第5話 どうしよ。童貞を守れる気がしない

「はー…、疲れたぁ…」


一時間後。翌日会う約束を取り付けた槇村と別れ、俺たちは家へと戻る。

流石に汗だくの状態で寛ぐ気にはなれず、俺は仕事を終えたであろう、先に帰っていた母に向け、声を張り上げる。


「お袋ー、ちょっと風呂行くわー」

「湯船は沸いてないよー」

「大丈夫ー。シャワーだけ浴びるしー」


言うと、俺は洗面所へと向かいかけ、葵もいたことを思い出す。

ここは先に譲るべきだろうか。

…少しくらいだったら我慢できるし、ここはレディーファーストということで、先に汗を流してもらおう。

一応は確認をとっておこう、と、俺は葵に問いかける。


「…先行く?」

「一緒に行く」


はい。予想しておりました。

流石に一緒に入る勇気はない。というか、親がいる手前、そんなことできない。

性欲に流されそうになるも、俺は迫る葵を止めようと、首を横に振る。


「一緒はダメ」

「一緒に行く」

「ダメだから。親いるから」

「一緒に、行く」

「昔は一緒に入ってたでしょうが」

「煽ってんじゃねぇよお袋ォ!!

止めろよアンタはよォ!!」


ひょこっ、と顔を出したお袋に向け、怒号を放つ。

それでいいのか大学教授。いくら身内とはいえ、大学生の淫行は止めろよ。

抗議の視線を向けていると、お袋は深い溜め息を吐いた。


「一年も待たされてるんだ。

一緒に風呂に入るくらいはいいだろ」

「よくないからな!?

絶対によくないからな!?」

「いつまで初心なんだい、お前は。

葵ちゃん、引き摺ってでも一緒に入んな。許可する」

「はーい」

「許可すんな!!」

「ヘタれてないで男になってこいってんだ、バカ息子」


ヘタれる男の気持ちにもなってくださいませんかねぇ!?

付き合ってまだ2日目なんですけども!?

そんな抵抗も虚しく、俺は葵に引き摺られ、風呂場へと連行された。

俺の貞操の明日はどっちだ。


♦︎♦︎♦︎♦︎


十数分後。

なんとか童貞を死守した俺は、いろんな意味で疲れた体をソファに埋める。

やばかった。ただでさえ、性処理も出来なかった無人島生活で勃起のハードルがマントルに鎮座してるのだ。

全裸の女なんて見た日には、股が爆発する。

そんな状態で良くぞ耐え切ったものだ、と俺が安堵していると。

果てしなく不満げな葵が、半目で俺を睨め付けた。


「…たっちゃん、全然手ぇ出してくんない」

「……付き合って2日目よ?その自覚ある?」

「一年と2日目だもん」

「その一年空白だったでしょうがよ」


告白もできてなかったし、ノーカンだ。

そんなことを思ってると、葵が俺の腹の上に腰掛ける。

「おうっ」と圧迫感に声を漏らすと、彼女はそのまま体にもたれかかった。


「ずっと待ってたんだから、ちょっとはわがまま聞いてよ」

「……ごめん」

「『ごめん』じゃないっ!」

「いふぁい」


むにーっ、と俺の頬を抓り、もみくちゃにする葵。

一年も待ってた男が、こんな口調ばっか強いヘタレでごめんなさい。

ここでキスの一つでも出来たら良かったんだが、残念ながら俺は一緒にシャワーを浴びても、一切の手出しをしなかったクソ童貞。

その唇を奪うなど出来ず、俺は跨る彼女の背を撫でることしか出来なかった。

と。そんな俺を見兼ねたのか、甘食を牛乳で流し込んでいた妹が声を張り上げる。


「葵姉が可哀想だぞー。

ディープなキスの一つでもしてやれー」

「普通は『リビングでイチャつくのやめろ』とかじゃないですかねぇ…?」

「いや、葵姉がどんだけメンタルぶっ壊れてるか知ってる身からすりゃ、そう言いたくもなるってか…。

多分、親父も同じ意見だと思うぜ?」

「すごい。俺の味方が1人もいない」

「そりゃそうだろ。日に日に弱ってく葵姉見せられるアタシらの身にもなれよ」


外堀が完全に埋められてる。

どうしよう。ここまで囃し立てられてまで、キスする勇気も湧いてこない。

付き合って2日目で、そこまで進んでしまっていいのだろうか。

初デートだってまだなのに。

俺がそんな思考を巡らせていると、妹が呆れたため息を吐いた。


「葵姉、無理やり奪うっきゃないよ。

この一年でヘタレが深刻になってる」

「わかった」

「焚き付けんなァッ!?

あ、葵さん、ちょっと怖っ…いや力強っ!?

いだだだだだだだっ!?痛いっ!痛いからもうちょい手加減して!?」


葵が俺の手を掴み、抑える。

どうして改造人間の俺よりも力が強いのだろうか。甚だ疑問である。

俺が加減を訴えると、葵はぐちゃぐちゃになった精神を表すかのように黒く染まった瞳で、俺の瞳を覗き込んだ。


「ごめんね。でも、逃げてほしくないな?」

「いや、あの…んむっ」


俺の言い訳を遮るように、彼女が唇を重ね合わせる。

籠る感情に合わせてか、俺を手を押さえる力も倍増しているような気がする。

焼肉のタレの味がするファーストキス。

家族に見せつける気恥ずかしさよりも、腕の痛さの方が辛い。

俺の唇が解放されたのは、2分ほど経ってからのことだった。

横目で腕を見ると、彼女の痕が残ってる。

妹がそれを前に、「ひゅぅ」と揶揄うような声を漏らした。

一方で、葵は満足がいかなかったのか、眉を顰め、考える素振りを見せる。

が。それも数秒で終わり、彼女は舌なめずりしながら、再び俺に覆い被さった。


「ディープなのもしよっか」

「ま、また今度で…。その、焼肉のタレの味がする」

「………っ!?!?」


その一言が余程衝撃的だったのか、ばっ、と俺から離れる葵。

どうやら、焼肉のタレの味がするディープキスは、葵でも恥ずかしかったらしい。

葵は「歯磨いてくる!」と立ち上がり、洗面所へと向かった。


「……どうしよ。童貞を守れる気がしない」

「守るなそんなもん」

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