私が普通の女の子じゃなくなった日③



 1995年のある夏の日。




 ─1─


「またか…。」


 蒼子は小さな両手で頭を抱えた。以前と同じような意識のジャンプが起こったからだ。


 倭文家に到着してから数日が経過しているようだが、蒼子の意識は先程まで父素貴と共に倭文宵という女性の話を聞いていたところから途切れて現在に至っている。今は倭文家の庭と思われる閑静で緑の豊かなその場所で、蒼子は立ち尽くしていた。


(今までの傾向を考えたら、また何か起こるんだろう…。)


 まるで必要の無い部分は演出上カットするように、この現象は重要な部分だけを蒼子に見せているような感じがした。


 少なくとも、ここは現実の世界では無い。これまでの体験でそれはハッキリした。


 夢を見ているのだろうか、いや、恐らくそれも違う。想像し得る答えとしては最も近いが、恐らく部分点しか貰えない回答だろう。



 蒼子はぐっと目に力を込めた。




 力を込めて、その時を待った。




(何となくわかってる。だって、望んだのは私なんだから。)



 この妙な世界に到達したのは恐らくあの暗闇の中が最初なのだろう。何も見えない黒い世界の中、蒼子は知りたいと願った。たった一つ、自分の欠けている記憶の中にある答えが知りたいと。



 辺りに漂うのは、もうすっかり少なくなったセミの鳴き声と草木が揺れる音だけ。



 周囲に脅威は無い。少なくともその予感は無い。



 蒼子は目に込めた力を緩め、背後を振り向こうとした。




「やぁ、やっと見つけたよ、倭文家の隠れ家。」



 ───中性的で、高い声。



 その声の元、振り向こうとした先に、蒼子の目の前に立っていたのは──────



 自分の母親と血縁の者達を尽く蹂躙した、黒いローブの男だった。




 ─2─



「まず、1人目だね。」



 黒ローブの男は右手を掲げると、それを蒼子の元へ一気に振り下ろした。


(うそ……。)



 全く気が付かなかった。周囲の音や気配には最大限注意を払っていた。なのに、気付かぬうちにこの男は自分の背後に立っていた。


 完全に気配を遮断されていた。


「させぬ!」


 突如、蒼子の右手の方向から強烈な光弾が射出され、黒ローブを捉えた。


 光弾の直撃を受けた黒ローブの男は轟音と共に蒼子の左側へ吹き飛ばされ、そのまま静止した。



「蒼子ちゃん、大丈夫かい!?」


 蒼子の元へ駆け寄ってきたのは倭文家の女性だった。この敷地内で何度か顔は見た事はある。


「うん…!」


「さあ、お父様の元へ──────」




 お父様の元へ行きましょう。そう蒼子に告げようとした女性の声を強制停止させたのは、吹き飛ばしたはずの黒ローブから生えるように伸びた、黒い腕。



 まるで細い木のようなガリガリの腕が、数本絡みついたような形の先に付いていた、長い爪。


 それが、女性の脇腹を貫通していた。



「ぁっ……が………。」



 腕はそのまま女性の腹を裂き、蒼子の眼前に大量の赤色が飛び散った。目は飛び出そうな程に見開かれ、苦痛の声を上げようと口は大きく開かれているが、掠れるような声しか出せずにいる。



「ふふふ…三下では相手にならんな……。根絶やしにするには楽で良いかもしれん…。」



 黒ローブから放たれる声色も、口から出る言葉の形も、先程とは様子が違った。彼の様子には見覚えがある───


 ───そう、では無く、で。



「そ……こちゃ……にげ………。」



 その瞬間、頭上から大量の光弾が黒ローブの元へ着弾した。大量の土煙を巻き上げ、丁寧に整えられた庭をぐちゃぐちゃに壊すような勢いで。



(え…?)


 振り返った蒼子の眼前に映ったのは、屋敷の屋根に並んだ倭文家の人間達。目算でも10人程だろうか。



「貴様…どうやってここを。デミ・スピラナイトよ。」



「三下も集まれば多少は太くなるか…。今のは少し効いたぞ。」


 黒ローブは大きく跳躍し、あっという間に屋敷の屋根へ到達していた。


 屋根の上に立つ倭文家のスピラナイト使い達───その頭上へ黒ローブの男が到達した瞬間───



 ───無数の光弾が黒ローブに向かって射出された。


 辺りが徐々に光で埋め尽くされていくような光景──────蒼子はそれを黙って見ていた。



(…………。)




(だめ…………。)





 しかし、黒ローブは無数の光弾を受けてもなお止まることなく次の攻撃の動作を終えていた。



 彼の姿を見た瞬間、その場にいた全員が漏れなくした。自分達は決して弱い訳では無い。もちろん当主のような強力な心装は有していないが、それでも相手は1人なのだから。



 たった1人に能力者十数人が束になってかかっているのだから。



 黒ローブの男は細い木を束にしたような腕を長く長く伸ばし、屋根の上にいた倭文の人間達全員を横薙ぎに払って地面に捨てた。




 蒼子の視線の先、約30メートル程の地点に血の雨が降る。



(……………。)




 蒼子はそれでも黙って見ていた。いや───



 ───正確には反応できなかったのだ。目の前で有り得ないと思っていた事が起こっている。フィクションでしか見た事の無いような出来事が眼前で起こっている。顔には自分を助けてくれた女性の血が滲み、先刻まで平和の象徴とさえ思わせてくれていた閑静で厳かな屋敷も血に濡れた。



 蒼子は、放心状態になっていた。




 ─3─


「手応えが微かにも感じられんな。これが御三家筆頭とは、笑わせてくれる。」


 屋根の上から、黒ローブの男は蒼子を見下ろしていた。明らかに次の標的をこちらに定めている様子だ。



「蒼子!!!!」



 目の前の脅威に対しても心が追いついて来ず、静止していた蒼子を正気に戻したのは、彼女の元へ必死になって駆け寄ってくる父の声だった。


「再度問うぞ。貴様、。」


 屋根の上の悪魔へ刺すような声を飛ばしたのは父と共に現れた倭文宵だ。



「倭文家当主、早速現れたか。だが些か性急だな、私はメインを最後に残すタイプなのだが。これでは後半の興が冷める。」


「後の心配は無用だぞはぐれ者。貴様はここで私が沈める。」



 宵は覚悟の声と共に両手を左右に広げ、眩い光を発した。心装を出す準備だ。


「心装か…蒼子、今のうちに安全な所へ!」


 父の判断は早かった。そこには優柔不断でどこか頼りない彼の姿は微塵も無かった。


 蒼子と素貴は屋敷にある緊急用のハッチに向かって走り出した。


「おとうさん…倭文のおばさん、大丈夫かな…。」


「大丈夫、あの方は強いよ。彼女は心装も持っている。心装っていうのはね、スピラナイトを使う人達が自分の精神世界にしまっておいてある、その人の武器なんだ。心の力が強ければ強いほど、より強力な心装を宿せると聞いている。だからきっと大丈夫だ。」



 ─── 一方。




「心装展開。贋式・天沼矛アメノヌボコ。」



 それは、倭文宵が精神世界で作り上げた武器。かつて二柱の神がこの国を作った時に与えられたとされる神性を宿すもの。この国の神を心から信じ、心の世界で彼女が鍛え上げた、神秘を宿す矛の模倣作。



 全長5mの槍のようなその武器が、宵の頭上から黒ローブに向かって放たれた。


 黄金に輝く光を纏い、鉄を切るような音を立ててそれは標的へ走っていく───


 ───黒ローブは上空へ飛び上がり、それを避けるが。


「贋作とはいえ、神秘を模倣し心力を宿した武器か…。」


 標的を外した槍はそのまま瞬時に方向を変え、再び黒ローブの元へ向かっていく。


「チィ…面倒な。」



 空中では避ける事など出来ない。そう悟った黒ローブは両手から黒い腕を長く伸ばし、向かってくる贋式・天沼矛へと向けた。


 巨大な槍が、強靭な腕によって受け止められる。


「ふん……ぬぉぉぉぉぉぉおッ!!?」


 しかし、黒ローブによる必死の抵抗も束の間に、神の矛は容易くそれを突き抜けた。



(わずかでもこの矛を受け止めた…やはり奴の心装はあの黒い腕か。)



 直撃の瞬間に何とか体を入れ替えた事で矛の貫通は免れたが、黒ローブの腕は両方ともズタズタに引き裂かれ、ぱらぱらと地面に散開し、同時に力を無くした黒ローブも地面へと落下した。


 宵は放った矛をそのまま地面に向けて上空で静止させる。



(まだ動くのならこれで貫く。さぁ、どうだはぐれ者よ。)



「は…はは…。」




 黒ローブは笑っていた。



「信仰心のあまり、自身が神にでもなったつもりか倭文宵?──────



 ──────お前は一瞬、俺に慈悲を与えた。抵抗しないのなら殺すつもりは無かったのか?」



 周囲に散らばっている木屑のような物が、その場で振動を始める。



(!?これは!)



 宵は即座に事態を察して矛に命令を与えたが既に遅かった。



「刹那の甘さが貴様らの敗因だ倭文家よ!」



 周囲の木屑がそれぞれに芽を出し、数十年の時を一瞬で越える。




 黒ローブの周囲に散らばった彼の腕だったものは、無数の木となって周囲を包んだ。彼の周りにあるものは歪な方向に生えた木々の成す林。



 うちの一つは、確かに倭文宵を捉え、彼女を彼方へ突き飛ばしていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る