第14話 8月26日(土) 早坂家

 朝。


 9時40分、目が覚める。


 いつもよりちょっと早い。


 スマホを見ると、聖羅せいらからLINEが届いていた。


「おはよ、おにぃ。昨日はありがとうね! 塾行ってきま~す♥」


 

 リビングに降りると、両親がお茶を飲みながらくつろいでいた。


 そうか、今日は土曜日か。

 

 俺は「おはよう」と両親に一言声をかけてから、トイレに向かった。


 トイレ、洗面を済ませてから再びリビングに戻る。



「この後、お父さんと出かけるけど、冬真とうまはどうする?」


 と、母親。


「どこ行くの?」

 

 俺が聞くと、代わりに父親が答える。


「久しぶりに幕張でも行くか」


「うーん、暇だし行くかな」


 出かけるのであれば、昼食もそこで摂るだろう。


 そう考えて、俺は朝食をパスして、身支度を整えることにした。



 ◇  ◇  ◇


 ■シャワータイム


 気づけば夏休み最後の週末か。


 どこ行っても混んでるんだろうな。


 相変わらず夏休みが終わってしまうことに対しては、特別な感情はない。


 別に学校が始まることに抵抗もないし。


 そうなんだけどね……。


 

 ◇  ◇  ◇


 シャワーからあがって、身支度を整えた。


 1階に降りていくと、両親はすでに出かけるスタンバイをしていた。


 玄関から出ると、両親は駅の方に向かって歩き出した。


「あれ? 車じゃないの?」


 父が答える。

 

「いや、今日は駐車場とか混みそうだからね」



 確かに。夏休み最後の週末だ。近場で過ごそうという人が多そうだ。


 電車とバスを乗り継いで、幕張新都心に向かう。


 気づけば今にも雨が降り出しそうだ。



 海浜幕張駅前でバスを降り、駅前のビルに入る。


「てっきりイオンにでも行くんだと思ってた」


 父親が答える。


「いやぁ、混んでそうだからな」


「混雑を避けたいんならおとなしく家にいりゃいいじゃん」


「それじゃ、つまらないだろ」



 父親のこういうところは、聖羅に似てるよな。


 あ、聖羅が父親に似たのか。


 昼時とあってどこの店も並んでいたのだが、結局すし屋に落ち着いた。




 ようやく順番が来て、席につけた。


 朝食抜きだったので、腹ペコだ。


 

 オーダーを済ますと、父親がおもむろに話し出した。


「冬真、聖羅の高校受験の件なんだけどね」



 なるほど。その一言でさすがに鈍感な俺も、今日両親が俺を誘い出した魂胆が分かった。


 父は続ける。

 

「冬真と同じ高校に行きたいって言ってるんだってね」


 かわいい妹のためだ。俺もしっかり両親の話を聞いてあげようじゃないか。



「うん。この前、そんなこと言ってたよ」


「実際、冬真の高校ってどうなんだ? 悪くはないんだろ?」


「まぁね。大学進学するやつも多いし、ガラ悪い生徒とかもいないしね」



 俺は正直に言った。実際、俺が1年半通ってて、特に大きな不満はないし、客観的に見ても多分悪い高校ではないんだろうと思う。



「逆に、父さんや母さんはどう思うの?」


「まぁ、母さんは冬真も聖羅も、自分が好きなようにやればいいと思うわよ」


「父さんも同じだけどな。ただ、せっかく冬真が通ってる高校なんだから、情報は聞いておきたいと思ってね」



 なるほどね。せっかくなので、俺の思っている疑問も聞いてみた。


「たださぁ。聖羅だったらもう少し上の公立高校とか狙えるんじゃないの?」


「いやぁ、聖羅にそんな度胸ないだろ」


 そう言って笑う父親に、母親もうなずく。


「あの子は小さいころからお兄ちゃん子だからねぇ」



 あれ? そうだったけ?


「いや、お兄ちゃん子っていうよりは、あれはいつも冬真の陰に隠れて安全なところにいるタイプだな」


 さらに父が続ける。


「だから、今回だってそうなんだよ。先に冬真が通っている高校だったら、安心じゃない」

 


「そんなんでいいのか? そうやって父さんも母さんも聖羅のこと、甘やかすから……」


「あなたもそうでしょ、冬真。結局お盆だって、あなたが食事の支度全部したっていうじゃない」


「言い返せない……」

 

 痛いとこ突かれた。


 オーダーしていた寿司が運ばれてきた。


 ナイスタイミング! バツの悪さが軽減できた。


 

 

 俺たち一家は、暫くおいしく寿司を頂いていたが、不意に母親が話を元に戻す。


「まぁでも、聖羅の能力に全く不釣り合いな高校じゃないんだし、いいんじゃないかしら」


「しかし、冬真に加えて聖羅まで私立高校となると、父さんももっと頑張って学費稼がないとな」


 さらに母親が茶々を入れる。


「そうしている間に、冬真も私立の大学行きたいとか言い出すんじゃないかしら」


「いや、それはないね。俺、進学とか考えてないから、安心して」


 そう俺が答えると、父親が珍しくまじめに語りだした。


「冬真、進学するとかしないとか、その前にまずお前は、やりたいことを見つけることだな。それをやるのに大学に行く必要があるんなら進学すればいいし。学費のことは何とかするから気にすんな」


 俺はなんて答えていいのかわからず、とりあえず「おう」とだけ答えた。


 

「あと、冬真にお願いがあるんだけど」


 改めて母親がそう切り出す。


「ん? 何?」


「私たち、聖羅からまだ、高校のこと聞いてないのよ。だから、冬真から母さんたちに話すようにって、聖羅に行ってくれないかしら」


 まぁ、確かに、進路のことは早い方がいいよな。


「でも、俺そういう小芝居みたいなの、苦手なんだよね~」


 どう言ったら自然に聖羅を動かすことができるだろうか?


「なぁ、冬真。この寿司、旨いだろ? なぁ、旨いだろ?」


「……親父、寿司で息子を買収しようとするな」



 ◇  ◇  ◇


 ■早坂家


 かくして俺は、早坂家の重要任務を引き受けて、帰宅した。


 今夜は焼肉だと張り切っている両親の姿がさらにプレッシャーをかける。



 さて、この重要任務、どうやって遂行しようか?


 ここ最近の「異世界探し」で得た知見を活用しよう。


 まずはしっかりと段取りを考えることである。



 聖羅に促すタイミングは、聖羅が塾から帰って来てから夕食前までの間しかない。


 もう一つの知見。


 人は毎日、ちょっとずつは違っても、無意識に同じ行動をしているということ。


 

 恐らく聖羅は、帰宅した後まず2階の自室に直行する。


 そこで部屋着に着替えた後、1階に降りてキッチンで喉を潤し、夕食までリビングで過ごすことが多い。


 つまり、タイミングとしては、着替え終わった後リビングに戻る瞬間を、捕まえるしかないということだ。



 聖羅の行動を正確に察知するために、まずは俺の部屋のドアを開けっぱなしにしておこう。


 聖羅が帰ってきて、彼女の部屋に入る前、最近の行動パターンからして俺の部屋のドアが開いていれば、必ず俺に声をかける。


 これで、聖羅が部屋に入るタイミングを正確に知ることができる。


 あとは、着替える時間は恐らく2~3分。


 着替え終わって聖羅が部屋から出てくる際にドアが開く音がしたらチャンスだ。



 その瞬間を狙って、俺は偶然を装って、漫画を聖羅の部屋に返しに行く。


 そこで話をするという寸法だ。


 すでに偽装工作用の漫画は、聖羅の部屋から借りてきている。


 よし、準備は完璧だ。

 


 ◇  ◇  ◇


「ただいま~」


 1階の玄関から、吹き抜けを通して聖羅の声が聞こえてくる。


 いつもの時間に聖羅が塾から帰ってきた。


 さぁ、作戦決行だ。



「おにぃ、ただいま~」


 聖羅が俺の部屋の前を通る際、開けっ放しのドアから声をかけてきた。


「おぉ。おかえり~」


 俺もなるべく自然に返事を返す。


 よし、序盤は予想通りの展開。


 俺は様子を伺うために、物音をたてぬように廊下に出てみる。



 そこで、早速問題発生!


 聖羅のドアが開いている。



 ……人はちょっとずつ違う日常を送ってる。


 なぜ、今日に限ってドアを閉めない?


 これだと聖羅が部屋を出るときのタイミングを、ドアを開く音で察知できない。


 このまま廊下で様子を伺うか?


 しかし、これではまるで聖羅の着替えを覗いているみたいではないか。


 ダメだ、いったん自室に戻ろう。



 俺は自室に戻って、次の策を考える。


 ダメだ、こういう時のために第2、第3の策を考えておくべきだったのではないか?


 異世界探しの知見が活きていない。



 その時だった。


「おにぃ!」


 聖羅が俺の部屋にやってきた。いつの間に!?


「お、おう。どうした?」


 俺は冷静を装う。



「昨日はありがとね!」


 昨日? あ、東京タワーか。すっかり忘れていた。


「さすがに昨日は疲れただろ? 今日は大丈夫だった?」


「うん。昨日の夜、部屋の電気消してくれたの、おにぃでしょ? ありがと」


「あぁ。またアニメ見るかなーって聖羅の部屋行ったら寝てたからさ」


「ありがと! 今日、焼肉だって! 下、行こう」


 聖羅はリビングへと俺を誘う。



「あ、待って」


 ここで行かれてしまっては作戦は台無しだ。


「ん? どした?」


「お盆の時に聞いた、高校進学の話だけどさ」


「うん」


「そろそろ、母さんたちに話したらどうだ?」


 よし、言えた!


 

「え? もしかして、ママにそう言うように言われたの?」


 聖羅がニヤニヤしながら言う。



 あー、聖羅さん。


 これだから聖羅はキライだ!



「ちげーよ。母さんたちにはまだ言ってないよ。ただ、そろそろ、夏休みも終わるし、今日は父さんもいるからさ。タイミング的にちょうどいいと思って」


「そだね。ちょっと話してみるわー。パパとママ、どういう反応するかな~」


 そう言って、ご機嫌の様子の聖羅の後について、リビングに降りた。



 テーブルの真ん中にホットプレートが置かれ、焼肉の準備がほぼ整いつつあった。


「ちょうどよかった、もう用意できるわよ。座りなさい」


 2階から降りてきた俺たちをみて、母親が促す。


「わーい、お肉~」


 聖羅がはしゃぎながら席に着く。



 最後に母親が座り、全員がそろったまさにそのタイミングで、聖羅が話す。


「ご飯の前に、聖羅からパパとママにご報告があります!」


「お、なんだ?」


 両親が期待のまなざしで聖羅を見る。


 とりあえず、俺は無事任務が遂行した安堵の気持ちで見守る。


 

「既におにぃから聞いてると思うけど、聖羅、おにぃと同じ村上光陽高校を受験したいと思います!」


 おいおいおいおいっ!


 俺さっき、「母さんたちには言ってない」って言いましたよね?


 聖羅は俺の方を見て、ペロッと舌を出す。


 聖羅~!!



「なんだ、聖羅はパパたちが冬真から聞いてたことを知っていたのか~。それなら話は早いな」


 

 このクソ馬鹿親父~!!

 

 

 今、俺はこの瞬間、異世界に召喚されたいと、今までのどのタイミングよりも強く願った。



「で? パパとママはどう思う?」


「もちろん、パパもママも賛成だぞ」

 

「聖羅が決めた道よ。ママももちろん応援するわよ」


「ありがと~」


 父親はもはや上機嫌だ。


 

「よーし! 早速乾杯だ~。聖羅の高校合格を祈念して、かんぱ~い!」


 俺は虚無の心でグラスを合わせる。

 

「ありがと、パパ、ママ! おにぃも!」


 そう言って、聖羅は俺に小さくウインクした。



 ◇  ◇  ◇


 ■入浴タイム


 今夜の夕食は、そりゃぁもう、盛り上がった。


 合格祝いかって位に。


 実際、この俺が入れた高校だ。聖羅にしたら余裕なんだろう。


 だが、やっぱり解せない。


 聖羅と両親、それぞれの面目を保つためにコソコソやってた俺がバカみたいじゃないか。


 それを聖羅のやつったら。


 俺の気持ちを踏みにじりやがって。



 ◇  ◇  ◇


 風呂からあがって、いつも通り両親に声をかける。


 その後、いつも通り烏龍茶を一杯飲んで、2階に上がる。


 そしていつもなら聖羅とアニメを見るところだが、今日はそんな気分じゃない。


 俺は自室のドアを閉め、鍵をかけ、ベッドに転がる。



 ほどなくして、いつも通り聖羅が来る。


「おにぃ~! 入っていい?」


「ダメ」


 ドアノブを回す音がする。


 ダメだと言っただろう。鍵がかかっているんだから、無駄だよ。


 

 すぐに静かになった。


 諦めたのだろう。


 そう思ったのも束の間、再び聖羅の声がする。



「おにぃ~! 入れて!」


「ダメ」



 次の瞬間、ドアが開いて、聖羅が入ってきた。


「やだ。入る」


 聖羅の手にはドライバー。



「勝手に鍵を開けるな!」


 鍵とはいってもトイレの鍵と同じような、簡単に外から開けれらるタイプの鍵だ。


 俺は部屋の構造を恨んだ。



「おにぃ、怒ってる?」


 そう言って、聖羅は俺がふて寝してるベッドに腰掛ける。


「別に」


「じゃぁ、なんでそっぽ向くの?」


「ちょっと遅めの反抗期を頂いております」


「なに『ちょっと遅めの夏休み』を頂いてる女子アナみたいなこと言ってるの!」



 はぁ~。正直どうでもいいんだが、俺は振り上げた拳の降ろし方が分からずにいた。


「ねぇ~、おにぃ~」


「痛い、痛い! 甘ったるい声出しながら人をドライバーで突くな」


 俺は身の危険を感じて飛び起きた。



「やっと起きた!」


「当たり前だ! 殺す気か!」


「おにぃ、今日は本当にありがとう! 聖羅、嬉しかったよ」


 殺し文句だ。



「だったら、なんであんな言い方……」


 俺は再び、ベッド寝っ転がった。



「なんか、恥ずかしくって」



「まぁ、気持ちはわからんでもないが……」



 暫しの沈黙の後、聖羅が俺の横に寝転がった。


「聖羅?」

 

 俺が聖羅の方を向くと、聖羅は俺の目を見ながら言った。

 

「……ごめん、今日は聖羅、おにぃに甘えすぎたね。でもね、聖羅がお盆に話したあと、おにぃがちゃんとパパとママに話してくれたことと、そして今日私に促してくれたこと。本当に感謝してる。ありがとう、おにぃ」


 俺は思わず、聖羅の頭を撫でてあげる。よい子にご褒美をあげるように。


 聖羅は俺の胸の上に頭をのせる。


 まぁ、今日くらいは甘えさせてやってもいいか。



 その時だった。


「おーい、冬真! 聖羅!」


 父親が階段を上がってくる音がする。


 俺と聖羅は急いで飛び起きた。



「え、おにぃ!」


「はい、これ!」


 俺はとっさにベッドにおいてあった聖羅の漫画を渡す。

  

 二人それぞれ漫画を読んでいるふりをする。


 次の瞬間、父親が俺の部屋に入ってきた。



「なんだ、聖羅もここにいたのか」


「うん。おにぃの漫画が読んでた」


「よし、お前ら! 今から二次会やるぞ」


 酔っぱらって上機嫌の父親は、さらに楽しみたいようだ。



「二次会! おにぃも行こう」


「お、おう」


 俺は父親と聖羅に続いて再び下に降りて行った。


 

 ◆  ◆  ◆

 

 8月26日 土曜日

 晴時々雨


 早坂家はこの日、夜更けまで笑いに包まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る