第58話 佐河沙菜は過去を語る

 思えば私は、幼稚園に通っていた頃から周囲に馴染めず浮いていた。

 より正確に言えば、当時は周囲に馴染もうという気すらなかった。

 

 たとえば周りの子たちがクレヨンで絵を描いて遊んでいる時。

 私だけが、部屋の片隅で積木を並べて遊んでいた。

 

「ねえ、さなちゃん。一緒にお絵かきして遊ぼうよ」


 と、声をかけてくれた子がいた。

 でも私は、その子に目を向けることもせず、

 

「ううん、私は積木で遊ぶからいい……」

 

 誘いを断り、積木遊びを続けていた。

 周りの子たちのことなんて一切気にせず。

 ひたすら一人で積木を積み重ね続ける私。


「さなちゃんって変わってるよね」


 誰の言葉だっただろうか。

 今は思い出せないけど、誰かに言われた言葉。


 言われた時は何とも思わなかったけど。

 歳を重ねるごとに、その言葉は私の心を少しずつ苦しめ始めた。

 

 

 小学生になった後も、私は相変わらず周囲から浮いていた。

 

 けれどそんな私にも、一緒に遊ぶ友達ができていた。

 その友達は女の子ではなく、男の子たちだった。

 

 小学生低学年の頃、私は携帯ゲーム機の育成ゲームで遊ぶのが好きだった。

 クラスの男の子たちも同じゲームをやっていて、それで一緒に遊ぶようになったのだ。


 男の子たちは女の子の私を嫌がらずに受け入れてくれた。

 それはきっと、まだ低学年だったからというのが大きかったのかもしれない。

 

 私は一緒にゲームを遊んでくれる友達ができて嬉しかった。

 こんな風にゲームで遊んで過ごす日々が続けばいいなと思っていた。

 

 でもそんな日々は長く続かなかった。

 男子に混ざって遊んでいる私のことをクラスの女子は良く思っていなかった。

 

 ……クラスの女子に無視されたり、冷たくされたりした。

 男子たちだって、女子の私と遊ぶことに抵抗を覚えるようになっていった。

 気づけば遊んでいた育成ゲームも周りから飽きられ、私はまた一人になっていた。



 そしてついに。

 小学校4年生の頃、私はお母さんに言った。

 

「学校、行きたくない……」 

 

 どこにも居場所がない学校が嫌で嫌で仕方がなくて。

 ずっと我慢するつもりだったけど、つい漏れ出た私の本音。

 

「どうしたの、沙菜? 体調でも悪いの?」

「ううん、そうじゃないよ。でも――」

「……でも?」

「………………」


 言葉が出てこなかった。


 お母さんを困らせたくないのに。

 お母さんに心配かけたくないのに。

 お母さんに私の本当の気持ちを知ってほしい。

 

 そんな矛盾した感情が、私の本心からの言葉を封じ込めていたのだ。

 

 私はただ、黙ったまま俯くしかなかった。

 そんな私に向かって、お母さんは言った。

 

「今日は風邪で休むって、学校に電話してくるわね」

「え……?」

「行きたくないなら、無理して行かなくてもいいの。今日は休んでいいからね」

「……うん」


 お母さんは理由を問い詰めることもせず、私が学校を休むことを許してくれた。

 そしてその日は、お母さんと一緒にテレビを観たり、一緒にお菓子作りをしたり、色んなお話をして楽しく過ごした。


「ねえ、お母さん」

「んー?」

「私、お父さんとお母さんの子供に生まれてきて、本当に良かったよ」

「……ふふっ。どうしたの、いきなりそんなこと言って」

「だってそう思ったんだもん」

「そういう言葉はね、沙菜が誰かのお嫁さんになって、結婚式の時になったら言うものなんだよ」

「……そうなの?」


 お母さんは小さく頷く。

 そして嬉しそうに目を細めながら言った。


「でもありがとうね、沙菜。私も沙菜が生まれてきてくれて、本当に感謝してるんだよ」

「お母さん……」

 

 次の瞬間、お母さんが私を優しく抱きしめてくれる。

 たったそれだけで、私の心を苦しめていたものは嘘のように消えていった。



 その翌日、私は学校へ行くことにした。

 学校は嫌だけど、家に帰れば大好きなお母さんが待っている。

 そう思えば、嫌な学校生活も乗り越えられる気がしたからだ。


 朝起きて、学校へ行って。

 夕方になって、家に帰って。

 夕飯を作るお母さんを手伝って、お父さんが帰ってくるのを待って。

 お父さんが帰ってきたら、三人で一緒に夕飯を食べる。

 

 これまで何度も繰り返されてきた、穏やかな日常。

 そんな日常がいつまでも続くと、その時の私は思っていた。

 

 

 でも……。

 私のお母さんは、私が中学3年生の頃に病気で亡くなってしまった。

 

 私はその現実をすぐには受け入れられなかった。

 何事もなかったかのように、お母さんはこの家に帰ってきて、私に「ただいま」と声をかけてくれる。そう信じたかった。


 けど私の日常は、確実に変わっていった。


 朝起きて、家の中のどこを探しても、お母さんの姿は見当たらない。

 お母さんが暮らしていた形跡は残っているのに、お母さんだけがそこにいない。

 

 学校の授業を終えて家に帰ってきても、家の中には誰もいない。

 いつも出迎えてくれたお母さんの姿はそこになく、家の中は静寂に包まれていた。

 

(ああ、そっか……)


 これが私の、新しい日常なんだ。

 お母さんがいないのが、私の新しい日常なんだ。

 

 お母さんがいない現実を受け入れた瞬間、私の心は凍りついたように冷たくなってしまった。

 

 そしてそれは、きっとお父さんも同じだったんだと思う。

 お母さんが亡くなって、お父さんも変わってしまったからだ。

 

 いつもどこか、悲しそうな……。

 深い悲しみが刻み込まれてしまった表情。

 お父さんは以前よりも私に優しくなったけど、その優しさは私にとって苦しいものだった。


「………………」


 気づけば私は高校生になっていた。

 高校でも相変わらず周囲に馴染むことができず、いつも独りぼっちだった。

 

 クラスメイトが私に冷たかったわけじゃない。

 当初は積極的に話しかけてくれる子もいたし、私もそれに応えようとしていた。

 

 でも私にとって、それはとても難しいことだった。

 

 接すれば接するほど、周りのみんなにとっての“普通”が私にとって“普通ではない”ことを強く自覚させられたからだ。

 

 みんなが知っていることを私は知らない。

 みんなが当然のように出来ることを私は出来ない。

 みんなが持っているものを私だけが持っていない。

 

 もちろんそれだけで、みんなが私を嫌うわけじゃないけれど。

 私がみんなとは違って、変わっていることを思い知らされるのが、とても苦しくてつらかった。

 

 だから私は、そんな苦しい現実から逃げるように、家に引き籠もるようになった。

 そして現実を忘れたくて始めたのが、『メテオストーリー』というオンラインゲームだった。


 メテストの世界の中では、『佐河沙菜』という顔も名前も年齢も性別も関係ない。

 

 居心地の良い匿名性の世界。

 ただ純粋に、一緒にゲームをして遊ぶことができる。


 やっと見つけた、私の求めていた居場所だった。





 爆乳さんの過去の話を一通り聞き終え、俺は訊いた。


「じゃあ、爆乳☆爆尻って名前にしたのも……」

「……まず女だって思われないから。だから私はその名前にしたんだよ」


 そうか、そうだったのか……。

 メテストのプレイヤーのほとんどは男性だ。

 数少ない女性プレイヤーは、いわゆる“オタサーの姫”的な扱いを受けやすい。

 下手するとチヤホヤされるだけではなく、恋愛関係に発展することを期待されてしまうわけだ。

 

 けどそれは、純粋にゲームを楽しみたい爆乳さんにとって、困ることだった。

 だから女であると思われないよう、お下品な名前にしたというわけか。

 

 ……それにしても、爆乳☆爆尻というのはどうかと思うが。


「漆黒さんたちとメテストで遊ぶのは凄く楽しかった。でもこのままじゃいけないとも思っていたの」

「だから爆乳さんは、俺をオフ会に誘ったんだ?」

「うん……。漆黒さんに会うことで、何かを変えたいって思ったの。何かを変えるには、とにかく人と接するべきだって思ったから……」


 そこで俺は、当初も思っていた疑問を再び爆乳さんにぶつける。

 

「でもどうして、腹毛さんやぴらふさんじゃなくて、俺に頼んだの?」

「……漆黒さん、覚えてないの?」

「え?」

「私をギルドに誘ってくれたの、漆黒さんだったよね」

「あ……」

「漆黒さんが誘ってくれたの、凄く嬉しかったんだよ……」


 爆乳さんの言う通り、爆乳さんをギルドに誘ったのは俺だった。

 たった一人で狩りをしている爆乳さんを見て、俺は何となく爆乳さんをギルドに誘ったのだ。

 

 今思えば、俺もゲームを始めたばかりの頃、仲間を作れずに最初の1週間を過ごしたから、一人で狩りをする爆乳さんに思うところがあったのかもしれない。


 しかし、こうやって改めて話を聞くと……。

 

 爆乳さんの行動力は、俺のそれを遥かに超えている。

 防犯上はあまり褒められたものじゃないが、ネトゲで知り合った人に1対1で会おうと誘うだなんて、だいぶ思い切った行動だ。

 

 それだけの行動力があれば、きっと……。

 

「……爆乳さん。一通り話を聞いて、俺は確信したよ」

「……?」


 俺は爆乳さんの目を見て言った。


「爆乳さんは、もう学校に行くことができる。それだけの強さを持っているよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る