もう一つの黒い箱

その夜渡辺が私の部屋にやって来た。手にはワインの缶を持っている。最近は地球からの補給物資の中にコーヒーやワインが入ってくるようになったのだ。その1本を私に渡して自分の缶をパチンと指で開けて、グイっと一口飲むと言った。


「タイタンの事・・まだ本当の事かどうか信じられないんですよ。」


「うん・・もっと考えよう・・あれが幻覚じゃあなく、本当の事なら・・それはそれで、大変なことじゃあないか。これはもっと考えてからじゃあ無いと・・・」


「ですね‥法律とかどうなっているんですかね・・」


「ここは南極と同じでね、国際協定で土地は所有出来ないんだ。しかし

居住区や倉庫は自国のものとしての権利が有るんだ。そしてその後は日本の法律に準ずる事になる。」


「それなら あの箱が入るように倉庫を作りましょうよ。鍵を掛けて我々で管理をするんです。まあ、どうせ誰も来ませんけどね。」


「それは良い考えだ、皆には我々だけで研究したいことが残っていると説明して、早速取り掛かってくれ。」



   ◇    ◇



我々はその倉庫に機械管理室と名前を付けて厳重なカギを取り付けた。パスワードを打たないと開かない仕組みにしたのだ。さらにその倉庫を増築し氷原を走るローバーや砕氷機器を収納できるようにした。更にその横にはカフェのような休憩室を作り、そこはまるで秘密基地の様な体裁を呈してきた。


ポコポコとサイフォンが音をたて、コーヒーの香り部屋中に漂う。火星ではコーヒーは貴重品で1人当たりの割り当てが有るのだ。その割り当てを高額で買い取り、ここにだけはコーヒーの豆がふんだんに有る。


コーヒーを飲みながら私が渡辺君に言う。

「2人乗りのローバーと予備電池を準備してくれ・・それと酸素を6時間分ぐらいな。後水と食料もいるぞ。」


「分かってますよ、ぜんぶ揃えて有りますから。今夜にでも出発できますよ。」



我々は地球人だ。だから地球時間を基にした24時間サイクルの生活をしないと体調が狂ってしまうのだが、火星の一日は24時間30分ほどなので、我々人類にとって都合が良い。




それは基地の皆が寝静まる深夜である。

私と渡辺は例の箱の中に居た。

渡辺君が言う。

「ローバーの整備もやっておきました。燃料は気密室の外に取り付けました。酸素の予備は荷物置きの内側です。水・食料・これだけ有れば問題はありませんよ。」


これから冒険に出る子供のように渡辺君の目が輝いている。私が船長のように威厳を込めて言う。

「よし、開けゴマ~の操作は分かっているよな。」


「はい!大丈夫です、任せて下さい。」


「それでは渡辺君!・・ゴーアヘッド!!」



   ◇   ◇



音もなく箱の扉が開いた・・ そこはタイタンの砂漠だ。我々はローバーのスイッチを押して砂漠に乗り出した。燃料電池で走るローバーはパワーが有り 勢いよく砂漠を乗り越えていく。ローバーは気密室構造になっていて外に出ない限り宇宙服は要らない。


「あの箱は転送装置なんですね?」


「そうだな、どういう仕組みか分からないがロケットで13年掛かる距離を一瞬で転送するんだ。火星とタイタンにそれぞれ箱が有るという事になるな。」


「他にも箱が有るんでしょうか。」


「その可能性は大いに有るな。」


「太陽系の外にもですか?」


「いや、むしろそっちが中心なんじゃないのかな、彼らは何かを採りに来たんだろうよ。そして用済みになったので箱を放置したのだろう。」


「彼らが突然現れたりしませんかねえ・・」


「それは有りうるな・・」


「やばいですねえ・・」


「やばいよ・・でもこの冒険を止められるかあ?」


「無理ですねえ・・」



そうなのだ。無理なのだ・・

今やっている事が どんなに馬鹿げていて無謀なのかは分かっているのだ。それでも自分を止められないのだ。そもそも人間とはそういうものなのだ。 いけない事だとは分かっていても 自分を止められない・・そういう事は誰にでも有る事なのだ。


私らにとって今がその時だった まるで魔が差したように 分っていながら自分を止められなかったのだ。



ローバーは小さな砂漠を踏破してタイタンの海辺に差し掛かった。そこは護岸工事が施してあり、入り江になっていてメタンの波が小さく打ちつけている。護岸には何か装置の様な物が有り そこから続く先にあの黒い箱が有った。


箱の横には壊れた車両のようなものが有る。おそらく長い間放置されているのだろう、半分砂に覆われている。


「この箱は大きいですねえ、幅は8メートルは有りますよ。」


「多分メタンだな、ここからメタンを転送していたんだろう・・」


「じゃあこれはエイリアンの母星に繋がっているんでしょうか?」


「分らない・・どっかの中継点とか工場って事も有る有ろうな・・」


「行ってみます?」


「しかし何処に出るのか分からないのだぞ。」


「出たとこ勝負ですねえ・・うん・・迷うなあ・・」


「酸素と燃料は有るのか?」


「まだ全然残ってますよ6時間以上は余裕です。ここまで来たら行くしかないでしょう!」


「うーん・・いや待て、どこへ出るのかは解らないんだぞ。何万光年先の惑星かも知れないんだ。もっと準備が必要だ。引き返そう!他の社員の考えも聞こう。俺たちだけじゃあ手に余る。」


タイタンの海の浜辺には何処かに繋がる箱が有る。

それは何処に繋がるのか・・

我々はわくわくした気持ちをタイタンに残して・・

後ろ髪を引かれる思いで火星へ帰還したのだった。





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