第8話 爆乳さんラーメン屋へ行く

 バーガー屋へ行った日から2日後。

 茹で上がるような蒸し暑さの中、俺は都内某所のラーメン屋の前まで来ていた。


「漆黒さん、お待たせ」


 少し遅れて爆乳さんがやって来る。


 今日の爆乳さんの服装はラフな感じで、下はスカートではなくショートパンツを履いていた。


「俺もついさっき来たところだよ。じゃあ、入ろうか」

「う、うん……」

「…………?」


 どういうわけか、爆乳さんはその場に立ち止まったまま動かない。

 緊張しているのか、その表情は強張っているように見える。

 

「どうしたの、爆乳さん」

「ラーメン屋は少し、覚悟が必要」

「覚悟?」


 爆乳さんは神妙に頷いて、


「ラーメン屋には暗黙のルールがあると聞いた」

「暗黙のルール?」


 俺はあまりラーメン屋について詳しくない。

 暗黙のルールと言われても、すぐに思いつかなかった。


「たとえばどんなルールがあるのかな?」

「一口目はスープ」

「あー、それはよく聞くね」

「薬味などは最初に入れない」

「最初は元の味を楽しめってことだろうね」

「一口でも残したら、次回以降入店禁止」

「そんなことは……いや、あるのか?」


 そもそも顔を覚えられるとは思えない。


「私はともかく、漆黒さんが入店禁止になったらどうしよう……」


 爆乳さんは、どうやら俺に迷惑がかかるのを気にしているようだった。

 

 真面目というか、心配しすぎというか……。


「大丈夫だよ、爆乳さん。事前にこの店のことを調べた限り、厳しいルールは無さそうだから」


 グルメサイトの口コミには、サービスに関して否定的なものはなかった。

 口コミを過信するのも危険だが、嘘だらけというわけでもないだろう。


「仮に厳しいルールが本当にあって、出禁になってしまったところで、そんなに気にすることはないよ」

「……どうして?」


 俺は爆乳さんの疑問に答える。


「東京だけでも、千を超える数のラーメン屋があるんだってさ」

「千……」

「そのうちの一つで嫌な思いをしたところで、今度は他へ行けばいいだけだよ。さあ、中へ入ろう爆乳さん」

「うん……」



 俺たちは店内へと入る。

 店内はカウンター席だけでなく、テーブル席も用意されていた。


 俺たちはテーブル席に案内され、店員からお冷とメニュー表を渡される。


 今は午後2時過ぎで、店内はそこそこ空いているようだった。


「何頼むか決まった?」

「うん。濃厚味噌ラーメンにする」

「じゃあ俺は、魚介醤油ラーメンにしよう」


 店員を呼び、注文をする。

 待っている間、俺は爆乳さんに訊いた。

 

「爆乳さん」

「何?」

「これも本当に社会復帰の練習になってるのかな」


 前と同じような質問。

 これに対し、爆乳さんの答えも同じようなものだった。

 

「なってるよ」

「ただラーメン屋に来ただけなのに?」

「うん。すごく練習になってる」

「他に何か、やってほしいことはないの?」

「やってほしいこと?」

 

 俺の質問の意図がわからないのか、爆乳さんは首を傾げる。

 

「……特に、ないよ? どうしてそんなことを訊くの?」

「いや、何かもっと、手助けできたらいいなと思って」

「大丈夫だよ。私はこれだけで、とても助かってるから」

「そっか……」


 本当にそうならいいんだけど……。

 爆乳さんは相変わらず、自身について話そうとはしなかった。



 しばらくして、注文したラーメンが席に運ばれてくる。


「これが、ラーメン……!」

「そのネタ気に入ってるの?」


 俺はさっそくラーメンを食べ始める。

 

「いただきます」


 まずはスープを一口。

 

「…………!」


 スープを口に含んだ瞬間、魚介の鮮烈な風味が口の中に広がっていく。 

 そして舌にじっとりと染み込むような魚介の旨味が、俺の食欲を更に増幅させた。

 

 これはとても美味しいスープだ。全部飲み干せてしまえそう。

 

 お次は麺。麺は太く、味の強いスープとは相性が良さそうだ。

 その予想は正しく、噛みごたえのある太麺は、スープの旨味と塩気をうまく受け止め、全体の味のバランスを調整する役割も果たしていた。


「うん、美味しい。……爆乳さん?」


 爆乳さんは俺の方をじっと見つめていた。

 見た感じ、まだラーメンを一口も食べていないようだ。

 

「そんなに見られると、恥ずかしいんだけど……」

「ごっ、ごめんなさい。どうやって食べるのか、見てただけだよ」

「もしかして、ラーメン屋来るの初めてだった?」

「うん……。これが、初めて」


 行ったことなかったから、挑戦してみたくなったのだろうか。


「とりあえず、スープを一口飲んでみたら?」

「うん、そうする」


 爆乳さんはスープを一口飲もうとするが、


「……っ!」


 まだ熱かったのか、爆乳さんはすぐにレンゲを口から離す。

 

「大丈夫?」

「うん……」

「火傷しないよう、少し冷ましてから飲んでみたら?」

「うん、そうしてみる」


 爆乳さんは、レンゲですくったスープに息を吹きかけ始める。


「ふー、ふー」

「………………」

「ふー、ふー」

「………………」

「ふー、ふー、ふー」

「……………………」

「ふー、ふー、ふー、ふー」

「冷ましすぎじゃない?」


 ここまで念入りに冷ますとは。

 コーヒーの時といい、爆乳さんは結構な猫舌なのかもしれない。



 そんな爆乳さんの食べるペースはゆっくりだったが、確実に丼の中のラーメンは減っていった。


 最初は麺を啜ることに抵抗があったようで、レンゲの上にミニラーメンを作って食べていた爆乳さんだったが、最後の方はラーメンが程よく冷めたこともあり、ペースを上げて麺を啜って食べていた。


「スープまで全部飲み干すだなんて、偉いね」


 爆乳さんはスープまで全部飲み干し、見事ラーメンを完食する。


「スープは全部飲まなくていいものなの?」

「まあ、健康上の理由で飲まない人もいるかな」

「そうなんだ……」

「無理して飲む必要はないけど、美味しかったら遠慮なく飲み干していいよ。その方が店員さんだって嬉しいと思うし」


 俺もスープを全部飲み干したが、それは単純に美味しかったからだ。マナーだのルールだの、関係ない。

 

「今回スープを飲み干したのは、美味しかったからだよ」

「そっか、なら良かった」


 初めてのラーメン屋は、どうやら満足のいくものだったようだ。





 ラーメンを食べ終えた俺たちは、すぐに店を後にする。

 もちろん電車に乗る時間はずらす予定だが、駅までは爆乳さんを送っていくことにした。

 

「ラーメン美味しかったね」

「うん……」

「………………」


 歩きながら爆乳さんに話しかけるが、会話は続かなかった。

 

 目の前の女の子が本当に爆乳さんなのだと、わかっているのに。

 

 やはり外見で、どこか遠慮してしまう。

 ゲーム内のように会話することは、まだ出来そうになかった。

 

「……あの、漆黒さん」

「ん?」


 駅が目の前に迫ってきたところで、爆乳さんが話しかけてくる。

 

「どうしたの、爆乳さん」

「次はプール、行こ?」

「プール……?」


 プールって、あのプールか?

 バーガー屋、ラーメン屋の次がプールだなんて、誰が予想できただろうか。

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