第43話 佐河沙菜は心に決める

「ただいま」

「あれ……? 今日はいつもより早いね」


 いつもより早い父の帰宅に、佐河沙菜さがわさなは内心ドキリとする。

 もう少し漆黒さんが家を出るのが遅かったら、父と漆黒さんがバッタリ鉢合わせるところだったからだ。

 

「予定より早く仕事が片付いて、少し余裕ができたからな。時間休を取ったんだ。体調の方はもう大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ。もう風邪薬も飲まなくて平気そう」

「そうか、それは良かった……」


 沙菜さなの父――佐河真之さがわさねゆきは、わずかに安堵した笑みを浮かべる。

 

 もしこの真之さねゆきを会社の同僚が見たら、きっと驚いていただろう。

 それくらい普段の真之は、無表情で感情表現に乏しい人物なのだ。わずかでも笑みを浮かべる姿は珍しい。

 

「……ん? 今日はどこかへ出掛けたのか?」


 どうして真之がそんなことを訊いたのか、沙菜は自分の服装を見てすぐに気づく。

 

 沙菜は今、部屋着や寝巻きではなく、外へ出掛ける服に着替えている状態なのだ。


「ううん、出掛けてないよ。出掛けようと思ったけど、やっぱりやめることにしたの」


 嘘ではない。沙菜は本当に外へ出掛けてはいない。

 沙菜が着替えたのは外へ出掛けるためではなく、漆黒チョコ棒に会うからだった。


「そうだったのか。今日の夕飯は煮込みうどんにしようと思うが、食べられそうか?」

「うん、食べられるよ」

「今から作るから、1時間くらい待っていてくれ」

「うん、わかった」


 真之は買い物した食材を冷蔵庫に入れようと、キッチンの方へと向かう。

 

「――――っ!」

 

 その時、沙菜は見逃さなかった。

 真之の怪しむような眼差し。それが、食洗機にある2つのティーカップに向けられていたのだ。

 

(どうしよう……!?)


 沙菜は焦る。

 適当に言い訳することは可能だが、それで父が納得するだろうか。

 他の違和感にも気づき、真実を追求されるのではないだろうか。

 

 必死に頭を回転させる沙菜だったが、

 

「………………」


 真之は特に何も言うこと無く、食材を冷蔵庫に入れ始める。

 

 てっきり何か訊かれると思っていたので、沙菜は拍子抜けしてしまうが、安堵することもなかった。

 

 ……怪しまれたのは間違いない。

 今後はこれまで以上に言動に気をつけた方が良さそうだと、沙菜は思った。




 自室に戻った沙菜は、ベッドの上で寝転がりながら昼間の出来事を思い出していた。

 

(……漆黒さん、キスしたことないんだ……)


 自らの唇に指で触れ、瞳を潤ませる沙菜。

 

 次の瞬間、沙菜は枕に顔をうずめ、声にならない声を出しながら、足をバタバタと動かした。

 

 恥ずかしさやら後悔で、沙菜は頭がどうにかなりそうだったのだ。

 

(私、どうしてあんなこと訊いちゃったんだろう……! 絶対漆黒さんに変なふうに思われた……!)


 あの質問は、あらかじめ訊こうと思っていたわけではない。

 つい攻めてみたくなって、勢いで訊いてしまったのだ。

 

 しかし今になって思えば、普通に彼女はいるのかと訊けば良かった話なわけで。

 

 いきなりキスしたことあるのかと訊くのは、どう考えてもおかしかった。

 

(でも漆黒さんのあの様子、もしかしたら私に――)


 ……気があるんじゃないか。そのように沙菜が思う場面はいくつかあった。

 

 だから沙菜も、相思相愛である可能性は高いと考えてはいる。

 

 だが本当にそうだったとして、年上で成人している漆黒さんは立場上、私にそういうアプローチが掛けづらいに違いない。

 

 となるとやはり、私から攻めていかなきゃ進展はなさそうだ。

 

 沙菜はそのように考え、部屋の壁に貼ってあるカレンダーに目を向ける。

 

(たしか来月の土日は、お父さんが出張で関西に行くから……)


 攻めるなら、そこがチャンスだ。

 沙菜はベッドから起き上がり、決心する。

 

(……今日の夜、漆黒さんをデートに誘おう)


 そしてそのデートで、私は漆黒さんに自分の想いを伝えるんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る