第5話 8月17日(木) 音楽室

 朝。


 目が覚めると、俺の隣で聖羅せいらが静かに寝息を立てていた。


 

 あぁ、そうだっけ。


 聖羅が起きる時間にはまだ早い。


 俺は聖羅を起こさぬよう、静かに布団を出る。



 1階に降りて、朝食の支度。


 今日はようやく両親が帰省から帰ってくるから、俺が作る最後の朝食だ。


 メニューはトースト、スクランブルエッグ、ソーセージ、サラダ、コーンスープ、ヨーグルト。



 聖羅が降りてくるだろう時間に合わせて準備を進めていると、はたして予想通りの時間に聖羅は降りてきた。


「おにぃ、おはよ」


「おう、おはよ」


 いつもはそのまま洗面所に向かう聖羅が、今日はそのまま何かを言いたげに立っている。


「どうした?」


 聖羅は伏し目がちに言う。


「……なんか。昨日は、ありがとう、的な?」


 そう言って、聖羅は洗面所に向かっていった。


 

 なんだ? この「朝チュン感」は!?




「いただきます」


 二人そろって、手を合わせてから食べ始める。


「おにぃ、うちにジャムってあったっけ?」


「あぁ、わかんね。見てくる」


「いいよ、聖羅が行く」


 そう言って聖羅はきっちんに向かい、ジャムを探し出してきてくれた。


「はい、ジャム」


「おぉ。ありがとう」



 

 テレビでは台風の影響で混乱する新幹線の様子が映し出されていた。


「まだ台風の影響あるんだね。ママたち今日、帰ってくれるかなぁ?」


「北海道の方はそれほど影響ないんじゃないのかなぁ?」



 今日の聖羅は何か変だ。


 やけに素直と言うか、いつものツンデレの「ツン」が無い。


 

 朝食が終わり、俺は後片付けをする。


 時間になり、聖羅は塾へ出かけて行った。



  ◇  ◇  ◇

 

 ■シャワータイム


 さて、今日はどうしようか。


 午後には両親が帰ってくる予定だが、特に俺のスケジュールには関係がない。


 相変わらず暇だ。


 昨日で世の中的には盆休みが終わりらしい。


 今日は再び、学校に行ってみるか。


 図書館も学食も開いているはずだ。



 ◇  ◇  ◇


 2階の自室に戻ると、床に敷いてあった布団は綺麗に片付けられていた。


 聖羅の完全犯罪。


 いやいや、聖羅さん。部屋の入り口のコードに躓いた跡がありますよ。


 こんな古典的な予防線に引っかかるとはね。



 

 俺は身支度をして学校へ向かった。


 まずは図書館へ。


 俺はなるべく人目につかない端の方の席を探したが、大体そういうところは埋まっていた。


 皆考えることは一緒だ。


 とりあえず開いている適当な席に着き、今日の作戦を考える。


 

 今日の目的は音楽室に絞った。


 理由はまず、場所がはっきりわかること。


 前回の美術室の二の舞は避けたい。


 また、場所が分かるということは、事前に綿密な計画が立てられることを意味する。


 それから、人気ひとけのない場所であることも重要だ。


 これらの条件を満たすのが、音楽室だった。



 今日は試したいことがある。


 音楽室は一般教室と違い、恐らく施錠してあるだろう。


 ここで例の「針金」の出番である。


 

 アニメじゃあるまいし、普通に考えて、針金で鍵が開くわけがない。

 

 しかし、この針金がドアを物理的に開けるための鍵ではなく、異世界に召喚されるための鍵だと考えればどうだろうか?


 市立図書館はICカードキーだった。


 これはその時点で「扉」はここではないというサインなのだろう。



 今日、俺は音楽室の扉に針金を通してみる。


 通常であれば開くはずはない。


 しかし、もし音楽室から異世界に通じており、俺が召喚されるにふさわしい人物であったのなら、この針金で開くだろう。



 俺は図書館で勉強するフリをしながら、段取りをしっかりと考えた。


 「段取り八分」と聞いたことがある。


 段取りがしっかりしていれば、8割方成功したも同然。


 それを俺は頭の中でしっかりとシミュレーションしておく。


 

 現場を何度も見た経験があるだけあって、イメトレは完璧だ。


 さぁ、残り2割の「仕事」をさっさと片づけてしまおう。



 ◇  ◇  ◇


 ■音楽室


 俺は図書館の出て音楽室へ向かった。


 先ほどシミュレーションしたルートを計画通り進んでいく。


 階段を上がり音楽室のあるフロアへ。



 廊下を進むと、音楽室が見えてくる。

 

 イメトレ通りの光景をなぞる。



 やがて音楽室に近づいたとき、俺はイメトレとは違うある異変に気付いた。



 

 ドアが開いている!


 

 これはもしや、「鍵」を持つ俺の接近を察知して、既に異世界の扉がオープンしているということなのか?


 やはり、異世界に通ずる扉の「鍵」というものは、普通の鍵のように物理的に使うものではない。概念的なものなのかもしれない!


 いざ、開け放たれたドアの前に意気揚々と立つと、一つの椅子が置かれていた。


 そこにはメッセージが。



「ワックス塗りたて 入室禁」



 え?


 これは参った。


 鍵が開かないなど、物理的な障害は予測していたが、ワックス塗りたて?



 ドアは開いており、物理的には何の支障もなく室内に入ることが出来る。


 しかし、この1枚の紙きれに書かれたメッセージが、俺の良心に働きかけ、理性が急ブレーキをかける。


 

 くそ、心理作戦か。

 

 俺はドアの前で呆然と立ち尽くす。


 あれほどシミュレーションし、イメトレを重ねたのに……。



 この想定外の事態に気を取られ、周囲への警戒が疎かになっていたらしい。


 

「おや、学生さん」

 


 不意に声をかけられ、俺は飛び上がりそうになる。


 振り向くと、作業着を着た初老の女性が立っていた。


「もしかして、吹奏楽部の学生さんかい?」


 女性は俺に対し、何の疑いもなくそう言う。



 冷静になれ。


 そうだ、客観的に見て制服を着た俺がドアの前で貼り紙を見ている様子は、何も怪しい点はないのではないか?


 

「あ、はい」


 咄嗟に嘘をつく。


 容姿から察するに、この女性は恐らく清掃業者の人だろう。俺の所属する部活動など知る由もない。


「ごめんねぇ。今日はワックスがけで入れないのよぉ」


 女性が申し訳なさそうに言う。


「あ、ワックスがけ、今日でしたか。すっかり忘れて練習に来ちゃいました」


 俺は調子よくそんなことを言ってみる。


 

「夏休みなのに偉いね。今年のコンクールは上手くいったのかい?」


 

 やべぇ! 知らね~!!


「まぁ、まずまずでしたね」


 こんなんで誤魔化せるのか?


 俺はこの場から早く立ち去ろうと、ゆっくり階段の方へ歩き始めた。


「それはよかった。明日まで入れないから、覚えておいてね」


 女性は笑顔で追う言う。


「わかりました! ありがとうございます!」


 俺もできる限りさわやかな笑顔でそう言うと、踵を返した。



 危ねぇ~!


 俺は速足で階段を降りた。


 これまでで一番危ない場面だったんじゃないか?


 何とか誤魔化せたものの、全身から噴き出た汗が気持ち悪かった。



 とりあえず最悪の事態は免れ、ホッとしたら腹が減った。


 ちょうど昼時。今日は学食がやっているはずだ。


 俺は学食へ向かった。



 ◇  ◇  ◇


 学食。


 夏休みと言うこともあり、メニューは限られていた。


 基本的にラーメンとカレー。


 それに、それぞれ味やトッピングが選べる程度だ。


 カレーは昨夜食べたから、ラーメンにする。


 塩ラーメン大盛りの食券を買い、カウンターに出す。


 「少々お待ちください」


 店員さんにそう言われ、一旦近くの席に着く。


 普段なら生徒たちであふれかえっている学食。


 今日はそれが嘘のように、まばらにしか人がいない。



「塩ラーメン大盛りの方~」


 程なくして呼ばれる。


「夏休みなのに偉いねぇ。生徒会の役員さんかい?」


 店員の女性は笑顔で話しかけてくれる。


「あ、いや……」


 何をしに来たかは言えない。


「チャーシュー、サービスしといたから。頑張って」


 笑顔でラーメンを出してくれた。


「ありがとうございます」



 お盆休み明けすぐに学校に来るのは、一部の熱心な部活の生徒と、受験生、それに生徒会の役員くらいか。


 そんなご立派なメンバーの中で、恐らくただ一人、下心オンリーで来た俺に対し、チャーシューをサービスされてしまったこの気持ちを、いったいどう表現したらよいのだろうか。



 そんなことを考えながら、ラーメンを食べていると、スマホが鳴る。


 母からだ。


 無事、羽田空港に着いたとのこと。


 台風の影響を心配していたが、とりあえず一安心。


 今夜からは家事から解放される。



 ◇  ◇  ◇


 家に帰ると、既に両親は帰宅していた。

 

 お土産話を聞かされる。


 やはり、札幌も暑かったようだ。

 

 しかも、冷房のない母親の実家に滞在するくらいなら、やはり千葉こっちに残って正解だった。



 預かっていた財布を返した。


 使い過ぎだと小言を言われるかと思っていたが、「節約したのね」と。


 俺と聖羅で毎日外食して、もっと使うと思っていたらしい。


 しまった、その手があったか。


 律儀に毎日、自炊してしまった。


 

 ◇  ◇  ◇


 夕方。


 気づけば聖羅が塾から帰ってきていた。


 そうか、今日からは「これから帰るね」というLINEは届かないのか。


 そういえば、両親が帰省する前は、家にいてもそれほど聖羅と話をすることも無かったったもんな。


 元に戻っただけか。


 まぁ、いいんだけど。




 夕食。


 久々に4人そろっての食事。


 何もしなくても自動的に食事が用意されることに、ささやかな感動を覚えた。


 

 夕食の話題は、お互いの近況報告のようになった。


「聖羅ね、昨日、おにぃと一緒にね……」


 えっ? 聖羅、何を言い出すんだ!?


「カレー作ったんだけどさ」


 何ビビってんだ、俺。


「おにぃの方が料理上手くてさ。なんだかショックだったわ~」


 ……そりゃどーも。



 飯が終わって自室に戻る。


 片付けもしなくていい幸せ。


 飯食い終わった後、今まで俺何してたっけ?


 ほんの1週間でルーティーンが分からなくなる。


 俺の部屋にはテレビが無いので、とりあえずPC開いて適当にネットサーフィン。


 そうしているうちに、ドアをノックするされた。


「聖羅お風呂出たよ。おにぃ、どうぞ~」



 ◇  ◇  ◇


 ■入浴タイム


 いつものように湯船につかり、ぼんやりと考える。


 これまでの数日間の経験から、今日は綿密に段取りを考えて音楽室に臨んだ。


 だがしかし、「ワックスがけ」という想定外の事態に遭遇し、また作業員とも接触してしまった。


 何とか誤魔化せたものの、やはり想定外の事態も起こり得るのだということを覚えておこう。



 ◇  ◇  ◇


 自室に戻り、やや暫くすると再びドアをノックする音が聞こえる。


「おにぃ~」


「あぁ、どうぞ」


 聖羅が折りたたみの椅子を抱えて入ってくる。


「いつものアニメの続き、観よう」


 わざわざ、椅子持参で、か。



「おにぃ、PC開いて」


 言われるがままに俺はPCを開き、ネトフリで例のアニメを探す。


 聖羅は俺の横に椅子を並べ、座った。


「近くない?」


「しょうがないでしょ? おにぃのPC、画面ちっちゃいんだから」



 姫の付き人となった主人公。


 早速、いざというときに姫を守れるようにと、魔法を教わる。


 ようやく異世界アニメらしくなってきたか?


 と思いきや、全く魔法が覚えられない主人公。


 異世界も甘くないんだな。



 アニメが終わると、聖羅は持ってきた椅子をたたみながら言った。


「今日は自分の部屋で寝るから」


「当たり前だ!」


 聖羅は椅子を抱えて俺の部屋を出ていった。


 一度閉じかけたドアを再びちょっと開けて、聖羅が顔を出す。


「おにぃ、おやすみ」


 そう言って、聖羅は自室に帰っていった。


 そういえば「おやすみ」も先週までは無かったな。



 ◆  ◆  ◆


 8月17日(木)

 晴


 今日の報酬は、チャーシュー。

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