真実

わだかまり



 ───そう。今思い返せば、私はあの日までは普通の女の子だったんだ。



 例え、人の心を汲み取って己の中で増幅する力を持っていても。



 妙な奴に襲われても。



 私と同じ、不思議な力を持っている男がそばに居ても。



 ───私は、それでもまだ普通の女の子だったんだよ。


 全てを知ってしまった、あの日まではね。




 ─1─


 ───2004年10月の末。



 少しずつ冷えてきた空気に季節の変わり目を感じ、クローゼットを衣替えしてから初めて羽織った茶色のトレンチコートに落ち着きを覚えながら、蒼子は人を待っていた。


(おっそいなぁ…ニートなんだからせめて時間くらい守れないのか…寝坊するほど忙しくないだろう…全く…あんな大人にだけは絶対なりたくないな、うん。間違いないな。)


 約束の時間は午前10時。既に開園を迎えて賑わっている人混みの中で、少しでもわかりやすい場所をと選んだ鳥のモニュメントの前で、蒼子はひたすらあの男を待っている。



「おっ!悪ぃな!遅くなっちまった!」



 全く悪気を感じない男の声に少し高揚した自分を恥じた。



「10分遅れだぞ、海斗。青春の時間は貴重なんじゃなかったのか?」


「あぁ〜?10分なんてそこの嬢ちゃんと話してたらあっという間だろ。ダチとの楽しい会話も青春のうちだ。有意義だったろ?」



 ───海斗がそこの嬢ちゃんと呼んだ人物は、蒼子の後ろからひょっこりと顔を出した。



「えへへ〜…見つかっちゃったぁ…。」



 彼女は蒼子の唯一?の友人、沙耶である。



 蒼子、海斗、沙耶は、三人で市街地の遊園地へと遊びに来ていた。



 ───少し前まで重い空気が流れていたはずの海斗と蒼子が何故こんな場所に遊びに来たのか。それには理由がある。



 それは丁度一週間前の話であった。




 ────────────────────



「はぁ!?遊びに連れてってやれだ!?」


 海斗は営業を終えて寛いでいるカフェプリムラのマスターが放った言葉に強く意を唱えた。


「なんで俺がガキンチョ遊びに連れてかなきゃならねぇんだ。勘弁だぞ、ンなの。」


「まぁそう言うなよ。常連がな、チケットくれたんだよ。彼氏と行くのに予約したらしいんだが、直前になって男の浮気を理由に別れたらしくてな。もう持ってるのも癪だから俺の好きにしてくれと。だからお前らにやる。」


「なんか…ちょっと縁起悪そうじゃねぇか?それ…。」



「気にするな、気の持ちようだ。それにな、海斗──────



 ───あの子は今弱ってるハズだ。」



 マスターの言葉に血の気が引くような思いをした海斗は、タバコを吹かしながら上を向いた。


「自分の能力が意図せず挙動を見せて、ただでさえあの子は自分の力に不安を覚えただろう。それだけじゃない、はぐれ者の一派…あいつらの襲撃にまであったんだ。本当なら学校どころか外に出るのだって怖いはずだ。」


 マスターの言葉に、海斗は続けた。


「だってのに、相変わらず普通に学校は行ってやがる。そういや友達ができたって嬉しそうに話してたな…。」



「弟子のケアも師匠せんせいの仕事だ。まぁ、お前もたまには俗世に触れろよ。人間嫌いは結構だが、このままだとお前も孤独になるぞ。」



(チッ…全くごもっともだよ。しゃあねぇ…。)




 ────────────────────



「チケットもらったから遊びに誘ってやったけど、そこの嬢ちゃんは呼んだ覚えねぇぞ?」


 海斗は少々面倒臭そうに沙耶に向かってそう告げたが、内心は満更でもないのだろう。声色にも表情にも嬉しさが隠しきれていなかった。



「いいだろう?別に2人で遊ぼうって話なんかしてないんだから。それに沙耶が…。」



 今まで異性と2人で出かけたことなど無かった蒼子としては、沙耶の存在は大きかった。いくら気を使うことすら考えもしない海斗であろうと、いきなり異性と2人きりで遊園地はハードルが高かったのである。それに、今回に関しては──────



「蒼子ちゃんがさぁ〜、彼氏とデートって言うから、私ビックリしちゃったんだもの。蒼子ちゃん彼氏いるの!?って!だからどんな人か気になるじゃない?それでさぁ〜──────



 ───見たくて着いてきちゃった☆」




 まるで舞台上のアイドルのように可愛げのある身振りをしながら、沙耶は黒いショートボブを揺らしていた。要はストーキングなのだが、あまりにも屈託のないその笑顔に、蒼子もついぞ咎める気になれなかった。


「まぁいいか…今日は無礼講だ。飯くらいは奢ってやるから、好きに遊ぼうぜ。」



「っえー!嬉しー!!!蒼子の彼氏サイコー!!!イイ男ー!!!」


 沙耶の流れるような言葉の羅列にあった違和感を蒼子は逃がさず───


「だから、彼氏じゃないって!!全部間違ってるよ!」


「イイ男は間違いじゃねぇだろ?」


「海斗は黙ってろ!」




 ─2─



「うっひゃーーーーー!!!ジェットコースターたのしーーーー!!!!!」


「はっ……やぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」




「うおー!!!!!コーヒーカップの限界に!私は到達する!!!!!」


「私も手伝うぞ沙耶!!!!最高に到達するのは私達だァ!!!!!」



「船長はあたしだ!!!!面舵いっぱい!!!!あっはははははー!!!!!」


「うおおおおおお!!!おぇぇぇぇぇ………」




 以上は全て、沙耶と蒼子の本日の様子である。




 ────────────────────



 ──────つ………──────



「つっかれた………。」



 時刻は14時頃。海斗はほとんど沙耶と蒼子のはしゃぎっぷりに振り回されっぱなしだった。


 流石の沙耶と蒼子の2人も少しバテたようで、三人は一度フードコートで休息を取っているのだが。



「やばい。気持ち悪い。絶対酔った。終わる、これ。」


 蒼子は酔っていた。


「コーヒーカップ行った後バイキングなんか行くからだろうが。小学生みてぇなはしゃぎ方してたなお前ら。」


「海斗くんすごいねぇ〜!ピンピンしてる!三半規管強いんだぁ〜!」


(まぁ普段から飛び回ったり宙返りしたりしてるからな…戦闘中は…。)


 スピラナイトを発動している時はそれこそ人間離れした身体能力を誇る海斗にとっては、遊園地のアトラクションなどいつもよりも迫力にかけるものだった。だが───



「まぁ、なんだ。この歳になっても意外と楽しいもんだな、遊園地も。」


 海斗は思わず笑みをこぼしていた。


「海斗は行ったことないのか?遊園地とか。」


 そういえばあまりプライベートな話をした事がなかったと思い、オレンジジュースに差したストローから口元を離して蒼子は質問を投げかけた。


「いや、流石にあるよ。昔ダチとな。近所で良くしてくれてたジイさんが金出してくれて…あれはもう7歳とか8歳とか、ホントそれくらいの時か。」


 海斗は懐かしい思い出を振り返りながら2人に普段は明かさない自分の過去を話してみたが、話せば話すほど自分にの思い出が少ない事に少し心が重くなった。


(あん時はタッパが足りなくてジェットコースターなんか乗れなかったな。)


「じゃあ後半は海斗くんの行きたいとこ行こうね!蒼子!」


 体の前で両腕をガッツポーズにする沙耶の提案に、蒼子は快く答えた。


「そうだね。海斗は?次どこ行きたい?」




 ───2人の笑顔がとても眩しくて、思わず呆気に取られてしまう。


「あ、あぁ…。」



 ───そうだ。自分にはこんな輝かしい青春時代なんて存在しなかった。



 ───スピラナイトの使い手として、ただひたすら一族の悲願のために利用されてきた。だから交友関係も絞られて、自分の自由なんてほとんど存在しなかった。毎日精神的に追い込まれ、力の無いものは見捨てられていく。そんな家族達の姿を見て、いつか自分も捨てられるのでは…そんな恐怖に駆り立てられ、怯えながら鍛錬を繰り返す毎日。


 学校に行っても常に監視の目が付きまとう。スピラナイトの存在が一般人に露呈しないようにする為に。だから、周りのクラスメイト達が「放課後何して遊ぶ?」なんて会話をしたり、新しいゲームや漫画の話をしているのが、ただただ羨ましかった。


 平穏で、安全で、変わった事は何も起こらない。普通に学校に行って、放課後はいつもの面子で同じ遊びをする。そんな繰り返しの、平凡で代わり映えの無い普通の日々が───海斗にとっては非現実的な憧れだった。



「海斗…?どうしたんだ?」



 顔を傾けて表情を覗き込む蒼子の呼びかけに、急に現実へと戻された。



「あぁ…悪ぃ。そうだなぁ、じゃあ〜次は…。」



 ───今だけはいいよな。ちっとくらい年甲斐も無い事しても。


「メリーゴーランドだ!」


 まるで子供みたいに目を輝かせる海斗の表情に、蒼子も沙耶もなんだかおかしくなった。


「ふっ…はははっ!なにそれ!可愛いんだけど〜!」


 沙耶はいい歳をした大人が子供みたいな事を言っている事がおかしくて、腹を抱えて笑った。


 蒼子はいつもどこか影を落としている海斗が心から笑えている気がして、なんだか嬉しくなった。


「いいよ!でもなんでメリーゴーランドなんだ?」


 蒼子の問いかけに対する海斗の答えは、これまでのどの反応よりも子供じみていた。


「いや、だってよ──────



 ──────馬に乗ってる男って、なんだかヒーローみたいだろ?」




 ───そうだ。それが俺の夢だったから。



 己の夢を見る事を許されなかった男が抱いた、叶うはずのない唯一の夢。




 彼はずっと、誰かのヒーローになりたかった。

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