急変



 ───というのが、8年前の10月までの出来事だ。


 うん、うんうん…。そうだね。分からない事が多すぎるか。


 分かるよ、君の顔を見ていたらね。じゃあちょっと整理しようか。



 まず、我々を襲った黒いローブの男、それから海斗とマスターが話していた「はぐれ者の一派」とは何なのか。なぜ我々を襲ってきたのか。


 海斗が何故私の過去を知っているのか。私は彼の事を知らないのに、海斗は何故…私の父の事を知っている風だったのか。


 海斗の目的…瀬上家を潰す…その理由は?


 どうして海斗は東京から栃木へのか。


 ハハっ。少し多いね?


 え?どうして自分がいない時の海斗とマスターの会話まで知ってるのかって?



 私がいない時の彼らの話は、後にマスターから伝え聞いたものでね。私の記憶違いがあるかもしれないが、概ね正しいはずだよ。


 他にもいくつか気になりそうな点はあると思うが…まぁ、必要に応じてくれれば良いよ。


 ───さて、ここからは答え合わせだ。君のいちばん知りたいであろうスピラナイトの力についても話そう。




 カフェオレのお代わりはいるかい?




 ─1─


 ───2004年12月某日。


 海斗と出会って早9ヶ月。



 もうすぐ2004年も終わる訳だが、この1年は何だかものすごいスピードで過ぎている気がする。


 特にこの9ヶ月は何もかもが新しかった。自分の人生が180度変わるような出来事ばかりが起こっていて、これまでの16年間と全く生き方が変わってしまうような気さえした。



 そんな蒼子もここ最近、特に変わった事がいくつかある。




 ────────────────────



「ふぃぃぃ〜…寒いねぇ〜……。」



 所属している弓道部の練習が無くなった為、沙耶は蒼子と共に帰路に着くことになった。基本的に毎日練習のある沙耶と帰宅部の蒼子は帰り時間が合わないので、テスト期間やたまの休みの時くらいでしか一緒に下校する機会は無く、2人とも仲の良さに反してどこか新鮮な気持ちで時間を共有していた。


「蒼子ちゃん、それで寒くないの…?」


 蒼子の上着は冬用のセーラー服にカーディガン、そして茶色のトレンチコートのみだったが、彼女に反して沙耶は同じようにカーディガンを羽織り、その上にダウンジャケットを着込んで、茶色い厚手のマフラーを首に巻いている。


「たしかに寒いけど…沙耶は寒がりなんだね。私は意外とちょうど良いよ。」



 日もすっかり短くなったせいで、帰宅部の蒼子が帰る時間でさえ空は既に夕暮れのクライマックスを迎えていて、辺りには静寂と夜の冷気が漂っていた。


「私バスこっちだから、また明日ね!蒼子ちゃん!あぁ…駅までしか一緒に帰れないなんて寂しいね…卒業したら一緒に住もうね…。」


「一緒に住むのは後ろ向きに考えとくよ。じゃあね、沙耶!」


 蒼子はいつも通り平常心でそう返した。沙耶のダル絡みには慣れてきた。




 ────────────────────



 ───1人、若色停留所でバスを降りる。


 田舎の夜はとても暗い。家の周辺に街灯はあるが、それだけでは少々不安になる。特に今はどこから誰が襲ってくるから分からないのだ。以前の黒いローブの男もだが、最近は犯罪も多い。


 バスを降りて自宅までの道を歩く。最近は虫の鳴く声も全くしないので、自分が歩く音以外は何も聞こえない。


(今日はプリムラには寄らずに帰ろう。海斗も連絡つかないし。)


 普段はいつでも電話に出るし、メールも比較的早く返ってくるのが海斗なのだが、今日のようにたまに全く連絡がつかないことがある。出会ってから数える程なのでそこまで気にはならないのだが。



 足元を見ながら歩いていると、突如前方にざわつくような存在感を検知した。




(夢喰いか…。)




 ここ最近で表れた変化。そのうちの1つがこれだ。


 蒼子は幽霊が見えるようになった。


 見た目は意外とハッキリしていて、他の人間と遜色無いのだが、視覚情報では無い自分の第六感がそれを幽霊だと認識している。そういう感覚があるのだ。恐らくスピラナイトの使い方に慣れてきた為に見えるようになってきたのだろうと海斗は言っていた。


 そして、幽霊の中でも少しタチが悪いのが、この夢喰いだ。


 海斗曰く、未練を残したまま逝ってしまったものがこの世に留まってしまい幽霊となった後、何らかの要因で生まれる存在で、これらの幽霊は蒼子達のようなスピラナイト使いに引っ張られる性質があるとも言っていた。


 放っておくとそのままスピラナイト使いの精神世界に引っ張られて、精神を乗っ取られる危険性もあるから、基本的には見つけたら撃退するか祓った方が良いそうだが…。



(私、戦えるかな…。)


 海斗はどういう風の吹き回しか、先月から蒼子に戦うためのスピラナイトの使い方を教えてくれるようになった。もちろん海斗のように自在に操る域には達していないが、霊性を纏うくらいの簡単な心力操作なら出来るようになった。


 これが、ここ最近の変化の2つ目。


(武器を出したりは出来ないけど…こいつくらいなら…これで…!)



 ───蒼子はスピラナイトを解放した。


 集中し、感情を高めていく。目の前の霊的存在を撃退する、その意思を高めていく事で。


 自分の家路を妨害された事に対して些細な怒りを覚える。それを少しずつ、膨張させていくイメージ。


 些細な怒りにスピラナイトが反応し、徐々に膨れ上がっていった怒りの感情が、幽霊に対する恐怖を抑え込んで力を安定させていく。恐怖はあらゆる感情に対するノイズになるので、極力抑える必要があると海斗から学んだのだ。



 後はこれを蒼子の心の中から現実へ移すだけだ。



 蒼子の右手に、小さな光が灯り始める。


 という、スピラナイトから作り出されたエネルギーの塊だ。今の蒼子にできるのは、この能力を使う上で全てのリソースとなるこのエネルギーを集めて放つ事だけ。




(当たれ……!!!)



 腰を落とし、右の掌を突き出すようにして、蒼子は心力の塊を夢喰いに向かって射出した。



 ───白い光が一直線に目の前の標的へと飛んでいき───



「ひ、ひぃぃ!!!!」



(え?)



 蒼子の放った心力の塊は、見事に夢喰いに避けられてしまった。


 目の前のそいつは、蒼子に自分が消されると思ったのか、一目散に逃げていく。



(ウソ…逃げられた…。)



 感じ取ることができる霊性の弱さからも大した脅威では無いとは思っていたが、あまりに弱々しい叫びをあげて逃げていく夢喰いの姿を見せられると少し呆気に取られてしまう。



(まだまだ練習が必要だな…)



 今のような相手なら簡単に追い返せるが、黒ローブのような奴が相手となれば話にならないのだろう。いつか、海斗のような刀を作り出して戦えるようになりたい。蒼子の当面の目標はそれだった。



 明日からはもう1段階上の訓練をつけてもらおう。そう思って再び足を動かした矢先だった──────



「嘆かわしいな……弱々しくて……見ていられないよ……。」



 その声は蒼子の背後から響いている。比較的若そうな男の声。


「誰だ!?」


 蒼子は咄嗟に背後を振り返った。辺りはすっかり暗くなっていて声の主を視認するのに少し時間がかかる。


 数度視線を泳がせた。声の主は再び声をあげることは無いが、自分の斜め左後ろ、車道側にそれは居た。



「こんにちは、青峰蒼子。いや、もうこんばんはか。最近は暗くなるのが早いね。これでは私の姿もよく見えなかろうね。」



(黒いローブ…こいつは…!)



 蒼子が警戒を向けた相手は黒いローブに身を包んでいた。以前学校で襲撃された時の黒ローブと同じ格好をしている。間違いなくこいつはあの時の男の仲間なのだろう。



「瀬上海斗も不用心だね…少し気が抜けているんじゃないかな…まぁ、それを狙って暫くは何もしなかったんだが…。」


 蒼子は咄嗟に構えをとって黒ローブの男を睨みつけた。


「残念だな、海斗はここにはいないよ。」


「そうか、残念……ん?何が残念なのだろう…?」


 黒ローブはまるで蒼子を煽るようにしてそう告げた。


「狙いは海斗だろう?お前達と海斗の間に何があったかは知らないけど、私を狙う意味なんか無い、お前達は海斗の家を憎んでるんじゃないのか?なら必然的に狙いはあいつになるはずだ。違うか?」



 蒼子は確信を持ってそう告げた。だが、彼女の強い言葉はいとも容易く黒ローブの次の発言によってへし折られることになる。





「んんんん?何か勘違いをしていないかい?──────





 ──────私達は、最初から君の事を狙っているんだよ?」


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