疑心


「最初から…私を狙っていた…?」


 蒼子の頭に様々な思考が巡り、収集がつかなくなる。自分に狙われる要素なんて無い、そう思っているから。



「そうさ。第一、マイナスの心象領域では瀬上海斗に太刀打ち出来ない事が前回でよく分かった。報告を聞く限りね。我々では瀬上海斗には勝てないのさ、残念ながら───



 ───だから、君だけに会いに来た。だと言うのに──────」



 黒ローブは少し屈んで言葉を続けた。まるで少し苦しむかのように。



「あぁ…あぁぁ……残念だ、残念だよ青峰蒼子……。君をこんな風にした瀬上海斗も…んんんん…実に愚かだ……。あぁ……目もそんなに質素でみすぼらしい黒をしている……君の目はそんな色じゃないのに…。」



 黒ローブの表情はフードに隠れて一切見えない。それでも男が心の底から嘆いていそうな事だけは伝わってきた。だからこそ奇妙で気味が悪い。



「私に何の用だ…答えろ……。」



「そんなに警戒しないでくれ…私は君を救いに来たんだ…。」


(救い…?)




 ─1─


「お前達に救われる理由なんか無い、さっさと失せろ!」


 蒼子はしびれを切らして心力の球を黒ローブに向かって打ち出した。しかし、低レベルの夢喰いにすら当てられなかったそれは、当然のように黒ローブに弾かれる。



「それだよ、それ。私1人ごときに恐怖を感じて力がブレている…。こんなものは青峰蒼子の本来の力じゃない。」


「はぁ…?」


 図星だった。蒼子は目の前の人物が放つ一言一言に恐怖を感じていた。それは自分の感情で上書きできる程度のものでは無く、恐怖というノイズの入った彼女の力は先程よりも弱々しくなっていた。


「瀬上海斗は…間違いなく当代最強の人間だった。彼が破門になっていなければね。だが…潜在能力を含めて言えば間違いなく──────




 ──────青峰蒼子、君が1番だよ。」


「私達にとって必要なのは完成されたスピラナイト使いでは無い。君のような溢れる可能性を秘めた人間だ。それも君達が教えてくれたんだよ。およそ10年前、君達自身の手でね。」



「10年前…?」



 蒼子は必死に自分の過去を思い出そうとした。10年前、まだ自分が6歳の少女だった頃。そんな小さな頃に自分が何か出来たとは到底思えなかったが、それでも必死に記憶の棚を漁った。


「あぁ、無理だよ。君には思い出せない。」



(…!?読まれた…?)



 間違いない。記憶を手繰ろうと困惑していた感情を、目の前の男は読んでいる。



「だから、私の手で教えてあげよう。今宵はその為に来たのだから──────




 ──────1つ問う。」




 その瞬間───黒ローブの男の雰囲気が、ガラリと変わった。



「瀬上海斗は、本当に信用できるのか?」



 黒ローブの放つ言葉に、異様な圧力を感じる。それは目の前の男の口調が以前のように柔らかく奇妙なものでは無くなり、突如として低い声に、こちらを潰すかのような圧のこもった音に変わったから───



 ───だけでは無い。



「何を…言ってる…?」


 彼の言葉には真に迫る実感のようなものがあった。何故だかはわからない。だが、彼の言葉は蒼子自身の記憶と体に妙に馴染んでくる。



「なぜお前は母の事を覚えていない?───いや、それだけじゃない──────



 ──────お前は、母が生きていた頃、その時期の記憶自体が無いのではないか?」



(……!?)



 その通りだ。蒼子に無いのは母の記憶だけでは無い。正確には…母との頃の記憶そのものだ。


「おかしいとは思わなかったのか?母親の生きていた時期の記憶だけがすっぽり抜けていて、父に存在を知らされなければそもそも自分に母親が居たかどうか、母と過ごした時間があったかどうかすら分からなかった。おまけにお前の父親は母の事を1つも教えてくれない──────



 ───まるで、意図的に知らないようにされていると。そうは思わなかったのか?」



(父さんは…私に何かを隠してる…?)



「可哀想な女だ…。自分のルーツも境遇も知らない…とりわけ君に関しては無知故にタチの悪い罪人と化している。なぁ青峰蒼子、君は周りから意図的に罪人にされているのだ。可哀想だろう?」



 それは父だけでは無く、まるで他の複数の人間が結託しているかのような…そんな口振りで。


「意味がわからない!!やめろ!!そうやって私を混乱させて!!!!どうしてそう…お前たちは大事な事は喋らずに煽るんだ!?」



 頭がおかしくなりそうだった。自分の知らない自分の話を、それも血の気が引くような話を延々と聞かされて。蒼子はそれ以上自分が錯乱しないよう、大声で叫んだ。不安をかき消すようにして。


 彼女の叫びを聞いた黒ローブに再度変化があった。彼の声は再び最初の頃のような柔和なものに変わっている。


「すまないな、蒼子。でも大丈夫だ、今回はちゃんと教えてあげよう。私は瀬上海斗とは違う。大事な事は全部、ちゃんと知る機会をあげよう。」



 黒ローブの男がゆっくりと近寄ってくるが、蒼子はそれを拒否出来なかった。体が動かないのだ。



「でも、君の過去は君の手で知るべきだ。まぁこれに関しては私から教えたところで思い出すことは出来ないから、しか無いんだけどね。」



 私から言える事は一つだけだよ。君は過去に大罪を犯した。そして、君はそれを思い出せずにいる。母親と過ごした頃の記憶がすっぽり抜け落ちてしまっているのも、幼い頃の記憶があやふやなのも、その所為だ。」




 黒ローブの男が、私の目の前まで到達した。



「そして──────







 ──────君からその過去を奪ったのは、瀬上海斗なんだよ。」



 蒼子の意識はそこで、プツリと途絶えて消えた。

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