんと、俺の決めた通りに蒼子あいつを護った筈なのに…全然…心にかかったモヤが晴れねぇ…)



(そっか…ジイサン…俺ぁ丁度今理解したみたいだ…そっち着いたら話聞いてくれよな…今なら1,2杯くらい付き合えそうだからよ…。)



時刻は既に天辺から下り始めている。


周囲にあるのは、焼け焦げたアーリーの死体と、気絶したリィン。それ以外には何も無い。


戦場で立つ者は、再び海斗と炎爾だけになった。




「さぁて………もう少しだけ踏ん張るとするか……最後にもう少しだけカッコつけさせてくねぇか、炎爾……。」


「いいよ、アンタの最期に立ち会えて…だ。瀬上海斗。」


炎爾の癖のあるくすんだ白髪が、風に揺れて縦に振れる。


失いかけている視界に感覚を任せながら、海斗が最後の力を振り絞って、神薙の刀を構える。


炎爾は少しふらつきながらも、両手を炎で覆った。




「じゃあな、瀬上海斗。これがアンタへの手向けだ──────



 ──────術式解錠。」




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