三章「狂骨/がしゃどくろ」
目を開くと、知らない天井が見えた。白く清潔だが無機質さを感じさせる、よそよそしい天井。どこかで似たものを見た事があるような……あれは、そうだ。父さんが事故に遭ったって聞いて駆けつけた病院の……。
頭の奥の方が痛んだ。
「……つっ、頭いてえ。どこだここ?」
頭を押さえながら体を起こす。白を基調にしたシンプルな室内、開いた窓から日差しが射しこんでいる。やはり病院だ、と確信する。ゆるゆると体育館でのバトルの顛末を思い出す。確か、一匹倒した後にマズイことになったんだった。
「病院です。呪力を使いすぎて意識を失ったので運び込んで時間外で診察をしてもらいました。点滴で栄養補給はしたので、休息をとれば大丈夫だろうとの事でしたが、万一の事態に備えて付き添っていました」
ベッドのすぐ横に置かれた椅子に腰掛けた倭天が感情四割引きくらいの淡々とした口調で応えた。
「……今何時だ?」
俺はベッドの上に身を起こして傍のクラスメイトに問う。
「午前八時四十七分です。気分は悪くありませんか」
天は無表情で左手首を返して腕時計を確認して言う。日本人形みたいなおかっぱ頭に切れ長の瞳。朝だから良かったが、もし夜中に目を覚ましていたら枕元に幽霊が、というドッキリになっていたかもしれない。
ああ、と答えたところで気になった。
「なあ。あれから何日も経ってるとか、ないよな? あれって昨日のことだよな」
まさかとは思うが念のため。あるじゃん、そういう展開。
「何日もここで付き添っていられるほどわたしも暇ではないので」
感情の割引率が上がったような冷たい口調。俺なんか悪いこと言ったか?
「そっか。悪いな、昨日からずっとついていてくれたのか」
とりあえず下手に出てみるチキンな俺。
「いえ。そういう指示でしたから」
相変わらず妙にそっけないのが気になったが、元々こいつはそんな口調だったかもと思い直し、
「そうだ、みやは? 俺のせいで怪我させちまって」
頭から流れ出た血が彼女の銀髪を汚してしまっていたのを思い出す。
「櫛木みやさんもここで治療を受けました。幸い軽症だったのでそのままお兄さんに付き添われて自宅へ帰られました」
大したことなかったなら良かった。お兄さんって石塚の事か。俺のせいで怪我したとかってまた責められそうだな。実際その通りだから仕方ないが。
「ナースコールします」
枕元のスイッチを押して、俺が起きたと告げる。やがて看護師と医師がやってきて検温だの問診だのして、大丈夫だろうから退院するようにと告げて出ていった。
「じゃあ、もう帰っていいのか」
俺はベッドから足を下ろす。退院の準備と言っても病院のパジャマみたいなのを着替えるくらいしかやることがない。天が手渡してくれた制服を広げてみると、明らかに新品だった。
「SNKの任務で汚損、破損した制服は必要経費と見做されて新品が代替品として支給されます。それ以外の私物も代替や金銭支給によって補償されるものが多いので、なるべく申請してみることをお薦めします」
天が今後のために覚えておけとばかりに言ってくるが、俺もう入部した事になってるのか?
「え」
え?
珍しく感情が彼女の顔に出ている。
「ええと……水無藻刀哉さんは既に二度、妖怪退治を経験しています。しかも昨日は自分の呪力で大地打を一匹、退治までしました。そこまでやっておいて、自分は無関係だと?」
小首を傾げて、迷いのない真っ直ぐな瞳でこちらを見つめる。
「う〜ん……そう言われると確かに」
それに、と天は言葉を繋ぐ。
「既に怪異を視られるようになった水無藻刀哉さんは今後、望むと望まざるとに関わらず怪異に関わることになります。もし入部しないとなると何らかの方法で対処法を身につけて頂かないと、命の危険もありますが」
そうか、もう一般人として生きる道は閉ざされてんのか。ちなみにもう一度能力封じてもらうっていう選択肢は……
「無理だと思います。年端のいかない子供だからこそ、曖昧な記憶の中に妖怪と遭遇した記憶を想像の産物として埋めてしまえた、いわば子供騙しなのです。今の年齢では脳の手術や薬物使用などの手段が必要になるかと」
いやいや勘弁してくれ。
「……じゃあ」
俺は腹をくくった。と言うより、きっと内心もう決めてたんだと思う。流石に簡単には決めたくないと思ってただけで。
俺は立ち上がって手を差し出す。普段から握手とか外人みたいな事するわけじゃないけど、何となくそれがふさわしい気がして。
「よろしく頼むわ。俺がどれだけ役に立つのかわかんないけど」
こうして俺は正式にSNK、スーパーナチュラルノックダウナーズに入部する事となった。適当に楽しめる部活かバイトでもして気楽に楽しく高校生活を送るつもりだった俺のぼんやりとした将来設計はまったくの夢物語となったわけだ。
……って、握手してくれないんかい! 天は俺の差し出した手をぼんやりと見たまま無言だった。
「では、ここに氏名と学年とクラスを記入してください」
と、入部届を取り出す。準備万端かよ。
「おや。準備万端という言葉を知っているのですね。正直、感心しました」
褒めてるんだか貶してるんだか。いやきっとどっちでもないんだろうな、こいつの場合は。
「まいいか。逆に考えてみれば、こんな体質の俺に居場所があるってのは幸せな事だよな」
なんて思った事を口にすると、天は虚をつかれたような顔になった。
「……そうですね。わたしは生まれた時から言ノ葉遣いになるように定められていたので考えたこともありませんでしたが……自分の異能をどうして良いのかわからずにひたすら隠して暮らしている人もきっと、たくさん居るのでしょうし」
櫛木家は、日本全国の施設に異能の持ち主やその可能性のある人間を集めているのだという。当然、黒根学園もそのうちの一つだ。
また、俺が使っているスマホ型の武器などの装備を開発する部署や、いろいろなサポートをする組織もいくつかあるらしい。今俺たちが居るこの病院も櫛木家の資本が入っており、この特別病棟は通常の医療では治療できない患者を受け入れているという。妖怪につけられた傷や呪い、といった類のものだ。
天とナデシコの父親もそうしたうちのひとつ、妖怪退治を専門に行う組織の職員だったのだ。
「そうだ、お父さん……倭先生って呼ばれてたっけ。あの人のことも思い出したよ。平安貴族みたいな格好しててビックリしたんだよな。今はどうしてるんだ?」
長いこと忘れていたけど、目の前の同級生の父親と知り合いだったんだよな俺。あの人のおかげで最近までまともな人間として暮らしてこれたわけだから恩人と言っていい相手だ。
天の表情が曇った。どうやらまずい事を聞いてしまったらしい。
「……ご存知、ないのですね。父は既に亡くなっています。七年前に」
七年前? まさか……
「……ええ。水無藻刀哉さんのお父様と一緒でした。ある妖怪を退治する案件で」
異能を忘れていた俺には隠されていたが、父さんは怪異を調査、対処する仕事をしていた。能力があまり強くなかったから主にサポート役として関わっていたらしい。きっとナデシコのような役割だったのだろう。
「事件について詳しいことは、わたしも知りません。ですが、多くの人の命を救うのに貢献した事だけは確かです」
話を締め括るように言葉を切り、口元を引き結ぶ。これ以上話すことはない、とその表情が語っていた。俺もその説明で納得したのでそれ以上聞く気は起きなかった。
小さなバイブ音。天は制服のポケットから小さめのスマホを取り出してメッセージを確認する。
「……部室に集合だそうです。これから五人チームになるのですから役割分担も変わってくるはずです。それに色々と覚えていただかなければならない事もありますし、忙しくなりますね」
基本的に、学校の授業などはSNKの活動であれば全て免除されるようだ。
「水無藻刀哉さんは視る事が得意のようですから、後方支援や調査などが中心になると思います。そうなるとわたしももう少し前線で戦うことになりますね……ふふ」
なんかほくそ笑んでるな。意外とこいつ、感情豊かなんじゃないか?
「今まではアタッカーが二人いたのでサポート役になっていましたが、いよいよわたしも前に出る時が来たようです」
なんかゲームみたいだが、まあわかる。誰だって主人公になりたいもんな。
「さて。そうと決まれば行きましょう」
と、お札を取り出す。そこに記された文字は『繋』。天は右手を動かして何もない空間に光の線をひいて文字を紡ぎだす。それは『縁』という文字になった。青白い輝きが強くなっていく。さあ、と出された手を握ると、目の前が強い光で真っ白になって何も見えなくなる。
そして目を開けると、SNKの部室に居た。
「おおすげえ。便利だなそれ」
色々と条件があってどこでもいい訳ではないらしいが、縁を結んだ場所へ『繋げる』ことによって瞬間的に移動することができるという。
ちなみにですが、と話が続く。
「言ノ葉はひとつよりもふたつ以上合わせた方が効果が大きくなります。私は言ノ葉を紡ぐのが遅いので予め用意しておいた札と合わせる事しかできませんが、一気に熟語を紡いでしまう達人もかつては居たそうです」
それであれだけ必死に習字してるのか。それはいいけど……
「ていうか、この部室って昨日全壊したよな?」
室内を見回す。全てが元に戻っているように見えた。新築で建て直したという感じでもなく、まるで昨日のことがなかったように元通りなのだ。
「……ええ。昨日の金槌坊あるいは大地打の危険レベルが高く評価されたのでしょう。原状回復のために呪力を使用する予算が多くおりたのだと思います」
へえ。それで……
「でもさ。言ノ葉ってやつでピカーッてやれば部室なんて簡単に直せるんじゃないのか」
俺が疑問を口にすると、天はこちらを見上げるようにして、
「時間を逆回しする物質の再生には呪力がかなり多くかかるのです。それに、この札が一枚いくらか知っていますか?」
何、そんなに高いもんなの? じゃあここに来るのに使って良かったのか?
「……入部祝いです。他言無用に願います」
スッと視線を逸らす。
「なんだ、もう来ていたのか」
部室のドアが開き、ナデシコが顔を出す。ベージュのニットに細身のジーンズという、今日も飾り気のない服装だ。
「姉さん。ええ、色々と新入部員に部活動の内容について教えていたのです」
妹の言葉にナデシコはおお、と俺の肩を叩いて
「入部を決めたか。それがいい」
珍しく笑顔を見せる。そうしていると元々美人だから魅力的に見え、俺としても非常に喜ばしい限りだ。
「わたしの勧誘が功を奏しました」
天が自分の功績をアピールする。まあその通りだから何も言わないでおく。
「そうか。じゃあそれに免じて部室への移動に勝手に札を使ったことは不問としておこう」
姉の言葉にサッと天の顔色が変わる。
「……ご存知、でしたか。流石は姉さんです」
あーもう来てる、と賑やかな声をあげて絹先輩と滝部長が到着。
「刀哉! 無事か!」
二人の背後から血相を変えてミニ侍が飛んでくる。
「なんだ、見ないと思ったら先輩たちと一緒だったのか。もう消えたのかと思ったぞ」
半分本気で言うと、
「何を言うか! 拙者は怪異と見做されてあの病院には入れなかったのだ! 怪異ではないと言うのに!」
「だからあたしが預かってたんだよ」
と、絹先輩。なんかペットみたいな扱いだな。
「まったく、えらい目に遭ったぞ! 訳のわからぬ物を食わせようとしたり、妙な絡繰で電気を流そうとしたり、果ては鍋の熱湯で湯浴みをさせようとしたり……刀哉、この娘はなんなのだ」
いや知らねえよ。まあ大変だったんだな、同情はしてやろう。
「ちょっとオジサン、何よ人聞きの悪い。ある事ないこと言わないでよ!」
「いや全て事実であろうが! まるで話半分のように言うでない!」
だってさー。オジサンみたいな面白いモンが居たらそりゃ色々試してみたくなるじゃん、などと悪びれずに言う絹先輩。刀尋は大きくため息をついた。
「さて、全員揃ったから始めるか」
ナデシコが着席するように指示する。
「いやお主も何事もなかったかのように話を……いや。そうか」
刀尋のツッコミが途中でトーンダウンしたのが気になって問いただすと、
「撫子というあの先生、呪力が一般人とさして変わらぬのだろう。眼鏡を通して初めて怪異を視認できる、という程度なのではないか?」
あの、時々かけてる眼鏡ってそういうものだったのか。天が首を縦に振って、とりあえず今は席につけと促してくる。
さて、とようやく話が進むかと思ったところで部室のドアがノックされた。
「失礼致します」
楚楚とした仕草で入室する銀髪の美少女。その後ろに付き従う地味なスーツ姿の男。
「本日よりお世話になります、新入部員の櫛木みやと申します」
皆様どうぞよろしくと深々と頭を垂れる。
「いやちょっと待て、私は聞いていないぞ。そもそも君はこうした活動に関わることは禁じられているはずだろう」
ナデシコが言う。事情は知らないが、何やら訳ありっぽい。
すると、彼女の後ろに控えていた石塚がいかにも嫌そうに口を開く。
「……許可が出た。ここ最近怪異の発生が明らかに活発化している。端的に言ってヤツの出現が近いかもしれない。ここで妖怪退治の経験を積み、万一に備えて自衛の手段を強化しておくという理由でな。そんな事するくらいなら鎌倉の家に戻った方がいいんだが……」
地味なスーツ男の言葉は後半ほとんどボヤキになっていた。
「いけませんお兄様。実際に大天狗が現れるのがいつになるのか、そもそも現れるのかどうかも定かでないのに学業半ばにして家に戻るなど」
胸に手を当ててお嬢様口調で言いつのるみや。
「……という訳で、僕は今日からここの副顧問になる。それがみやの入部の条件だ」
はあ、と心底嫌そうにため息をつく石塚にナデシコが目を細める。
「ほう……副顧問か。じゃあ顧問である私の部下という事だな」
「はあ? 何を言ってる……」
抗議の声をあげる石塚に、やかましいと冷徹な一喝。
「甘えるな、ここをどこだと思っている。これから命がけで怪異と戦うんだぞ。お前らは全員戦士、兵隊だ。つまりここは軍隊であると言っても過言じゃない。軍において規律は何より重要だ。命令系統の乱れは自滅に繋がるからな。いいか、お前は副官であり私の部下だ。命令には絶対服従しろわかったか!」
石塚の鼻先に指を突きつけて一気に言いつのる。圧倒された石塚は、あ、はいと気の抜けた返事を返す。
「ふん、まあいい。では本題に入るぞ」
みやも部室のテーブルにつき、四人を見回すように立ったナデシコがさてと言う。その後ろに所在なさそうに立つ石塚。
「さて、単刀直入に聞くが櫛木は何ができる? 呪力はほとんどないと聞いたが」
ええ、とみやは優雅に頷き、
「わたくしは呪術は使えません。その為、札や補助具などでの戦闘しか手段がありません」
札という言葉に天が少し反応rした。
「そちらの倭様のような言霊ではなく、純然たる呪力を込めたものです」
と、数枚の札を取り出す。昨夜モップや罠のネットに貼っていたアレだ。見た目は天が使っているものと似ているがサイズがひとまわり小さく、表面に何も書かれていない。そして、
「真っ白な光が出てるな。それが呪力なのか」
あら、とみやは目を輝かせて
「刀哉様は呪力の色相が識別できるのですね」
その言葉に刀尋が大きくうなずき、
「うむ。視ることにかけて刀哉の右に出る者はそうはおるまい」
では、とナデシコが話を続ける。眼鏡をかけたのでミニ侍の声は聞こえているはずだ。ちなみに石塚も刀尋が視えているらしい。
「では、その視る事についてはどうなんだ。櫛木と言えばこの国随一のミサキの家系だろう」
ミサキってなんだ、と小声で刀尋に聞く。
「見先、つまり先を見る力じゃ。櫛木家の当主は未来の全てを見通す能力を持つという」
ご存知の通り、とみやは
「ミサキの術は細かく定められた儀式によらなければなりません。それは現当主である母にしかできない事。今のわたくしは少々勘が良い……いいえ、『鼻がきく』程度の力しかありません」
ちらりとこちらに視線が向く。
そうか、妖怪の匂いがわかるんだもんな。
「ほう……そうか。嗅覚による怪異感知は状況によっては視覚よりも広範囲で索敵ができるからな。水無藻と併せて良い哨戒班になるな。滝と巴の前線は変わらないとして……そうなると天は全体のバックアップ、足りないところを補ってもらう役割になるか」
「あはい……ええ、そうですね」
前衛にはなれなかったか。残念そうにしている天に訝しげな視線を送ってからナデシコは全員を見回して、
「では、これより実戦形式での訓練を行なう」
と言った。
学園から車で十五分ほどの場所にある市営霊園。駐車場の看板にある見取り図で確認すると、大体五百くらいのお墓があるらしい。中央に奥までまっすぐに続く通路があって、そこから横道がいくつも伸びている。背骨のような形と言えば伝わるだろうか。
横道には墓石が整然と並んでいる。大体小学校の校庭くらいの広さがあるみたいだ。運動会くらいならできそうな広さ……いや鬼太郎かよって心の中で華麗なノリツッコミをする俺。
俺たちはナデシコと石塚の車に分乗してきた。ちなみに石塚のは国産のコンパクトカー。よく見かけるありふれた車種だ。
こんな所で何を、という若干の嫌な予感とともに集合するSNKメンバー。いや、新参者の俺たち三人以外はわかっているんだろうが。
「……ええ、ではニ時間でお願いします」
なんかカラオケみたいな事を言ってナデシコが通話を終えた。
「何するんです?」
隣にいた絹先輩に聞いてみる。
「言ったでしょ。実戦形式の練習だよ」
いや、実戦って。妖怪でも召喚しようってのか?
「ここ、櫛木グループがやってるんでしょ?」
絹先輩は、一番後ろで不機嫌そうにしていた石塚に声をかける。
「ああ、そうみたいだな。関連財団法人の名前が看板に書いてあった」
どんだけデカいんだ櫛木財閥。
「ここはね、無縁仏墓地なんだよ。親類縁者のないホトケ様が集まってるの」
へえ。これだけの数が、となんとなく周囲を見回す。
言われて気づいたが全部の墓石がまったく同じデザインで、花や線香などの供物がない。それに墓同士の間隔がせまくて限られたスペースに押し込まれているようにも感じられる。
とは言え天気の良い春先の午後、鳥のさえずりなんかも聴こえてきてのどかな雰囲気だ。通路にゴミもないし掃除も行き届いて清潔で、妖怪やら幽霊やらが出そうな気配はない。
「公共事業として行なっている……だけではないのですね」
何かを察したようなみやの言葉に応えるように、異変が起こった。
「な、何だ急に暗く」
空が墨汁をぶちまけたみたいに暗転、周囲が暗闇に包まれた。センサーが反応したのか霊園の通路にポツポツと設置されたあかりが灯る。空には細い月と、頼りなげな光を放つ星。あっという間に夜になってしまった。
「敷地内を結界で覆って、擬似的な丑三つ時を演算、展開している。詳しい理屈は私も分からんから聞くな」
例の眼鏡を装着したナデシコが言う。
「トーヤ、驚かないでね。これから骨のおばけが出てくるから」
骨のおばけ? 天が説明を加える。
「……正確には、狂骨です。さらに正確には擬似的に発生させた狂骨、ですが」
嘘だろ、お墓の中の骨を妖怪にするのか。
「ああ違う違う。そうじゃなくって……えっと、何だっけ?」
分かっていないらしい絹先輩が誰かに説明をまかせようとする。結果、部長としての義務感からか滝先輩が口を開いた。
「ええと、その……実際にここに埋まっている仏様をどうにかするという話ではないんです。ここに多数の死者が眠っているという事実が必要なだけで。そういう場所なら出ることもあるんじゃないか、という観測する側の心理的条件と、丑三つ時という時間的な条件を合わせた上で結界内の呪力の濃度を上げて怪異を強制的に発生させる……という事であってますか……? 先生」
自信なさそうに確認する部長に、まあそんな感じだといい加減な返事を返す顧問。
なんと言うか……
「なんだか曖昧と言うか、あやふやなんすね。妖怪とか怪異とかって普通の人には視えないんだし、視えなければ存在しないのと同じ、ですよね」
それは隣で浮かんでいる刀尋もそうだし、昨日、一昨日に戦った妖怪も能力のない人にとっては無いのと同じものなんだ。
ふむ、とナデシコは顎に手をやった。
「確かにな。私はこの眼鏡をかけなければ怪異に気付くこともできん。それをわざわざ視えるようにして退治するのはな、妖怪は放っておけば事故や病気、災害として現実の被害が出るからだ」
え……?
周囲を見まわすと皆が同意の表情である。そういう事か。視えないけど、存在しないけど、それは確かに『在る』のだ。放置すれば誰かが傷つく。そして、それを退治できるのは俺たちのような人間だけなんだ。
ちょっと前向きな気分になってきた。よーしやってやろうじゃないかガイコツ退治。
「水無藻刀哉さん、擬似攻撃術式演算装置はお持ちですか」
天が急に訳のわからん事を言う。何て?
「ほれ、例のすまほの様な武器じゃ」
ああ、あれか。もちろんあるぞ。俺の唯一の武器だからな。
すん、とみやが鼻を鳴らす。
「……これが。天然の物とはやはり違いますね」
みやの言葉が終わらないうちに天然じゃない『養殖物』の狂骨が三体、墓地の通路に姿を現した。まるで陽炎か何かのように薄暗がりの中、ゆらっと出てきたそいつらはカタカタカタと全身の骨を鳴らし始めた。
いわゆるガイコツだ。理科室なんかにある標本、あれが自立してカタカタいいながら通路をゆっくりとこちらへ近づいてくる。それはどこか目的地があるようには見えず、そもそも意思があるのかも怪しい様子だった。
「では新入部員二名で対処してみろ。他の者は後方で待機、危険があったらサポートしてやれ」
簡単にナデシコが指示するのに、石塚が血相を変えた。
「ちょっと待て! そんな危険な事許可できるか! みやに何かあったらどうする?」
お兄様、とみやが制止するのも聞かずにナデシコに食ってかかる。
「いいか、部活の練習というのは監督する者が安全を確保した上で行なうものだ。生徒をあんな化け物の前に立たせてさあやってみろ、などというのは」
血相を変える副顧問とうんざりした顔の顧問。
「やかましいな。じゃあお前が守ってやれ」
と、心底面倒そうな表情でナデシコが石塚の背中を蹴った。物理的に蹴った。
「と、とっとと……」
勢いよく俺たちの前に出た石塚に、狂骨たちの目の部分、真っ暗な何もない空洞の視線が向かう。カタカタカタカタと音を鳴らして彼の方へ三体が歩を進める。うわあと言いながら後ずさった石塚がみやの腕をひいて下がらせる。
「お兄様、これは部活動なのですから。落ち着いてください」
冷静に宥めるみや。
「な、何を言うんだお前に万一の事があったらどうする! おい水無藻、お前が何とかしろ。みやに危険な事をさせるな!」
血相を変えて言う石塚。確かに薄闇の墓場に居るドクロ達は相当に不気味ではあるが……
「ですから、落ち着いて下さいお兄様。あのあやかしには敵意が見られません」
そうなのだ。さっきから狂骨はカタカタ音を鳴らしてゆっくりと歩いているだけでこちらを襲うような素振りなどない。それどころか意識があるのかどうかすら怪しい。もちろん油断していたら急に攻撃してくる、なんて事もあるかも知れないが、
「こっちには、これがあるからな」
俺はスマホ型武器を取り出して画面に指を当てて呪力をチャージする。ブブッと小さく振動が伝わる。すかさず狂骨に向けて発射。
三体のうちの真ん中の頭に命中、そのままふっとばした。が、特に気にする様子もなく首無しのまま再び歩き始めた。
「まあもともと死んでるからな。じゃあ動きを止めてやるか」
近くまで来られないようにと俺は足を狙って再び呪力を撃つ。命中。バランスを崩して左の一体が倒れる。その際、他の二体にも絡むようにして重心を崩し、結果全てのガイコツが墓場の通路に倒れた。しばらくカタカタともがいていたが、やがて動きを止め、沈黙。
……弱っっ!
「おーすごいすごい! 大丈夫だろうとは思ったけど余裕ありすぎじゃない?」
弓を片手に呆れたような顔の絹先輩。
確かにそうかもしれない。でもなんか危険な感じが全くしなかったんだよな。
「そうですね。匂いが、何と言いますか……無機的で。あやかし特有の臭気がほぼありませんね」
みやの言葉を聞いて俺も納得できた。狂骨の身体から出ていた光が、みやの札みたいに真っ白で、弱々しくてとりあえず動くようにしただけのオモチャみたいな感じに視えたんだ。
「なるほど。二人とも怪異を感知する能力は優秀なようだな。では次のステージに行くか」
え。
「ちょっと待て! 更に危険な事をさせると言うのか? みやにはこの国の将来がかかっているんだぞ? それを……どぅふう!」
石塚の抗議はナデシコの見事な回し蹴りで中断させられた。それは完璧に鳩尾を捉えた鋭い一撃だった。
「……言ったはずだ。上官の命令には絶対服従だとな」
地面に倒れて悶絶する石塚に氷のように冷たい視線を向ける。こえーよこの顧問。
「では続けるぞ。場の呪力濃度を一段階上げる。さっきのようには行かないから気をつけるように」
そうして、少しずつ養殖狂骨は凶暴になっていったが、時に先輩達のフォローも受けながら俺とみやはなんとかそれらを倒していった。石塚もそれなりに術が使え、みやを守るための動きしかしなかったがそれなりに役に立ってくれた。
妖怪退治の実技演習という非日常の極みみたいな事をやっている割には、ある意味平穏に、それこそ部活の練習という感じで狂骨を倒し続ける。妖怪の発する光の色や強さ、どこから出ているかなどは同じ狂骨であっても個体によって違うようで、一番光っているところへ攻撃すると派手に吹っ飛んだり、場合によっては一瞬で消え去ったりしてゲームみたいな感じだ。いかにクリティカル続けてコンボするか、みたいな。
こうやって練習して強くなれるんならいいかもな、なんて呑気に考えていた時。
それは、唐突にやってきた。
「…………! な、なんだ?」
いきなり背筋が冷えた。体の奥の方から熱を奪われたように全身が震えだす。激しい目眩で立っていられない。思わずその場に膝をついてしまった。ちょっとでも気を抜くとそのまま倒れ込んでしまいそうだ。
霞む目を必死に凝らして周りを見回す。既にみんな苦しそうにその場に倒れていた。
……いや一人だけ例外が居た。櫛木みやが墓地の通路に突っ立って呆然とした表情でどこかを見つめている。
何かを見ているが、確固たる対象がないような。何かあるのはわかっているが、何なのかわからないものを見ているような。
俺はこみ上げる吐き気を堪えながら首を巡らせて彼女の視線の先を追った。
空気がひどく不快な粘り気を帯びているように感じた。さっきまで練習相手の養殖狂骨が立っていたあたり、今は何もない通路……いや、違う。そこに居る。何かが。ここ数日で遭遇してきた妖怪などとは比べ物にならない危険な何かが、そこに居る。
姿を見せず、ひたすら不快な空気で周りを包んでいるそれに対して、俺はだんだん腹が立ってきた。なんでこんな目に合わなきゃならないんだ。霞む目を無理に開いて睨みつけてやる。視ることにかけちゃ俺はすげえらしいからな。何だか知らねえが好き勝手しやがって。
無理して動かした頭がズキズキと痛む。目を開いているだけで辛い。目を背けたくなるのを堪えて意識を無理矢理に『それ』に向ける。
もや、と何かの存在が感じられた。視覚まではのぼってこないが、五感じゃない感覚がそこにあると訴えてくる、とんでもなく危険な何か。触れてはいけない、いやむしろ同じ次元に存在してはいけないくらいにヤバい存在。
少しずつ、焦点があってくる。それはヒトの形をしていた。ヒトではないが形だけはヒトのようで、そのくせヒトから最も遠い存在。
ぼやけた像を結ぶそれを視たのは初めてじゃなかった。俺は、それを知っていた。
何かに命じられたように、みやは足を踏み出す。フラフラとおぼつかないが行き先だけは決められている機械のような足取り。彼女は危険な何かに歩み寄っていた。
よせ、と呼びかけようとしてみたが、声を発するなど無理な事だとすぐにわかった。俺にできるのはただ視ることだけ。
(……や、とうや。このままではまずい。あの娘を連れ去られるぞ)
声じゃない声がした。刀尋だ。さすが訳のわからんミニ侍、テレパシーまで使えるのか。
(大天狗じゃ。尋常でない量の妖力を場に充満させて人間の意識を奪っておる。さして広くない場に強力な結界が張られておるこの状況を利用されたんじゃ。刀哉、奴の好きにさせるな。視てやれ、遥かな彼岸から手を伸ばしておる怪異をお主の眼で此岸に縛りつけてやれ!)
そうだ、俺が奴の姿を視れば、この世のルールで縛る事ができる……いつだったか、そんな話を聞いた。
意識を集中させてさらに目を凝らす。陽炎のようなそれが、だんだんとはっきりした像を結びはじめた。
男だ。真っ直ぐな黒髪が腰のあたりまで伸びているが、白い着物を着たその体つきは華奢ながら男性的。何年も太陽を浴びていないような真っ白い肌、細い首元、やや尖った細い顎。しかしその顔は鼻から上を覆う黒い仮面で隠されていた。
「何だよそりゃ。反則だろ」
思わず口をついて出た俺の独り言がその場の空気を変えた。
それまで声を発する事すら出来なかったのに、ピンと張り詰めていた糸がほんの少し緩んだように、遊びができたのだ。
「みや、止まれ!」
やっと出るようになった声で呼びかけるが、彼女はたどたどしい足つきのまま、真っ直ぐに大天狗へと歩いていく。俺の声は届いていないようだ。
「くそっ……」
何とか立ち上がろうとするが、体に力が入らない。肩で荒い息をする。
「待て……」
大天狗がす、と手をみやへ差し出す。彼女はその手を掴もうとした。
「みや!」
俺の声に、みやがビクッと動きを止めた。ゆるゆると振り返る。それまで何も見えていなかったに違いない目が俺を捉えた途端、大きく見開かれた。まだ正気を完全に失ってはいないようだ。何と声をかけようかと逡巡するうちに、彼女の口がブルブルと震えながら開いた。灰色の瞳から一筋、涙が流れる。
口の動きとか、そんな表面上のことじゃなく伝わった。彼女ははっきりと言ったのだ。
助けて、と。
身体中がカッと熱くなるように感じた。
「おい待てよ、勝手なことしてんじゃねえ!」
言う事を聞かない四肢に無理矢理に力を入れて立ち上がる。自分の足が地面を踏みしめるのが随分と久しぶりな気がした。一瞬視界が暗転しそうになるが、そんな事に構っていられない。俺が何とかするしかないんだ。今すぐに何とかしないと絶対に取り返しがつかない事になる。
「視たぞ! 白い着物、長い黒髪、黒い仮面! 視えてるぞ大天狗!」
みやから奴の気を逸らそうと精一杯に叫ぶ。
俺は距離を一気に詰めようと足に力を入れた。全力でダッシュすればほんの数秒のはずだ。
奴は自分の手を目の前に持ってきて、握ったり開いたりしている。俺が視た事によって、それを言葉にした事でなにかが変わったのか。ざまあみろ、と心の中で言ってやる。
「トーヤ……それが、大天狗なの?」
振り返ると絹先輩が意識を取り戻して立ち上がろうとしていた。他の人にも視えるようになったらしい。わいらの時と同じだ。
「水無藻刀哉さん、あなたは一体何者なのです……。姉さん、あれが視えてますか」
天も立ち上がる。眼鏡をかけ直したナデシコは何とか形だけはな、と答える。滝先輩も石塚もフラフラしながら立ち上がった。どうやら全員無事なようだ。これなら何とかなるかも知れない、と大天狗に向けて走り出そうと向き直った。まだみやは無事だ。数メートルの距離をあけて大天狗の前に動きを封じられたようにして立ちすくんでいる。今、助けてやるからな……俺は駆け出すタイミングをはかって右足に力を込めた。
だが次の瞬間、奴は俺の背後に居た。
『……視核持ち。厄介な存在』
耳元で声がした。背筋が凍る。再び行動不能になりそうな、圧倒的な力を感じさせる冷たい声。
いつの間に後ろをとられたのか。何もみえなかった。
見えない。視えない。逆に、だからこそ感じる。理由も理屈も関係なく、今俺のすぐ背後にあるそれは災いをもたらすもの、災厄そのもの、危険そのものだ。ちょっと妖怪が視えるだけの俺なんて、赤子の手をひねるよりも容易く殺されてしまうだろう。
唐突に、急速にすぐ直近に迫った『死』の実感に俺は恐怖した。
それは見栄を張ったり強がったりするのも馬鹿馬鹿しいくらいにハッキリと感じられる、圧倒的な力だ。俺の命が消える瞬間、それは今か。それともあと数秒後か。
背後から大天狗が手を俺の首元に伸ばす。それが俺の最期だとわかる。理屈じゃなく、ああそうなんだと思う。
「刀哉、逃げろ!」
刀尋の声がどこかから聞こえた。そう言われても無理ってもんだ。俺はなぜか冷静に思った。このまま俺は殺されるんだ、と。なまじ視えるからこそ、相手の恐ろしさがわかるからこそどうにもならないと理解してしまったのだ。
「トーヤ、あきらめんなっ! ……貫!」
絹先輩の放った深紅の矢はまったく音を立てずに、その軌道上の全てをぶち抜くようにして一直線に大天狗へと飛ぶ。
す、と質量を感じさせない動きで大天狗が動き、俺の首に向けられていた手が矢に向けられた。手で空を掴むようにすると絹先輩の矢がかき消される。戒めを解かれた俺は全身の緊張が一気に解けるのがわかった。
「ちょ、いくら何でもそんな簡単に? ……っざけんな!」
絹先輩は朱塗りの弓を自分の体の前に構え直し、右手でつるを弾いて音を立てた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」
つるを弾きながら静かに、確実にひとつひとつの言葉を吐き出していく。
「鬼貫の名の下に命じる。我が弓よ、その軌跡の全てを奪い、喰らい尽くせ……抉奪!」
彼女の右手に顕現した、禍々しい闇を固めたようなドス黒い矢を弓につがえる。
『……邪魔。不快』
大天狗が手を手刀の形にして振りおろすと、絹先輩の手の動きが止まった。
いや、正確に言うと動かす右手がなくなったのだ。
「ぅうあああああああああっ!」
肘の少し下あたりで斬り落とされた腕を押さえてうずくまる。
「巴! ……おい天、言ノ葉で止血だ!」
ナデシコの指示で慌てて札を取り出そうとするが掴みそこねて地面にばら撒いてしまう。
「ね、姉さん……どんな言ノ葉を使えば……」
今にも泣き出しそうな顔で天が言う。普段の無表情が信じられないくらいの取り乱しぶりだ。
「落ち着け! 治か療ならある程度の効果があるはずだ」
ナデシコは怒鳴りつけるのを必死に耐えているような口調で言う。
「ないです……そんな言ノ葉用意してません」
「なら、止、留、塞……どうだ」
真っ青になって札を探す天を石塚が押しのけた。
「どけ。止血の心得くらいある」
と、慣れた手つきで自分のネクタイやハンカチを使って絹先輩の肩口のあたりを縛っていった。
「それより、妖刀の娘。みやを救い出さなくちゃならない。大天狗が水無藻に気を取られている隙に僕が近づくから、援護してくれ」
この野郎、みやを助けるのはいいが俺を囮にするつもりかよ。俺がそちらに気を取られていると、急に胸のあたりに何かがぶつかってきた。暖かくて柔らかいそれは……
「……刀哉様」
みやが俺の胸に縋りついていた。そのまま小声で囁くように言う。
「わたくしが、参ります。どうかこの場はお逃げくださいませ」
「何言ってんだ、そんな事できるわけ」
言いかける俺を、決意を込めた視線がさえぎった。
「どうか……どうか。大天狗を倒す力を手に入れてくださいませ。そして、刀哉様……」
見てるこっちが泣きたくなるくらい綺麗に、彼女は微笑んだ。
「必ずまた、わたくしを助けに来てくださいね」
そして大天狗に向き合った。
「さあ大天狗様、どうぞお連れください。どこへなりとも参ります」
石塚がやめろと大声をあげている。
両手を広げて訴えるみやの方へ、大天狗が感情のない目を向けた。すっと手をかざすと彼女の身体から何かが抜け出るのがわかった。白よりも白い、完全な無彩色のそれはふわふわと漂うようにして大天狗の掲げた手の中に吸い込まれた。
「みや!」
きっと魂のようなものが抜かれたのだろう、みやは糸の切れた操り人形のように四肢の力を無くしてその場にくずおれた。慌てて抱き止めたそれは明らかに抜け殻のような空虚さを感じる軽さだった。
みやの魂を手に入れた大天狗は一瞬の間を置いて、そのままかき消えるように姿を消した。
待て、という言葉が出なかった。相手の気が変わればすぐに俺は殺される。どうにもならない。
「みや! おい水無藻、みやはどうなった!?」
鬼気迫る表情の石塚にみやの身体を預ける。これで、危険は去ったのか? 奴はもう戻ってこないのか。みやを手に入れて、目的を達した?
また、みやに助けられてしまった。あいつは今回も自分を犠牲にして俺を……彼女の灰色の瞳を思い出す。あの時みやは真っ直ぐにこちらを見つめ、必死に訴えていた。助けてくれと。このままにはできない。絶対に助け出す。どうやったらそんなことが出来るのかは全くわからないが。
「そうだ、絹先輩……」
慌てて駆け寄る。滝先輩に抱き抱えられた彼女は真っ青な顔で気を失っていた。
「だ、大丈夫ですか」
血まみれになった制服の切断された右腕部分にどうしても目がいってしまう。
「物理的な止血と、言ノ葉で傷口は塞いだ。あとは早急に医者に診せれば」
ナデシコが冷静に現状を告げる。彼女の視線を追うと、妹の天が宙に指を走らせていた。どうやら切断された右腕に何かの言ノ葉をかけているようだ。
「とりあえず連絡だな。結界を解いてもらわないと……」
スマホを取り出したナデシコの言葉が途中で止まる。肌に感じる、何かが起きている気配。
まだ終わりじゃない、新たな危機が迫っている!
まず、どこかで硬いものが擦れるような音が聞こえ、それが加速度的な勢いで増殖していった。周囲の墓石がガタガタと音をたてて揺れる。揺れはどんどん大きくなっていき、やがて見回す限り全ての墓石が激しく揺れて倒れていった。墓場に低く響く地響き。
そうして剥き出しになった地面から人骨が現れる。ボコボコと穴を開けて、次から次へと。百、二百? いやもっとだ。墓地の無縁仏が全て這い出てきているのかもしれない。
それはさっきまで練習相手にしていた養殖狂骨とは明らかに違う色の光を身に纏っていた。
地面から出てくるそいつらはカタカタと声にならない嘲笑をあげ、やがて一箇所に集まっていった。
「なん……だ、何をしている?」
数百体もの人骨が集合し、絡み合うように一つになっていき、やがてそれは一体の巨大な骸骨へと変化した。
「これは……がしゃどくろ! まさか、狂骨が他の怪異に変質したのか?」
見上げるほどの巨大な人骨。三階建ての建物くらいありそうなそれは、仁王立ちで真っ暗な空を仰いで低く唸るような声をあげた。不気味な、地の底から響くような声に、知らず鳥肌が立つ。
「くそっ、まずいぞ。あんなものが居たら結界を解除できん」
忌々しげに言うナデシコ。
「つまり、巴さんを病院に連れて行く事もできないという訳ですね」
滝先輩はそう言うと、すぐに例の呪文を唱え始めた。
「私が斬ります。皆さん、隠れていてください」
静かに言い、抜刀と呟いて無銘の妖刀を構える。
「待て滝。一人では危険すぎる……天」
宙に言ノ葉を書いている妹を振り返るが、
「……そうか、もう札はほとんど無くなったな」
天は言ノ葉を記すのが遅い。札がない状態であんな化け物と戦わせる事に不安を覚えたのだろう。
「じゃあ俺がやります。援護射撃くらいなら」
と、スマホ型武器を掲げてみせる。
「いや、駄目だ。経験が少なすぎる。君はこちらに残れ。援護射撃は私がやる」
ナデシコが前衛を名乗り出た。
「石塚は妹を、水無藻は巴を頼む。なるべくがしゃどくろから距離を取って固まり、天は防御の言ノ葉を編むんだ。いいな」
指示を与えるや、滝先輩の横に並んで巨大ドクロと向き合う。俺は半分意識をなくしているらしい絹先輩に肩を貸して立ち上がらせる。うう、と小さく苦しげな声。
「歩けますか先輩。もう少し頑張って下さい」
声をかけると、小さく頷く。なんとか自分で歩けるようだ。
「……これで、なんとか」
天は空中に描き出した『凍』の言ノ葉で切り落とされた右腕を冷凍して自分のバッグに入れた。
「おい急げ! なるべく距離をとった上で、状況に応じて臨機応変に移動できる位置がいい」
みやを背負った石塚の言葉に従い、俺たちは移動を開始した。
霊園の隅の方でとりあえず足を止める。絹先輩は真っ青な顔で横倒しになっている墓石に腰かけた。石塚に背負われたみやは完全に脱力していて、微かな呼吸による動きを見逃したら死んでいるように見える。
天が宙に指を走らせて防御のための言ノ葉を編み始めた。多少距離はとったが、あれだけデカい妖怪ならちょっと足を動かすだけで攻撃範囲に入ってしまうだろう。
前衛の二人が行動を開始した。ナデシコがスマホ型の武器で攻撃、というよりがしゃどくろの気を逸らせて、その隙に滝先輩が妖刀で斬りかかる。懐に入り込んで巨大な脇腹を横払いに一閃したが。
「あれでは、埒があかぬな」
刀尋が言うように、妖刀はがしゃどくろの身体を切り裂いたが、元々が狂骨の集合体だからか、すぐにくっついてしまう。まるでダメージにもなっていないようだ。
「刀哉。あのデカブツの核は視えるか」
いきなり刀尋が訊いた。妖怪の核、そこを攻撃すれば完全に退治できるというコア。それを視る事ができる人間が居るかどうかすら定かじゃないという……。その言葉に、防御の言ノ葉を編んでいた天が勢いよく振り向いた。
「そうだ……そうです! 大天狗も言っていました。視核持ち、と!」
俺の事を期待のこもった目で見つめる。実は、それっぽいものは視えていたのだ。わいらも大地打も。だがそれが本当に妖怪の核なのかはわからない。ただ、奴らの妖力の集まっている部分というか、そこを中心に力が循環しているような一番強く光っている場所はわかる。
「いや、けどさ。その視核持ちってのは都市伝説みたいなもんなんだろ?」
いくら何でも俺は自分がそんなすごいもんだとは思えない。攻撃している二人に間違った情報を与えて危険な目に遭ったらどうする。はっきり言えばまったく自信がない。
自信を、と天が目に力をこめて俺を真正面から見据えた。
「持ってください水無藻刀哉さん。わいら退治の時、貴方は私達より先に妖怪の姿を視ました。それに、勘違いしているかもしれませんがわいらのお腹の中に少女が閉じ込められているのを視たのは貴方です。その後の私の言ノ葉は念押しのようなものでした。貴方が自信を持って言い切って、それを言葉にしていたなら必要のない程度の」
気づくと、石塚もこちらを促すような顔で見ていた。
「少なくとも、僕らに視えないものをお前が視ているのは確かだ。核だの何だのは関係なしに戦っている妖怪の情報が増えるのはいい事に違いないだろう」
正論だな。俺は妖怪の中に妖力の一番光っている場所が視えていることを告げた。
「がしゃどくろのそれはどこですか?」
天の問いに俺は答える。
「右目の、ちょっと奥の方だ。そこから一番強い光が出てる」
俺の言葉に、天は目を凝らすようにしてがしゃどくろを見つめる。
「……駄目です、わたしにはわかりません。姉さんに伝えます」
と、空中に指を走らせ始めた。いやいや、
「これでいいだろ」
俺は自分のスマホからナデシコにメッセージを送り、大声でスマホを掲げて確認するように伝える。不審な表情のナデシコはそれでもメッセージを確認した。伝わったらしい。
二人は苦戦していた。既に何度か滝先輩の妖刀はがしゃどくろの体を切り裂いているのだが、すぐに再生してしまってダメージにはなっていない。がしゃどくろは何度も自分を攻撃してくる相手を敵と認めて巨大な腕を振り回していた。
まともな攻撃ができるのが滝先輩だけで、それもすぐに再生してしまう。しかも相手は見上げるような巨大ドクロだ。攻撃の範囲も力もまるで比較にならない。強いて言えばがしゃどくろの動きがあまり早くないのが救いで、二人とも相手の攻撃をなんとか避けている。
がしゃどくろが大きく腕を振りかぶって二人を横払いにした。それをギリギリでかわした滝先輩が跳躍する。人間離れした距離を飛んだ彼女は妖怪の腕の付け根あたりでもう一度ジャンプして一気に巨大な頭の高さに並んだ。気合とともに妖刀を振りおろす。硬いものが砕ける音がした。巨大なドクロの右目に大きな傷をつけたが、刃はその奥の核には届いていない。
その一撃に怒りを覚えたように、地を震わせるような唸り声をあげたがしゃどくろは、それまでとは比べものにならない程の凶暴さで二人を攻撃し始めた。周囲の墓石や街灯などが次々になぎ倒され、破壊されていく。怒涛の進撃に滝先輩とナデシコはただ逃げることしかできない。
「まずいな。このままだとここも危険だぞ」
石塚が言う。確かに、霊園を破壊しながら移動してきているがしゃどくろの攻撃範囲内にここもじきに入ってしまいそうだ。天の言ノ葉バリアがどれくらい強力なのかわからないが、できればそれを試したいとは思わない。絹先輩とみやも居ることだし、先に移動しておくべきか?
「先生は、遠隔攻撃の術式は使えないのですか?」
天の言葉に石塚は鼻を鳴らすようにして短く笑い、
「馬鹿な。あんな化け物に通用するような術を使えるなら教師なんてやっているものか。僕の呪術なんて素人に毛が生えたくらいのものだ。だからみやを危険に近づけたくなかったんだ。それなのに……」
と、傍に横たわる妹の血の気の失せた顔を見て悲しそうにため息をつく。
「なにを……ウジウジ言ってんの……あいつを退治するんでしょ……」
唐突に絹先輩が口を開いた。
「巴絹先輩! 気がついたのですか?」
天が声をかける。だが明らかに目の焦点が合っていない。きっと熱に浮かされたような状態だろう。
「てんちゃん……なんか暗くてよく見えないんだけどさ……あたしの弓どこ? あのでっかいヤツ退治するんでしょ? 悪いけど取ってくれない? ねえ……なんか変なんだよ、右手の感覚がなくってさ……あたし、どうしたんだっけ……」
更に弱々しくなっていく彼女の言葉に、天は涙を堪えられなくなった。
「巴絹先輩……大丈夫ですから。あれはわたし達が退治します。だから少し、休んでいて下さい」
絹先輩の左手を握って言う。
「そっか。 ……正直キツイから、そうさせてもらおっかな……あれ、てんちゃん泣いてんの? だいじょうぶ?」
「平気です。泣いていません。目にゴミが入っただけです。寝ていて下さい」
そう? と言ったきり絹先輩は黙った。眠ったのか、気を失ったのか。何にしろ、
「なあ天。これ以上先輩を待たせるわけにいかないよな?」
俺は決意を込めて言った。
「え? ……ええ、それはもちろんなるべく早く病院に行った方が」
どうするつもりだ、と黒目がちな瞳が訊いていた。
「呪器って持ち主以外の人が使ったらどうなるんだ?」
俺は絹先輩の抉奪の弓に手を伸ばしながら言う。
「呪器の選んだ人間以外が使用する場合、強烈な拒否が予想されます。その抵抗に打ち勝つことができれば良いですが、強力な呪器は生身の人間が耐え切れない程の呪力を持っていますので普通なら死ぬでしょう」
え。天の言葉の途中で既に弓を手に取ってしまっていた俺は全身の血の気がひいた。が、もう遅い。
「……っっ!!」
俺の頭の中に何かが飛び込んできた。いや、雪崩れ込んできた。猛烈な嵐のように凶暴なものがねじ込んできたような感覚だ。
『人間。死ぬ気か、良かろう』
頭が割れそうなほどの激痛が俺の両こめかみに走る。
「ちょっと待て、待ってくれ……くっ……いってえ……」
意思と関係なく両目から涙が溢れ出る。頭がい骨が潰されそうな痛みと根源的な恐怖。絶対に手を出してはいけないものに手を出してしまった。思わず後悔しかかる。
『覚悟はしていたのであろう? ならばこのまま死ぬが良い』
まだ上があるのか、信じられない程に痛みが強まった。一瞬でも気を抜いたら間違いなく気を失うぞこれ。俺は決死の思いで声をあげる。
「待てって! お前のご主人がやられたんだ、このままじゃ全員やられる、頼むから力を貸してくれ!」
するとそいつは、弓のくせに鼻を鳴らして笑いやがった。
『思いあがるな、人間風情が。我が仮初の力を与えてやっているだけのことを』
単純な持ち主と所有物、って関係ではないだろうと思っていたが完全に向こうが上って事か。だが。
「いいから……力を貸せって。このまま全滅したらお前の選んだ持ち主……力を与えてやる相手もいなくなるんだぞ? そしたらお前はここに放置されて、ずっと野ざらしになるぞ。いいのか?」
ここで下手に出たらダメな気がして、あえて上から言ってみた。あたまいてえ。すると弓は尊大な嘲笑を漏らした。
『我を脅すとは豪胆な事だ……よかろう、貴様にそれだけの資格があるのなら力を貸してやる。では小僧……死ぬなよ?』
一気にとんでもない力が俺の中に流れ込んできた。全身を鈍い痛みと焼けるような熱さ、なんとも言いようのない異物感が駆けめぐる。目の前にいくつものイメージが浮かんでは消えて奔流のように流れていく。やがて、そのうちの一つが現実感を伴った映像として俺の目の前に広がった。
これは……どこかの戦場か。時代劇のような甲冑を着込んだ武者達が大勢居る。
俺は朱塗りの弓を手にして少し離れた所に身を潜めている狙撃手だ。俺はそれが当然のような気がして矢をつがえてつるを引き絞った。その動作をまるで今まで何度もしてきたかのように。
矢を射る。離れた場所に居る鎧武者の首あたりに命中し、そのまま頭を吹っ飛ばした。尋常じゃない威力。そう、この弓はまともじゃない。そんな事はわかっているのだ。
俺は再び矢をつがえて射つ。その度に鎧武者は体のどこかを吹き飛ばされて命を失う。
『せめて……せめて尋常な勝負で』
刀の腕なら村で一番と自負していた男だった。まだ若く、家に帰れば妻と三人の子供が待っていた。
『俺は嫌だったんだ、戦なんて! ずっと百姓として生きてきたのに無理矢理……』
元々、穏やかで争い事を好まない性格の男だった。長く連れ添った女房と年老いた母が待つ家に帰る事だけを考え、戦場ではずっと逃げ回っていたのを、物陰に隠れた俺が射殺した。
弓を引き、射つたびに命が消え、殺された者たちの悔しさが俺の頭の中に流れ込んでくる。皆、戦とは関わりのない日常からこの戦場に駆り出された男ばかりだった。
それを、俺が殺した。二度と平凡で幸せな日常へ帰れないようにした。もう何人めかわからない。頭の中が怨嗟の想いでいっぱいになって気が狂いそうだ。それでも弓を引く手を止められない。俺は、もっともっと奪わなくてはならない。誰かの命を、幸福を。
そして……
『ちょっと、もういいでしょ! いい加減にしなさい抉奪』
いきなり聞き覚えのある声がしたと思ったら目の前の風景が一変した。何もない、真っ白な空間。そこに俺は立っていた。手には何も持っていない。自分が立っているはずの足元は何故か霞んで見えない。
「絹先輩……?」
巴絹がそこに居た。いつもの制服姿で両手を腰に当てて仁王立ちしている。
『トーヤごめんね、辛かったでしょ? こら抉奪、ちょっと手を貸すくらいで使用者を選ぶためのモノ見せる事ないじゃない!』
何もない空間の、何もない上の方に向かって抗議の声をあげる。
『何を言う。お前が見たものはこんなものではあるまい。まだ序の口だぞ、この程度で根をあげるような貧弱な人間に我が手を貸すとでも?』
抉奪の弓が言い返す。
『だから! あたしの代わりに一発ぶち込んでやるだけでしょ? そんなのアンタだけでもできるでしょうに』
絹先輩は抗議の手を緩めない。
『それは無理だな。我は弓。射手が矢をつがえて引くからこそ弓なのだ』
尊大に言い返す抉奪の弓。
『何よ偉そうに。 ……で? トーヤは抉奪の眼鏡にかなったの?』
『我をそう呼ぶなと何度言えばわかるのだ、我は弓。抉奪などという二つ名は知らぬ』
『うっさいなあ、同じ名前の人がいるからわかりにくいのよ……まあいいや。とにかく、もうこれで気が済んだでしょ。トーヤに引かせてあげなさいよ』
『事態が事態だけに致し方ないとは言えるが……果たしてその者は、射る者に呪詛返しのごとく跳ね返ってくる、死にゆく者や妖どもの怨嗟を受け止められるものか……』
『あーもうめんどくさいなー。そんなこと言ってるから使用者がずっと見つからなくて何百年も倉庫で埃被ってたんでしょうが。さっさとトーヤを目覚めさせなさいよこのわからず屋』
『何だと貴様、人間風情が』
『その人間風情が使ってあげなきゃただのガラクタのくせに何言ってんのよ』
『それは侮辱だ! 取り消せ、今すぐ取り消して謝罪しろこのうつけが!』
『本当のこと言って何が悪いのよ。このままだったらアンタまた何百年も倉庫のガラクタなんだからね!』
あのー、ヒトの頭ん中で喧嘩するのやめてくれます?
『ちょっと黙ってて! この石頭には前から一度ちゃんと言ってやらなきゃって思ってたのよ』
いやそれ今じゃなきゃダメすか?
『鉄は熱いうちに打て、って言うでしょ!』
『我は木製だが』
……。抉奪の弓の言葉に全員黙ってしまった。
『……ぷっ』
絹先輩が吹き出す。これ全部俺の頭の中の出来事だからな、念のため、
『もう、何言ってんのよ。例えでしょ、たとえ。本当に石頭なんだから!』
『いや違う、違うぞ。刀と弓は根本的に違うという事をだな……いや、もういい。何やら我も馬鹿らしくなってきた。おい小僧、力を貸してやる。貴様がどれだけボンクラであろうと一発であの骸骨を討ち滅ぼしてやろう』
『最初から素直にそう言えばいいのよ』
口の減らぬ子娘だ、とか抉奪の弓がボヤく。
いやそれどころじゃない、早くしないと絹先輩が危ないんだった。ここに居る本人は意外と元気そうだが。俺はとにかく目を覚まそうと意識を集中した。
それが夢だと気づいて覚醒していくように、俺の意識は急速に現実へと浮上する。
「水無藻刀哉さん! 大丈夫ですか」
目の焦点が合っていくと、間近に天の顔があった。慌てて体を起こす。地面に横になっていた俺を四つん這いの体勢で覗きこんでいた天は、
「良かった、無事なようですね。ずっと真っ青な顔で汗をダラダラと流してうなされていたのに、途中から急になんでやねん、とか言い出すから脳か精神がやられたのだとばかり……」
え、俺そんなエセ関西弁でツッコミしてたの?
自分の無意識領域に驚きつつ、そんな場合じゃないと気づく。
抉奪の弓を掴む。何も起きない。とりあえず一時使用は認めてもらえたって事だな。
さて、と心を落ち着かせるように深呼吸。すると目の前にぼう、と矢が現れた。宙に浮く漆黒の矢を手にして朱塗りの弓につがえて引き絞る。弓なんて生まれて初めて触ったんだが、別に技術なんて必要ないんだろう。
俺は、奇妙に落ち着いた心で、がしゃどくろの核を見つめたまま矢を解き放った。
音もなく、時間や空間の概念も無視して真っ直ぐに漆黒の矢は飛び、巨大なガイコツの右目の穴に飛び込んだ。
一瞬遅れて、目の奥の光が消え、そして目がくらむほどに眩しく光って放射線状に拡散した。やがてその光が鳥籠のようにがしゃどくろの全身を包み、さらに強く光ってそのまま消えた。
「これが……破核!」
放心したように言う天。滝先輩とナデシコもさっきまで目の前にいた巨大妖怪が一瞬で消えてしまって呆気に取られているようだった。
「何を」
急に、知らない人の声がした。いや、知っているはずなのに明らかに違う声だ。
よいせ、とか言いながらみやが起き上がっていた。石塚が魂の抜けたような顔でそれを見ていた。
「何を、ぼやっとしておる。早くその娘を治療してやらんか。せっかくがしゃどくろを倒したんじゃ。結界を解いても構うまい」
みやが言う。いや、明らかにおかしい。みやじゃない。
「お前……誰だ?」
彼女は小さく笑い、居住まいを正してお辞儀をした。
「お初にお目にかかるのう。儂は……さやじゃ」
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