閑話休題

 ───心象領域『叛逆の世界』



 それは瀬上海斗が扱う心の世界、その再現。



 辺り一面は荒れた田畑と煤で汚れた家屋が広がり、空は火に焼かれたかのような夕焼けがその世界を覆っている。


 この世界は海斗の思いそのものであり、海斗の生まれ育った境遇───それに対する感情の形でもある。彼はいつだって、自分の生まれ育った家、環境…それらがもたらす未来、その全てに憎しみを抱いていた。


 彼を育てた瀬上家が、数多のデミ・スピラナイトを作り出し、罪無き彼らを失敗作として切り捨てたように、一族の悲願である人類の進化に於いて、失敗はすぐさま切り捨てて、次の歩みの礎とする。足を進める為であれば何であれ必要な犠牲は惜しみ無く払う。不要であれば切り捨てる。


 少なくとも彼はそう教えられた。


 だが、彼の心に植え付けられたという名の2文字が、それに痛烈な程の批判を提示した。



 そう。あれは、17年近く前の出来事だ。




 ─1─


 ジリジリと照らす日の光が、コンクリートの地面を焼いている。


 その上に立つ自分は地球にとって鉄板の上の食材なのだろうか。そう思えてしまうくらいに、その年の夏は暑かった。



「さぁ、みんな!明日は遠足なので、今日は早く寝ること!それから準備はできるだけ自分でするんですよ!決してお父さんやお母さんに全部やってもらわないこと!」


 ───はーい!!!!───




 小学校のとある教室で、興奮する児童とそれを冷静に見渡す教師の姿があった。


 放課後になり、子供達はまるでこれから遠足に行くかのような勢いで教室を飛び出していく。そんな中で、ただ1人いつもと変わらないか、幾分か重い足取りで教室の外に向かう少年がいた。



「瀬上くん、お父さんから事情は聞いているわよ、明日の遠足は残念だけど、来年は林間学校もあるから!…ね?」


 教師の言葉は、少年にはぴくりとも響かなかった。


「いいっす、どうせ来年も行けないんで。」


「え…?」


 呆気に取られた教師の隙をついて、少年は教室を飛び出した。



 ──────────────────────


「あ、瀬上!!」


 昇降口前で少年は声を掛けられた。


「あ、本木…!」


 少年はぎこちなく、遠慮しがちな笑顔を向けた。


「おい!一緒に帰ろうぜ!今日はうちでスマファイやんだよ!お前も来いよ!」


(スマファイか、格ゲーだったよな、確か。同級生は皆持ってる。)



「コントローラー全員分あるからよ!お前もできるから!」



 少年は一瞬だけ、その言葉に高揚した。



「あ、いや…ごめん。今日は家の用事あるんだ。」



 少年は再びいつものテンションに戻ってそう返した。



「そうか…次は絶対来いよ!おれの空中ハメ見せてやるから!」


 ───お前アレやめろよ!

 ───つまんねぇんだもん!

 ───マジでアレキッショいよお前!友達無くすよ!


 そんな風にはしゃいでいる学友たちの横を、少年はそそくさと横切っていきながら思った。


(俺が友達だったら、そんな事で友達やめねぇよ。)



 ──────────────────────



「海斗様。お迎えに上がりました。」


 校門の外まで歩いてきた少年を、大袈裟な黒を纏ったセダンを横に付けた黒服の男が出迎えた。



 少年が一言も発すること無くその車の後部座席に乗り込むと、隣に座っていた少女が声をかけてきた。


「おにいちゃん、おかえり!」


「林子…。今日はいじめられなかったか?」


 少年は少し悲しそうな顔でそう言った。


「だいじょぶだよ!お兄ちゃんの言う通りに言ったら、何もされなくなった!」


 海斗は家のせいで虐められていた自分の妹、林子に対し、「いじめてくるヤツにはこう言え、私の兄貴は戦いのプロにぎじゅつを学んでるから、怒ったらすっ飛んできて、お前らなんかまとめてブッ飛ばされるぞ。」と言うように伝えていた。


 戦いのプロだと思っている人物と知り合いなのは事実だが、本当は戦いの技術なんて1度たりとも教えられた事は無いのだが。


 黒服の男は一通りの準備を終えて車を発進させる。



「で、今回は学校に何て言ったの。」


 少年は黒服に尋ねた。


「身内の不幸とだけ。」


 なるほど、確かに身内が死んだのなら遠足を断らせるには十分すぎる理由だ。


「仕方が無いのです。今回は誰も手が空いておらずでして、海斗様の護衛に回れないのですから。」


 (護衛ね、違うだろ───



 ───この男が言ってるのはただのだ。)



 瀬上家には特殊な力があるらしい。10歳の誕生日になるとその全容を教えられるらしいので、少年もあと数ヶ月でこの生活の理由がわかる予定なのだが、その力は一般には秘匿しなければならず、自分のように自己判断力が未熟なうちはこうやって家の者が常時監視体制を敷く事で、うっかり情報が漏れないようにしている。



 ───もしそれを漏らしてしまった場合、一体どうなるのだろうか。



 想像もしたくない。


 この家は、目的やその手段の為なら恐ろしい事もやってのけてしまうのでは無いか、漠然とした恐怖が少年にはあった。



「サイトウ、アイス食べたい。車停めてよ。」


 小さな公園とコンビニに挟まれた、車2台が徐行ですれ違える位の道に黒服は車を一時停止し、少年はアイスを買いに外へ出た。


「あ!わたしもたべたい!お兄ちゃんわたしのも!」


「わかったよ、でもお前は車で待ってろ、サイトウを困らせんなよ?」


 ここからの時間は少年の愉しみだった。だから、いくら最愛の妹とは言え秘密の時間に招待したくはなかったのだ。


 水色の棒アイスを買うと、少年は車にいる林子に1本渡した後、そのまま目の前の公園へ足を運ぶ。


 下校時間で唯一の楽しみであり、少年の日課がそこにはあるからだ。


「海斗様、あまり長くならないよう…。」


 職業柄なのか、この男はかなり周りを気にするタイプだ。一時停止のまま長時間停めていたくないのだろう。


「分かってるよ。」



 少年は小走りになって、公園の奥にあるベンチへと向かった。



「ジイサン!今日も辛気臭い顔してるな!」


「お前は相変わらず礼儀を知らねェな、年端もいかねェガキンチョが度胸だけあったんじゃ、親御さん夜も眠れねェぞ。」


 少年が話しかけたのは、自分よりも何倍も歳上だが、背丈は小学4年の自分とさほど変わらない、小柄で白髪を伸ばした老人だった。


 この老人と会話する事が、少年の唯一の楽しみだった。


 老人はいつも、少年が見た事も聞いたことも無い世界の話をしてくれた。それがとても新鮮で、わくわくした。


 やれパチンコがどうとか、馬肉は宗教上の理由で食わねェとか、船っつぅのは漢の浪漫だとか、当時の少年にはよく分からなかったが、とにかくそこには大きな希望があるのだと言っていた。


 そういう話をする時の老人の顔は、自分と差程変わらない年頃の男のように感じられたが、少年にとってはそれより興味を引く話があった。


「なぁジイサン、俺、ジイサンみたいに皆を救うヒーローになりてぇよ!」


「何だ急に…俺がいつ皆を救った話をしたよ。」



「だってジイサン、昔凄かったんだろ!?国の為に強くなって、正義の為に戦ったんだろ、それってカッコよくねぇ!?」


 老人は思った。あぁ、そういや若い頃の話をした気がするなと。そして同時にこうも思った。子供に聞かせるには少し早かったか、いや、あるいはどこかで伝え方を間違えたか。だが、正しい伝え方をするのであれば、やはり若い頃の話をするには少し早かったのだろう。


「そんなこたねェよ。確かにおれは凄かったが。──────



 ──────でもな、海斗。おれはそんな立派じゃねぇよ。」


 老人は過去の言葉を訂正するように、言い訳をした。


「おれはな、確かに強かったし、人望があった。周りからも憧れられた。必死こいて生きるのが精一杯の時代で、おれは自分が生きながら周りの奴らが生きる事を助ける事ができた。それは日常だけじゃなく、死の間際に鉄砲玉を目の前にした時もだ。でもな、ガキンチョ。正義の味方ってのは、まともじゃねぇんだ。まともな生き方も出来やしねぇんだ───



 ───ましてや、武力に正義なんてもんは存在しない。あるとしたらそれは互いのエゴのぶつけ合いだ。命の奪い合いに正義なんて大義名分を乗せることを良しとしちまう様な行為に、正当性なんてあってたまるかよ。」


 老人は半ば、自分が掃き溜めに集めてきた思いを吐き散らかすかのようにそう言った。


 だが、少年は首を傾げていた。老人が言っていることがよく理解できないからだ。



「海斗や。いいか、ヒーローは残酷だ。全員を助けようったって、実際に救えるのは案外ひと握りのちっぽけな範囲だからとか、そういう事じゃなくな。それ以上に───


 ───ヒーローってのは、自分を救えないんだ。」





 ─── 一方。


「えぇ、はい。今もいつもの公園で、老人と会話してます───わかりました。ではその様に。」


 黒服は海斗の監視を続けながら、コンビニにあった公衆電話で臨時報告をしていた。



 ───翌日。老人が少年との待ち合わせ場所に現れることは無く、その一年後に近くの池で白骨化した姿が発見された。




 ──────────────────────


 老人の遺体が見つかったニュースは、瞬く間に近所に拡がった。


 一家で厳しい情報統制をしているとは言え、学校に通っていた少年の耳にも当然入ってしまっていて───


 ───少年は何故か根拠の無い確信を持って、自分の父の元を尋ねていた。



「お父さん、スピラナイトって何だ。」


 少年は尋ねた。


「それは既に話したはずだが?」


 父は感情の起伏なく、その言葉に返す。


「違うよ、そうじゃなくて…なんでこの力をそんなに隠すんだ。」


 少年もとりわけ心揺らがせることなく、問答を続ける。


「それも既に話している。」


 伝えたい事が思うように言葉に出来ない歯痒さに苛立ちを覚えた。


「そうじゃなくて!違うんだよ…。」



(そうじゃなくて…俺が言いたいのは…)



「力や目的の意味を考えるのは、一族の長である私のすべきことだ。お前はまず力をものにすることだけを考えろ。お前はセンスがいい、もう少しちゃんと訓練を積めば、必ず私を超えられる。」


 この男はいつもこうだ。決して感情的になることが無い。いつも淡々と、機械的に言葉を返す。まるで敢えて感情を殺して、機械に徹するかの様に。


 だが、父は自分の拙い言葉から何が言いたいのかを理解している様にも思えた。だからこそ、少年は一つの確信を得た。



「やっぱりジイサンは、あんたらがやったんだな…。」


「ジイサン…公園でお前が話していた老人の事か。気の毒だったな。」


 少年は心臓が内から膨張する様な感覚を覚えた。


「聞いちまったんだよ…アンタとサイトウが話してるの…。昨日、ここで…。」


──────────────────────


 ───根回しの方は滞りないか、サイトウ───



 ───えぇ、問題無く。処理は任せてあります───


──────────────────────


「あれって、ジイサンの死因を偽装したんだろ、アンタらが…。違うかよ。」


「何をバカな事を…。」


 少年の堪忍袋の緒が切れた。



「俺はジイサンには何も話してねぇ!!!力の事も!家の事も!!!約束は守ってる!!!なのに…なんでそうやっていつも!!アンタらは俺達から何もかも奪うんだ!!!思い出も、友達も!」



 少年は泣きながら訴えた。やるせない気持ちを吐き散らかすように。



 父は心做しか、少し笑った様に見えた。



「何もかも奪うだと…?それは違うぞ海斗。私達はお前に全てを与えるつもりだ。それに応えようとしなかったのはお前の方だ。少しは妹を見習ったらどうだ?アレはまだ力の事を知るには少しばかり早いが、お前よりもよほど家業について興味津々だぞ。やはり子供は純粋であるべきだな。」


 父は1呼吸おいて、手元のコーヒーに手をつけた。


「お前の才能と瀬上の知見、それがあれば必ず我が血統は進化の術に辿り着ける。それでも我々はあくまで人間だ、斯様な力を有していてもな。有限な時間の中で使命を全うしなければならない以上、不要な物は切り捨てて然るべきだ。


それにな、海斗──────




 ──────気づいているか、お前は今、これまでに無いほどスピラナイトの出力を上げている。」



 父の言葉に、少年は顔が真っ青になった。



「大方老人の死と真相がお前の心を刺激したのだろう。お前は初めて怒りを知った、明確な怒りだ。人によってスピラナイトの真価を引き出すトリガーは異なるが、お前の場合はだったのかもしれんな──────



 ──────喜べ、我が息子よ。お前は今高みへ至った。老人の死は想定を超えた意味を持ったのだ。明日からは基礎と並行して領域の訓練に入るぞ。お前の歳ではまず有り得ん話よ。これは歴史に残る快挙だ…。ふふ…はははは……。」




 少年は、幼心に決意した。


 瀬上家は狂っている。


 この一族は、夢物語の様な自分達の目的の為に、平気で現実の世界を破壊する。


 だから、瀬上海斗は誓ったのだ。


 自分が瀬上家を壊す。この人間達を根絶やしにして、自分が世界を護るのだと。




 ─2─


 ───現在。


 瀬上海斗は、朦朧とする意識の中昔の事を思い出した。あぁそうだ、自分の心象領域がなぜ生まれたのか、なぜあんな姿でこのような力を持ったのか、忘れた事は無かった自分の起源を改めて思い出した。



「アンタの心象領域は無敵すぎたんだ。それ故にこんな穴を突かれるなんて思いもしなかったんだろう。だから不用意に周囲一体を全て自分の領域で囲んでしまった。俺さえ中に入れなければ、こうはならなかったのにな…。」



 焔の男は、ふらつく海斗を憐れむようにそう告げた。


「お前…なんで……」



 痛みと出血で朦朧としながらも、海斗は倒れなかった。密かに出した合図によって、マスターが蒼子を連れてこの場から逃げる時間を確保する為に。



「死んだと思ってたんだろ…。あぁ、俺もあの時は殺されると思った。こいつらが俺を攫ったのはお袋を手に入れる為だった。だってのに、お袋はあっさり死んじまった。あの人の心象領域は、デミ・スピラナイトには毒すぎる。あの人1人生きてたら、きっとこんな事態にはならなかったのにな…本当に、ただの未熟者だよ。」



「ちゃんと覚えてるんだな…あの日の事を…まぁ忘れるわけねぇか…日だもんな──────



 ──────なあ、お前の中には…まだ蒼子アイツを家族だと思う心は残ってるか…青峰炎爾アオミネ エンジ。」



 海斗の問に、焔の男はニヤリと笑った。



「どうだろうな…あと俺はもう青峰じゃねぇ。一色炎爾…それが今の俺の名だ。」



 海斗の力が弱まっていき、それに合わせながら叛逆の世界によって形作られた風景が徐々に姿を消していく。



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