第62話 父と娘
「…………ほう」
自分の娘が告白されたというのに、真之さんは少しも表情を変えなかった。
俺が沙菜さんのことを恋愛対象として見ていたのは真之さんも知っているし、今更なことだったのだろう。
「ただ告白しただけじゃありません。この先の未来がどんなに怖くても、二人なら乗り越えられる。だから一緒に頑張っていこうと誓い合ったんです」
「つまり君は、これからも沙菜との交流を続けさせろと言いたいのかな」
俺は即答し、
「はい、そうです。俺たちの関係は、決して真之さんの思っているような、現実逃避した関係ではありません。互いの頑張りが、互いの励みになっているんです」
「ほう……。君と沙菜は、互いを高め合う関係だと?」
「はい。だから――」
俺の言葉を途中で遮り、真之さんは言い放った。
「だが私から言わせれば、まるで説得力を感じないな」
「……っ!」
「何より君は、私が懸念していることの本質を理解していない。それでは私も、首を縦に振ることはできないな」
真之さんが懸念していることの、本質……!?
一体、何だ……?
思い出せ……!
これまで真之さんが話していた中に、きっとヒントが隠されているはずだ。
真之さんは、沙菜さんが俺に依存することを懸念していた。
沙菜さんが学校に復帰すると言った時なんかは、俺ではなく学校の友人たちと交流すればいいとも言っていた。
……くそっ! 後もう少しで、何かが掴めそうなんだが――。
当然ながら、俺が考える時間を待ってくれるわけもなく、真之さんは話を続ける。
「とはいえ、ちゃんと私に報告してくれたことは、君に感謝しなければな。君がこれからもその誠実さを持ち続けてくれるのなら、私も少しは安心できる」
「……安心、ですか?」
「そうだ。それとも君は、交際を認めてもらえなかったといって、愛の逃避行でもするつもりだったのかな?」
「いえ、そんなことはないです……」
会話をしながらも、俺は必死に考え続けていた。
けれどすぐに答えが思い浮かぶわけもなく、俺は黙り込んでしまう。
そんな時だった。
「……お父、さん……」
「……?」
沙菜さん……?
紅茶を持ってきてからずっと黙り続けていた沙菜さんが……。
今ようやく、言葉を発した。
「どうした、沙菜」
「お父さんが何を懸念しているのか、私わかったよ」
「………………」
沙菜さんは真之さんのことをまっすぐに見つめ、言葉を続ける。
「私のことを、心配してくれているんだよね……?」
「………………」
「大好きだったお母さんが死んで、私は一番の心の支えを失って……。そんな私の姿をお父さんは見ていたから、私が誰か一人と深く接することを恐れたんだよね?」
真之さんは娘から目を背けるように視線を落とし、これに答える。
「……そうだ。心の支えが大きければ大きいほど、それを失った時の悲しみは非常に深いものとなる。もう二度と、私は沙菜に、あんな悲しい思いをさせたくないんだ」
「だからって、私が人と深く関わらなかったら、私はずっと孤独のままだよ?」
「もちろんそんなことは私も望んでいない。だから私は、順序さえ守ってくれれば、沙菜と下条くんの交際を認めてもいいと思っている」
順序だと……?
それさえ守ってくれれば、交際を認める?
それはつまり、まずは沙菜さんの心の支えをたくさん増やし、心の支えを失う悲しみが分散されるようにする、ということなのか?
俺は黙っていられなくなり、今にも言葉を発しそうになるが、
「順序なんて関係ないよ」
それよりも早く沙菜さんが言った。
いつになく落ち着き払った様子で、沙菜さんは言葉を続ける。
「私はもう、大丈夫だから」
「大丈夫だと?」
「……うん。私ね、これまでずっと、お母さんが居なくなったのと同じように、私の心を支えていたものも消えちゃったって思っていたの」
「………………」
「でも最近、それは違うってわかったの。お母さんが居なくなった悲しみが消えないのと同じで、お母さんの優しさも私の心に残り続けてるって、気がついたから――」
……そうか。沙菜さんは向き合うことができたんだな。
俺は確信した。
沙菜さんはもう、たとえ俺が居なくなっても、強く生きていくことができる。
「お父さん。だから私は、大丈夫だよ」
「沙菜……」
「それにね、私にはお父さんだっているんだから。お父さんも、私がいるってことを忘れないでね」
「……そうだな。私はいつも、沙菜のことを見ているようで、見ていなかったのかもしれないな――」
そこで一度言葉を区切り、真之さんは続けて言った。
「……わかった。沙菜と下条くんの交際を認めよう」
「ありがとうございます……!」
「だがもちろん、君たちは私に対し、さっき話したことが嘘ではないと行動で示し続ける必要がある。それは理解しているか?」
「はい、わかっています」
「ならいい。私の話は以上だ。……娘のことをよろしく頼む」
そう言って真之さんは立ち上がり、リビングを後にしようとする。
そんな父親の背中に向かって、沙菜さんは言った。
「お父さん」
「……なんだ?」
「私、お父さんの子供に生まれて、本当に良かったよ」
「………………」
こちらからでは、真之さんがどんな表情をしているのかはわからない。
けれど、きっと――
「……そういう言葉は沙菜の結婚式まで取っておきなさい。母さんだって、きっとそう言うだろう」
――笑っていたんじゃないだろうか。
そんな風に、俺は思った。
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