少女の疑念、青年の葛藤



 ─1─


 海斗が作った叛逆の世界が解除され、辺りは元通りの風景に戻っていった。


 空は既にオレンジ色に染まっていて、海斗の作った世界と同じ色をしているはずなのにも関わらず、重苦しくて空気が薄い様な感じがした彼の世界とは違い、上空からさす色にはどこか暖かさと軽さがあった。


「ふぅ。怪我してねぇか?」


「あ、あぁ…大丈夫。お陰様で…。」


「そいつぁ良かった。んじゃ一旦帰るか。」


「帰るって言ったって…私まだ学校が…。」


「どう考えてももう放課後だろ。校内にいるのに学校サボっちまったな、普通にサボるよりよっぽどタチが悪ィぞ?」



 ヘラヘラと笑いながら海斗が蒼子に意地悪な言葉を並べるが、蒼子には不思議とそれに不快感を感じなかった。



「…荷物、取ってくるから。ちょっと待っててよ。」


「あぁ。すぐそこのコンビニで待ってっから。」


「そう…してくれると、助かる…。」




 ─2─


 その日の帰りは海斗の送迎で家路に着く事になった。


 白い軽自動車の運転席に乗る海斗の姿は、縮こまっていて何だか滑稽だった。それでもいつものようにバスと徒歩で帰るよりもよっぽど安心感があったが、漂う心地良さと裏腹に蒼子の口は重かった。



「ねぇ。今のうちに聞かせてくれないか?襲ってきた黒服のやつと、海斗の使ったあの力の事。」


 重くなって何度もまごつかせた口をなんとか開いて、蒼子は海斗に事の真相について問いただそうとしたが───




「あぁ、そうだな…。」




 いつもは減らず口ばかり叩いていて、大事な事は何でも教えてくれていたハズの海斗が、今日は妙に大人しい。今もどこか後ろめたそうな顔をして口ごもっているその様子が気になって、蒼子は能力を使って彼の心の色を見ようとした、その直後──────



「やめろ!!!!」



 今まで聞いた事が無かった海斗の叫び。


「あ………えっ…と……ごめ──────」



 体が震えた。


 同時に自分がとんでもない悪事を行ってしまったかのような罪悪感を覚えた。


「あ…悪ぃ…。すまねぇ。今のは大人げなかった。」


 なんとか素の表情を取り戻そうとするかのように、海斗は謝罪した。


 そして、海斗は仕切り直すように声色を変えた。


「いいか、俺がお前に力の使い方を教えたのはな、あくまでお前が普通に生きられるようにする為だ…。無闇に使うんじゃねぇ。ましてや、相手の気持ちを理解わかろうとする為に使うのだけは、絶対にやめとけ───


 ───前に言ったろ。その力はその気になればいくらでも悪用できる。別にお前がクソ野郎になるって言ってるわけじゃねぇぞ、でもな…人間なんて皆脆いんだ───



 ───苦しくなっても、辛くなっても、死にたくなっても…それでもこれがあるからって心の支えは誰にだって必要だ。でもな、その力だけは心の支えにするんじゃねぇ───



 ───いつか、お前はその力を使う事から抜け出せなくなる。本当の意味で人を理解する事を止めちまうだろう。だからな、いいか?他人を理解したかったらてめぇの頭と心で考えろ。楽しようとするんじゃねぇ。分かったな?」



(わかったよ……分かったけど……。)



 蒼子の目に映る、海斗の姿は───



(どうして…なんでそんなに泣きそうな顔をするんだよ…。)





 ─3─


 蒼子を自宅に送り届けると、海斗はカフェプリムラに軽自動車を停め、いつも通り閉店した店内のソファを独り占めにした。


「どうした海斗。随分不機嫌そうじゃないか。」


 残っていた食器を片付けながら、マスターは調子を狂わせている海斗の様子を伺った。



「あぁ?別に大したことはねぇ。ちょっとイレギュラーがあっただけだ。」



 海斗は赤と白のパッケージからタバコを取り出し、火をつけてから一吸いすると、意を決したように今日あった事をマスターに話し始めた。



「襲撃にあった。ありゃ多分はぐれ者の一派だ。」



 マスターは食器を片付ける手を止めた。


「何?どこでだ?」


「学校だよ。蒼子の通ってる真山女子校だ。しかもありゃ。ここ最近はあいつが何かやらかしてもすぐにフォロー出来るよう、あいつの周囲を見張ってたが、あの黒ローブ野郎は明確に蒼子を狙いに行った感じだった───



 ───じゃなきゃそもそもシャドウに素手で触れるなんて芸当も出来なかったしな。あれは間違いなく蒼子を標的にしたクソッタレのニセモノ心象領域だったんだろうからよ───



 ───だからこそ俺を見つけたのもあくまでも偶然だったんだろう。だとするとな─────」


 海斗の話を聞いたマスターは、海斗の足ほどの太さはありそうな巨腕を挙げて驚きを見せた。



「シャドウに素手で触れたのか?確かにアレは標的の負の感情の塊だ。あの子を狙っていたならお前に影響は無いだろうが…いや、お前は本当に……。まぁいい、あいつらの狙いはお前だけじゃないって事になると、少々厄介だな。」


 マスターは挙げた腕を下ろし、眉間に皺を寄せながら事態の深刻さを噛み締めている。


「あぁ。こうなると事情が変わってくる。あいつには戦い方を教えるつもりは無かったし、三家の事情も、青峰家っつうあいつの血縁についても教えるつもりは無かったが。」


 タバコの灰を灰皿に落とし、海斗は目に力を込めた。


「いいのか?蒼子あの子まで巻き込んでも。」



 マスターは海斗がどう答えるのか、知っていて確認するような口振りで言葉を振った。



「違うな。。こうなると何も知らねぇ方がよっぽど危ねぇ。」





「あの子が過去に何をしたのか。恐らくそれも知る事になるぞ?」





「それはそれだ。知らなくていい事まで知っちまうような事態にしなきゃいいだけだ。その辺は上手くやるさ。」



(あいつが自分でを思い出す事は無い。最初に会った時に名前を聞いてまさかとは思ったが…お前があん時のガキだったとはな。)



 海斗は蒼子の過去を知っていた。彼女すら知らない。知り得ない彼女の生い立ちと過去を。

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