第32話 爆乳さんペンギンを眺める

 マグロ水槽を満足するまで観察し終えた俺たちは、1階の屋外にあるペンギン展示エリアにやって来ていた。


 ここはペンギンの生育環境に近い岩場が再現してあって、4種類のペンギンが飼育されているそうだ。

 

 ペンギンたちと観客は水槽のガラスで隔たれているわけではないので、風に乗って生臭い匂いが漂ってくる。


「あの小さなペンギン、可愛い……。赤ちゃんかな?」


 爆乳さんの視線の先には、体長30センチくらいの小さなペンギンたちがいた。

 小さなペンギンたちは羽をバタバタと動かしながら、よちよちと可愛らしい歩き方を披露している。

 

「あれはフェアリーペンギンだね。世界最小のペンギンらしいよ」

「世界最小? じゃああれは赤ちゃんじゃなくて……」

「もう大人のペンギンだろうね」

「……赤ちゃんみたいな、大人?」

「その言い方だと幼児退行した大人みたい」


 次の瞬間、爆乳さんの言い方に抗議するかのように、俺たちの近くにいたペンギンがクワーッと鳴いた。

 

 俺たちは少し驚いて、思わず顔を見合わせる。

 それから爆乳さんが口を開き、


「あの、漆黒さん。館内に入る前にした質問のことだけど……」

「そういえば、ここで話すと約束していたね」


 約束通り、俺は爆乳さんに話し始める。


「もう爆乳さんは知っていることだけど、俺は前にもこの水族館に来たことがあるんだ」

「漆黒さん一人だけで来たんだよね?」

「ああ、そうだよ。忘れもしない4年前の平日の昼間。まだ俺が高校1年生だった時かな」


 俺はペンギンたちを眺めながら、言葉を続ける。

 

「平日の昼間だから空いてて快適だったけど、園外保育に来ていた幼稚園児の集団がいてさ。その集団に遭遇した時は、少しだけ肩身が狭い思いをしたかな」

「学校、サボってたの?」

「サボりといえばサボりだけど、その頃の俺は不登校だったんだ」

「不登校……?」


 爆乳さんにとっては意外な事実だったのか、爆乳さんはハッとした顔をしてこちらに目を向ける。

 

「漆黒さん、不登校だったの?」

「うん。俺も爆乳さんと同じだったんだ」

「でも、どうして……」


 と言いかけて、爆乳さんは口をつぐんでしまう。

 爆乳さんが何を思っているのかを察して、俺は爆乳さんに言葉をかける。


「どうして俺が不登校になったのか知りたいんだよね?」

「……うん。でも、無理に話さなくてもいいよ」

「それなら大丈夫だよ。そもそも俺が爆乳さんをこの水族館に誘ったのは、俺の過去を知って欲しいと思ったからなんだ」

「漆黒さんの、過去を……?」


 俺は不登校になった経緯を話し始める。


「自分で言うのもなんだけど、中学の頃までは勉強も運動もできる方で、周りに友人もたくさんいたんだ」

「……彼女はいたの?」

「彼女はいなかったかな。当時は男友達と馬鹿やる方が楽しいと思っていたし」

「そっか……」


 自分で言っておきながら、これではまるで、あえて彼女を作らなかったみたいな言い方だなと思う。

 

 きっと彼女を作る気があったとしても、当時の俺には作れなかっただろう。

 

「中学の頃までってことは……」

「爆乳さんの思っている通りだよ。高校に入ってから、俺は痛いほどに思い知らされた」

「……思い知らされた?」

「高校では俺よりも勉強や運動ができる人なんて、珍しくも何ともなかったんだ。俺よりもあらゆる能力が高い人がたくさんいた」


 より正確に言えば、中学の頃だってそういう人がいなかったわけじゃないと、今ならわかる。

 

 俺が気づかなかった。目を向けなかっただけだ。


「それだけならまだ良かったんだけど、同じ中学出身のクラスメイトが高校デビューに成功してさ。たくさん友達を作って、彼女もできて、勉強も部活動もうまくやってて、あっという間にクラスの人気者になっていったよ」

「高校デビュー、成功する人いたんだ……」


 たしかに、こんなに成功する人は稀かもしれない。

 きっと彼の場合、外見だけでなく中身を磨く努力も日々怠っていなかったのだろう。


「そんな同じ中学出身のクラスメイトとは対照的に、俺は高校の新しい環境にうまく適応できなかった。プライドだけは中学の頃のままで、理想と現実のギャップに苦しむようになったんだ」

「……………………」

「そして強い劣等感を抱いた俺は、次第に人を避けるようになった。周りが新しい環境でうまくやっているのを、見ていられなくなったんだ。こんな自分を人に見せたくない。そう思って、俺は学校に行けなくなった。それで不登校になったんだ」


 ここまで話したところで、俺は爆乳さんの方へと顔を向ける。

 自虐めいた笑みを浮かべながら、俺は話を続けた。


「……つまらない理由だと思うよね? 酷いイジメを受けていただとか、学校に行けないような病気になったわけでもない。他人から見ればどうでもいいような理由で、俺は不登校になったんだ」

「つまらない理由だとは、思わないよ」


 爆乳さんはこちらに顔を向けながらも、伏し目がちに言葉を続ける。

 

「私もその気持ち、わかるから……。私が不登校なのも、イジメとか病気が原因じゃないから……」

「爆乳さん……」

「もしかして、漆黒さんがネトゲを始めたのも――」


 俺は再びペンギンたちの方へと視線を移して、

 

「……ネトゲを始めたのは夏休み中だったけど、その頃には家に引き籠もるようになってたかな」

「じゃあ、学校に行けなくなったのは……」

「夏休み明けからだね。俺は学校に行かず、外にも出歩かず、ネトゲの世界に逃げたんだ」


 当時の俺にとって、ネトゲの世界は他の何よりも居心地の良い空間だった。


 顔も名前も、年齢も性別も。

 これまでの経歴だって、誰にも教える必要がない。

 

 くだらないプライドなんか捨てて気楽でいられたし、劣等感を抱くようなこともほとんどない。


 窮屈な高校生活と比べて、とても自由で楽しい世界だったんだ。

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