第19話 8月31日(木) 最終日
朝。
スマホのアラームが鳴り、俺は目を覚ます。
6時15分。
今日も、明日からの新学期に備え、学校に行く時と同じタイミングで目覚ましをセットしていた。
だが、実際には今日はまだ夏休み。
今、1階のリビングに降りても、誰も起きてはいない。
俺は暫く、ベッドの中で過ごすことにした。
スマホでニュースや天気予報をチェックする。
今日も最高気温は34度予報。暑くなりそうだ。
7時過ぎ、リビングに降りると、ちょうどこれから朝食というタイミングだった。
「あら、
「あぁ。もらうわ」
俺は先にトイレへ向かう。
洗面所の前で
「あ、おにぃ! おはよ~」
「おはよ」
朝から元気な聖羅と対照的に、俺はのんびりあいさつを交わし、トイレに向かう。
リビングに戻ってくると、すでに食卓に父親と聖羅がついていた。
「お、冬真。おはよ」
「おはよ」
父親ともあいさつを交わす。
やがて母親が席につき、早坂家の朝食がスタートする。
「いただきます」
家族全員がそろう朝食など、10日ぶり位だろうか。
規則的な生活をしているのは父親くらいで、俺は毎日その日の気分で暮らしているし、聖羅の塾は曜日に関係なくあったりなかったりする。
そんな生活も今日までだ。
今日で夏休みが終わる。
明日からは俺も聖羅も、再び規則的な毎日に戻るだろう。
◇ ◇ ◇
■シャワータイム
朝食が終わり、シャワータイム。
塾に行く聖羅を先に譲り、俺は最後にのんびりシャワーを楽しむ。
今日は夏休み最終日。
まぁ、明日から学校が始まると言っても、始業式などで授業は無し。
そして明日は金曜日なので、明後日からまた2連休。
加えて、そもそも学校が始まることにそれほど抵抗感の無い俺にとっては、夏休みが今日で終わると言っても特に悲観的になる要素は何もなかった。
それでも、一つの区切りとしての意味合いは持つのだろうと思う。
今日はのんびり過ごしながら、この夏休みを振り返るのも悪くはないかな。
◇ ◇ ◇
シャワーから上がって、キッチンへ。
まずは冷たい烏龍茶を一杯。
母親から、「今日は横浜の伯母の家に行くが、一緒に行かないか」と誘われた。
昨日までだったらついて行っただろうが、今日は夏休み最終日。
特に理由は無いが、やはり自宅で過ごしたいと考え、遠慮することにした。
そのあと、俺は2階の自室に戻った。
ベッドに寝転がり、白い天井を眺める。
俺はこの夏休みの出来事をゆっくりと思い出す。
◇ ◇ ◇
■異世界のこと
特にきっかけがあるわけでもなかった。
聖羅に誘われて墓参りに行った。
我が家は割とご先祖様を大切にしている方だと思うが、俺自身はこれまで、盆だの彼岸だのには興味なく過ごしてきた。
死者の霊が「この世」と「あの世」を行き来できるんならば、こちらからも行けるのでは?
何故かその発想が、俺の中でこれまでどこかで見聞きした「異世界転生」とつながった。
試しに先祖の墓前で転生を願うも叶わず。
それから、色々試したっけ。
美術室、図書館、音楽室……
そもそも俺は、現世界に特に不満があるわけでもなかった。
本気で転生したり、召還されたりすると信じているわけでもなかった。
なのに、なんとなくチャレンジしてしまうこの気持ちは、上手く説明がつかない。
ただ、お陰でほんの少しだけ、見聞を広げることができたのは意外な成果だったかもしれない。
図書館では、偶然手にした本から、先の大戦について学ぶことができた。
休み中、学校にも何度も通った。
帰宅部の俺が、長期休業中にこれほど学校に通うことなど、これまでの人生で一度もなかった。
学校にはお盆の期間中にも絶えず生徒がいた。
緑色の上履きの3年生。
皆、真剣に将来を目指して勉強に励んでいた。
来年の今ごろ、自分のあるべき姿を見ることができた。
お盆が開けると、更に勉強する生徒が増えるとともに、部活動に励む生徒も多く見られた。
陽毬ちゃん。
容姿、仕草、口調……。
全てが完璧に可愛かった。
俺が邪険にしていた吹部の中で、ひときわ輝く彼女。
俺の中では完全にアイドルだ。
彼女と出会えたこともこの夏の良き思い出だ。
◇ ◇ ◇
■聖羅のこと
子どもの頃、俺と聖羅はとても仲の良い兄妹だった。
聖羅は「おにぃ、おにぃ」と俺のことをいつも追っていた。
俺の姿が見えなくなると、すぐに泣きだす甘えん坊だった。
俺はどこに行くにも聖羅の手をしっかりと繋いで、聖羅が寂しくないように気遣っていた。
先に距離を置くようになったのは俺の方だったと思う。
小学校高学年になると、だんだんとそんな聖羅と一緒にいる事が、恥ずかしいと思うようになった。
俺が聖羅に冷たい態度をとる度に、聖羅は泣き出し、俺は母親に怒られた。
しかし、それは長くは続かなかった。
いつの間にか、聖羅も俺と距離多くようになった。
今思えば、父親は俺の気持ちを理解してくれていた気がする。
聖羅が中学校に上がるころには、俺と聖羅は必要最小限の会話を交わす程度になっていた。
そして、俺が高校生になるころには、むしろ聖羅の方が俺を拒絶するような態度をとることもあった。
そんな関係性が大きく変わることになったのが、この夏休みだ。
両親がお盆に札幌へ帰省した。
俺も一緒に行かないかと誘われたが、中学生の聖羅を一人置いていくのには気が引けた。
両親は、聖羅はしっかりしているから、一人でも大丈夫だろうと言ってたし、聖羅自身もそれで構わないと言った。
それでも、俺は聖羅が心配だった。
結局、母親の実家にはエアコンが無いだの、ネットが繋がらないだの、難癖をつけて俺は残ることにした。
もちろん、エアコンやネットに関しても、俺が行きたくない原因の一つであることは事実ではあったが。
両親ともに長期間、留守にするのは初めての事だった。
当然、聖羅との「必要最小限」の会話が多くなる。
炊事、洗濯等の家事一般から、テレビのチャンネル権まで、今まで主に母親を介して交わされていた会話を、全て聖羅とダイレクトに行わなければならないのだから。
それは、恐らく聖羅にとってストレスだろうなと予想していた。
しかし、蓋を開けてみれば、聖羅は意外なほど俺に話しかけてきた。
元来、聖羅は甘えん坊気質だということと、家事など面倒くさいことは俺に押し付けようという魂胆もあったのだと思う。
高校2年生で帰宅部の俺は、これと言ってすることもない。
一方、聖羅は中学3年生で受験生である。
やはり、そこは対等という訳にはいかないだろう。
俺はある程度、聖羅のわがままは許容した。
これが、聖羅との冷え切っていた関係性を融和する一助になったのだろうか。
両親が帰ってくる前日、俺は聖羅に進路についての考えを打ち明けられた。
俺と同じ高校に志願すると聞いたときは、嬉しかったが、意外でもあった。
そしてその夜、聖羅が俺の布団に入ってきたときはさすがに驚いた。
子どもの頃はいつも一緒に寝ていたし、また当時の様に甘えたいんだろうなと思って、俺は気にせず寝ることにした。
しかし、聖羅が寝返りを打った時、俺は不意に、聖羅の大人の柔らかさに気付いた。
いつもでも聖羅は子どもじゃない。
俺はやはり、自分のベッドに戻ろうと思ったが、聖羅は意外なほど強く俺のシャツを握りしめていて、それを許さなかった。
俺と聖羅が、何かの拍子に一線を超えるようなことは、絶対にないと思う。
だけど、万が一にも聖羅を傷つけるようなことがあってはならない。
改めて、そう考えさせられる一夜の出来事だった。
◇ ◇ ◇
■最終日
この夏の出来事を思い出しているうちに、どうやら寝てしまったらしい。
時計を見ると、午後3時半を少し過ぎたところ。
さすがに腹が減った。
キッチンに降りて、食べ物を物色する。
結局、いつものカップ焼きそばに落ち着く。
湯切りしてソースをかけ、大きめのグラスに注いだ烏龍茶と共に、自室に持って帰る。
ちょうど食べ終わること、母親からLINEが届く。
帰りが少し遅くなりそうだから、先に買い物をお願いしたいとのこと。
どうせすることもないし、そのくらいお安い御用だ。
俺は簡単に身支度を整え、買い物に向かう。
家を出ると、相変わらず蒸し暑い空気がまとわりつく。
自転車を引っ張り出し、家の前の緩やかな坂道を下り始める。
駅の方に続く小道に入ると、前方に高齢の男性が、ゆっくりと自転車で走っていた。
(ジジイ、おせぇな)
俺は心の中で毒突くが、道が狭く追い抜くことも難しい。
俺は舌打ちをしながらも、
(まぁ、急いでいるわけじゃないから、大目に見てやるか)
と、上から目線で仕方なくその自転車の後に続いた。
もう少しで踏切に差し掛かるというところで、運悪く踏切が鳴り出した。
(なんだよ、ジジイさえいなければ踏切に引っかからずに済んだのに)
そう思いながら、俺は踏切の手前で止まるよう、更にスピードを落とした。
しかし、前を走る高齢者の自転車は、そのまま踏切に入って行った。
(いや、ジジイ、危ねぇよ。無茶すんなって)
俺は呆れてその爺さんを見ていた。
おいおい、早くしないとそろそろ遮断機が降りるぞ。
そう思っていると、事もあろうに、その爺さんは踏切の中で転倒した。
「おい、爺さん! 大丈夫か!」
俺は無意識にそう叫んだが、その爺さんは腰のあたりをさすりながら立ち上がる気配がない。
踏切の反対側に停まっている乗用車の運転手の若い女性も、驚いた様子でこちらを見ている。
えっと、こういう場合、どうしたらいいんだ?
俺は焦った。
遮断機が下り始めても、爺さんは立ち上がる気配がない。
どうしたらいいんだ?
その時、ふと踏切の非常ボタンが目に入った。
これって押していいのか?
いや、今はどう見ても非常事態だよな?
俺は自転車をその場に止め、非常ボタンを押した。
赤色灯が点滅する。
駅の向こう側から電車が接近してくるのが見えた。
ヤバイ、爺さんが死ぬ!
反対側は……、電車は来ていないようだ。
俺は遮断機をくぐって、爺さんのもとに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
爺さんは何かを言いたそうだが、俺はそのまま爺さんを腹のあたりを抱えて引っ張った。
距離的に反対側に逃げた方が近そうだ。
俺は力任せに爺さんを引っ張り、なんとか踏切の外まで逃げ切った。
とりあえず、助かった。
俺は安堵のあまり、手荒く爺さんを地面に下ろす。
すぐに周りの大人たちが駆け寄ってきてくれた。
踏切の方を振り返ると、爺さんの自転車が転がったままだ。
もうこの際、自転車はしょうがない。
駅の方を見ると、近づいてきていた電車がホームの中ほどの不自然な位置で止まっていた。
助かった。
俺は急に気が抜けて、その場にへたり込んだ。
急に怖くなって、俺は震え出した。
これが、腰が抜けたと言うやつか。情けない。
俺も見知らぬ人に支えられて、何とか座っているが、その支えてくれる人の方を見ることもできなかった。
やや暫くして、救急車が来る。
そして、駅員さんらしき人や、警察官も来た。
相変わらず踏切は鳴り響き、赤色灯がせわしなく点滅している。
誰かに話掛かられているのだが、声が耳に入ってこない。
視界の片隅で先ほどの爺さんが担架に乗せられ、救急車に運ばれていくのが見えた。
「大丈夫ですか? 私の声が分かりますか?」
どれだけの時間が経ったのだろうか?
俺はふと我に返る。
一人の女性警察官が俺に話しかけていた。
「爺さんは、生きてますか?」
俺は間抜けな返答をする。
「おじいさんは怪我をされているみたいでしたが、大丈夫ですよ。私の声が分かりますね?」
ここでようやく俺はその警察官の顔を見ることができた。
(警察官には似つかわしくないくらい、可愛い人だな)
俺はそんな場違いなことを考えながら、応える。
「はい。わかります。警察の方ですね」
「はい、そうです。あなたのお陰で、おじいさんも助かりましたよ。もう大丈夫。安心してくださいね」
女性警察官は優しい笑顔と口調でそう答えてくれた。
「ありがとう……ございます」
俺は急に涙が出てきて止まらなくなった。年甲斐もなく恥ずかしいのに、身体は再び恐怖で震え、何かを話そうにも嗚咽が止まらなかった。
「怖かったね。でも、もう大丈夫! あなたは本当に偉かったよ」
その警察官は優しく俺の背中をさすってくれた。
俺は恥ずかしながらも、暫く子どもの様に泣きじゃくった。
暫くして落ち着いた後、俺は警察官と鉄道会社の人にその時の様子を詳しく聞かれた。
俺は夢中だったので、ところどころ記憶が無かったが、可能な限り思い出して答えた。
踏切の反対側に止まっていた車の、ドライブレコーダーの映像を見せてもらった。
慌てふためきながら、乱暴に爺さんを引っ張り出す俺の様子がしっかりと映っていて、恥ずかしかった。
鉄道会社の人にも、何度も感謝された。
ただ、もしまた同じような場面に遭遇したときは、非常ボタンを押した後も、踏切内に入らないように言われた。
それでは爺さんが電車にひかれる可能性があるのではないかと問うと、言葉を濁された。
おそらく、犠牲は少ないほうが良いということなのだろうと理解した。
いつの間にか、電車の運行も再開していた。
俺は、一旦警察署に連れていかれ、親の迎えを待つことになった。
自宅は近くだと話したが、俺がパニックを起こしていたからかもしれない。
警察署に着いて、会議室のようなところに通された。
スマホを開くといくつかの通知が届いていた。
電車の運休情報。
あぁ、俺のせいか。
あと、両親からのLINE。
警察署には父親が今向かっているらしい。
父親が来るまでの間、警察官の方は絶えずそばにいて、とても優しく接してくれた。
程なくして父が到着した。
「おう、冬真」
笑顔で部屋に入ってくる父。
「おう」
俺は手を軽く上げて、短く返事をした。
「お前もたまには役に立つんだな」
「まぁね」
俺と父親は家までパトカーで送ってもらった。
自転車は明日、改めて届けてくれるらしい。
「ただいま」
玄関を開けると、聖羅がリビングから飛び出してきた。
「おにぃー!」
聖羅は俺に飛びつくと、号泣した。
「聖羅、おにぃ、無事帰ってきたぞ」
そう言いながら俺は聖羅の頭を撫でる。
聖羅は暫く、俺にしがみついたまま号泣してた。
おかげで、俺のシャツは聖羅の涙と鼻水でベトベトになったが……
◇ ◇ ◇
■入浴タイム
いつもより遅い夕食が終わって、俺はようやく湯船につかった。
俺が頼まれていた夕飯の買い物が結局できず、色々バタバタしたので、今夜の夕食は宅配ピザになった。
夜遅くに、昼間の爺さんの息子さん夫婦が、謝罪とお礼に訪れた。
爺さんは転んだ拍子に腰をぶつけたのと、足をねん挫したそうだが、大事には至らず、病院から自宅に帰れたそうだ。
あまりにも感謝されると、かえって居心地が悪い。
そう言えば、あのまま俺が爺さんもろとも電車にひかれていたら、今ごろ異世界の旅が始まっていたのだろうか?
いや、両親と聖羅を置いては行けないや。
◇ ◇ ◇
風呂から上がってリビングに向かうと、両親とともに、今日は聖羅もいた。
「風呂出たぞ」
「あ、おにぃ! お帰り!」
俺はキッチンで烏龍茶をグラスに注ぐ。
「おにぃ、今日、聖羅と一緒に寝よう!」
俺は危うく烏龍茶を吹き出しそうになった。
「は? お前何言ってる?」
「いーじゃん! 寝よー」
おいおい、両親のいる前で何を言ってるんだ、聖羅さんよ!
俺の心配をよそに、聖羅は俺のシャツの裾を引っ張る。
「あら、二人ともすっかり仲良しさんに戻ったのね」
母よ。年頃の男女が一緒に寝ることについて何も思わないのですか?
「おう、仲良しで結構。じゃ、父さんは風呂に行ってくるな」
父よ……。以下同文。
◇ ◇ ◇
自室に戻り、俺はベッドに転がった。
ようやく、横になれた。
長い一日だった。
「おにぃ、お待たせ―」
聖羅が枕とウサギのぬいぐるみを抱えて俺の部屋に入ってきた。
「ホントに今日、ここで寝るのか?」
「うん。寝るよ」
「そのウサギもか?」
「うん!」
そう言って、聖羅は当たり前の様に俺の布団に入ってきた。
……狭い。
「聖羅ね、おにぃの妹で本当に良かったと思ったよ」
「あ? 大した兄じゃないだろ」
「そんなことないよ。おにぃは聖羅の自慢のお兄ぃだよ!」
……。
「おにぃ?」
「なんだ?」
「おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
◆ ◆ ◆
8月31日 木曜日
晴時々曇
いつもと同じようで、ちょっとずつ違う毎日。
明日からまた、ちょっとずつ違う、いつもの日常が始まる。
開け! 異世界への扉 まさじろ('ぅ')P @masajirou_p
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