第53話 長い夜の始まり

「家出……!? いつわかったんですか?」

『ついさっきだ。私も先ほど家に帰ってきたばかりでね。これまで会社で仕事をしていたんだよ』

「ということは、真之さんが最後に沙菜さんを見たのは……」

『今朝だよ。今日の朝、沙菜は私が家を出るのを見送ってくれたんだ』


 今の時刻は午後の4時ちょうど。

 もし爆乳さんが家出したのが午前中なら、もうとっくに遠くへ行っているだろう。

 

 もしかしなくても、これはかなり不味い状況なのでは……?

 

「あの、その書き置きには何が書いてあったんですか?」

『下条くん。君は私の家に来たことがあると言っていたね?』

「……え? はい、ありますよ」

『ならば実物を見に来るといい。君の家からはそう遠くないはずだ』

「わかりました。今からそちらへ向かいます」


 そのまま電話で伝えてくれればいいのにと思いつつも、俺は大急ぎで爆乳さんの家へと向かった。

 

 

「お待たせしました。それで、書き置きというのは……」

「これだよ。もし気づいたことがあったら、何でも私に言ってくれ」


 爆乳さんの家の前で、俺は真之さんから手渡しで書き置きを受け取る。

 その書き置きには、小さく丁寧な字でこう書かれていた。

 

『花火を見に行ってきます。ちゃんと帰ってくるので、警察沙汰にはしないでください』


 ……花火?

 どうしていきなり、花火だなんて……。

 

「どうだ? 何かわかったかな?」

「いえ……。そういえば、警察にはもう連絡したんですか?」

「いや、まだだ。その書き置きを持って警察署へ行ったところで、事件性なしと判断されるだろう。すぐに捜索がされるようなケースではない」


 確かにこの書き置きの内容だと、事件性があるとは思われないだろう。

 

 もしこれを書いたのが、爆乳さん以外の誰かなら話は別だが……。

 真之さんの反応を見る限り、この書き置きも本人が書いたもので間違いなさそうだ。

 

「だから夜遅くになっても沙菜から連絡が来なかったら、警察のところへ行ってみようと思う。何か情報が届いているかもしれないからな」

「それがいいと思います。それまでに帰ってくる可能性もありますしね」

「そうだな。……下条くん。悪いんだが、君からも沙菜に電話をかけてくれないか?」

「もちろんいいですよ。じゃあ、さっそく今かけてみますね」


 書き置きを真之さんに返した後、俺はスマホを操作して爆乳さんに電話をかける。

 これであっさり爆乳さんが電話に出てくれれば一安心なんだが……。

 

「……出ませんね。電源を切っているみたいです」


 爆乳さんはスマホの電源を切っているようだった。

 わざと電源を切っているのか、充電不足で電池切れになったのか。どちらにせよ、連絡がつかないのはかなり心配だ。

 

「そうか……。協力してくれてありがとう」

「いえ、そんな……」

「実はというと、私は君のことを疑っていたんだ。沙菜が一人でどこかへ行くとは思えなかったからね」

「そう考えるのが当然だと思います。でも沙菜さんは、ああ見えてかなり行動力があるんですよ。一人でどこかへ行ってもおかしくないです」

「……そうだな。私が気づかなかっただけで、沙菜もだいぶ成長したんだな」


 そう言った真之さんは、疲れたような笑みを浮かべていた。

 それから続けて、


「下条くん。後は私が何とかするから、君はもう帰りなさい。わざわざここまで来てもらって悪かったね」

「いえ……。沙菜さんから連絡があったら伝えますね」

「そうしてもらえると助かる。では気をつけて帰るんだよ」

「はい……」



 俺はモヤモヤとした気持ちのまま、すっかり暗くなった帰り道を歩く。

 試しにもう一度だけ爆乳さんに電話をかけるが、結果はさっきと同じだった。


「……出ないか」


 それにしても、爆乳さんが家出をするだなんて。

 しかもその目的が「花火を見に行ってきます」ときた。

 

 花火といえば夏だろうに。

 今の時期に花火だなんて、どこもやっていないだろう。

 

「…………まさか」


 瞬間、俺の脳裏に一つの可能性が思い浮かぶ。


 いやでも、あの花火はまだ……。

 それにいくら爆乳さんでも、そんな馬鹿げた真似は――

 

「……いや、するかもしれないな」

 

 何より、それ以外に思い当たる場所がない。

 手がかりが他にない以上、俺はこの可能性に賭けるしかないんだ。

 

「よし……!」

 

 俺は走る。

 白い息を吐き出しながら、駅へと向かって全速力で。

 走ると体が熱くなって、夜の冷たい空気さえもが心地よく感じられた。

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