第31話 爆乳さん水族館へ行く
10月上旬の日曜日。今日は爆乳さんと水族館へ行く日だ。
そんなわけで俺は今、今日行く水族館の最寄り駅にいた。
時刻は9時30分。
待ち合わせの時間よりも30分早く着いたことになる。
「……漆黒さん。もう来てたんだ」
「爆乳さん……」
おそらく、爆乳さんも俺と同じ電車に乗っていたのだろう。
俺が着いてからすぐに、爆乳さんも待ち合わせ場所にやってくる。
爆乳さんは縦の線が入った黒色のセーターに、グレーを基調としたチェック柄のプリーツスカートを履いていた。
左肩からかけているショルダーバッグも服装に似合っている。
爆乳さんもすっかり秋らしい装いだ。
「……漆黒さん?」
「っ……! その、今日は来てくれてありがとう。もう水族館に入れる時間だし、さっそく行こうか」
「うん」
俺たちは駅から水族館へと歩いて向かう。
途中、何から話そうかと俺が迷っていると、
「漆黒さん。今日行く水族館にはどんな思い出があるの?」
爆乳さんが先に話しかけてくる。
俺は質問に答えて、
「当時はともかく、今となっては笑って話せるような思い出かな」
「当時はともかく?」
「詳しくは後で話すよ。ペンギンでも眺めながらね」
◆
歩いて数分後、ドーム状の建物が見えてくる。
あの建物は水族館の3階にあたる部分で、生物の展示空間はそこから降りた2階、1階にある。
つまりこの水族館は、3階に入口がある構造となっているのだ。
館内に入り、入場券を購入する。
エスカレーターを降りて2階に辿り着くと、目の前にはサンゴ礁が展示されている水槽があった。
もちろん水槽の中にはサンゴ礁だけでなく、それを利用して暮らす他の生き物たちも入っている。
「サンゴって生き物なんだ……」
近くにあった解説パネルを読んで、爆乳さんが呟く。
俺はサンゴ礁を眺めながら言った。
「イソギンチャクやクラゲと同じ仲間らしいね」
「そうなんだ……」
それから順路通りに1階へと進み、世界中の様々な海の環境を再現したコーナーを見て回る。
太平洋やインド洋、大西洋はもちろん、北極海や南極海を再現したコーナーまでこの階にはあった。
「この魚、凄い……」
「ん?」
とある水槽の前まで来て、爆乳さんが立ち止まる。
爆乳さんは、その水槽の解説パネルを興味深そうに眺めていた。
「メスからオスに性転換する魚だって」
「ブルーヘッドだね。青い頭の1匹のオスが、黄色いメスのハーレムをつくるんだっけか」
爆乳さんは小さく頷いて、
「うん。そのハーレムからオスがいなくなると、一番体の大きなメスが性転換してオスになるみたい」
「面白い生態してるよね。体が大きい個体の遺伝子を多く残すためなんだろうけど」
実にユニークな生殖戦略だなと思う。
メスの奪い合いに勝てそうにない体の小さな個体は、オスではなくメスとしての役割を果たす。
そうすることで、メスの奪い合いに負けるようなオスが生まれにくくなるというわけだ。
「でも中には、メスのふりをするオスもいるみたい」
「メスのふりをするオス?」
「メスのふりをすることで、他のオスに攻撃されないようにするんだって。それでこっそりメスの卵に近づいて……」
「放精、しちゃうのか」
「……うん。放精しちゃうんだって」
なんとまあ、ずる賢い個体もいるものだ。
しかし見方を変えれば、パワーこそすべてという印象のある自然界でも、知恵が勝ることがあるのだとも言える。
要は、弱い個体なりの戦い方もあるというわけだ。
「人間に例えると、女装して他人の女を寝取るようなもの……?」
「色々な意味で業が深すぎる」
人間に例えるとえげつないなと俺は思った。
次に俺たちは、マグロ水槽のコーナーまでやってきた。
マグロ水槽はドーナツ型の大きな水槽で、俺たちが立っている鑑賞エリアはドーナツの穴の部分にあたる。
つまりは、辺り一面にマグロの泳ぐ迫力ある姿が映り込んでいるというわけだ。
「マグロ、大きくて格好いい……」
「そうだね、格好いいね」
「それにとても美味しそう……」
「その感想はどうかと思う」
とはいえ俺も、元気に泳ぎ回っているマグロを見て、刺身や寿司を連想しなかったわけじゃない。
……今日の昼はマグロを食うのもアリだな。
「あの水槽のガラス、厚さが26センチくらいあるんだってね」
「私の靴のサイズよりも大きい……」
「それだけの厚さがないと、これだけの大量の水に耐えられないんだろうね」
何でもこの水槽の容量は2200トンあるんだとか。
2リットルのペットボトル110万本分だと考えると、その容量の多さがよくわかる。
「……マグロは泳ぎ続けないと死んじゃうんだっけ?」
「そうだね。口を開けて泳ぐことで水中の酸素をエラに取り込んでいるから、泳がないと酸欠になるんだってさ」
「そうなんだ……」
爆乳さんはそれっきり、黙り込んでしまう。
しばらくの間、俺たちは何も話すことなく、水槽の中を元気に泳ぎ回るマグロたちを眺めていた。
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