刹那の時



 ─1─


「はぁー!!!たーのしかったー!!!」


 沙耶は大きく伸びをしながら、軽快なリズムで夕暮れの下を歩いている。


「こんなにはしゃいだの久しぶりだな。なんかちょっとはしゃぎすぎた?私…。」


 蒼子は自分が思いのほか子供っぽくなれる事に驚きつつも、少し恥ずかしさを覚えた。


「お前ら、今日は早めに寝ろよ?じゃねぇと明日の朝間違いなくだるくて学校サボんぞ?」


 海斗もまた、はしゃぎすぎた自分に少し照れくささを覚えながらも今日の一日が想像の何倍も幸せな一時だった事に多幸感を覚えていた。



「あのなぁ、私達まだ16だよ?このままオールしたって学校行けるよ。」


「そうそう、アラサーとは体力が違うもんねー!」


 ねー!とお互いの顔を見合わせながらにやけている沙耶と蒼子。


「誰がオジサンだ。心にオジサン飼ってるやつに言われたくねぇぞ?」



 海斗は今日一日で沙耶が可愛らしい見た目と裏腹に心の中にオジサンを飼っている事を身に染みて感じていた。彼女が蒼子と話していると、行動の節々に出てくるのだ。少しスケベなオジサンが。


「オジサンなんかいないよねぇ〜?ねぇ〜?蒼子ちゃんねぇ〜?」


「あ、うん。いないよね。」


 沙耶に詰められても蒼子は困る。彼女も同感だからだ。



 最高にくだらなくて青い時間も束の間───



「さてと、私はここで解散するね!2人とはバスの方向違うからさ!」


「あぁ、気ぃつけて帰れよ!」


「また明日ね!沙耶!」


 ───バイバーイ!と元気に手を振る沙耶がバスの中に吸い込まれて行った後、蒼子と海斗は1週間ぶりに2人きりになった。




 ─2─


「なんだか、あっという間だったね。」


 日もすっかり落ちきって辺りに青くて暗い雰囲気が漂い始めた頃、蒼子と海斗はバスを降り、2人の最寄りのバス停である若色停留所からカフェプリムラに向かって歩き始めていた。


「あぁ〜、久々にはしゃいでちょっと疲れた。お前、メシ食ってくだろ?」


 海斗の目は心做しかいつもより大きく開かれているように見える。疲れたとは言っているがきっと楽しかったのだろう。


「うん、甘いもの飲みたいし、マスターのカレー食べたい気分かな。」


 プリムラのカフェオレは絶品だ。コーヒーは酸味が抑えめで香ばしく、多めに入ったミルクがコーヒーの苦味を微かなものにし、砂糖無しでも十分な甘さを感じられる。


 同じくマスターの作るカレーも絶品だった。人参と玉ねぎを丸ごとすりおろしてルーに溶け込ませ、素揚げのごぼうとナス、ピーマンが入ったカレーは、昔北海道の友人に教えてもらったものを自分流にアレンジしたものらしい。



「お父さんには連絡してるから、少し遅くなっても大丈夫。」



「そうか──────」



 蒼子の父。彼の登場が海斗に過去の苦い記憶を呼び起こさせた。





「なぁ、蒼子。父ちゃんは元気か?」





 暗い夜道の中、砂利を踏む音だけが響く。



「お父さん?うん、元気だよ。でもどうして?」



 蒼子は海斗の気遣いに若干の違和感を覚えたが、深刻な程気になった訳でもなかった。



「ああ、いや。お前の家族構成とか、と思ってな。」



 海斗は誤魔化した。



「ふぅん?うちはずっとお父さんと私の2人で暮らしてるんだ。お母さんは私が随分小さい頃に亡くなったってお父さんは言うけど、私はお母さんの事全然覚えてないんだよ。物心ついた頃にはもう2人だったかな。」



(2人、か。)



「そうだったのか。色々大変だったろ。」


「う〜ん。でもお父さんは優しいし、お金にも困っては無さそうかな。まぁお父さんちょっとだけ料理がね…あんまり上手くないけど…それくらいだよ。兄弟がいたり、賑やかな家庭には少し憧れるけどね。」



 憧れつつも、今の家庭に不満がある訳では無い。そういう家に生まれたら…という想像はした事があったが。



「海斗は?兄弟とかいるのか?」



 話の流れでその質問が来るのは自然だったが、海斗は思わず不意をつかれたように心臓が跳ねた。



「あ、あぁ。1つ下の妹がいる。もう随分会ってねぇけどな。」


「あぁ。だから海斗は面倒見がいいんだな。」


「そうか?俺はそう思った事ねぇけど。」


 今のは褒められたのだろうか。あまり人から褒められた経験が無かった海斗は、蒼子の言葉に対する適切な反応が分からず、やや無感情気味にそう答えた。


「だって、遊園地でもずっと気張ってただろう?私の体調もずっと気にしてくれてた。」



 海斗はそこでようやく、自分の行いの善さを称えられている事を実感した。


「そりゃぁ…な。せっかくの息抜き、台無しにしたくなかったろ?」



 それから海斗は蒼子に告げた。彼女の悩みを汲み取るようにして。



「大丈夫だ。お前には俺がついてる。一朝一夕で上手く出来なくても、これからずっと面倒見てやる。お前がちゃんと普通に生きられるようになるまでな。だから、力が上手く使えなくても気にすんな。不安になる必要はねぇ。お前は独りじゃない。」




 海斗の言葉には温もりが詰まっていた。



「そうだよね……。私はもう………。」




 彼の言葉はただただ暖かかった。ここ最近抱えていた凍えるような不安をゆっくり溶かすような温度だった。




(独りじゃない、か。そうなんだ。悩んでたら…頼ればいいのか。)



 蒼子はその瞬間、心がふわっと軽くなる感覚を覚えた。氷が溶けて、ようやく羽を伸ばし、空に飛べたような…そんな感覚だった。


 今までのようにひとりきりで謎の病と戦う必要は無い。自分一人で上手くやろうとする必要も無い。


 目に滲み出てくる潤いに恥ずかしさを覚えてぐっと堪え、蒼子は少し大袈裟に口を開いた。


「…海斗!──────



 ──────私、海斗と出会えてよかった!」



 海斗の存在は、間違いなく青峰蒼子を救っていた。


 だが、同じように瀬上海斗もまた、蒼子に救われていた。



街灯も少なく、殺風景な景色の中で、まるで2人だけの世界のようなその景色の中で───



その瞬間、確かに2人はだったのだ。

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