第59話 長い夜の終わり

「私がもう、学校に行ける……?」


 爆乳さんが俺の言葉を繰り返す。

 その表情はどこか不安げで、俺の言葉に同意できないといった様子だ。

 

「やっぱりそんな風には思えないかな?」

「……うん。まだ無理だよ、私には……」


 真之さんの前では学校に復帰する自信があるような発言をしていた爆乳さんだが、やはりあれはその場の勢いで口走っただけのようだ。


「どうしてそう思うの?」

「だって私には、できないことがたくさんあるから……」


 そう言って爆乳さんは、俯いたまま黙り込んでしまう。

 俺はそんな爆乳さんに向かって訊いた。

 

「爆乳さん。これから先の人生で、自分にはできそうになくて不安なことって、たくさんあるよね?」

「えっ? ……う、うん……」

「それをいくつか挙げてみてくれないか?」

「えっと……。就活、とか……?」

「……俺もそれは凄く不安だ」


 俺たちだけでなく、世の中の多くの若者が不安に思っていることだろう。


「漆黒さんも不安なの?」

「もちろんだよ。面接とかちゃんとできる気がしないし」

「凄くわかる……」


 心底同意といったように、爆乳さんはウンウンと頷いていた。

 爆乳さんはそのまま話を続ける。


「もし無事に就職できたとしても、職場の人たちとうまくやっていける気がしない……。私、雑談とか苦手だから……」

「俺もそういうのは得意ではないかな」

「あと将来結婚して、子供ができたとして、ママ友とうまく交流できる自信もない……」

「それはまあ、最悪ママ友なんていなくても大丈夫そうだけど……」


 俺の発言を否定するように爆乳さんは頭を振って、

 

「でもそれじゃ、子供が可哀想……」

「子供が?」

「親が周りとうまくやっていけないせいで、子供も孤立しちゃうかも……」

「そんなことは……あるのかな?」

「きっとあると思う。……私、子供にとって良い親でいられる自信がない……」

「………………」


 子供どころか、結婚すらまだ先のことだろうに。

 そんなことを真剣に考えてる爆乳さんが、何だか少しおかしかった。

 

 ……でもその気持ちは、俺にも強く理解できた。

 要は、理想的な振る舞いができないことに不安がある。恐れがあるんだ。


 世の中の母親はこうであるべきだとか。

 世の中の子供はこうであるべきだとか。

 社会人はこうであるべきだとか。

 学生はこうであるべきだとか。

 

 そういった世間の言う理想に近づこうとして、でもそれができなくて。

 それどころか“普通”にすらなれなくて、自分が世の中から置いてけぼりにされたかのような気持ちになっていく。


 そんな気持ちを抱いて生きていくのは、とても苦しいことだけど。

 その気持ちを抱いているのは、この世の中で爆乳さん一人じゃない。それを俺は伝えたいと思った。

 

「……今度はさ」

「……?」

「逆に今、爆乳さんにできることを教えてよ」

「えっ? 私に、できること……?」


 返答に窮する質問を投げられ、爆乳さんはこちらを見たまま固まってしまう。

 予想通りの反応をしてくれた爆乳さんに心の中で謝りつつ、俺は続けた。

 

「きっと、数えきれないくらいたくさんあるよね」

「……うん」

「それらのできることは、どうしてできるようになったんだと思う?」

「どうしてって……。……知らないうちに、かな……?」

「そうだよね。だから今できないことだって、知らないうちにできるようになっているかもしれない。できないことを必要以上に恥じたりする必要はないんだよ。少しずつできないことが、できるようになっていけばいい」

「………………」


 爆乳さんは俺から目を逸らし、俺の発言について何か考えているようだった。

 俺は言葉を続けて、

 

「それにさ、今の爆乳さんにできることだって、もっと自分で評価してあげてもいいと思うんだ」

「今の私に、できること……?」

「オフ会に誘って実際に会いに行くなんて凄い行動力だし、今回みたいな家出も凄い。……まあ、だいぶ危険だから二度としないで欲しいとは思うけど」

「~~~~っ!」


 俺の苦言を受け、爆乳さんは気まずそうに頬を赤らめる。

 俺はそんな爆乳さんに向かって言った。

 

「それだけの行動力があれば、学校に復帰することだってできるんじゃないかな?」

「……学校はまた、別だから……」

「そりゃ、いきなり普通の生徒と同じようにするのは難しいだろうけど、まずは俺の妹に頼ってみるとか、保健室通学してみるとか。それこそ今の学校とは別の、通信制の高校とかフリースクールに行くのを考えてもいいと思うし……」


 少し間をおいた後、俺は続ける。


「……本当に、少しずつ進んでいければいいんだよ。俺も少しずつ、できないことをできるようにしていくからさ」

「漆黒さんも……?」


 俺は即座に頷いて、


「俺はさ、爆乳さんと一緒に頑張りたいんだよ。真之さんは俺が一方的に爆乳さんの社会復帰を手伝っているように捉えていたけどさ……。爆乳さんが頑張って自分を変えようとしている姿は、俺の励みにもなっているんだよ」

「そう、なの……?」

「ああ、そうだよ」

「私、漆黒さんの励みになってたんだ……」


 俺の励みになっていたのが嬉しいのか、爆乳さんは口元に笑みを浮かべる。

 こんな風に喜んでくれるなら、もっと早く伝えれば良かったかもな。


「そこで俺に考えがあるんだ」 

「……考え?」

「これからも俺と爆乳さんが交流を続けるための考えだよ」


 妹である詩織が俺に教えてくれた。

 真之さんの認識を変えさせればいいと。

 俺と爆乳さんの関係が、互いにとって大きくプラスなものだと思わせればいいのだと。


「現状、真之さんから見た俺たちの関係は、現実逃避して遊んでいるように見えているんだと思う。だから、それは違うと否定してやるんだ」

「でも、どうやって……?」

「互いに互いを高めあっている関係だと示せばいいんだよ。この先の未来がどんなに怖くても、二人なら乗り越えられる。一緒なら頑張っていけると示すんだ」


 自分で言っておきながら、答えのようで答えになっていないと思う。

 けれど、このことをそのまま真之さんに伝えるのが一番だと俺は思った。


「だから爆乳さん。……いや、佐河沙菜さがわさなさん」

「っ……!?」


 いきなり俺に本名で呼ばれ、沙菜さんは驚いてこちらへ振り向く。

 ……互いに向き合う形となり、交錯する視線。

 

 俺は意を決し、言葉を続けた。


「この前の夜は言いそびれちゃったけど、俺は沙菜さんのことが好きだ」

「…………うん」

「これからも一緒に今を生き続けたいと思ってる」

「…………うん」

「だから俺と、付き合ってくれないか?」

「………………」


 俺の告白に対し、沙菜さんは黙ったままだった。

 ただその代わり、その瞳からは涙が溢れ、頬を伝った滴が次から次へとベッドを濡らし始めていた。


「……本当に、私でいいの?」

「ああ」

「夢じゃ、ないよね……?」

「頬でもつねってみる?」

「……つねるのは嫌だけど、触って欲しい」


 俺は涙を拭うように、沙菜さんの頬にそっと触れる。

 

「どう? まだ夢だと思う?」

「……現実、みたい。だってこんなに、漆黒さんの手が温かいから……」


 沙菜さんは嬉しそうに微笑んで、そして言った。

 

「私も漆黒さんのことが好き……。ずっと前から、付き合いたいと思ってたんだよ?」

「……なんだ、俺たち両想いだったんだね」

「うん。でも、これで……」


 俺たちはようやく恋人同士になった。

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