真実



「君は……海斗君か…?」



 素貴の窮地を救ったのは瀬上海斗だった。蒼子が出会った時と比べて幾分か華奢な体格をしているが、怒りを宿している様な紅い眼はこの頃から持ち合わせていた。


(随分雰囲気が変わったような…いや、この年頃の男の子だ、5年もすれば大きくなるか…。)


目の前の青年からは何となく以前とは違う雰囲気を感じた。


「ガキの時以来だな、素貴さん。もう5年振り位か──────」


 海斗は視線を落とすことなく言葉を続けた。



「すまねぇ、青峰家の件…間に合わなかった。」


「いいんだ…あれは仕方が無かった…。僕にだってどうしようも出来なかったんだから、自分に出来ないことを人には押し付けられないよ…。」



「相変わらずお人好しなんだな、アンタは…。そうだな、だからその分、アンタの娘は俺が助ける。」



 海斗は構えをとった。左手に握られている刀が、鈍い輝きを放つ。



「どうにか出来るのか…君なら、あの子を…!」


 素貴は感極まって溢れる感情を抑え込んで何とか言葉を紡いだ。



「多分な、この刀なら。」



 真っ直ぐ刀の先を蒼子に向ける海斗の言葉の意味を確かめるように、素貴は言葉を返す。



「その刀…相当な業物だろう、いや…そもそも人が作ったものじゃないよね。僕でさえ分かる、それにはが宿ってる。違うかい?」



「謙遜だな、流石だよ。そうさ、こいつは───俺も出自はよく知らねぇが、こいつにはあらゆるモノの繋がりの断ち切る性質がある。」



 想像以上の回答に実感が湧かず、呆気に取られた素貴は海斗に尋ねた。


「そんな大層な物を…君は一体どこで…?」



「───もらった、ついこの前な。」



「もらっ…た…?」


 相変わらず型破りな男だと、素貴は思った。瀬上家において当代最強のスピラナイト使いと呼ばれる男が成す事は、普通の人間である素貴には想像もつかないのだと再確認させられた。



「素貴さん、いいか、今からこいつであんたの娘の記憶を断ち切る。スピラナイトに関する記憶全部だ。そうなれば力に付随する記憶は全部消えちまうだろう。今回の騒動についても全部だし、スピラナイトにまつわる人間の記憶も、念の為全部消しておく。そうなれば多分、あんた以外の家族の事も全部忘れちまうと思う───


 ───だから、何も無い所に逃げろ。あんたと娘の2人で、普通に暮らすんだ。当たり前の日常を、何の代わり映えもしない毎日を過ごすんだ。それがあの子を救う事になると俺は思ってる。」


 海斗は静かに、それでいて力のこもった言葉を素貴に伝えた。


「そんな…あの子は自分の母親の事も…兄の事も…忘れてしまうというのかい…?」



 素貴は1度は心の底から落胆したが、次の瞬間にはそれでも良いと思った。それで蒼子が救われるなら、スピラナイトにまつわる全ての争いに巻き込まれる事が無くなるなら。



「……わかった。頼む──────



 ──────後のことは任せてくれ。」



「承知。」


 海斗は素貴の了承と共に前方へ駆けた。




 ─── 一瞬にして蒼子の間合いへ。その間に襲ってきたシャドウは全て切り伏せた。




 一瞬だった。その速さは素貴の目では到底追いきれなくて、次に視界に入ったのは、海斗が刀を振り下ろした後の姿と、蒼子がぱたりと地面に倒れた姿だけだった。




 ─2─


「ガキンチョ、お前は普通に生きろ。なんもかんも忘れていい。幸せに生きろ。何にもねぇ退屈な日々こそ、何にも変え難い幸せなんだから。」



 海斗は神薙の刀で蒼子の記憶を断ち切った。スピラナイトにまつわる記憶、今回のデミ・スピラナイトによる襲撃事件にまつわる記憶の一切を。



「───お前が幸せになれるなら、それだけで俺は救われる。」


 これまで会ったことも無い、そういえば名前も知らなかった少女に、海斗はそう告げた。


 蒼子のマイナスの心象領域が解除され、徐々に風景が元の景色に戻っていく。


 やがて完全に空が青を取り戻した時、素貴は蒼子の元へ駆け寄った。



「素貴さん、今すぐ逃げろ。この屋敷を出て、できるだけ遠くへな。後のことは俺が何とかしておく。」



「すまない…恩に着る…!──────



 ──────君も、頼むから無事でいてくれ。きっともう…会えないのだろうが…。」



「あぁ、俺達はもう会うべきじゃない。それでもあんたらとまた会う事があったら…その時はちゃんと護るよ。」



 お互いの姿を見合わせる事無く、2人はそれぞれの方向へ駆けた。素貴は蒼子を抱いて外の世界へ。海斗は目の前でゆっくりと立ち上がり、全身から木の破片をボロボロと崩れさせている怪物に向かって。



「まだ生きてやがったのか。存外しぶといんだな。デミ・スピラナイトって奴は。」




 ─3─



 ──────闇。



 音は無く、風も吹かず、暖かさも冷たさも無い、文字通り無の空間。



 自分の存在すら忘れてしまいそうになる程に、そこには何も無かった。


 ゆっくりと目を開く。眼前に映るのは真っ暗な空間。目を開いたのかどうかすら一瞬怪しくなる程に、辺りは暗かった。



(わたし…今どこに…。)



 蒼子は暗闇の中で体を動かそうとした。あまりにも周囲の状況が視認できず、体に触れる空気の感覚も無いので思い通りに体を動かせているかどうかも分からない。



 ただ、意識だけはあった。だから蒼子は思い返す事にした。先程までに経験してきた出来事について。




(間違いない。あれはきっと私の記憶なんだろう。見覚えの無い大きな屋敷も、母の姿も、父と過ごした凄惨な出来事も──────




 ──────倭文家で聞いたデミ・スピラナイトの真実も、屋敷を襲った彼らの姿も、暴走した私も──────



 ──────記憶を切除する事で私を救った、海斗の事も。)




 どうして急に過去が蘇ったのかは分からない。ただ、今いる場所は自分の内面なのでは無いかと、漠然とそう思った。きっと外で何かが起こっていて、私は私を思い出させられている。そんな気がしてならなかった。



 なら、次にすべき事はただ一つだ。



(外に出る。外に出て、私は真実と向き合わなければならない。)



 ───自分の力で命を失った人達がいた。


 ───自分の記憶を消し去って、罪を隠した人がいた。


 ───自分の家族を、私から奪った人達がいた。




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