俺に平穏なんて許されてはいないんだ


 攻撃されていると海斗が言った時、私には意味がわからなかったよ。


 君もそう思わないかい?私は人の感情を読んだり、読まないようにしたりとか、そういう特訓を海斗としていたんだ。


 なのに、海斗はその力で何も無いところから刀を出して見せ、異形の化け物を斬り殺した。


 あの空が紅くなった時点で、とうに私の理解の範疇を超えていた。それでも、私は普通なら理解の及ばぬ領域に手を伸ばさざるを得なくなったんだ。



 それは同時に、何よりも私が夢見ていた───普通の女の子でいることを明確に手放す事に繋がった。




 ───君も覚えておくといい。私も君も呪われたんだ。もう普通に生きる事は出来ないんだよ。




 ─1─


 襲撃にあった女子トイレを海斗と二人で飛び出し、廊下を全速力で駆ける。


 通り過ぎる教室に少し視線を移すと、明らかに不審な表情でこちらを見る生徒達の顔が目に映った。


「とにかく外出んぞ!校内じゃ色々やりづれぇ!」


 海斗がそう言ったのは、決して異形が再び現れた時に彼が戦いづらいからとか、そういう理由ではなかった。校内で戦ってしまえば間違いなく、それに反応している蒼子は周りから奇怪な目で見られるからだ。


 二人が直面している脅威はもちろん部外者である彼女らには見えていない。だが、海斗曰く、刀を出している間はそうなのだ。



 ───俺がこの心装…刀の事な。これを出してる間は、俺自身もスピラナイトから発生してる霊性を纏う事になる。こうする事で色々メリットはあるんだが、その内の一つに「霊感の無い人間には視認出来なくなる」ってのがある───



 つまり、あのシャドウと呼ばれた異形との戦闘中は、傍から見ればようにしか見えないのだ。どう考えても頭がおかしくなったとしか思われないだろう。


 今必死で二人が外へ脱出しようとしているのは、海斗の蒼子に対する最低限の気遣いだった。


 階段を一階まで駆け下りて、昇降口のドアを抜けた。後は校外に出るだけだ。


 ───だが。



「ッチ…やっぱりな。」


 校門に辿り着いた海斗が、分かりきっていたことに苛立つような反応を示した。


「どうしたんだ!?早く出よう!」


 蒼子は必死に海斗を急かしたが、海斗は黙ったまま校門に背を向け──────



「いや、無理だ。ここからは出られない。」



「…は?出られないって──────」



 ふと、校門の方へ意識を向けた。



 海斗が何を恐れているのか、何に妨害されているのか。見えない脅威を見ようとした。



「何……これ………。」




 校門には、透明の膜が貼られていた。目を凝らさなければ見えなかったが、周囲をよく見渡すと、それは校門だけでなく、学校をドーム状に覆うようにして、空の暗く、赤い色を透過させていた。



「心象領域だ、俺達を襲って来てる奴が展開してるんだろう。まぁ、こんなの。」


 海斗はそう吐き捨てた。


「心象領域…って、なんだ?」


「それはおいおい説明してやる。蒼子、いいか。俺の傍を離れるなよ。」


「……分かった。」



 それは海斗の決意。自分達を閉じ込めた見えない脅威に対する宣戦布告だった。




 ─2─


 ───校門から引き返し、二人は校庭へ走る。


 その間、見えない敵は何度も私達を襲った。先程女子トイレで私を襲い、海斗に切り捨てられたあのシャドウという化け物を使って。



「っらァ!!!!」



 海斗は強かった。左手に握られた刀を見事に使いこなしてみせ、迫り来るシャドウの攻撃を一切許さなかった。



 ───ギョギョギョギョォォォン!!!!!



 三体のが、飛び上がって海斗に襲いかかる。


 まるで泥が辛うじて人型を成している、そういう印象。まるで、人間になりたいという願望を叶えようとしているような、そんな悲しい感情さえ読み取れる。



 海斗は刀を顔の前で横に傾け───



「邪魔だ。」



 左側から、横に一閃。三体のシャドウは為す術も無く、一瞬にしてその形を崩壊させた。



「ッチィ…めんどくせぇ戦い方しやがって。本体が見つかりゃしねぇ。」



 海斗は舌打ちをし、この状況に対する苛立ちを見せた。先程から海斗が戦っているのはあくまでこの状況を作り出した術者の能力に過ぎない。このまま本体を叩けない状態が続けばジリ貧になる。


 相変わらず空は暗い紅色をしていた。まるでこの世の終わりのような、地獄のような空の色に蒼子は恐怖心を煽られている。



(海斗だけじゃそのうちもたなくなるんじゃ…私も…私も何か出来ないのか…。)



 海斗と同じ力を有しているのであれば、私にも何か出来ることがあるのではないか。蒼子はそう感じていたが、この半年間で海斗が教えてくれたのはあくまで力の制御の方法だけだった。彼のように刀を作り出し、霊性を纏って戦う術など、一切教えられていない。



 それでも、何も出来ずに守られているだけよりは戦えた方が気持ち的にもマシだと思えた。この状況は恐ろしいけれど、それでも打開する術が自分にもあれば──────



「いいか、俺から絶対離れんなよ?」


 まるで蒼子の戦いたいという気持ちを汲み取り、それを制したかのような、海斗の言葉。



「なぁ、海斗!私にも何か出来ることは無いのか!」


 それは、蒼子の精一杯の抵抗心。


「やめとけ、今のお前に出来ることはねぇ。自分の命だけを最優先に考えろ、いいな?───



 ───例え俺が死にそうになっても、お前は俺を見捨てて逃げろ。」





 それは、海斗にとって最も彼女を想った言葉であり、同時に彼女への筋の通し方だった。



 遠い日に彼女に誓った、彼の信念だった。




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