五章「大天狗」

その」 鬼との修行を終えた俺は数日ぶりに家に帰った。なし崩し的に妖怪退治の部活に参加して入退院を繰り返した挙句に、ろくに事情も説明せずに山ごもりの修行なんてやってきた息子を母さんはただ一言、お疲れ様とだけ言って迎え入れてくれた。

 そして一夜明けて、翌朝。久しぶりに自分の部屋で目を覚ました俺はスマホで時間を確認。九時過ぎ……って遅刻じゃん!

「うわ、何でアラーム鳴らねえんだよ……って、そうか土曜か今日」

 修行中はスマホも取り上げられてたし、すっかり曜日感覚がなくなっていた。というか今日が何曜日であろうと関係ない。そんな事より今日は「堕天」を行なう、つまり大天狗との決戦の日だ。

 パジャマのまま部屋を出て食卓へ。母さんがぼうっと放心して椅子に腰掛けていたが、俺に気づくとサッと表情を変えた。

「あら、おはよう。もう起きてきたの? 疲れてるんでしょ? あ、それともお腹すいた?」

 いや、そうじゃなくて。

「ご飯はもう炊けてるからね……肉じゃがあるけど食べる?」

 逃げるようにキッチンへ行こうとする母さんを止めた。

「あのさ。昨日まで俺、山の中で修行してたんだ。それもさ、本物の鬼が相手だったんだ。信じらんないよな? ほんの二週間前とはまるで別の世界に住んでるみたいだよ。妖怪退治もしたし、人間離れした術も使えるようになったんだぜ?」

 はは、と笑う。笑い飛ばそうとした。こうして自宅で母親と向き合っていると全部夢だったんじゃないかって、そう思えて。

「……そう。刀哉はやっぱりすごいのね」

 誰かが事情を説明したのか、それともそれなりに異能のことがわかっているからなのか、母さんは既に飲み込んでいるようだった。

「……ああ。なんか、そうみたいでさ」

 言葉につまってしまった。でも、言わなくては。自分の口から。

「あの、俺さ。今日、大天狗っていう相当強い妖怪と戦うんだ。そのために修行してきて他のみんなも強くなったけど、力を合わせても勝てるかどうかわからないくらい強いんだ」

 席を立ったまま、キッチンへも行きそびれた母さんはうつむいたまま、そうと繰り返す。

「けどさ、俺のこと庇って攫われた子を救い出すためだから。絶対に勝たなきゃいけないんだ」

 すると母さんはやっと顔を上げた。

「櫛木のお嬢さんね? 昔天狗隠しに遭った」

 やっぱり事情はわかってるんだな。

「ああ。俺を……いや、みんなを庇って自分から大天狗について行ったんだ」

 そう、と母さんは再び俯く。気まずい。

 なぁに、と急に刀尋が口を開いた。

「案ずるでない。刀哉は例え大天狗が相手であろうと負けぬ。必ずや攫われた娘を救い出し、生きて帰ってくる。拙者が保証しよう」

 なんか勝手に保証されたが。まあ、そういうことだ。母さんは顔を上げて笑顔を見せた。

「……もちろん。刀哉が負けるはずないじゃないですか」

 

 アパートを出た。自転車に跨って学校へと漕ぎ出す。休日だが俺は制服を着ている。黒根学園の制服は生地に呪力と防御術式が織り込まれており、着ているだけで怪異の影響をある程度軽減できるのだ……と、昨日聞いた。

 頬を撫でる風がいつの間にかすっかり春風になっていた。本来なら心が浮き立つ季節だ。みやを連れ戻し、絹先輩も退院して全員が揃ったら、どこかへ遊びに行きたいなんてボンヤリ考えているうちに学校へ到着した。土曜日だから門は閉まっているが守衛さんに開けてもらう。もし何か言われたらSNKの名前を出すつもりだったが、休日でも部活などで学校に来ている生徒も居るのだろう、あっさりと通してくれた。

 裏山に出て部室に到着すると、既に全員集まっていた。ナデシコ、天、滝先輩、石塚とさや。そして……

「久しぶりですね、刀哉君」

 そうだ。俺はこの人とも昔会ったことがある。長いこと封じ込められていた記憶の中、あのお屋敷で……

 柔らかな口調と笑顔、物腰だが巨大グループのトップに立つ人間のオーラというか威厳というか、自然と醸し出されるものがあって少し気圧される。みやの母親、櫛木玲佳だ。

「みやのために何度も危険な目に合わせて……本当にごめんなさい」

 と、頭を下げられてしまい恐縮する。その背後で石塚がこちらを睨んでいるのも気になる。

「いえそんな……こちらこそ、

 俺が言いかけるのを、いやいやと横からミニ侍が口を挟む。

「母君、どうぞ頭をお上げくだされ。櫛木の姫をお護りするのは水無藻の役目ですからな、むしろ謝るのは此方。不甲斐ない有様で申し訳ない限りです」

 またよくわからん事言い出したが、みやに助けられてばかりなのは確かだ。

「まあ、あの時のお友達が随分と立派になって……そう、貴方は昔の事もご存知なのね」

 櫛木玲佳はそう言ったきりで言葉を繋げようとはしなかった。考えてみれば、何か関係がなければ俺の能力を封じてくれと頼むのはおかしいもんな。相手は日本有数の名家で、俺の父さんは能力者で妖怪退治に関わってはいたけどそんなに大物ではなかったらしいし。

「さて、準備にかかりましょう。弓さんは私と一緒に……ああ、滝さん。貴女も手伝っていただけるかしら?」

 玲佳さんは颯爽と、という表現がぴったりな仕草で立ち上がった。お母様僕もお手伝いしますと石塚が名乗りをあげる。

 見ると、天は既に刷り終えた墨でお札を書き始めていた。テーブルに白紙の札が山になっている。あれだけ全部書くつもりなのか。

「結界の準備は既に始めてもらっています。十七時には完全下校にしてもらって、人払いの呪も展開しましょう」

 みんな何かしら仕事があるようだが、俺はどうしたらいいんだろう。

 俺の視線に気づいたナデシコが言う。

「水無藻は特にやる事がないから、夜まで好きにしていいぞ。ただし我々の作業の邪魔はするな」

 

 というわけで放り出されてしまった。部室の外に出ると森の中で何かやってる白衣の人たちを数人見かけた。きっと結界とか諸々の準備をしてくれているんだろう。

「さて、どうするかな……」

 時間を見るとまだ十一時前。完全下校時間にすると言っていた五時までに戻ればちょうどいいんだろうが……

 財布の中身を確認するが、豪勢なランチには程遠い金額しかない。そりゃそうだ、大して裕福でもない家庭のしがない高校生だし。

「どうじゃ、暇を持て余しておるのならどこかの剣術道場でも行って稽古をしてくるというのは?」

 いやそれ本気で言ってんのか。

「無論、冗談じゃ。戦さ前の武者など虚無なものよ。ただじっと座して陣触れを待つのみ」

 どこまでが冗談なんだよ。

「まあ、良いではないか。ここのところずっと戦い続けてばかりじゃ。敵が目前に居らぬのに気を張り続ける事もあるまい。暫しの休息としようではないか」

 刀尋が仕切るように言う。みんなが大天狗を迎え撃つ準備してるのにそれどころじゃないだろ、と言いかけて思い直す。確かに今自分に出来ることはない。それなら出番がくるまで休んで、英気を養っておくのが正しい時間の過ごし方なのかもしれない。

「そういう事じゃ。折角の余暇を楽しまぬ手はないぞ、刀哉」

 いきなり後ろから声がして振り向く。

「みや……じゃない、さや。お前もやる事ないのか」

 制服姿の銀髪美少女。ただし中身はそれなりに歳をとってそうな櫛木みやの先祖が立っていた。まあの、とか言いながら首をゴキゴキ鳴らしている。なんかちょいちょい仕草がおっさんなんだよな。

「儂はやる事がないなら当世の見物でもしたかったのじゃが、あの坊主……尊か。あやつは一体何者じゃ? いくら撒いてもいつの間にか後ろに立っておる。忍者のような奴じゃ」

 確かに妹センサーの感度高そうだもんな。

「何とか母親の手伝いで手が離せなくなった隙をついて逃げてきたわい。煩いお目付役が居ては楽しめぬからの」

 そりゃご苦労さん。

「さて、では行こうか刀哉」

 と、先に立って校門を出ようとする。

「ほれ何をしておる。儂は当世には不慣れじゃからの、お主に先導してもらわねば右も左もわからぬぞ? ほれ、あれじゃ……えすこうと、という奴じゃ」

 はいはい。どうせ暇つぶしするなら人数多い方がいいからな。

「じゃ、とりあえず駅に行くか」

 俺たちは学校前のバス停へと歩き出した。


「ほう、成程のぅ。代価を支払えば誰でも乗って移動できるという仕組みなのじゃな」

 バスの二人がけ席に並んで座ったさやは車内を興味深そうに見回して言った。

「なあ、お前って現代の知識は全くないのか。みやが拐われる前の事は知らないのか?」

 気になっていた事を聞いてみる。さやという人格はもともとみやの中に居たのか、それともみやの魂がなくなった事で現れたのか。

「ふむ、それはちいっと難しい質問じゃのう」

 顎に手をやって考えるポーズをとる。見た目が二次元ばりの美少女なので表情や仕草とのギャップがなかなかえげつない。

「元々、みやの中に儂は存在しておったんじゃ。それは確かなのじゃが、今のように明確な自分はなかった。体が空洞になって、それまで漠然としておったものがはっきりとして儂というものになったというか」

 じゃから、とさやは言葉を継ぐ。

「当世のすべてが見たこともないもの、という訳ではないんじゃ。先刻ばすに乗るぞと言われた時にも、ああバスじゃなと頭に浮かんだのじゃ。みやの見たもの聞いた事はボンヤリとわかっておるよ。そうじゃな……この体は今までみやが生きてきた事を全て経験しておるが、それを儂が理解できておらぬ、という感じかの」

 なるほどな。なんとなくわかった気がする。

「であればさや殿、ご安心召されよ! 拙者が貴女様のえすこうとを引き受けましょうぞ。刀哉に忘れられておる間も拙者は隣で見聞きしておりましたのでな。知識や経験は現代人と同じと申して差し支えはないかと」

 いや流石にそれは言い過ぎだろサムライのくせに。ていうかそうだ、俺は久しぶりというより姿がまったく変わっていて初対面にように感じていたが、こいつはずっと隣にいたんだ。きっと俺が見向きもしないのに何だかんだと意見したりしてたんだろうな。随分長いこと無視してきたのか、ちょっと申し訳ない気もするなと思っていたら耳打ち。

「刀哉はおなごの扱いに慣れておらぬゆえな、拙者に任せよ。大事なのは気遣いじゃ」

 とドヤ顔で言う。ああそうだよ。今まで彼女なんて居たことないからな。

 終点に着いた。この辺りでは最も大きな駅、都心からも電車が直通で通っているターミナル駅で周囲に店舗も多いので遊びに行くといえば中学の頃から定番のスポットである。

 とりあえず俺たちは『駅ビル』に入る。この名前は勝手にそう呼んでいるだけで、駅舎がビルになっているわけではなく駅の正面に地上八階、地下駐車場が二階という商業施設のビルが建っているのである。

 自動ドアをくぐって中に入る。一階は雑貨屋や服屋が多く並んでいる。わりと女子向けのフロアなので普段はスルーする階なのだが……

「どこか見てみたいところあるか?」

 隣の銀髪美少女に訊いてみる。何しろ気遣いが大事らしいからな。

 そうじゃな、と見まわしたさやは無防備な笑顔になって、

「正直、よくわからん。小物の扱い方はわからぬし衣服は身につけているもので充分じゃ。それよりも刀哉が普段行くところを教えてほしい」

 それならと俺はいつも通りエスカレーターに乗って階を上がっていく。

「……やっぱり目立つな」

 黒根学園の制服はブレザーのありふれたものだが、土曜日の駅ビルではやや目立つ。それに何より、隣のさやだ。二次元から抜け出てきたような銀髪美少女は、行く先々で注目を集めていた。

 五階でエスカレーターを降りる。

 そこはゲームフロア、その階すべてがゲーセンになっているのである。さやは正面にズラリと並ぶUFOキャッチャーの数々と、あちこちから聞こえるゲーム音にやや気圧されているようだ。みやもこういうところへは来たことないだろうしな。

「珍しいか?」

 こういう反応をしてくれると連れてきた甲斐があるなと思いながら訊いてみる。

「……ああ、うむ。そうじゃな。まるで見たことのない場所じゃ。これがげーせん、というものか」

 好奇心に瞳を輝かせて足を踏み入れるさや。

「刀哉、これらは何じゃ? これがゲームというやつか?」

 まあそりゃそうだ。ここにあるのは全部ゲームだからな。

「ほう! そうかそれは凄いな」

 テンションと共に声が大きくなるさや。いきなり現れた制服姿の銀髪美少女が浮世離れしたリアクションしているのに周囲の目が集まっているのがわかる。

 正直気恥ずかしいが、せっかく喜んでいるんだし人の目なんて気にして楽しめないのももったいないし、と開き直ってみる。とりあえず目の前のものから行ってみるか。

「ゲームってのはつまり、ここにある機械と戦う遊びみたいなもんだ。それで、この辺のやつは勝つとその中の物がもらえるんだよ」

 そうかそれはと再び感心するさや。何故かうむうむと自慢げに頷いている刀尋。

「どれか欲しいのあるか? そんなにうまいわけじゃないから取れるかわかんないけど」

 おお、戦利品を選んでから勝負を挑む形式なのじゃな、と景品の品定めを始めるさや。そうしていると普通の女の子に……いや、見えねえなやっぱり。

「これ! この人形……ええとぬいぐるみ、というのじゃったな? これは倒せそうか」

 いや倒さんが。これこれと目を輝かせて指さすのを見ると、小さなキツネのぬいぐるみだった。特に何かのキャラクターというわけでもなく、置いてある場所から言っても取りやすい景品だ。

「これか、よし任せとけ」

 正直、長期戦になると軍資金が心配だったので気が楽になった。コインを投入してクレーンを操作する。

「おお、この機械を動かしておるのか」

 さやがガラスにへばりつくようにして言う。

「うむ、獲物をつかみどるゲームであるゆえな。 ……さや殿、少し離れられよ。そこな注意書きにも書いてあろう」

 おお、これは失礼したとガラスから離れるさや。ちなみにクレーンはキツネにかすりもしなかった。

「一回目はまあ、様子見だからな」

 負け惜しみに聞こえないように気をつけつつ、次のコインを入れる。

「そのボタンで操作するのじゃな?」

 ガラスから離れたさやは、俺のすぐ後ろに回って見物を始めた。

「ほうほう、それで横に……そして奥へ……なるほどのう」

 背中に貼り付いて俺の体の横から顔を出して熱心に。完全に幼児の反応を二次元級の美少女がやっているので周囲の視線が今やハッキリとわかるくらいに集まっている。

 ……意外と難しいな。キツネが軽すぎてうまくつかめん。

「どうじゃ刀哉、首尾はどうなのじゃ?」

 背中のさやが期待のこもった声で訊く。無言で注目しているギャラリーも居ることだし、こうなりゃ意地でも取るしかねえな。

 それから二回、三回……とトライするが俺の操作するクレーンは小さなキツネをつかんでくれない。

「……どう、かの? 無理なら儂は別に」

 さやの声のトーンが下がってきた。俺もちょっと無理なんじゃないかって気がしてきていた。

「何を言うさや殿! 刀哉は一度口にしたことは必ず成し遂げる男でありますぞ。必ずやお望みの品をげっと致してみせましょう」

 拙者が請け負いますぞ、と勝手に刀尋がうけおいやがった。

「刀哉、本当に無理なら儂は……」

 と、俺の袖を引くさや。そんな事言われて引き下がれねえだろ。俺は次のコインを投入する。

 どうも、クレーンのアームとぬいぐるみの角度が良くない。つかんだと思ってもバランスが悪くて持ち上がらないのだ。

 さっき両替してきた小銭でできるのはあと二回。一応まだ金はあるが、これでもう一度両替に行くのもムキになっているみたいでカッコ悪い気もするな……と、アームがキツネを引っかけて少し浮き、位置がずれた。これは、いけるんじゃないか?

 俺は最後のコインを入れた。無心でボタンを操作する。アームがキツネのぬいぐるみの下にもぐりこみ、しっかりとつかんだ。

「おお、上がった! これで良いのか刀哉?」

 背中で興奮しているさや。そのまま来い、キツネ!

 小さな、なんの変哲もないキツネは鉄の腕につかまれたまま宙を泳ぎ、賞品取り出し口へ。

「……っしゃ!」

 思わず拳を固める俺。かがんで景品を取り出すさや。

「これで、これはもらっても良いのか?」

 両手で大事そうに小さなキツネを持ったさやが上目遣いで訊く。

「おう、もうお前のものだぞ」

 俺は誇らしい気持ちで言う。今までUFOキャッチャーで取れた景品の中で一番嬉しかったのは間違いないな。

「かたじけない……有り難う! 有り難う刀哉!」

 ギュッとぬいぐるみを胸に抱きしめて言うさや。超絶な美少女がやるとまるでグラビアのようにサマになっていて、正直思わず見惚れてしまった。

 パチ……パチ……誰かが始めた拍手が周囲に拡がっていき、盛大な祝福になってしまった。何人かスマホを向けている人が居るのが気になる。

「とにかく、出よう!」

 さやの手を引いてゲームフロアを出る。大歓声が俺たちを包む。頑張れよ、とか幸せにな、とかいう声に見送られて俺たちは下りエレベーターへ。

「参ったな……とりあえずどうする? 腹減らないか」

 振り返って訊いてみるとさやは目を丸くした。

「それは……あれか? 飲食店で食事をしようという誘いなのか? そうなのじゃな?」

 いやどんだけ食いついてくんだよ? そうだよ!

「あれじゃな、買い食いというやつじゃな! 櫛木家は一切そういうものをさせないからのう、みやも知識だけはあって憧れておったんじゃ」

 へえ。いかにもお嬢様って感じだな。

「……そうじゃ。みやはそういう、本やドラマに出てくるような普通の遊びがしてみたかったんじゃ。だが、母親に逆らってまでそうしたいというわけでもなく……。一緒に冒険をしてくれる相手もおらず……そうじゃ。そうじゃった」

 おいおい大丈夫か。

「すまんの。これはみやも望んでおった事なんじゃ。先に儂がやってしまって申し訳ない気もするが……いやこの体に経験させておくのはみやのためでもあるか……」

 どうすんだ、メシ食って大丈夫か。

「……ん。大丈夫じゃ。して、何を食べるのじゃ?」

 なんか吹っ切れたように笑顔になるさや。

「それはまあ」

 エレベーターが一階に着いた。そこからフロアの奥の方へ行くとファーストフードの店が三つある。ハンバーガーとフライドチキンと牛丼という、日本を代表するチェーン店が勢揃いだ。

「好きなもん食えばいいんだよ」

 

「さて、どうする? まだ時間あるよな」

 二人でハンバーガーとポテトを食べ終わって、訊いてみる。ちょうど一階にいる事だし、駅ビルを出てもいいかなと思いつつ。正直、もう帰りのバス代くらいしか残っていないのであとは散歩とウインドウショッピングくらいしかレジャーの選択肢がないのだ。

「……あれ」

 フードコートの壁面にかかったポスターを指さすさや。見ると、このビルの七階のシネマで上映中の映画である。

「お前って動物好きなんだな」

 映画は子猫と子犬の冒険みたいな内容らしい。タイトルも聞いたことないけど、原作は百万部突破のヒット作だそうだ。聞いたことないけど。

「駄目か? ここで観られるのじゃろ?」

 いやそうなんだけどさ……俺はこういう時にちゃんと正直になれる男だ。ていうかアレだ。ない袖は振れない、って昔の人も言っていた。

 するとさやはニヤリと笑って、任せておけとクレジットカードを取り出す。

「これがあれば支払いができるのであろう? みやの物じゃが、儂は血族、つまりは家族じゃからな。使うのに支障はあるまい」

 ヒラヒラと金色のカードをひけらかすさや。どこで覚えたのかウィンクのおまけ付きで。

 懐具合を気にしなくて良くなった俺たちは再びエレベーターで上階へ。


「……や。刀哉、終わったぞ。いい加減に起きるのじゃ」

 肩を揺さぶられて俺は覚醒する。

「おお、完全に寝てた……もう終わったのか」

 劇場内は明かりがついてスクリーンには何も映っていない。見まわすと客も俺たちしか残っていなかった。

「見ての通りじゃ。 ……つまらなかったか?」

 バツが悪そうな顔で訊くので答えにくいが、そもそも開始してすぐに記憶が飛んでるから面白かったかどうかも分からん。

「……そうか。まあ、疲れておったからの。仕方ない」

 やれやれと笑顔を見せるさや。

「拙者は堪能しましたぞ! 特にあの、猫が餌を奪われる場面は思わず……」

 なんか興奮して語り出す刀尋。

「あー、もう出ないと怒られるな」

 めんどくさいので放っておく事にした。ロビーを抜けて外へ、

「……おい」

 映画館を出たところで鬼の形相の石塚が待ち構えていた。

「水無藻……なぜ電話に出ない」

 え、とスマホを確認するとメッセージも通話も鬼のように着信していた。

「いや、映画館の中だから……ていうか寝てたし」

 はあ、とため息をつく石塚。

「ご先祖。アンタもみやの体であまり目立つ行動は控えてくれ。妹はこの国にとって大事な存在なんだ。嫁入り前に妙な噂がたっても困る」

 何の話だ?

「お前たち、ここのゲームコーナーで楽しんでいたらしいじゃないか。SNSに写真がアップされていたぞ」

 マジか。見せてくれと言ったら、もう削除させたという返事。

「まあ、それはいい。とにかく行くぞ。もう時間だ」

 スマホで確認するとまだ三時過ぎだ。

「儀式の開始が少し早まりそうなんだ。星の巡りの都合らしいが、僕にはよくわからん」

 急いで地下駐車場へ。石塚の車で学校へと戻る。既に生徒や職員は全て帰宅させたらしい。裏山に入ると、明らかな違和感があった。

「これは……相当な結界じゃな」

 さやが少し表情を歪める。僕は専門外だが、と前置きしてから石塚が口を開く。

「現在構築可能な最高強度の結界らしい。裏山の敷地全てを結界で覆って、上に向けてだけ効力を弱めてある状態だそうだ」

 上に……そうか、天狗を落とすためにか? 俺は裏山の木々の隙間から空を見上げた。まだ時間は四時前だから明るい。雲ひとつない青空である。

「水無藻、戻ったか。滝と天……は手が離せないか。じゃあ滝とだけでも手順の確認をしておけ」

 部室近くまで来ると、真っ白な着物を着たナデシコが何やら作業をしながらそう言った。

 手が離せないという天は、人間の背の高さくらいある巨大な紙に向かっていた。同じく巨大な硯で墨を一心に磨っている。傍には両手で抱えるくらいの大きな筆。

 なんかああいうの見たことあるな。お坊さんが年の終わりに書くやつ。

 水無藻くん、と滝先輩が近寄ってきた。

「天さんが今から書くのが今回の肝になる言ノ葉です。あれが」

 天はこちらを見もせず、ただ一心に墨を擦り続けていた。

「成功するかどうかが勝負を分けるかも知れません」


 やがて準備が整い、白装束の玲佳さんとナデシコが儀式の開始を宣言した。あたりは少し陽が落ちはじめた頃合い。部室近くのスペースに設営された護摩壇に火が焚かれた。

 二人はその炎の前に並び、両手を様々な形に組み替えて呪文のようなものを唱え始めた。

 オン ア ビ ラ ウン ケン バザラダト バン オン ア ビ ラ ウン ケン バザラダト バン……

 延々と、一定のリズムで唱えられるそれに、ナデシコの振る鈴の音が混じる。

 独特の節をつけて、歌うように唱えられるそれは何度も何度も繰り返された。聴いているうちに段々と不思議な気分になってくる。いつしか皆が無言で燃え盛る炎を見つめ、呪文のような言葉のリズムに身を任せていた。やがてそれは最後の局面を迎える。

「遥かな果てに座すお方に奏上す。今、地と天を繋ぎ給え。人ならぬものを人の世へ。天の狗をこの地へ…… オン ナラカ スカーヴァティ ソワカ ……堕天!」

 その言葉と共に護摩壇の火が勢いよく空に向かって噴き上がった。大地から天を射抜くように高く、高く。薄雲を貫き、遥か上空まで一直線に炎の柱が伸びる。

 そして一瞬の後、天に向かって噴き上げていた火柱は夜空に残像を残して消え、辺りは真っ暗になった。

 炎に焼き尽くされたかのように星明かりも全てなくなった。真の闇である。すぐ目の前に何かあってもわからないくらいだ。

 遠くから何か聞こえてきた。唸るような、低く響く不安を煽る音……それは段々と大きく聞こえてきた。

 段々と、段々と……それは確実にここへ近づいてきつつあった。ジェット機のエンジン音に似ているが、それよりももっと低い、音というよりも低周波の振動そのもののような、それでいて耳障りな高音が混ざっているような、とても不吉な音だった。

 やがて空に星あかりが再び灯った。青白い月も見える。空から響く不吉な震動音は時間と共に大きくなっていく。

 更に時が過ぎ、今やその音は轟々と付近に響き渡り、その姿もはっきりと見えていた。それは真っ暗な闇夜を切り裂いて大地へと堕ちてくる巨大な、真っ赤な流星だ。

 まだかなり離れているのに俺たちのいる裏山が明るくなってきた。夕焼けにドス黒さの混ざったような不吉な赤い光。刻々と近づいてくるそれを俺たちはただ見上げていた。

 白装束のナデシコと玲佳さんは儀式を終えた疲労からか身を寄せ合うようにして座り込んでいる。

 そして、この状況でも天は集中力を途切れさせずに言ノ葉を綴り続けていた。奴が現れるまでに書き上がるように、額に汗を浮かべて、周囲の状況にも構わず一心に。

 更に、轟音とドス黒い赤い光が近づいてきた。

「刀哉、準備は良いな?」

 さやが言う。振り返ると石塚も決意を込めた目でこちらを見て無言で頷く。

「水無藻くん、決めておいた通りに。相手に反撃の隙を与えずに行きましょう」

 滝先輩が妖刀に手をかけて言う。堕天の影響で大天狗の力は少し弱まるはずだが、俺たち三人のレベルアップを計算に入れても、勝てるかどうかはわからない。まずは先手必勝で一気に畳みかける。それで少しでも勝機が生まれるかもしれない。

 その勝機とは、俺が大天狗のすぐ近くまで踏み込むことだ。そして刀の届く距離まで迫って奴の仮面を叩き割るのが目標である。倭先生曰く、

「大天狗は君を視核持ち、と言った。刀哉君が核を視れる存在とわかっていたんだ。そしてその上で仮面で顔を隠して現れた。つまり、そこに隠したいものがあるという事だ。視核持ちの君から隠すものと言えば?」

 つまり、仮面の下に大天狗の核が隠されている……。

『そういう事じゃな』

 頭の中でさやが言う。墓場の時を思い返してみても、大天狗の核は見当たらなかった。あの仮面で隠していたのだとすると辻褄が合う。

「刀哉!」

 刀尋が飛んでくる。手を伸ばし、俺が念じるとひと振りの刀に。

「いつでも来い!」

 俺は腹に力を込めて声をあげる。瞬間、目の前が真っ白になった。一瞬遅れて、ずっと響いている轟音とは別に、すぐ近くで地面をビリビリと震わせるような爆発音が響いた。

「な、何が……」

 不意をつかれて混乱する。大天狗はまだ堕ちてきていないのに何があった?

「会長!」

 ナデシコの声に目をやると、まだはっきりしない視界の中櫛木玲佳が倒れているのがわかった。白装束が黒焦げになって、彼女自身もひどい火傷を負っているようだ。

「これは……」

 落雷だ。雷が彼女を襲ったのである。しまった、大天狗に気を取られて他を見ていなかった。俺が先見していれば避けられたかも知れないのに……

「会長! しっかりして下さい」

 ナデシコが玲佳さんを抱き止めて呼びかける。

「ええ……私は大丈夫です。代償としては小さすぎるくらい……刀哉くん、自分が見ていれば、と思っていますか?」

 こちらの心を読んだような事を言う。俺が曖昧に頷くと彼女はゆるゆると首を振って、

「これは……避けられるようなものではないの。人の身で堕天を行なうという事に対する罰のようなもの。たまたま落雷した訳ではないのです」

 そうしてナデシコに視線を戻す。

「弓さん、私のことはいいから皆をしっかりサポートして。もう、堕ちてくるはずです」

 みやの身体を背負った石塚が母親に駆け寄る。

「お母様……大丈夫、外傷だけです。任せてください」

 と、手をかざして何やら唱えはじめた。

「付け焼き刃ですが僕も簡単な回復術式を覚えました。生徒たちがこちらを気にしなくてもいいようにしますから」

「尊……ありがとう。あなたは本当に優しいお兄ちゃんね」

 母親に笑顔で頷き、石塚はこちらへ声をあげる。

「さあお前たち、こっちは大人に任せて思い切りやれ! いいな。全員で生きて帰るんだ!」

 ナデシコがみやの体を代わりに抱え、同意するように頷く。

 先見の能力が発動している俺にはもう見えていた。もうすぐだ。天が特大の言ノ葉を完成させてよし、と呟いたすぐ後に……

「よし」と満足げに天が筆を置いた。大地を震わせ続けている轟音が更に大きく近づき、そして。

 ……もっと派手な衝突音とかがあるのかと思ってた。

 意外にも、ごく当たり前の様子で学校の裏山、俺たちの目の前に立っていた。

「……堕天。不敬な」

 白装束に黒い仮面。長い黒髪の男の姿をしたそいつは、辺りを見まわして不愉快そうに呟いた。

 大天狗。かつてこの国の頂点にいた男、自分の使用人を虐殺して魔道に堕ちた男。そして自分の子孫である櫛木みやの魂を拐った、俺たちの敵。

 子供の頃、初めて邂逅した時にはいきなりだったし、こちらには見向きもせずにみやを拐っただけなので、正直なんとも思わなかった。二度目、墓地に現れた時には桁違いの強さを思い知らされ、あとほんの少しで殺される目に遭った。

 そして三度目。今、相対しているそいつは前回ほどには恐ろしさは感じない。桁外れの強さは分かるのだが、自分達と比べて決して絶望するほどの力の差があるようには思えない。

 きっと勝てる。そう思った。そう、絶対にみやを取り返す。

 手筈通り、隣の天が動いた。ついさっき完成した言ノ葉、人の背ほどもある大きさの台紙に書かれた『封』の文字が青白く輝く。まさかこれで大天狗を封印できるとは考えていないが、奴の能力や攻撃のいくつかでも封じることができれば、という言ノ葉。つまりデバフだ。

 どの程度効果があるのか……天が相手の様子を観察している。

「……効いてなくないか?」

 俺の目には弱っているように見えない。

「……よし」

 小さくつぶやく天。いや、よしじゃないだろ。

 天は無言で宙に指を走らせる。比喩じゃなく目にも止まらないスピードで、両手を駆使して↑を次々に書きまくる。

「いけっ!」

 数えきれない程の矢印が雨あられと大天狗に降り注ぐ。相手に構える隙も与えない先制攻撃。

 どうだ? 前回の戦いで大天狗が力を使うときにいつも手を動かしていたことから、能力発動のためにその動きが必要なのではないか、という仮説に基づいた攻撃。相手の手の動きが追いつかないくらいのスピードで攻撃するという戦略だ。どどどどどどど、と音を立てて無数の矢印が大天狗を覆い隠した。

 振動、舞い上がる砂埃で視界が遮られる。どうだ、少しでもダメージは与えられたか……?

 いや。

「避けろ、天!」

 先見で未来を見た俺が叫ぶ。

 砂埃で視界の遮られた所から一直線に天に襲いかかる大天狗。天はすぐに反応して身を翻すが間に合わない!

「抜刀!」

 滝先輩が無銘の妖刀をいきなり引き抜いて間に入り込む。大天狗の攻撃を受けるのではなく、フルスイングで横払いに相手の手刀へ攻撃をぶつけていく。

 低く重い音。人間離れした攻撃力同士がぶつかり合い、一瞬の閃光を生む。

「これが無銘の妖刀の本来の力か!」

 ナデシコが驚きを隠さずに叫ぶ。呪力の弱い、離れた所に居る彼女でもはっきりと感じ取れる程の力だが、実はこれは妖刀の力をそのまま解き放っているわけではない。

 山中の修行で妖刀の力を解放しなければならなくなった時、力が抑えきれずに暴走してしまう事を恐れた滝先輩は、刀の呪力を自分の中に取り込んでから放出するようにした。

 つまり、彼女自身が妖刀のリミッターになったのだ。妖刀の力が強くなる程に彼女の負荷が増え、度が過ぎれば命に関わる。つまり、妖刀が暴走するのを命がけで止めているのだ。

 現在も無銘の妖刀の膨大な力は彼女の身体を通して放出されている。人間がまともに扱えるような呪力ではないので、常に過負荷、オーバーロードの状態で戦っているのだ。あまり長引くと自殺行為になる。だからこそ何とか早く、俺がヤツの懐に飛び込める隙を見つけないと……

「きええええええええい!」

 滝先輩が気合を込めて大天狗へ斬りかかる。

「……闇の力。まだ弱い」

 大天狗が手をあげ、空を握り潰すようにすると、妖刀から勢いよく溢れ出ていた禍々しい呪力が弱まった。そして握った手はそのままに、もう一方の手で何もない空間からいきなり刀を引き抜く。

「大天狗の刀……! 使用人を皆殺しにして人間から大天狗、魔王へ成ったというあれか! 気をつけろ、どれ程の呪力を持っているかわからんぞ!」

 明らかに力の弱まった妖刀を再び構え、大天狗へ向き合う滝先輩。

「援護します!」

 あらかじめ用意しておいた『攻』の札を、手早く書いた↑の言ノ葉で加速をつけて撃ち出す。連続で四枚。

 四方向から飛んできた言ノ葉を大天狗は片手で刀を振るって簡単に打ち消した。

「まだまだ!」

 更に四枚の札を飛ばす。そして無数の矢印を再び宙に書き出して絨毯爆撃を加える。その一斉攻撃が当たる寸前に、

「破ッ!」

 と、鋭く叫んだ口頭の言ノ葉が正面から大天狗を襲う。言ノ葉を編むのが遅かった彼女が修行で得たものの集大成、フルセットだ。ギリギリ文字として認識される矢印の言ノ葉を高速で書き綴る事で手数を一気に増やし、更に口でも言ノ葉を編む。質より量に振り切った攻撃である。

 先程から見ていてもやはり大天狗が自分から離れた場所に力を及ぼす時には手の動きが必要らしい。こちらの攻撃に対処するのに手を使わせれば相手を防御に専念させることができるかもしれない。

 そこへ滝先輩が斬り込んでダメージを与えられれば……。天の攻撃が当たるや否や彼女は妖刀を構えて一気に突っ込む。

「だめだ! 滝先輩、退いてください!」

 即座に後ろ跳びに大天狗との距離を取る先輩。でもそこじゃまだ危ない!

「……っしゃあ!」

 俺は思い切り飛び込んで刀を振るう。大天狗が一直線に彼女に斬りかかる軌道上に切先がギリギリ届くように。察した大天狗は足を止めた。

 危なかった。あのままだったら大天狗の刀が滝先輩の首を……

 いやいや。俺は首を振って回避された未来の映像を打ち消す。

 それにしても……

『まったく攻撃が通じぬな』

 頭の中でさやが言う。ここまで俺たちは大天狗を相手にほぼ互角の戦いをしている、と言えるだろう。正直、自分でも信じられないほどの善戦だと思う。が、ほんのちょっとの事でこの均衡は崩れてしまうはずだ。それこそ、誰かが一撃を喰らったらそれで一気にやられる、という事もあり得るだろう。それ程に危うい拮抗状態だ。

「なあ刀尋、お前弓とか銃とか遠隔攻撃できる武器にはなれないのか?」

 俺は日本刀にフォームチェンジしている刀尋に訊いてみる。今のように接近戦になると、先見で相手の動きが予知できたとしても危険が多すぎてなかなか踏み込めない。離れたところからの攻撃ができれば威嚇にもなるだろうし、相手の隙を作ることができるかもしれない。

『この姿は拙者が決めたものではない。お主が望んだのが刀であった、という事よ』

 何だよ融通利かねえな。

 大天狗が周囲を見回し、何かを呟いた。その声に呼応したように周囲に悪意の塊のような力が充満していく。墓場の時と同じ手段で俺たちを弱らせようって事か。

「甘いぞ、前回のデータから計測した妖力の傾向に合わせて打ち消すための反転術式を敷地内に展開してある! 同じ手は二度食わん!」

 勝ち誇ったように言うナデシコ。だが、すぐに立ちくらみしたように膝を折った。

「う、嘘だろ……? 確かに術式は働いているはず。前回よりも広い上に、元々呪力濃度を上げていたわけでもないのに」

 石塚と玲佳さんも苦しげな表情だ。

「大丈夫か副顧問」

 おや、と石塚はちょっと笑顔になった。

「僕を心配してくれるんですか。珍しい」

 ナデシコもつられて少し表情を緩めた。

「馬鹿が。お前が倒れたら会長が心配だろうが。 ……おい皆、大丈夫か」

 と、こちらに声をかけるが正直俺は何ともない。天と滝先輩も平気そうだ。

『これも修行の成果じゃな。以前のお主らとは別人よ』

 さやが誇らしげに言う。大天狗はそんな俺たちに視線を向けるが、その目には何の感情もこもっていないようだった。

「なるほど遠隔攻撃ですね……天さん、ニ秒時間を作ってください!」

 滝先輩が腰の鞘に納めた妖刀を構えて叫ぶ。大天狗から離れた位置で居合いの態勢をとる。

「了解!」

 大量の矢印を撃ち込む天。大天狗はうるさそうに刀を振って払う。

 滝先輩が居合の構えで高めた呪力が鞘の中の刀から溢れんばかりになっている。

「居合……抜刀!」

 引き抜いた刀から呪力の塊が一直線に飛ぶ。人間の視力で捉えられるかどうかの速度で飛んだそれを大天狗はギリギリでかわした。

 そこへ天の矢印が追い討ちをかける。滝先輩が再び刀を鞘に納めてすぐに引き抜く。

「抜刀!」

 第一波よりは威力も速度も低い。再び大天狗は身をかわす。滝先輩は刀を反対に振り、かえす刀でもう一撃、居合でない分弱いが第三の攻撃が放たれる。

「……!」

 大天狗は刀で打ち消す。ギリギリのタイミング、もう少しで当たりそうだったのに!

 刀をぶんと振り、大天狗は不快そうに眉を顰めた。

「……堕天を解け」

 直接戦っている俺たちの後方、ナデシコに向けて声をあげた。大天狗は今、堕天の術でこの地に縛りつけられている状態である。多少なりとも力に枷をかけられており、自由にこの場を離れることもできない。

 そんなデバフをこちらが解除するわけもなく、黙っていると大天狗はどこからか透明の水晶玉のようなものを取り出した。その中に、何かが……

「みや!」

 石塚が叫ぶのに、改めて見ると球の中に胎児のように身をかがめた小さな人の姿が……長い銀髪が水の中のようにふわりと揺れた。

 てかどんだけ目ざといんだ石塚。

 すると大天狗はその水晶玉に刀を突きつける。おい、まさか……

「ふざけるな! お前はみやを……子孫を近くに置きたくて拐ったんだろうが! それを自分の都合で人質にするのか!」

 怒髪天を突く勢いで叫ぶ石塚を大天狗は一顧だにしない。その視線はただナデシコを見ている。櫛木玲佳が倒れてしまっている現在、儀式を行なったもう一人の彼女が堕天の効力を解くことができる唯一の人間なのだろう。

「……わかった。すぐに反転術式を組もう。ただし、堕天を解いたら櫛木みやは解放してくれ。貴様が黙ってこの場を去るならこちらは何もしない。いいな?」

 と、何枚か札を取り出す。手伝ってくれ、と言われた天がナデシコのもとへ。俺と滝先輩は刀を構えて大天狗に油断なく視線を配る。

 ……え?

 俺は必死で声を出すのを抑えた。自分が今、先見で見たものが信じられなかった。何故だ? 何故そうなる?

 天とナデシコがいくつかの札を使って何かをやっている。その度に場の呪力のバランスや濃度が変わっていくのがわかった。

 そして天が取り出した札、そこに書かれているのは『解』。

「大いなる和の名の下に命ずる。場の封を解き、その姿を暴け……解封!」

 天の言ノ葉と同時に目もくらむような輝きで全員の視界が奪われる。

 そして輝きが収まった時、大天狗の腹を赤い光の矢が貫いていた。

 大天狗の顔に感情が表れている。それは、驚愕だ。ヤツにもまったく予想できなかった事だったらしい。俺がさっき先見で視たのがこの光景だったのだ。大天狗の背後から呪力の矢で攻撃できる者なんていないはずなのに……

「やっと借りが返せたーっ! ふっふっふ。最後の切り札はこの美少女ってワケ!」

 朱塗りの弓を持った小柄な制服姿の女子がさも嬉しそうに言う。

 絹先輩? いつの間に……それにどうやって矢を?

「ついでにもう一発くらえ!」

 空中に現れた赤い矢を口でくわえて弓につがえ、そのまま口で引く。またも命中。

 ……そうか! 封の言ノ葉。あれは絹先輩を隠すためのものだったのか?

 ええ。と、してやったりの表情になる天。

「封をして見えなくしたのです。巴先輩にも極力気配を殺してもらって」

 ……けど、俺にも隠す必要あったのか?

「刀哉に先輩が見つからなければ、大天狗にも通用するのではないかと」

 なるほどな。

 とにかく、今が最大のチャンスだ。一気に行くぞ!

 天の矢印が大量に大天狗へ降り注ぐ。

「居合、抜刀!」

 滝先輩の抜刀ビームが大天狗を貫いた。

「今です、水無藻くん!」

 滝先輩の声を聞く前に俺は大天狗めがけて全力で走り出した。人間離れしたスピードで周囲の景色が後ろへ吹っ飛ぶ。こうなると先見もクソもない。俺の目に見えるのは倒すべき相手、大天狗のみ。

 難攻不落に思えたそいつは、体にいくつも傷を受けて満身創痍の状態だ。真正面から襲いかかる俺に対してゆるゆると刀を構えて対処しようとする。

 俺は全力疾走の勢いのままやつの刀を弾き飛ばした。宙に飛んだそれは派手にグルグルと回転して地面に突き刺さった。

 丸腰になったヤツの頭めがけて思い切り刀を振りおろす。鈍く低い音と共に大天狗の仮面が割れ、素顔が露わになる。切れ長の黒い瞳と目が合った。

「視たぞ、大天狗……いや」

 俺は奴の目を真正面から見て、言ってやる。あらかじめ教わっていた、かつてこの国の頂点の座にいた、そしてそこから蹴落とされ踏みにじられた男の忌み名……死後に送られる決して口にしてはいけないその名を。

 前もって預かっていた札を取り出してかざす。男の忌み名が記されたそれは青白く輝き、そして一際強く輝いて消えた。

「それは……その名は……違う……我は魔王、大天狗……」

 弱々しく呟くその言葉はまるで断末魔のように虚しく響いた。

 核である素顔を暴き、忌み名を言ノ葉で強制的に相手に送るというのは、大天狗となる前の人間に戻して死後に送られる実の名、忌み名で人としての生がすでに終わっていることを認識させる事、なのだそうだ。

 大天狗は一瞬苦悶の表情を浮かべ、そしてそのまま消えた。

「やった……やったぞ!」

 感極まった様子でナデシコが声をあげる。

「みや! おい、やったぞみやが目を覚ました!」

 石塚が興奮した声をあげる。その言葉通り、みやがゆるゆると頭を上げていた。さやは俺の中にまだ居るから、さっきの球の中の魂が体に戻ったという事なんだろう。

 良かった、本当に良かった。……はずなんだが、俺はその時言いようのない不安にとらわれていた。

 なんだ? 何かがおかしい。強烈な違和感。

「どうしたのですか刀哉? 大天狗は完全に消滅しましたよ!」

 天も笑顔で近寄ってくる。そうなんだ、そうなんだが……

「そうか、先見が発動してない……さや、どうした?」

 視界がいつの間にか正常に戻っていた。

『流石に儂も疲れたようじゃの……そろそろお別れなのかも知れぬ』

 弱々しい返事が返ってきた。みやの魂が拐われた事で現れたさやは、みやが帰ってきた事で何か影響があるのか? まさか消える、とか?

 それにしても、先見がなくなったら違和感覚えるなんて、特殊能力に馴染みすぎだろ俺。

『……ふふ、そうじゃな。それほど馴染んでおるのなら、もうあの体に儂の居場所はなさそうじゃし、このままここに居候しても良いかの?』

 冗談めかしているが、本当に消えてしまいそうな声でさやが言う。消えるのも嫌だが、居候も勘弁してほしい。

「おお、それが良かろう! 歓迎するぞさや殿」

 ミニ侍フォームに戻った刀尋が声をあげる。勝手に決めんじゃねえよ。

「やりましたね、水無藻くん!」

 滝先輩も笑顔で妖刀を鞘に納める。

「さて、これを回収しなければな」

 地面に刺さった大天狗の妖刀に目をやってナデシコが言う。持ち主が居なくなったのに未だ禍々しい魔力を放出している。

「これは……超弩級の呪器になるな。私でもわかるくらいの代物だ」

「先生、危険です。私が」

 妖刀遣いの矜持か、滝先輩が名のりでる。

「念のため、言ノ葉で封印してから回収しますか?」

 天が言うが、いやもう休んだ方がいいだろうとナデシコが妹をいたわる。

 俺は気が抜けたような、それでいてどこか座りの悪い気分でそんな三人を見ていた。離れたところでみやが完全に身を起こして石塚が大丈夫かとか声をかけるのにぼんやりとした様子で応えている。無事で良かった、と思う。

 ……待てよ。やっぱりおかしい!

 滝先輩が慎重な手つきで妖刀に手を伸ばす。まずい!

「ちょっと待って!」

 俺は彼女を止めようと一歩踏み出した。

 その一歩でヤツの射程距離に入ったらしい。

 くそ、狙いは俺だったか……

 刀から強烈な妖力と共に何かが流れ込んできた。

 ……そうだ、俺は大天狗の仮面の下に核を視ていない! そして今も強力な妖力を発して光り輝いている刀。もっとも強く輝いている力の源のような……これが、核だったのだ。

 そもそも、大天狗になる前の男がどこからともなく取り出した刀、その存在自体がこの世の理から外れたものじゃないか。大天狗がその力で作り出した刀なのかと思っていたが、逆だったんだ。刀が男を大天狗に変えた。つまりこっちが本体……でなければ大天狗が消えた後もこんなに力を持っているのはおかしい……と今更気づいても遅過ぎる。

 核を隠すための仮面ではなく、核が体のどこにもない事を隠すための仮面だったって事か。

 くそっ……

 一気に大天狗が俺の中に流れ込んできた。

 まずい、乗っ取られる! 俺の意識に大天狗が自分を重ねて上書きしていくような不穏な感覚。自分がじぶんでなくなってしまいそうな底抜けの不安に囚われる。

 嫌だ! 嫌だ!

 ……嫌だ……嫌だ……誰も私をみてくれない……

 なんだ、これ? 大天狗の意識……? いや、これは魔道に落ちる前の……

 ……帝、政の駒、血筋、政敵、館の主人、貴人、謀叛人……

 違う! 違う! 私は私だ! 誰も私を見てくれた事などない、実の母でさえ私を単なる道具としてしか扱わなかった!

 誰も……誰も……理解どころか見ようとすらしてくれなかった!

 私は……私は……

 俺が考えているのか、大天狗が考えていることなのか、それとも他の誰かの思考か。ひどくぼんやりとしてわからなくなってきた。

 このまま、誰だかわからなくなるのか。

 俺は……私は……だれだ

『大天狗様……いいえ、父上』

 聞き覚えのある声がした。何度も頭の中で聞いたその声、さや。

『もう止めて下され。刀哉には何ら咎なき事。父上の傍には娘のさやが参りましょうぞ』

 やめ……やめろ、また俺のために誰かが犠牲になるのはゴメンだ。

『何を言うておる。儂は大天狗の娘じゃ。むしろ迷惑をかけておるのはこちらよ』

 それで……いいのか。お前はそれで……せっかく仲良くなれたのに

『ありがとうの、刀哉。現世は楽しかったぞ。なあに、刀には鞘が必要ということよ。収まるべきところに収まれば、世は全て事もなし……お主たちが安らかに過ごせるのならば、それに勝る喜びはない……さらばじゃ』

 頭の中に溜まっていたものがスポンジか何かに吸い取られていくような、現実にはあり得ないような不思議な感覚。

 ただ単に異物がなくなったと言うだけでなく、何かが変わったような、何も変わっていないような……脳みそが赤ん坊の時までリセットされたような感じすらした。

 ゆっくりと、目を開けた。


 すべてが、終わっていた。大天狗も妖刀も、さやも居なくなっていた。

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