私が普通の女の子じゃなくなった日④
黒ローブの周囲を、歪な形、方向に伸びた木々が覆う。
うちの1本は確かに倭文宵を捉え、彼女を遠くで押さえつけていた。
─1─
「呪木転成は…強大なダメージを受けた時にその真価を発揮する。受けたダメージに怒りを覚え、呪い…その呪力をエネルギーに変換する心装だ。」
黒ローブは周囲を覆う木々の内、倭文宵を捉えた木1本を残して他の全てを吸収していく。
「そして…木々が俺の元へ還る時……獲得した呪力は俺のものと………なる……。」
木々を吸収した黒ローブはむくむくと身体中をうねらせながら巨大化していく。
やがて完全な吸収を終えた黒ローブは、全身に蛇の如き木々を纏い、2m近い巨体を持つ生物へと変貌した。
「さァ……終わりの風を吹かせよう……。」
黒ローブは巨大化した体を思い切り捻り、右手を横薙ぎに振った。辺りの木々は次々と悲鳴を上げながら倒されていき、腕から放たれた強烈な風圧がそれを飛び道具のように飛ばしていく。
背後に迫る強烈な風、木々───それらがハッチへと走る蒼子と素貴を襲った。
「蒼子!!!」
素貴は蒼子を抱きしめて体を丸め、その場にしゃがみ込んだ。辺りに飛ばされた木々やどこからか運ばれてきた大小様々なゴミや瓦礫が大きな音を立てて落ちてくる。
「ハハッ!!!力を持った人間が!蟻のようにプチプチと潰れていくのは見ていて気持ちが良いな!!!!何が御三家か!!何が神の御使いか!!!!これのどこが人を超えた存在なのか!!!!!無様よなァ!!!たかだか数人の我々に潰された青峰家も!!!俺1人に為す術の無いお前達倭文家も!!!!」
黒ローブの咆哮が辺りに響き渡った。自分達を普通に生きられなくした人間達が、自分の手によって蹂躙される快感に歓喜するように。
ぐちゃり、ぐちゃり。
蒼子の視界は父が塞いでくれている。それでも周囲に響く凄惨な音は父の体の隙間を縫って蒼子の耳元に入り込んでくる。
簡単に人が潰れる音。それを見て死を間近にし、生への渇望を叫ぶ、生々しい声。
その全てが蒼子に届いていた。
(…………。)
蒼子は何も感じなかった。否、何も感じようとしなかった。目の前で自分の生家が焼かれ、母の死を想像させられても、安全だと言われて逃げてきたこの倭文家という場所が、目の前で恐怖の対象に蹂躙されていても。
目の前で、人が次々に殺されている。
目の前で、血の雨が降っている。
目の前で、生きたいと願う人間達の悲鳴が聞こえている。
自分に記憶は無かったけれど、確かに経験してきた筈のそれらの出来事は、蒼子の心の内を刺激した。
記憶が無くても心が覚えている。そういう実感が蒼子にはあった。
それ故に、記憶の再現と目の前で起こる出来事が蒼子を板挟みにした。
(…………!)
「ふぅ………ふぅ……ふぅ…!!!」
荒ぶる呼吸を蒼子は抑えられなくなった。何も感じないように、無意識のうちに必死で堪えていた心の壁も、もう薄皮1枚になっていたのだ。
「あぁ……あぁ!!!あぁぁぁぁぁぁ!!!」
蒼子は叫んだ。自分を蝕む負の泥を吹き飛ばすように。
───それでも、溢れ出す心のショックを振り切るには既に遅かった。
「うわあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
奇声の様な叫びと共に、その瞬間、蒼子の心は爆発した。
─2─
「うわあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
「蒼子!?どうした!?蒼子!!」
素貴は娘の上げた悲鳴に驚きつつも彼女を離そうとしなかったが、普通の人間である彼に抑えつけられる訳も無かった。
青峰元貴はただの人間だ。青峰紫季との結婚を機に婿として迎え入れられた、普通の人間より事情を知っていて、霊感を持っている故に目の前で起こる出来事が視認できるだけの、ただの人間なのだ。
一方で青峰蒼子はスピラナイトを有して生まれた能力者である。それでも彼女は小さな子供なのだ。親を殺され、生家を焼かれ、目の前で多くの人間が見るに堪えない死を迎えている現実になど、少女の心が耐え切れるはずも無いのである。
───蒼子の
心の力であるそれは、自分の精神状態次第で大きく変化する。だからスピラナイト使いは常に自分の心の平静を保ち、常に一定の出力を維持しつつ、必要な時だけ感情に任せられるようコントロール出来るようにしている。
だが、周りの大人のお陰で平和の中で生きてこれた青峰蒼子は、力の訓練などした事が無かった。
「うっ……これは……!?うわぁぁ!!」
蒼子から赤黒いオーラが発せられ、素貴を遠くへ吹き飛ばした。
蒼子を中心に、赤黒い泥が周囲を満たしていく。
「む…?これは……。」
異形と化した黒ローブにはその泥に見覚えがあった。蒼子が発するそれは──────
──────自分達、デミ・スピラナイトの使い手が扱う、
「歪な形でスピラナイトを与えられた我々だからこそ扱えるはずの心象領域だと思っていたが…そうかそうか…逆なのか……。」
黒ローブは落胆して攻撃に備えていた構えを崩し、両腕をだらりと落とした。
「我々だから使えたのでは無い、我々はそれしか使う事を許されなかったのか───
───成程、どこまで言っても我々は…所詮は劣化品だと言うのか。」
蒼子が放つ赤黒い泥が周囲を覆い切ると、それは空をも覆い始め、1つの異世界を作り出した。
暗く、居るだけで吐き気を催すような世界。
空は真っ赤に染まり、陽の光を遮断した。
地面に広がる泥からはうねうねと黒い影が無数に姿を現し始める。それは未来で蒼子と海斗を襲ったシャドウに他ならなかった。
無数のシャドウが、黒ローブに向かって迫る。
「ふ、ふふ……触れればたちまちに己の心傷に犯される魔物、まさか自分がそれに襲われる事になるとはな…。」
無数のシャドウは徐々に黒ローブへ這うように近づいていく。やがて目と鼻の先まで近づいた無数のシャドウは、互いに結合するようにして黒ローブを囲み、真っ黒なドームを作って彼を覆った。
───シャドウに囲まれれば無事では済まない。触れられれば己の心に眠るトラウマを呼び起こされ、その傷に心が破壊されるまで精神を侵食される。それがシャドウの役割だ。
シャドウの群れはまだ息のあった倭文家の人間の姿さえも捉えていった。逃げ惑う人間に向かい、次々とシャドウが生み出されては放たれていく。
「蒼子…これは……。」
地面を這いつくばりながら素貴は娘の姿を視界に映した。彼の目に映る娘の姿は、遠い日に紫季と誓った約束を破った。
───え……なんだこれ………やめろ、やめろ!!!来るな…来るなぁ!!!!───
生み出されたシャドウが、周囲の人間を覆い尽くしていく。
───やめ…ろ………やめ…………───
各々のトラウマ、思い出したくない過去が彼らを内から襲っていく。
───ごめんなさい!!ごめんなさい!!!私が全部悪いんです!!!!だからぶたないで!!!!!ごめんなさい!!!───
───ごぼッ!?ごぼぼぼぼぼっ……ぶはッ!!おぼぼぼぼぼぼぼっ!!!!!───
悲鳴、嗚咽、号泣、まるで溺れたような声を上げる者。
一言で表すなら、地獄。そうとしか言い表せなかった。
「蒼子……。」
蒼子の目に光は無かった。ただ虚ろな目で宙を見て、一切の思考を放棄するようにしてシャドウを生み出している。
黒ローブへの攻撃は十分と判断したのだろうか。蒼子が新たに生み出したシャドウは、素貴の元へ向かっていった。
「蒼子……紫季………すまない。僕に、力があれば……。」
素貴は脱力して、全てを諦めた。蒼子を力が呼び寄せる災いに巻き込まないようにと、彼女には何も教えなかった。何もさせなかった。だと言うのに、結果的にそれが蒼子の力を暴走させた。不安定なメンタルを整える術を教えなかったから。
───いいんだ。あんたの判断は間違っちゃいない───
どこかで聞き覚えのある声がした。誰だろうと素貴が考えた矢先に、彼を覆い始めていたシャドウは瞬く間に消滅していた。
「…………え?」
素貴が顔を上げたその視線の先に立っていた男は、こちらを振り返る事もせず真っ直ぐに蒼子を見つめている。
「すまねぇ素貴さん。遅くなっちまった。」
「君は──────」
黒いブーツに、元は清潔であったであろう、土埃を被った白いワイシャツを着た男───
───白い短髪はスポーツ刈りのようになっていて、どこか幼さを感じさせるが、堂々たるその立ち姿は素貴に安心感を与えた。
怒りを宿したように燃えるような、紅い眼に力を込めて、男は宣言した。
「瀬上海斗…倭文家の救援に参上した。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます