ヱマ

 東の九龍城と呼ばれる神奈川県川崎市にある特例地区。違法建築でかさ増しされた城の一角に彼女は住んでいた。

 変な柄のTシャツがめくれ上がる程の寝相で眼が覚める。軋むベッドに上半身をあげて大きく欠伸を漏らした。ぐっと伸びをする。

 乱れた髪をぐしゃぐしゃと触って軽くぼーっとしてから、狐のぬいぐるみに搭載されたAIの声に立ち上がった。改造の際にバグってしまい、事ある毎に年月を告げるAIはヱマに対して挨拶を投げた。

「おーはよお」

 ふあっとまた大きく欠伸をし、腕や肩周りを伸ばしながら狭い洗面所で顔を洗った。それから一人用のコンパクトな冷蔵庫を開けて、なかから適当に冷やされたバナナとエナジードリンクの缶を取り出した。

 クッションが転がる二人がけにしては小さめなソファにぼすんと座り、中古の液晶テレビをつけた。朝のニュースをぼーっと見つつバナナをひょいひょいと食べ、エナジードリンクで流し込んだ。

 今日は休日だ。相棒の南美に予め休みたいと言っているので、気兼ねなく心身を休める事が出来る。幾ら鬼でも幾ら彼女でも流石に疲労は溜まってきていた。

 暫くぼーっと見たあとシャンプーの詰め替えがない事と歯ブラシが替え時になっている事を思い出した。もう近くのスーパーが開いている頃だろう、腰をあげて着替え始めた。

 右の義足を隠すロングソックスを引き上げ、最後にオニユリの描かれたスカジャンを羽織った。ドレッド部分を軽く触って「よし」と呟くと家を出た。

 違法建築が立ち並ぶなか交番や大和支部の頑丈な建物が混じり、その裏筋を通ると簡単に粗雑で憂鬱とした景色が広がった。高架下の空き地には柄の悪い連中が集まってEDMを流しながら踊っている事もあり、朝から十分喧しい。

 特例地区の端にあるスーパーに行く手前には無許可の露店が集まった市場があり、既に賑わっていた。改造されたドローンが飛び交って、一台の小型ロボットがガタガタの地面を走り抜ける。

 そいつは両脚を義体に出来ない男が操っているもので、市場やアダルト店に現れては何かしらを買って帰る。猫のフィギュアが乗ったロボットはヱマの股下を通り抜けていった。

「琉生ちゃん!」

 不意に声をかけられ立ち止まった。精肉店の女将が手招きをしていた。

「どーしたんですか」

 露店の近くまで行くと女将はヱマの手をとって引っ張った。すぐそこに本店がある、そこまで引き連れながらハリのある声で言った。

「看板の一部が切れちゃって、でも私ら背が低いから交換しようにも無理なのよ」

 本店に取り付けられた縦看板を指さす。明るいので電気はついていないが、よく見ると漢字を囲んでいる淵の下部にヒビが入っていた。

「あー、劣化っぽいっスね」

 そのままにしていると何れ他の部分にまでヒビが広がり、余計に面倒な事になるだろう。何せこういうネオン輝く電気看板は金がかかる。

 特に急ぐ用事でもないので女将から新品のパーツを受け取った。長方形の枠はそれぞれの面で別れており、簡単に交換する事が出来る。ただ高さがあり、あまり運動神経も良くないので脚立も使えずに困っていた。

 ヱマは受け取ったパーツを小脇に抱えて脚立を軽快に登った。頂上付近で座ってヒビの入っている箇所を取り外す。

 慣れた手つきで新品に取り替え、古いのを抱えて地面に降りた。女将は笑顔を浮かべて駆け寄る。

「琉生ちゃんがやると速いねホント!」

 にこにこと嬉しそうな笑顔に牙を見せて笑った。

「なにかお礼しなきゃダメよね……」

 少し考える素振りにヱマは掌を見せた。

「別にいいですよ。こいつ貰ってくんで」

 ヒビの入ったパーツを軽く振る。かんっとコードの先が本体に当たった。

 中の素材は生きているので適当なところに売れば小遣いぐらいにはなる。女将はそれで良ければと肯き、スーパーには向かわずそのまま市場を引き返した。

 規格外の義腕同士で腕相撲をしており、どちらに賭けるかで盛り上がっていた。ヱマはジャンク屋の外で棒付きキャンディを転がしながら、その様子を眺めていた。

「あんぐらいなら可愛いもんなんだがなー」

 立派な髭を蓄えた男が奥から出てくる。金になる部分を外してどのぐらいになるか、諸々の作業が終わったらしい。

「麻薬だの違法改造だの……元長官様だろ、どうにかできねえのか?」

 肩に腕を置かれ、ヱマは右手で軽く押しのけた。ころっとキャンディが音を起てる。

「今の長官と仲わりぃからムリ」

 それより幾らになったのか、そっちの方が大事だ。問いかけると肯きながら一旦奥に行き、明細書を見せた。

「結構レアなパーツも使われてたから、大体こんぐらいだな」

 明細書に書かれたコードを外部デバイスで読み取った。すると電子マネーとして口座に入る。ヱマは懐に戻しながら「確かに」と肯いた。

「それよりヱマ、義足の方は大丈夫なのか。最近言ってこねえけどよ、公安のやつだからメンテナンスしねえとすぐイカれるぞ」

 男の言葉にキャンディの棒を掴んだ。

「ああ、俺の相棒が大和の総裁と長くてさ、そいつのお陰で大和の方でメンテナンスしてもらってんだよ」

 彼女自身も田嶋総裁とは縁があるが特別仲が良かった訳ではない。彼との仲がなければ変わらずここで見てもらっていただろう。

「相棒って、あのエルフの男か」

 顎髭を触る。水色と黄色の派手なキャンディを先の割れた舌で舐めた。

「そ。南美な」

 男はにやっと笑って小指を立てた。

「やる事やったんか?」

 下世話な表情と声音にヱマはあからさまに汚いものを見るような眼で見下した。

「きしょ」

 そう吐き捨てるとポケットに手を突っ込みながら歩き出した。男は「冗談だっての」とどこか悲しそうな顔で軽く手を振った。

 特例地区の端にあるスーパーに到着し、目当てのものを探した。シャンプーの詰め替えと歯ブラシだ。

「えーっと」

 膝を折って視線を巡らせる。いつも使っている黒いパッケージのものを手に取った。

「えー、また値上がりしてんじゃん」

 書かれてある税込の金額に眉をさげる。景気が悪いうえに値上げラッシュが続いており、気がついたら懐が軽くなっている。幸い義足のメンテナンスなどは大和が負担してくれているがそれでもだ。

「フリーターやめよかなー」

 自分に対してヤケクソな冗談を呟きつつ腰をあげる。床についたスカジャンの裾を軽く払った。昔はしなかったが、ここ最近細かい部分を気にするようになっていた。

 歯ブラシは大きめで歯が尖っていても磨けるタイプのものを選んだ。無意識に青色のものを手に取る。左手にシャンプーを、右手に歯ブラシを持ってぶらぶらさせながら歩き出した。

 鼻歌を歌いながら店内を歩く。大柄な種族もいる為、どの道も広く商品棚はヱマの身長を優に超えていた。

 簡単な作業が出来る小型のドローンがアームを出したまま横切っていく。新商品を紹介する手のひらサイズのホログラム映像が永遠と繰り返される。店員の書いた電子式の浮き出すPOPを一瞥して過ぎていった。

 無人レジでさっさと会計を済ませたあと、つけて貰った袋に二つを適当に入れた。その時どんっと脚に何かが当たる。

 驚いて振り向くとエンジェルの子供と眼が合った。白くふわふわとした翼が義足を撫でた。

「おぅ、大丈夫か?」

 子供は肯いた。然しすぐにあっと小さく声を出した。立ち去ろうとした彼女は立ち止まり、視線をやった。

 何かを拾い上げたのが見えた。軽く首を傾げて問いかける。

「マジで大丈夫?」

 恐る恐るといった雰囲気に少年は口元をきゅっと結んだ。上から覗き込むと、両手のなかにちょんまげの取れた猫のフィギュアがあった。

 最近人気のちょんまげ猫というやつで、小さいながらに手足や首がかなり動く可動式のフィギュアだ。ヱマは「あっ……」と声を漏らしてしゃがみこんだ。

「さっきので落ちちゃったか……ごめん。姉ちゃんのせいだわ」

 いつもなら輩のように脚を広げてしゃがみこむ。然し相手は一桁台の子供だ、ヱマは脚を閉じてなるべく小さく見せた。

 子供と眼が合う、潤んだ瞳でかぶりを振った。

「お姉ちゃんはわるくない」

 手中のフィギュアに眼を落とす。その様子に困ったように頬をかいてから親はいるのか訊いた。だが少年はいないと一言答えただけだ。

 一人きりでここに来たらしく、一応母方の祖母のところにいるがあまり相手にしてくれない。だからお菓子を自分で買いに来たのだと言った。

 特例地区にはこういう子供がそれなりの数存在する。ヱマはなるほどねと納得して共感しつつ、裏で溜息を吐いた。

 一先ず彼女の奢りで好きなお菓子を買ってやる事になり、少年の表情は少し明るくなった。特例地区内を流れる川の近くまで行って座り込んだ。結局ヱマもペットボトルの水とプロテインバーを買ってしまった。

 河川敷な為色んな流れがあった。人もロボットもドローンも行き交う。改造されたレーザー銃で撃ち合い追いかけ回す青年達を後目にプロテインバーを食べ終わり、溜息を吐きながら倒れ込んだ。

 頭の後ろで手を組む。

「名前、ないんだって?」

「うん」

 少年は剥奪者だった。かなり減っては来ているがまだその風習は残っている。南美もその被害者であり、ヱマは彼の話から軽く調べた事があった。

「そっかー。名前ないの悲しい?」

「んー」

 まだ名前に頓着がないから分からないのだろうか、その小さな背中を見た。翼を消す方法さえ教わっていないようで、ずっと出したままだ。

「俺の知り合いにも名前ない兄ちゃんがいてよー。色々と思うとこはあるみてえだけど特に気にせず生きてるし、なんならその兄ちゃん刑事やってたんだよね」

 国は名前があろうがなかろうがどうでもいい。IDだけがあればそれでいい。少年は振り向いて驚いたような顔をした。

「刑事さんになれるの? 名前なくても?」

 ヱマは上半身をあげて肯いた。改造のレーザー銃がどうにかなったのか、青年達が固まってゴソゴソとやっている。だがそのうちパトロール中の警察仕様のドローンに見つかって鬼ごっこが始まった。

「だからさ、お前も気にせず生きればいいと思う。後々気にするようになってもな。あ、そうだ」

 思い立ってポケットを探った。取り出したのはWhite Whyの名刺のようなカードだった。

「これ渡しとくわ。もし困った事があったらここに書いてある番号で電話してみ。多分さっき言った兄ちゃんが出てくれる」

 にっと笑ってカードを手渡した。それは電脳化の手術が不可能な人や、電脳感染症でネット環境が利用出来ない人向けに作ったもので、ヱマがこれを取り出したのは今回が初めてだ。

 電脳内の時計を確認して立ち上がる。

「その兄ちゃんと一緒に仕事してっから、マジなんかあったら連絡しろよー」

 裾を払って軽く手を振って道に戻った。ある程度歩いたところで振り向く。少年はカードを太陽に透かして見上げていた。その口元は嬉しそうに歪んでおり、ヱマはまた鼻歌を歌いながら家に戻った。


 

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