第11話 8月23日(水) 扉の鍵
朝。
いつも通り目覚めて、時計を見る。7時15分。
あれ?
いつもは、ほぼ10時前後に目覚めるはずなのに、珍しい。
二度寝しよう。
そう思ったが、今日はなぜか、また寝てしまうのはもったいない気がした。
カーテンを開けると、日が差し込んでくる。
天気も良さそうだ。折角だからこのまま起きよう。
俺はベッドから出て、1階に降りて行った。
「おはよ」
両親に声をかける。
「あら、珍しいわね。
「今日は早いな! 何か用事でもあるのか?」
両親ともに驚く。
「いや、たまたま目が覚めちゃったから」
「こりゃ、今日は雨だな」
「まぁ、返す言葉もありませんがね」
さて、聖羅が降りてきて慌ただしくなる前にシャワーを浴びてしまおう。
◇ ◇ ◇
■シャワータイム
さて、今日はどうしようか。
珍しく早くに目が覚めてしまったからな。
待てよ?
これは何かの導きか?
俺はふと、針金の鍵を思い出した。
音楽室で試そうとした鍵。
前回はワックスがけという予想外の邪魔が入ったが、さすがにもうワックスがけは終わっているはずだ。
確か、作業員の人も翌日までと言っていた。
そして今日、不自然に早く目が覚めた。
「機が熟した」というやつだろうか?
よし、今日は学校の音楽室に再びトライしてみよう。
◇ ◇ ◇
シャワーから上がって、俺は2階の自室に戻る。
階段で聖羅とすれ違う。
「あれ? おにぃ、どうしたの? 朝早くに」
「いやぁ、なんか目が覚めちゃって。先シャワー入ってきた」
「こりゃ、今日は雨かな?」
そう言って、聖羅は慌ただしく下に降りて行った。
まったく、どいつもこいつも!
自室に戻ると、俺は机の前に座る。
机の引き出しを開けると、針金を曲げて作っただけの鍵が入っている。
俺はそれを手に取り、目の前に掲げてみる。
うん、今日は何か、こいつに導かれている気がする。
俺は再びリビングに降りて、朝食を摂る。
8時前に父親が、8時半には聖羅が出かけて行った。
俺はのんびりテレビを見ながら二人を見送った。
朝食が終わって、2階に上がり、身支度を整える。
制服に着替えて、準備完了だ。
出かける間際にリビングの母親に声をかける。
「ちょっと、出かけてくるわ」
「あら、学校?」
「うん。今日までに図書館に本、返しに行かなきゃいけなくて」
嘘である。
学校の図書館は夏休み期間中、貸出期間が9月まで延長されている。
そもそも、本なんて借りてない。
「あら、それはご苦労様ね。お昼はいる?」
「いや、学食で食ってくるからいいや」
「わかった。気を付けて行ってらっしゃい」
「いってきます」
俺は家を出て、自転車を引っ張り出す。
ふと空を見ると、朝は日が差していたのに、一転して雨が降りそうだ。
聖羅と父親の言葉を思い出す。
……俺のせいか?
とりあえず俺は自転車に乗って駅に向かった。
駅に着く直前、ついにポツポツと雨が降り出す。
急いで駐輪場に自転車を置いて駅の中に入る。
大して濡れずに済んだ。
電車に乗る。
どんどん雨が強くなってくる。
高校の最寄り駅に着く頃には、本降りを通り越して、土砂降りになっていた。
確か、カバンの中に折り畳み傘があったはず。
俺はカバンの中から折り畳み傘を引っ張り出し、電車を降りる。
土砂降りの中、駅からバスに乗り、学校に着いた。
下駄箱で折り畳み傘の雫を振り払い、ビニール袋に入れる。
やれやれ、とりあえず校舎に入れば一安心である。
俺はいったん、図書館に向かう。
図書館に入ると、先週よりも利用している生徒が多くなった印象だ。
運良く、窓際奥に空席を見つけて座る。
窓から外を眺めると、雨は上がっていた。
さっきの土砂降りは何だったんだ?
まるで俺に試練を与えるかのようなピンポイントな雨だった。
さて、俺はこれまでの経験を踏まえ、今日もしっかりと段取りを考えてから臨むことにしよう。
前回、音楽室に向かうまでのシミュレーションは完璧だった。
そこでまさかの「ワックスがけ」というアクシデントに遭遇する。
しかし、問題はそこではない。その後だ。
俺は予期せぬ事態に動揺し、作業員の女性の気配に全く気付かなかった。
これでは、もし鍵を開ける作業に集中しているところに誰かが近づいても、気付けない。
できるだけ早く危険を察知することが大切だ。
先日の作業員の人もそうだったが、普通に考えて俺のようにヤマシイ人間以外は、昼間の学校内で足音を忍ばせて近づいてくるものはいないだろう。
通常の歩行であれば、足音で気付くことが出来るはずである。
今日はその点に特に注意して臨もう。
さて、段取りは完璧だ。
時計を見ると、もう少しで12時だ。
先に学食で飯を済ませてから決行とするか。
俺は、図書館を出て学食へ向かった。
◇ ◇ ◇
■扉の鍵
学食で飯を済ませた俺は、音楽室のある校舎へと渡り廊下を歩いていた。
まずは音楽室の1つ下のフロアにある空き教室に入る。
ここで、段取りの最終確認だ。
この後俺は、この教室を出て、階段を1つ上る。
階段を上る際も、階段の上下に他の人がいる気配がないかをきちんと確認しよう。
そして、上の階に上がる。
音楽室は階段を上がって、左側だが、右側の様子にも要注意だ。
もしかしたら、右側の空き教室にも誰かいるかもしれない。
ちょっと待てよ? そしたら初めから最寄りの階段を使わずに、反対側の階段から上がった方が良いのでは?
その方が、右側の教室の偵察を自然に済ませることが出来る。
何せ、制服を着て校舎内を歩いているだけなら、自習のために空き教室を探している生徒くらいにしか思われないだろうから。
よし、その作戦で行こう。
直前にもう一度段取りを確認しておいて良かった。
今日の俺は、いつになく冴えている。
やはり朝早く目覚めたのも、何かの導きであったに違いない。
さて、前回の反省を活かして、今日、最大の留意点は「人の気配」に注意すること。
常に耳を澄まして、物音には十分な注意を払っていかなくてはならない。
早速俺は、全神経を聴力に集中する。
上の階から楽器の音がする。
吹奏楽部だ。
小さな音にも集中したいときに、楽器を吹かれるとは、これはちょいと厄介だな。
頼むから、静かにしてくれよ、吹部!
こんな近くで楽器なんか吹いてんじゃねぇよ。
いや、ちょっと待て。
……しまった!
吹部の音がするってことは、音楽室使ってるってことじゃん!!
計画終了。
どう頑張っても、今日は音楽室に入れない。
憎き、吹部め。
そんなことを考えていると、複数の女子生徒の声が近づいてきた。
俺は咄嗟に、手元のタブレットを開いて、勉強するフリをした。
楽器を持った数人の女子生徒が教室前の廊下に止まって、何やら話している様子を視界の端に認めた。
それでもなお、俺は気付かぬフリをした。
頼む、どこかに行ってくれ。
しかし、俺の願いとは裏腹に、一人の女子生徒が教室に入ってきた。
俺は、なおも気付かぬフリをし続けていると、その女子生徒はついに俺に話しかけてきた。
「あのぉ~、お勉強中すみません」
俺はこれ以上しらばっくれるのは無理だと観念し、声の主の方を向く。
赤いラインの上履き。1年生か。
そして、声の主の顔を見る。
――めっちゃ、かわいい!
俺が一瞬自失する間に、再び彼女が口を開く。
「2年生の先輩ですね? お勉強中にお邪魔しちゃってすみません」
相手も俺の上履きのラインを見て、2年生だと判断したのだろう。
「あ、いや。えっと、何か?」
俺は動揺を隠し切れずに歯切れの悪い返答をする。一方相手は、吸い込まれるような可愛い笑顔で続ける。
「私は~、吹奏楽部1年生の、浅野
「あ、いや、それは良いんだが……」
「実は陽毬、先輩にお願いがあるんですけど、聞いてもらえます~?」
めっちゃ、かわいい! 声も、仕草も、顔も、全部かわいい!
「え? お、お願い?」
「はい。実は、私たち吹奏楽部で、ここの教室の使用許可をとっているんです。あっ、もちろん、先輩のお勉強の邪魔をするつもりはないんですよ! でも、もし、可能でしたら、譲って頂けないかなぁ~と思いまして」
なんて謙虚でかわいい子なんだ。使用許可をとっているなら、君たちが使って当然じゃないか。
「あ、そうだったんだね。俺の方こそ、てっきり空き教室だと思って、使ってたから、悪かったよ」
俺は急いで、カバンにタブレットをしまって、立ち上がった。
「先輩、譲っていただけるんですか?」
「もちろんだよ!」
「ありがとうございます!」
陽毬ちゃんは深々と頭を下げた。
「いやいや、そんな気にしないで」
俺は、いそいそと教室を出ようとした。
「あ、先輩! 待ってください」
「え? 何か?」
「よろしければ、先輩のお名前、教えてもらえませんか?」
「え? 俺の名前?」
「はい!」
「えっと、早坂
「とーま先輩! ありがとうございます。陽毬、覚えておきますね」
「あ、どうも」
めっちゃ、かわいい! めっちゃ、かわいい!
俺はもう恥ずかしくて、今度こそ教室を出ようとした。
「とーま先輩!」
「あ、はい!」
「とーま先輩、とってもお優しいですね! 私たちがいない時は、全然この教室使って構いませんので」
「そ、そうですか」
「はい! 陽毬また、とーま先輩にお会いしたいですから」
「じゃ、また!」
俺は今度こそ、教室を出た。
「とーま先輩、ありがとうございました!」
陽毬ちゃんの声を背中で受け止めて、俺は速足で階段を駆け下りた。
何なんだ! あの子は。
まるでアイドルのような笑顔、声、口調……。
俺は異世界のことなどすっかり忘れて、帰路に就いた。
校舎を出て、バス停に向かう。
午前中の雨が嘘のように、すっかり晴れて、日差しがまぶしい。
顔が熱いのは、日差しのせいだけじゃない気がした。
◇ ◇ ◇
■入浴タイム
いつものように夕食後、風呂に入って今日一日を振り返る。
言わずもがな、今日最大のトピックは、陽毬ちゃんだ。
彼女の笑顔に、すっかり心を持っていかれてしまった。
もしかして俺は、陽毬ちゃんに出会うために今日、朝早く目覚めたのではないだろうか?
俺を導いたのは異世界の扉ではなく、陽毬ちゃん?
ダメだ、冷静になろう。
そうでもないと、風呂でのぼせる。
◇ ◇ ◇
風呂上がり。
毎日のルーティーンをこなして自室に戻ると、聖羅がやってくる。
「おにぃ~」
「どうぞ」
「もう、聖羅の部屋でPC準備出来てるよ。早く来てね~」
そう言って、聖羅は自室に戻っていった。
「あいよ」
聖羅も聖羅で、十分可愛いんだよな。
今日の俺は、どこか変だ。自分でもわかる。
聖羅の部屋でアニメ鑑賞。
前回、聖獣と姫が石化され、一人逃げてきてしまった主人公。
そのまま主人公は敵を警戒しながら一人で夜を明かす。
翌日、聖獣の石化魔法は解けた。
しかし、姫の方は魔法をかけたモンスターを倒していないから、このままだと永遠に石化が解けない。
主人公は聖獣に状況を説明し、姫を石にしたモンスターを探し出し、そして討伐した。
これで24時間後には姫も戻るだろう。
このまま24時間、何もなきゃいいが。
見ていてつかれるアニメである。
さて、寝るとするか。
◆ ◆ ◆
8月23日 水曜日
晴時々雨
今日、俺を導いたものはやはり陽毬ちゃんだったのか?
※このお話は、著者の拙作「君がため、春の野に出でてラッパ吹く♪ 第37話 文化祭までに」とリンクしております。そちらも合わせてご笑覧賜れば幸いです。
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