第15話 8月27日(日) 恋の扉

 朝。


 いつものように目覚めてスマホを見る。8時25分。


 いつもよりだいぶ早い目覚めだ。


 もっとも夏休みは今週の木曜日まで。金曜日からは学校が始まるので、そろそろ朝早く起きるサイクルにもっていかないといけない。


 二度寝したい気持ちもあったが、とりあえず今日は起きよう。



 1階に降りようと思ったが、聖羅せいらが廊下を慌ただしく行き来している音が聞こえた。


 そろそろ塾に行く時間だ。


 俺はなんとなく、聖羅が出かけてから降りることにした。



 しばらくすると、静かになった。


 おそらく聖羅は塾に出かけたのだろう。


 俺は自室を出て1階に降りる。



「あら、冬真とうま。おはよう」


 キッチンで母親が洗い物をしていた。


「おはよ。父さんは?」


「まだ寝てる。昨日だいぶ飲み過ぎたからね」


「なるほどね」


 昨日は父親も上機嫌で、深夜まで盛り上がってたからな。


「ご飯食べる?」


「あぁ。もらうわ」

 

 俺は、いったんリビングを出て、トイレと洗面を済ませ戻ってきた。


 すでに母親が朝食の準備をしてくれている。


「いただきます」


 母親も火事が一段落したようで、食卓につく。


「冬真、昨日はありがとうね。聖羅のこと」


「それはいいんだけど、聖羅のやつ、あのいい方はないよな」


「照れ隠しなのよ、きっと」


 まぁ、どうでもいいけど。



 ◇  ◇  ◇


 ■シャワータイム


 朝食後、俺はいつものようにとりあえずシャワーを浴びて、寝汗を洗い流す。


 さて、今日はどうしようか。


 残り少ない夏休み。


 まだいくつか試していない「異世界への扉」もある。


 休み中にそれらをチャレンジしてみたいと思っていたのだが、どうも今日は気分が乗らない。


 かといって、家にもいたくない気分だった。


 とりあえず、学校に逃げるか。



 ◇  ◇  ◇


 シャワーからあがって、キッチンで烏龍茶を一杯。


 父親はまだ寝ているようだ。

 

「冬真、今日は何か予定あるの?」


 母から尋ねられる。


「いや、特にないから、学校の図書館にでも行こうかと」


「あら、勉強?」


「まぁ、そろそろ学校も始まるしな」


 嘘である。


 今までの様に「異世界の扉を探す」とか、積極的な理由があるわけではない。


 かといって、もちろん勉強する気もさらさらない。


 今日の俺は、ただ「この家から逃げたい」という消極的理由で行くだけだ。




 一度自室に戻って、手早く身支度を整えて、再び1階に降りる。


「それじゃ、行ってきます」


「行ってらっしゃい! 気を付けてね」


 母親に見送られて自宅を出た。



 ◇  ◇  ◇


 電車とバスに揺られ、小一時間。


 高校に着いた。


 俺は行く当てもなく、とりあえず図書館に向かう。


 図書館はいつもよりも生徒が少ない印象だった。


 おかげで、隅の窓際の席を確保できた。


 そうか、今日は日曜日だからか。


 それでも、上履きのラインが緑色の生徒、即ち3年生を中心に熱心に勉強している生徒が散見される。


 大学進学を目指す生徒にとっては、これからが勝負の時期だろう。



 進路か……。


 

 俺は昨日の出来事を思い出す。


 聖羅がようやく両親に志望校を宣言し、受験生応援ムードになった。


 そして俺は俺で、父親から暗に進学を促された。


 両親ともに口では「好きにしなさい」というが、やっぱ大学行ってほしいんだろうな。



 将来の見えない俺にとって、自宅が一気に居心地の悪い場所になった。


 それで今日は逃げるように学校に来たというわけだ。



 

 みんな、進路ってどうやって決めてるんだろう?


 

 中学生の時は、とりあえずこうこうにしんがくする高校に進学することが大前提だったから、あとは自分の学力に合わせてどこの高校にしようか位しか考えてなかった。


 実際、当時から積極的に将来のことを考えていなかった俺は、担任の先生にアドバイスされるがままに、ココの高校に入ったのだが。


 しかし、ここから先は選択肢が多すぎる。


 大学、専門学校、就職……。


 大学進学一つ取ったって、単純に学力だけで選べるものではない。学びたい分野や将来進みたい道が決まっていないと、学部や学科が選べないし、それによって自ずと候補となる大学も変わってくる。


 大学も「ピンキリ」だろうから、俺の学力でもどこかには進学できるだろう。


 問題はそこではない。


 そもそも、今、やりたいことがないのだ。


 

 溜息しか出ない。


 とりあえず、手元のタブレットで何か調べてみるか。


 検索サイトを開き、早速手が止まる。



 検索キーワードが見つからない。



 いったい何を調べたらいいかもわからないなど、もう末期だ。


 

 『やりたいことをみつける』


 検索、と。



 いくつかのサイトが見つかった。


 

 『まず、最近ワクワクしたり、ドキドキしたことを書き出してみましょう』


 

 ワクワクしたりドキドキしたこと?


 そんなことあったか?



 お盆に聖羅が俺の布団に入ってきたときは、さすがにドキドキしたな。


 そういえば、昨日も。


 なんとなく成り行きで、聖羅が俺に引っ付いてきて、頭を撫でているときに父親が2階に上がってきて。


 間一髪でごまかせたけど、あれはドキドキした。



 そういう事じゃねぇだろ!


 あれでワクワクしてたら、完全にシスコンだろ、俺。


 違う違う。



 

 『子どもの頃の夢を思い出してみましょう』


 子どもの頃の夢?


 何考えてたっけ、俺。


 普通に戦隊モノのヒーローとかには憧れてたけど、あれは将来の職業にはなり得ないしな。


 なんだろうな。


 聖羅は小さい頃よく、「将来はおにぃのお嫁さんになる!」とか言ってたけどな。


 あの頃はあいつも可愛かったな。



 違う違う!


 俺の人生、聖羅に侵食されすぎだろ!


 ダメだ。このままだと単なるシスコン野郎になってしまう。


 そもそも、それは進路ではない!



 もう一度、よく考えろ。


 最近、ワクワクしたり、ドキドキしたこと。



 ワクワク……。


 ドキドキ……。



 あ、陽毬ひまりちゃん!



 

 待て待て。

 

 だから、そういう事じゃないって。


 それ進路になり得ないから。



 ダメだ。とりあえず、飯食いに行こう。



 ◇  ◇  ◇


 ■恋の扉


 昼は学食で摂った。


 大盛りカレーライス。


 日曜日の学食は、さらに人が少なかったが、営業していて助かった。



 腹ごしらえを終えたところで、引き続きすることはない。


 俺はふと、陽毬ちゃんと出会った時のことを思い出した。


 そういえば、たまたま音楽室の下の教室に行ったとき、彼女に話しかけられたんだっけ。


 そう考えると、急にそわそわしてきた。



 あの教室に行けば、また会えるんじゃないか?


 

 いや、待てよ。


 あの教室は吹部が使用許可をとっていると彼女は言っていた


 それを知っててあの教室で勉強するのは、わざとらしくないか?



 でも陽毬ちゃんは「私たちが使ってないときは使って構わない」とも言ってなかったっけ?


 しかも、「また、とーま先輩とお会いしたいですから」とも言ってたよな?




 よし、冬真GO!



 俺は音楽室の下のフロアの教室に向かった。


 ここですでに陽毬ちゃんたちが使っていたらアウトだが、幸い教室は空いていた。


 よし、チャンス!


 

 俺は前回と同じ席に座って、タブレットを広げた。


 後は陽毬ちゃんが来ることを願うのみ。



 確か、ちょうど時間帯も同じはずだ。


 おー、まさにワクワク、ドキドキする!



 俺は高鳴る気持ちを抑えて、シミュレーションを始めた。


 まず、前回と同様に、彼女たちが来たら、今度は俺の方から話しかけよう。


 なるべくさわやかに、教室を譲る。


 その時、今回は少し話をしてみよう。


 

 楽器は何をやっているの?


 どんな曲、やってるの?


 少し吹いてみて?



 おー! 完璧!


 あまり欲張っちゃいけない。

 

 少しずつ距離を縮めていかないと、警戒されたらおしまいだ。



 さぁ、早く降りてこないかな~。


 俺は、あの日と同じように、全神経を聴力に集中させた。



 が、何の音も耳に入ってこない。


 前回は上から、楽器の音がしてきていたはずだ。



 まさか?



 しまった! 今日は日曜日だ!


 きっと、練習お休みなんだ!


 

 もう、帰ろう。



 一分の気力も無くなった俺は、今日という日を諦めて帰ることにした。


 

 帰りの電車は運良く座れた。

 

 電車に揺られながら、ぼーっと考える。


 あの日の陽毬ちゃん、かわいかったな。



 前回俺の邪魔をした吹部、なんで今日は練習やってないんだよ。



 そこまで考えて、俺は重大な過ちに気が付いた。



 吹部が練習してないんだったら、音楽室空いてたじゃん!!

 


 俺の心は完全にノックアウトだった。

 

 

 ◇  ◇  ◇


 ■入浴タイム


 夕食後のまったりタイム。

 

 帰宅後、あまりに俺が無気力だったので、両親や聖羅には随分心配された。


 馬鹿馬鹿しくて、話す気にもなれない。


 屑だな、俺。



 ◇  ◇  ◇

 

 風呂からあがって、いつもどおり両親に声をかけ、自室に上がる。


「おにぃ、大丈夫?」


 聖羅が心配そうな顔で俺の部屋に入ってきた。


「あぁ。わりぃ、なんか今日は疲れてて」


「おにぃは頑張りすぎなんだよ」


「俺が?」


 聖羅よ、残念ながらそれは違う。俺は何一つ頑張れないから、今こうしてこんな状況なんだよ。


「おにぃがいつも頑張ってるところ、聖羅はいつも見てるからね」


 適当なこと言うなよ。俺は何も頑張っていない。


 ただ、反論することすら面倒くさいので、その場は飲み込むことにした。


「ありがとう」


「今日は早めに休んで。おやすみ、おにぃ」


 そう言って聖羅は戻っていった。



 ◆  ◆  ◆


 8月27日 日曜日

 晴時々雨


 異世界の扉も、恋の扉も、開かない。それは俺が頑張っていないから。

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