第9話 8月21日(月) 合せ鏡

 朝。


 スマホを開く。10時05分。


 ほぼいつも通りの時間。俺の体は夏休みの生活スタイルを正確にインプットしているようだ。



 俺はあくびをしながら、ベッドから起き上がると、1階に降りて行った。


 そのままトイレを済ませ、リビングに向かう。


 誰もいない。


 父親は仕事、聖羅せいらは塾だろう。


 母親は買い物にでも行ったのだろうか?



 毎日同じ生活をしているつもりでも、どこかちょっとずつ違う日々。


 食卓には俺の分の朝食がラップをかけられた状態で置かれている。


 食べ物を見ると途端に空腹を覚えた。

 

 まずは顔でも洗ってくるか。



 洗面所から戻ってきて、一人朝食を摂る。


 テレビのチャンネルを適当に回すが、どれも興味のあるものはない。


 無音よりはマシなので、適当につけておく。


 今日も最高気温35度予報。


 家から出ないことにしよう。




 ◇  ◇  ◇


 ■シャワータイム


 さて、今日はどうしようか。


 たっぷりと時間があると思っていた夏休みも気づけばあと10日だ。


 といっても、特に焦ることもなければ、気持ちが重くなることも無い。


 9月に入れば学校が始まる。


 ただ、それだけのこと。


 そりゃ、何もせずに家でダラダラ過ごす方が快適ではあるが、かといって別に学校が嫌いなわけでもない。


 通学は多少面倒くさいが。



 さて、今日はどうしようか。


 思考が振出しに戻る。


 この1週間、異世界探しをしてきたが、それは穀潰しの妄想に過ぎないという自覚はある。


 別に大したポリシーを持ってやっているわけでもない。



 さて、今日はどうしようか。



 ◇  ◇  ◇


 シャワーから上がって、自室に戻る。


 いつも通り、一番上にあるTシャツと、ハーフパンツという格好で、机の前に座る。


 まったくもってヒマだ。



 再び穀潰しの妄想にでも浸ろうか。

 

 いつでもやめられると思っているのに、ついつい考えてしまうのはある種の中毒だろうか?



 PCを開き、異世界の情報収集。


 とはいっても、それらしき小説や漫画を「つまみ読み」するだけだが。


 それでも妄想は楽しい。


 

 たとえば、「きさらぎ駅」なんて言うのは、本当にあるんだろうか?


 もし俺の家の近くにあるとするならば、どこだろうか?


 東成田駅とか、面白そうだな。



 桜の木の下、エレベーター、東京タワー……


 ネタは色々ある。


 早速暇だし、どれかを試してみるか。



 そう考えたが、窓の外を眺め、気持ちが萎える。


 35度かぁ。



 昨日、37度の炎天下の中、聖羅と自転車で出かけ、懲りた。


 昨日より涼しいか?とも思ったが、脳がバグって閾値が上がっているだけ。

 

 出かけるのは、また明日にしよう。



 そうだ、最近、聖羅から借りてきた漫画。


 昨日最終巻まで買ってきたから、それを読み進めようか。


 俺が先に読んだら聖羅は怒るだろうか?


 聖羅の部屋に置いてあるが、俺が金を出して買ったものだ。


 先に読んでも文句は言われる筋合い無いだろう。


 と、そこまで考えて思う。


 ――器ちいせぇな、俺。



 ◇  ◇  ◇


 ■合せ鏡


 早く漫画を読み進めたい気持ちに色々な打算を付け、結局俺は漫画を読み進めることにした。


 先に借りていた、読み終わった本を持って聖羅の部屋に向かう。


 今日も聖羅の部屋はドアが開けっぱなしだった。


 最近、急に聖羅が俺に対し優しくなったのは何なのだろうか?


 

 聖羅の部屋に入ると、俺はまっすぐ本棚に向かう。


 本人の了承を得ているとはいえ、妹の留守中に一人で部屋に入るのは落ち着かない。


 なるべく周りの物には触れないように、見ないように。


 まずは持ってきた本を本棚に押し込む。

 

 

 その時、「コトン」っと小さな、硬い音がした。


 なんだろう?


 本の隙間に手を突っ込むと硬いものに触れる。


 それを掴んで引っ張り出すと、何の変哲もない、手鏡だった。


 なんでこんなところに置いてたんだ、あいつ。


 何の気なしに鏡をのぞき込む。


 俺のアホ面が映る。


 その後ろに、俺の後姿を映した姿見が見える。

 


 合せ鏡。

 


 俺は、ちょうどよく像が連続する角度を探した。


 お互いの鏡の中を映した世界は、無限に続いていく。


 まるで小学生の遊びの様だが、俺はそこに何か特別なものを感じた。



 思わず鏡に手を延ばす。


 相変わらずの硬い感触。


 鏡の中に入れないというのは、既に実証済みではないか。


 しかし、なおも俺は試したくなる。


 何せ試すのはタダなんだから。


 なんのリスクも無い。


 

 俺は目を瞑って、神経を集中させてから、左手に持った手鏡に右手を延ばす。


 相変わらず、硬い感触があるのみ。


 

 今度は自分の前に手鏡を持って、姿見の前に立つ。


 姿見の中に映る小さな手鏡の中に無限の世界が広がる。


 俺は再び目を瞑り、その小さな世界に手を延ばす。



 やはり硬い感触。


 目を開ける。



 またやってしまった。


 きれいに磨かれた鏡に俺の指紋。



 先日と同様、ティッシュで綺麗にふき取る。



 なぜ、異世界なんか行けないとわかっているのに試したくなるんだろうか?


 自分のアホさ加減には心底呆れる。



 手鏡の方もきれいにふき取る。


 さて、これはどうしようか?


 とりあえず、聖羅の机の上に置いておくことにしよう。



 俺は念のため、聖羅の机の上に、俺に見られたくないものがないかを確認したが、杞憂に終わる。

 

 これで安心して、手鏡を置いておける。


 

 しかし、急に手鏡が机の上にあったら、聖羅も不審がるだろう。

 

 俺が聖羅の部屋を漁っていたと思われると困るので、経緯を先にLINEしておこう。



「本棚に漫画返そうと思ったら、鏡出てきたぞ」


 更に俺は、机の上に置いた手鏡の写真を撮って添付しておく。


 これで帰ってきたときに不審に思う事は無いだろう。


 自室に戻ろう。



 聖羅の部屋を出るとき、一応廊下に誰もいないことを確認した。


 妹の部屋から使用済みのティッシュを持って出てくる兄など、変態以外の何物でもない。


 幸い、母親も未だ帰ってきておらず、俺は無事自室に戻った。



 はぁ~。


 ベッドに転がり、安堵のため息をつく。


 そして、ふと気が付いた。


 ……続きの漫画借りてくるの忘れた。


 いったい何のために聖羅の部屋に行ったんだか。



 だが、再び彼女の部屋に戻る気にはなれず、今日はこのままネットサーフィンを楽しむことにした。



 昼過ぎ、聖羅からLINEが届く。


「これ、探してた鏡! ありがとう♥ おにぃ、グッジョブ!」

 


 ◇  ◇  ◇


 ■入浴タイム


 夕方までに家族全員が帰ってきて、にぎやかに夕食。


 そして、いつもどおり順番に風呂に入る。


 浴室に足を延ばす。至福のひと時。


 合せ鏡。


 くだらないのだが、ビジュアル的には今までで一番ソレっぽかったな。


 このままくだらない夏休みを終えていくのも良いだろう。


 何の後悔も無い。



 ◇  ◇  ◇


 風呂上がり。


 今日もリビングの両親へ声をかけ、キッチンで烏龍茶をガブ飲みし、2階に上がる。


 自室に入ると、物音に気付いて聖羅がアニメ鑑賞の誘いに来る。


 すべていつも通り。


「おにぃ。おかえり! もうPCつけてスタンバってるよ」

 

 昨日は俺の部屋でアニメを見たが、今日は聖羅の部屋で見ることになった。


 毎日同じことをしていても、毎日必ずどこかがちょっとずつ違う。


 やはり全く同じ日なんてないんだな。


 

 

 聖羅が再生ボタンをクリックする。


 朝。主人公と姫はテントをたたみ、洞窟に向けて出発する。


 すると突然、モンスターが現れた!


 セオリー通り、姫のペンダントから聖獣を召喚する。


 聖獣がモンスターを圧倒的な強さで追い込む。


 あと一撃で勝負ありか?


 そんなタイミングで、瀕死のモンスターが一筋の光線を放つ。


 すると、なんと聖獣が石化されてしまった!


「えーっ!?」


 既に衰弱していたモンスターは、姫のとどめの一撃で消滅したが、聖獣は石化したままペンダントに吸い込まれていった。


 おい! どうなってるんだ、この世界?



 ◆  ◆  ◆


 8月21日 月曜日

 晴


 今日もくだらない一日。聖羅の鏡が見つかったことは喜ばしい。

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