現心交錯─転─


 真っ暗な闇の中。


 空気も、温度も、匂いも感じない。体を動かせているのかどうかすら分からない空間の中で、ただ目覚めを待つ者がいた。



(外に出る。外に出て、私は真実と向き合わなければならない。)



 ───自分の力で命を失った人達がいた。


 ───自分の記憶を消し去って、罪を隠した人がいた。


 ───自分の家族を、私から奪った人達がいた。



 今の自分にあるのは、ハッキリとした思考と明確な目的だけ。


 今の自分にはそれしか無い、それしか出来ない。


「今の私には、ただ強く思う事しか出来ない。ならそれをしよう。強くイメージしよう。心の世界の殻を破って、私の世界に帰る事だけを。」




 ──────────────────────


「チッ。」



 ───焼け焦げた様な匂いが微かに薫るような空間。半壊した家屋や荒れた田畑に囲まれた世界の中───


 海斗は再び刀を構え、リィンに向かい合う。心象領域は解いていない。それに心のスタミナが十分でもリィンの体は間違いなく先程のカーネルとの戦いで限界が近いはずだ。さほど苦労はしないだろうと海斗は読んでいる。



「さぁ、ラウンド2と行こうか…瀬上海斗…。」




 ─1─


 リィンが海斗に向かって臨戦態勢を取る。走り出そうとするその予備動作の瞬間、リィンは横から放たれた銃弾に横腹を抉られた。



「あがッ…」



「悪いが海斗はお前の相手してる暇は無いってよ。代わりに俺が少し遊んでやる。ほら、こっち来いよ。」


 拳銃を構えたマスターが、リィンを挑発する。



「悪いマスター、恩に着る!」


 海斗は蒼子が眠る工場内に向かって再び走り出した。しかし──────



「ぬぅ…先程の衝撃音、まさかと思って外に出てみれば、やはりカーネルがやられたか。」



「テメェ…。」


 海斗の目の前に現れたのは眠ったままの蒼子を担いで工場から飛び出してきたアーリーだった。


「おい、そいつ返せ。」



「私がお前に恐れを成して言う事を聞くとでも?

 残念だが───」



 私には秘策がある。そうアーリーが口早に告げようとした、その時だった。



「あぁ、やっぱ返さなくていいや──────



 ──────自分で帰るってよ。」



 込み上げる微熱に押し出されるように、海斗は少しだけ笑った。



 直後、アーリーの後頭部に強烈な肘打ちが入る。



「ごふッ!」



 上体を崩したアーリーに、今度は強烈な膝蹴り。


「ッおぇっ!?」


 アーリーの元から逃れ、綺麗な着地から海斗の方向へ、少女は数歩後ろへ下がった。



「お前、意外と乱暴だな。」


「そうかな?私はけっこう武闘派だよ。」


 フッ。と息をこぼすように、海斗は笑った。


 それを見た少女は、凄惨な地獄から彼の元へ帰ってきた事を実感した。




「海斗、わたし、もう戦えるよ。」




 ─2─


 瀬上海斗の心象領域───叛逆の世界の中で並び立ち、アーリーへと相対する海斗と蒼子。


(戦える、か。本当に記憶を取り戻した訳だ。だが暴走する可能性も十分にある。やっぱり戦わせる事は出来ねぇ。)


 蒼子の記憶が戻ったとは言え、彼女がまともにスピラナイトを使ったのは10年前に倭文家で力を暴走させた時である。故に海斗の懸念は最もであり、事実、蒼子は己の精神世界で心装を手に入れていない、心象領域をまともに扱った経験も無い。



「蒼子、やっぱりお前は下がってろ。」


「でも…!」


「大丈夫だ。こいつくらい指一本でも何とかなる。記憶を取り戻したんならわかるだろ、また同じ過ちを繰り返させる訳にはいかねぇ。」


 海斗の言葉に、蒼子は黙り込んだまま、ゆっくりと後退りした後に答えた。


「一つだけ約束してよ─────


 ──────帰ったら、私にちゃんと力の使い方を教えて。もう私は部外者じゃないんだ、守られるばっかりは嫌なんだ…私は、私の居場所を奪ったアイツらを…絶対に許せない…。」



 少女は生まれて初めて明確に湧き出たという感情を、押し殺すこと無く海斗に伝えた。怒りを、憎しみを、惜しみ無く湧き出させようとする彼女の姿に対し、海斗は胸を締め付けられるような思いだった。



「やめとけ。今のお前にその感情は手に余る───



 ───そうだな…力の使い方は、ちゃんと教えてやる。」


 やり方を間違えた。海斗はそう思っていた。


 彼女の記憶が戻るなんて、想定していなかった訳じゃない。だが、その可能性は限りなく低いと思っていた。


 むしろ力の記憶を有する事で、新たな争いの火の中に巻き込まれることの方がよっぽど危険だと海斗は判断していた。だが──────



(結局、記憶は戻っちまった上に危険な目にも合わせちまってる。俺がやった事がほぼほぼ裏目に出てる訳だ、マジで笑えねぇよ。)




 ─3─


 二対一。その構図に歯軋りをする男がいた。


(カーネルがやられたとなれば…やはり私に勝ち目は無いだろうからな…。何とかしてオンナだけを連れてこの場は退くしかない…。)


 アーリーはゆっくりと、悟られないような最小限の動きで自身の後方に意識を向けた。


「私に勝ち目は無い…だが奴をぶつける事が出来れば…。」


 再び意識を前方に向ける。アーリーの視線の先は、既に先程と状況を変えていた。



 ───海斗の姿が、消えている。



「バーカ。意識をズラすのも戻すのもおせぇんだよ。」


 アーリーの懐へ踏み込み、低い姿勢から居合の構えを取る海斗。


「バカな…速すぎ──────」


 アーリーの驚きが完結するよりも早く、海斗の刀は右下から斜め左上へと斬撃を飛ばしていた。


 斬撃と共に心力が放出された事で、アーリーの体が大きく後方へと吹き飛ばされる。


 地面を2度、3度…そして4度とアーリーの体が叩き、転がりながら後方にあった木造家屋の側面を抉った。


「かハッ……」


 口から血を吐いて前方へだらりと倒れ込むアーリーだったが、意識が正常に戻るより速く、海斗は彼の目の前に足を進めている。


(もう──────)


 海斗の強烈な前蹴りが、アーリーを建物の壁にめり込ませた。



「ごっほォ……」


 これが瀬上海斗か。アーリーはそう思った。


 圧倒的だった。心象領域の発動中にも関わらず、彼からは感情が増幅されるような感覚は殆ど感じ取れない。つまり、彼は先程の斬撃の時も、今の蹴りも。心象領域を発動する事にスピラナイトのリソースの大半を割いているのだ。


「お前はあいつらの中で1番弱ぇ。だからこそ逃げ足は早いのをよく知ってる。前回はそれで逃げられたからな──────


 ──────だから動けなくなるまでは徹底的にやる。安心しろ、殺しはしねぇ。」



(───殺しはしない、か。だとしてもこのままでは…私は2度と戦えなくなるだろうな…。)


 再三ではあるが、スピラナイトは心の力だ。故にその力は精神状態に大きく左右される。この戦いで戦う事に対して強いトラウマを植え付けられれば、恐らくアーリーのデミ・スピラナイトは機能しなくなるだろう。瀬上海斗の狙いはそれなのだ。



(───そうか───)



(───あぁ、そうか───)


(私は…彼に救われる為にここに来たのか…)




 ──────────────────────


 アーリー。本名「一色悟イッシキサトシ


 年齢は28歳。痩せ型で高身長。元々は虚弱体質で、幼い頃は良く体を悪くしていた記憶がある。


 両親は彼が生まれて程なくして亡くなったので、彼は肉親の顔を知らない、正確には覚えていない。


 育ての親によれば、両親は呪いを掛けられたせいで死んだらしい。そして、その呪いは自分自身にも掛けられているから、いつかその呪いを自覚した時、自分は頭がおかしくなるか、それを乗り越えたとしてもいつか神様の下僕が来て、自分を祓ってしまうのだそうだ。



 そして、育ての親の予言通り、一色悟は6歳の時に錯乱した。


 きっかけは些細なものだった気がしている。あまりにも小さな出来事だったので、もはや記憶にも無い。だが、それがきっかけで一色は普通の社会に馴染めなくなった。


 周囲の人間曰く、一色は8年近く理性を失っていたらしい。目に映るものに脅えては、空に腕を振り上げ、空気を蹴り飛ばし、奇声を上げて見えない何かから逃げていたそうだ。


 14歳の誕生日が過ぎて数ヶ月が経過した頃、一色は理性を取り戻していた。これもきっかけは些細なものだった気がするが、同じく何故元に戻れたのかは覚えていない。


 街を歩いていた時に、皆が同じような服を着て、同じような髪型をした人間を見た時に彼は気がついた。同年代の人間は本来、中学校に通って、たくさん勉強をするらしい。好きな運動をたくさんして、人間社会で生き抜く術を身につけるらしい。それから体の作りが違う相手に欲情したりするらしい。



 彼は普通に憧れた。

 常識に憧れた。


 一色は勉強をする事にした。たくさん勉強をして、たくさん運動をして、目につく女性に性を感じる事が出来れば、自分もちゅうがっこうに行けると思ったからだ。



 一色は多くを学んだ。当時は気が付かなかったが、恐らく同年代の中でも上位層に位置する程度には学力を身につけていた。


 一色は体を鍛えた。運動能力が評価の指標となる年代であれば、恐らく彼は異性からのアプローチに事欠かなかっただろう。


 多くを学んだ事で一色は重要な事に気がついた。彼が学びを終えた時には、自分と同じ年齢の人間は社会に出て労働をする者が大半なのだという事に。


 だから彼は社会を経験しようとした。その過程で彼は、成功者が手に入れる愉悦に憧れた。


 だから彼は必死に働こうとした。その過程で人と上手く関わる方法を身につけようとした。一時は友達と呼べる様な人間もいた。だが、そういう人間は大抵次の言葉を吐いて彼から去っていく。




 ────── 一色くんってさ、なんか…うん、ちょっと変わってるよね…──────




 彼は絶望した。どれだけ知識を蓄えても、どれだけ体を強くしても、どれだけ異性を学んでも、どれだけ社会を学んでも、彼にはどうやっても取り繕えない部品がある。



 ───呪いだ。これだけはどうにも出来なかった。呪いから滲み出てくるモノは、どうやっても消せないし、ごまかせなかった。彼の人格を歪ませていた。上手く人間を演じても、どこかに理性と離れた言動が生まれてしまう。


 そう、彼はデミ・スピラナイトという呪いを完全に克服出来なかったのだ。




 ──────────────────────


「瀬上海斗……。」


 朦朧とした意識で、アーリーはぽつりと呟いた。


「ありがとう………。」



 それを聞いた海斗の顔が一瞬引き攣った。だが──────


 ───海斗の最後の一撃、強烈な右ストレートが彼を捉えるその瞬間、アーリーの姿が右に逸れて行った。



(何…!?)


 ぼろぼろになった木造家屋の壁を殴りつけた海斗がすぐさま視線を右に移す。そこに映ったのは、ぼろぼろのアーリーを片腕で抱えた男だった。



 身長、体格ともに海斗と差程変わらない人物が、アーリーを地面に乱雑に落としてこちらを振り向く。



「見てらんねぇな、何がだよ。」


 男は地面に落としたアーリーに向かって左手を広げて炎を放った。


「あぁッ!!?!?あ!!!あああああッッッッつ!!!!!あつ!!!!!!!!」


 男の纏う黒いコートが炎の勢いでひらひらと揺れるが、彼の頭部を覆うフードが彼の素顔を明かす事は許さなかった。


「うそ…!?」


 その光景を見た蒼子は口を抑えたが、アーリーの言葉にならない断末魔が刺さった耳へとすぐに口元を抑えていた手を移した。


「テメェ……仲間じゃねぇのか……。」



 海斗は静かな苛立ちを見せ、男に問いかけた。だが───。



「仲間?そんなの俺にはいないよ。俺にあるのはこの炎だけだ。」



「海斗!!!!」



 リィンとの交戦を終えたマスターが高い跳躍によって海斗の元へ現れる。彼の先ではリィンが膝をついて下を向いていた。どうやら海斗の読み通り相当消耗していたらしい。


「マスター…さっきの見えたか…?」


 さっきの、とは、炎を放った男が海斗の目の前からアーリーをさらった時の事である。


「いや…。」


 あまりにも一瞬の出来事だった。その瞬間を捉えられていたのは、瀬上海斗以外にその場には居ない。見えていた海斗でさえ、虚をつかれた事で反応できなかったのだ──────



 地面を転がり、焼け焦げながら必死に頭を地面に打ち付けるアーリーには一切目もくれず、焔の男はゆっくりと海斗の元へ向かっていく。



 海斗とマスターは構えを取り、様子を伺っている。



「マスター、蒼子を頼む。こいつは今までのヤツらとはレベルが違う…!」


「あぁ、任せ─────────」



 ──────ゴトン。



「は?」



「くっちゃべってる余裕あんのか。なぁ?」


 突如、黒いマントが海斗とマスターの前で翻っていた。


 海斗の目の前で、マスターの太い左腕が地面に落ちていた。


「マスタァァ!!!!!」


「!!?!!!ぉぉぉぉぉおおおおッッ!?」


(なんだ……今の…斬撃…?手刀で?分からなかった…今こいつは…何をした…?)


 歯を食いしばり、必死に大声を噛み殺しながら、マスターは僅かに残されたリソースで状況を把握しようとした。




「テメェェェ!!!!!」



 目を血走らせ、海斗は猛進した。それは仲間が深手を負わされた、それだけが理由では無い。


 海斗は思い出したのだ。

 長い間忘れていた、自身を脅かす明確な脅威を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る