午前10時、異世界に起きた

宿木 柊花

第1話

 夢から目覚めるとそれがどんな夢だったか思い返しながら、ベッドサイドに立てているスマホを手に取る。優先順位は眼鏡よりも上位にスマホが来る。


 ライトの点滅なし。

 何の通知も来ていないということは、推しのアップも炎上もなし。ついでに言えば着信、メッセージ等他人の休日を潰す隊の活動も行われていない。


 眼鏡をかけて寝返りを打つ。


 着信、通知、推しのアップも炎上もなし。

 そして平和な今日が始まる。


「午前10時……」


 しかし何か違和感がある。

 外が静かすぎないだろうか?


 午前10時ともなれば子供たちの声がしたり、ご近所さんの散歩する犬のはしゃぐ声がしてもおかしくない。


 ゆっくりとベッドから起き上がる。

 よく寝た割に重たい頭を軽くコツン。

 伸びをしながら分厚い遮光カーテンに近づき、気づく。


 


 いくら分厚い遮光カーテンと言えど、床から浮いた裾から太陽の光が侵入しているはずだ。

 思い切りカーテンを開ける。


 眼前にはが輝いていた。


 ここは住居用マンションが多く建ち並ぶ地区の一角。隣のブロックには外資系やIT系のような明かりの消えない企業が入ったビルが乱立している。

 言わば星がかすれるほど明るい場所。


 入居して幾年経つが初めての星空。

 こんなにも深い藍でこんなにも星が眩しいとは思いもしなかった。


 再度スマホの時計を確認する。

 変わらず10と表示した。

 別の方法で時間を確認しようとテレビの電源ボタンを押す。


 テレビは黒を映すばかり。

 プラグはコンセントに刺さっている。

 しているようだ。


 SNSを表示させようとスマホのロックを解除……できなかった。

 スマホはただ午前10時と言っている。


 タブレットもノートパソコンも充電したはずなのに起動しない。


 デジタルに頼りきった部屋に時計はない。


 軽く着替えてスマホをポケットにねじ込むと、なぜか無性に胸が高鳴る。

 どうにもわくわくしているようだ。


「午前10時の天体観測」


 一人呟き、口元がゆるんでしまう。

 歪んだ顔を見られないようにマスクを装着。






 玄関扉から顔を出してもそこに日常の喧騒はない。


「異世界みたい」


 どこを見てもモノクロの世界。


 鳥の飛ばない空には太陽の代わりに月が燦々さんさんと輝く。


 息苦しくない澄んだ空気。


 自分の足音だけが響く道。


 人気ひとけのないコンビニ。


 常に眩しいオフィス街が今はただ静かに闇を受け入れている。


 眠っているとも言い難い生命を感じない無機質な街並みを抜ける。


 坂の上から振り返れば、天と地が逆転したような景色が広がっていた。


 銀河のような夜景が売りのこの街も、ようやくその明かりを空へ還したようだった。



 思えば、自分自身こうして宛もなく外へ出たのはいつぶりだっただろうか。

 これもまた深夜午前10時の魔力とも言うべきか。


 異世界探索を終えて帰路へつく。






 ガチャンと鍵を掛けたなら、街はまた息を吹き返す。

 のっそりと太陽が顔を出し、隣の家の喧騒とごはんの香りが漂いだす。


 子供らの走る音。

 大人の声。

 細切れなバイクのエンジン音。


 心地より疲れに包まれてそっと布団に丸くなる。


 スマホは午前5時を表示した。

 異世界はいつの間にか終了していた。


 あの生命の消えた世界は何だったのだろう?


 久しぶりに深く眠れそうな気がする。

 そしてまたあの世界へ行ける気がした。

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午前10時、異世界に起きた 宿木 柊花 @ol4Sl4

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