血色の夢

とても、暖かい。これは…腕の中?


ああ、これは母の腕のなかだ。昔の記憶であり、これが現実ではなく夢だと理解する。そして、小さい僕は、その母の腕に包まれてその暖かさを感じていた。


母の腕の中では、僕は安らぎを感じることが出来た。安心することができた。


ただ、それではいけなかった。


守られるということは、守らねばならない理由がある。それは、誰かが僕を傷つけようとしているということ。そして、僕がだれからも傷つけられることがなかったということは、だれかが代わりに傷ついていたということ。


傷つくのは母だった。母の腕に抱かれた僕の頬に、温かいものが垂れてくる。赤色。母の温もりと同じ熱を持つそれは、段々と冷え、黒に染まる。悪意から守るため、母は全身で僕を守る。


母を傷つけているのは、僕の父親。酒の匂いを漂わせ、顔に苛立ちを滲ませ、僕たちを嘲笑うかのように何度も何度も母を傷つける。何度も、何度も。


やめてくれ。お母さんが死んじゃう。怖い。ふざけるな。許さない。憎い。それなら。


…やられる前に、やらないと。


「ピンポーン!…ピンポンピンポンピンポン…」

あーー…もう。うるさいなぁ!

だるさを残すその頭と体に鞭を打つように、力ずくで体をおき上がらせる。先月のバイトの疲れが残っている気がする…てかうるせえ、近所迷惑だ。急いてドアを開けると、そこには何か心配したような顔の黒絵がいた。よく見ると、ワイシャツの胸元のボタンが一つだけずれている。ローファーも踵を踏むようにして履いており、急いでいたようだ。


「大丈夫?なんかうなされてたけど…」

黒絵は僕のことを心配しているようだった。


「ああ、なんでもないよ。黒絵こそ大丈夫?ボタンズレてるし…急いでたの?ごめんね、まだ学校の準備できてないから先に行ってていいよ。」

僕はすぐに笑顔を作りながら気づいたことを口に出す。先程まで夢にうなされていたようだが、大丈夫、僕はなんともない。それに人にはあまり自分の弱みを見られたくないし、黒絵にそれを見せて仕舞えばきっと無駄に気を使わせて負担をかけてしまう。気づかれないように、気持ちを切り替える。


「そっか…なら、一緒に行くから部屋で待たせてもらうね!」

黒絵は有無を言わさず、ぐいぐいと部屋に入ってきて、寝起き面した僕が朝ごはんを食べてないのを知ってか、パンを2枚、トースターに入れて焼き始める。そして、勝手に冷蔵庫を開けて、ハム、レタス、トマトを取り出し、まな板と包丁を台所に置く。ハムはこの前開けたやつから2枚、レタスは1枚だけ剥き、トマトは半分を4等分に切り、それら全てをサラ○ラップの上におく。残った材料は冷蔵庫の元の位置に戻し、まな板と包丁はスポンジに洗剤を三滴ほど垂らし、水で泡立ててから素早く洗い、横にあった布巾で拭いてそれもまた元の位置に戻す。まさに忍者のような、時間と音を最小限に抑えた素晴らしい手際だった。


それを横目で見ながら、僕はベランダに干していたタオルとパンツを取るとお風呂場に入る。昨日着替えずに寝てしまった制服はお風呂場で脱ぎ、シワを伸ばすように畳んで、半開きにしたお風呂場の扉の前に置き、その上にタオルとパンツをのせておく。僕も忍者みたいだなと思うが仕方がない。安いアパートのワンルームなんて、キッチンに対面するようにお風呂場がある。キッチンにいる黒絵に裸を見られないようにするにはどうしてもコソコソしてしまう。


さっとシャワーを浴び、タオルを取ろうとお風呂場の扉を開けると、パンツがない。制服のシワが伸びてるから黒絵がアイロンをかけてくれていたようだ。多分その時にパンツを落としたんだと考える。


「黒絵、アイロンありがとう。パンツ落ちてると思うんだけど、あったらこっちに持ってきてくれる?」

お風呂の扉を半開きにしたまま黒絵にいったが聞こえなかったのか、返事がない。ワンルームだから聞こえているはずだしそのまま続ける。


「あぁ…灰のにお「あとパンツはアイロンしないし、持ってかなくてもよかったと思うよ、、、ごめん、今なんて言おうとした?」…なんでもない!」

黒絵は少し火照ったような顔をして、焦ったようにバタバタと制服とパンツを持ってきた。


ナイロン性のボクサーパンツはアイロンいらずで便利だと思う。なぜかしわしわになっているボクサーパンツも、履けば伸びるし、下着だから外から見えはしない。うん、便利。


制服に着替えて、髪をドライヤーで乾かす。机の上を見ると、お皿の上にサンドイッチが二つ置いてあった。一枚のパンを半分に折るようにして、その中にハム、レタス、トマトがそれぞれに挟まっており、最後にかけ忘れていたのか、マヨネーズが折られたパンの耳と具と耳の上に波線状にかかっている。


「いただきます。」

「黒絵も食べるのかよ。」

「当たり前でしょ。」

と当然に食べ始める黒絵。それを見ながら髪を乾かし終える。


「まあ作ってもらったもんな。いただきます。」

と声をかけ、食べ始める。


「黒絵は僕を迎えに来てくれたと思ったんだけど朝ごはん食ってなかったんだね。」

と疑問に思ったことを口に出すと、黒絵が答える。


「だってなんか灰、うなされてたから。」

「ああ、制服で寝ちゃったから寝苦しかったのかも。」

嘘でもなく本心でもない、黒でも白でもない答え。


「さて、じゃあ学校に行こうか。」

あまり踏み込まれないように、そっと話をかえ、そのまま部屋を出て学校へ向かう。


歩きながら少し疑問に思う。そういえば、うなされてるって、隣の部屋で聞こえるのか?いやでも、隣の部屋なら多少聞こえることもあるか?まあ、音には気をつけておこうか。

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