紅色の夕暮

災禍の犠牲者

 ───蒼子が記憶を巡っていた一方、瀬上海斗は蒼子とデミ・スピラナイトの所在に向かって、栃木県の北部から全速力で南下していた。


(デミ・スピラナイトの奴らが狙ってるのは間違いなく蒼子だ、俺じゃない。それは襲撃された時にハッキリわかった。連絡はマメに返してくるアイツにこれだけ連絡しても繋がらねぇのも気掛かりだし、倭文のバアさんが言ってた事が本当だとしたら…蒼子は常に)



 だとしたら、奴らはいつでも蒼子を狙えた訳だ。例えば海斗が側に居られない時期を見計らって事を起こす事も。




 ─1─


 ───数刻前。


「誰かと思えばお前か、海斗よ。」


 一切の生活音がしない大きな屋敷の広間で、その女性は海斗の方へ振り向いた。



「ようバアさん。妙な口振りだな、別に数年ぶりって訳でも無いだろうに。」


 海斗は少なくとも月に1回はこの倭文邸に顔を出しているので、まるで想像していた来客とは違ったかのような女性の反応に違和感を感じていた。



 女性の名は倭文宵、倭文家の現当主であり、かつて蒼子と素貴を匿っていた人物である。


「このタイミングでお前が来るとは思わなかったのでな…来客があるとしたらお前より先に来る人物がいると睨んでいたので、わざわざこうして武装までしていたのだが。」



 倭文宵はスピラナイトによって練り上げていた心装───贋式・天沼矛を展開した。1つではなく、複数の矛を背後に発現させる形で。



 地面スレスレまで伸びた藍色の和服がひらりとはためく。


「おいおい、穏やかじゃねぇな。アンタ、それ作るのに何年かかった。」



 宵は視線を落とすこと無く、未だに目の前の人物を警戒する様にして言葉を返した。


10。我々が血を見たあの日から、私はずっと備えている。あの日から私は…休むこと無く己の武器を作り続けている。」



「冗談だろ、心装ってのはぽんぽん作り置き出来るもんじゃねぇぞ。俺だって神薙の刀1本と、細々した武器を精神世界に貯蔵するので精一杯だ。見た限り10本以上あるだろ、あんたのそれ。」


 それを聞いた宵は海斗に向けた矛の全てを収め、頬を緩めた。




「どうやら本人らしいな。神薙の刀について仔細を知っているのはお前と青峰素貴だけだろう。デミ・スピラナイトがそれを知り得る筈が無い。」




 警戒心を一足遅く解いた海斗が口を開く。


「全くバケモンかよ。アンタだけは敵に回したくねぇな。」



「経験が長いと心も広くなるでな、精神世界の広大さで言えば、私はお前を凌げるだろう。



「あぁ、違いねぇ。」




「して、此度は何用だ、海斗よ。」



 宵はすっかり安心しきった様子で海斗に尋ねる。


「あぁ、いつも通り元気な姿を見せに来た。それから、遅くなったが1つ報告する事がある───」



 海斗が1呼吸置いて蒼子の事を告げようとしたのと、同じタイミングで宵は口を開いた。



「青峰蒼子の事か。」



 海斗は呆気に取られて一瞬呆然としたが、すぐに立ち直り──────



「なんだ、知ってやがったのか。」


「すまんな、近頃お前の動きが変わった故、勝手ながら偵察を付けさせてもらっていた。お前を追えば必ず奴らの尾の先も掴めると思ったのでな。」



 海斗は少々呆れたような顔をしつつ、反応を返す。



「あぁ…。いいよ、別に何も言わねぇ俺は。で?奴らがここに襲撃に来ると思った訳だな。とりあえずその話聞かせてくれよ、どうやら他人事じゃ無さそうだ。」




 海斗の問に、宵は呆気に取られた。




「知らないのか…?」




「……は?」



 海斗は予想外の宵の返しに思考が止まる。




「いや、すまぬ。お前はてっきり、に気づいていてここに来たのだとばかり……まさかお前、何の策も無しに青峰蒼子をおいて来たのか?」



 宵の声色が、鋭く尖っていく様に海斗は何故か深刻な予感がして思わず青ざめた。




「ちょっと待て、もぐらってなんだ?蒼子は置いてきたさ、あいつが居たらできねぇ話もあるし、念の為追跡用の心装も仕込んできて──────」



 ───海斗が蒼子に仕込んでおいた追跡用の心装が、海斗の持つ親機に強い反応を示した。海斗の腰の辺りが強い光を放ってそれを知らせている。



 それは海斗が持つ小型の心装で、スピラナイト使いが放つ霊性を遠隔でもキャッチできるように作られた簡易的な端末である。海斗はこれにに反応する様改良を施していた。



「バアさん…今何が起こってる…?悪ぃが時間が無くなった、手短に説明頼む。」




 ─2─



「間抜け…感が鈍りすぎだぞ海斗よ。」


 宵は少々落胆しつつも口早に要件を伝えた。




「いいか、海斗よ。青峰蒼子には密偵がついている。彼女の通う学内にな。そやつが常に彼女の行動パターンや、予定、動きを全てデミ・スピラナイトの一派に伝えているようだ。理由はわかるな?」




「蒼子のスピラナイトが狙いか。」




「そうだ、10年前に恐らく奴らは気づいたのだろう。自分たちが使うマイナスの心象領域が、我々のそれの劣化版でしかない事に。だが、我々は通常それを扱う術を持たない。」


「著しく精神のバランスを崩さねば発動する事は叶わない上に、自身のスピラナイト自体の出力が強力でなければ発動し得ない。それこそ、スピラナイトの到達点の一つであり、我々のような当主クラスでなければ扱えない使。強力なスピラナイトを持つ者は基本的に力の使い方に長けている故に、マイナスの心象領域など、我々には発動し得ないのだ。可能性があるとすれば、それは──────」



「生まれながらにして心象領域を発動出来るくらいの才能とギフトを持っていて、かつ力の使い方を知らない奴か。確かに有り得ないな、そんな奴は歴史上1人を除いて存在しない。」



 海斗はそう言いながら、蒼子が狙われる可能性の1つに気がついた。



「生まれながらにして心象領域を発動できた天才、青峰紫季以外に存在。彼女を狙った襲撃が青峰家襲撃事件だった訳だが、彼女は戦いの最中に。」




 宵が海斗の言葉に続く。



「そうだ。だが、彼女の血を分けた子供であればどうだろうな。実際、は弱冠6歳にしてマイナスの心象領域を発動させた。逆説的に言えば彼女は既に心象領域を扱えるに足る素質があった事になる。とすれば───




 ───奴らは狙うだろうな、青峰蒼子を。自分達の心象領域を完全なものにする為に。その実験台とする為に。」




「……で、もぐらってのは誰なんだ?」


 海斗は尋ねた。自身の持つ仮説を確かめるように。



「お前の想像通りだろうよ。名を───」




 ─3─


「海斗よ、それ。」


 宵は小さな鍵を海斗に投げて渡した。



「あぁ?なんだこれ。」



「型落ちで良ければ使え。お前、二輪の免許はあるだろう?」



 海斗は受け取った鍵を見つめると、それを握りしめて少し笑った。


 この女には何もかもお見通しなのだろう。海斗の性格も、かつて目指した理想の姿も。



「なるほど、悪くねぇな。」



 ───身が引き締まるじゃねぇか。




 小さな頃から何度も憧れ、何度もイメージして。大人になるにつれて忘れていた理想の形、その象徴。


 それを思い出させてくれた人を助けに行くのに、この乗り物はあまりにも適任だった。



「じゃあなバアさん。あぁ、それから武器作りってのはちょっとな、老後の嗜みにしちゃ些か物騒だぞ。もう少し可愛げのあるヤツにしとけ。」


「余計なお世話だ。私は定年を迎えた覚えは無い。それに、老後の嗜みにするなら織物と私は決めている。」



「そうかよ、なら誰かさんの成人祝いはアンタに任せるとするかね。さぞ豪勢な召し物を作ってくれるんだろうからな。」


「いいから早よ行け。今生の別れでも無し、長話はらしくないぞ。」




 それから海斗はバイクのエンジンを押し、勢いよく外へ駆けた。かつて己が偶像とした者を憑依させるように、強い決意を胸に抱いて。




(蒼子待ってろよ。俺が行くまで頑張れ。)


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