八幕:「保護者同伴のダンジョン探索2」
周囲は一寸先の景色すら碌に見えぬ程の闇に覆われていた。
隣で手をつないでいる師匠とカツカツと踏みしめる岩肌の感触、それだけが良くわかる。
それ程までに静かで、何も無かった。
師匠が警戒していた魔物も無ければ、いつの間にか流水の音も途絶え、ほとんど深淵と静寂の支配する無の空間。
師匠と共にいると分かっていても拭い切れない恐怖がリリムの胸の内に溜まっていく。
光源の術式はリリムの周りを照らすが当然空間全体は照らさない。
故に、対比的に暗さを増す光の先が壁の様に見えた。
「ねぇ師匠」
「なんだね? 愛弟子」
「帰ろ……」
限界が来たリリムは胸の内を師匠に吐き出す。
少しばかりの興味は未だ残っているが今はそれを凌駕する無への恐怖がリリムの心を支配していた。
「怖いのかい?」
「うん……ちょっとだけ」
「そっか、うん帰ろうか!」
師匠は何を言うでもなくリリムにそう言ってくるりと踵を返した。
だが、一歩踏み出たところで師匠の足が止まる。
「すまない、愛弟子……」
「んぇ?」
「どうやら、ひと悶着せざる負えないようだ」
軽薄でリリムの心境とは全く反対にある様な逆境を楽しむ声音で師匠が言った。
直後、師匠は杖を取り出すと、空間に文字を刻む。
「《
描かれた術式を起点に先程までの何も見えなかった空間が嘘だったかのように、明るくハッキリとリリムの眼に映し出された。
それと同時に中央に立つ異形が映る。
禍々しく捻じれた角を持った山羊の頭骨に猛々しい人型の上半身と馬の様な下半身。
その不揃いに混ぜられた様な肉体と右手に握られた断頭斧がその異様さをさらに際立てていた。
「
師匠がそう呼んだ異形は、依然としてその場に留まり。
山羊の頭骨についた本来生者の頃であれば眼球があったであろう眼窩からは、冬でも無いのに白い吐息の様なものが漏れ続けていた。
「ふーん……よし! 愛弟子よ、ここで少し今日まで勉強したことの復習をしようか!」
「ここで!? 目の前のあれは!?」
「見たところ自分自身の縄張りを侵さなければ襲う事も無いだろう。それに明るいから愛弟子も怖くは無いだろう?」
リリムの意見を聞いて、小杖を仕舞いながら尚も変わらぬ師匠の言葉にリリムは呆然とした。
だが、師匠の一度言い始めるとなかなか譲らないところもリリムは一番理解しているつもりだ。
奥に映る異形に警戒しながらも師匠に目を合わせた。
「もう分かったよ……」
「よし! では問題、あれは
「え、えーっと……」
リリムの中では師匠の出した問題とは別の謎が解けていた。
あの異形がなぜ冬でも無いのに白い吐息を吐くのかの答え。
師匠の言葉から推測してあれは吐息ではなく冷気だ。
鎮座し冷気を吐き続ける異形に意識を傾けながらも師匠の問いにも頭を捻り続ける。
リリムは並列思考が苦手だ、どちらにも均等に思考力を割り振るのはかなりの集中力を必要とするからである。
然し、そんな中でもリリムはある異形の変化に気付いた。
眼窩から湧き出る冷気が増えている。
妙な不安が頭を巡るが、一度師匠の問いにも思考を向ける。
「えーっと、水と土?」
「残ねーん! 不正解だよ愛弟子、正解は水と風だ。風属性は大気の流れと温度を操作するからね、水の魔力に風の魔力を当てれば氷を生成できる。愛弟子の言った属性だと泥属性が生まれるね」
師匠がそう言っているが、もうリリムは師匠との受け答えよりも奥の異形の異常性にしか目が行かなくなっていた。
「そうなんだ……あの、ねぇ師匠……あの化物なんか吐いてる冷気の量おかしくな──」
「続いて第二問!」
「第二問!?」
「おっと言ってなかったね、この問題は三問編成だよ?」
師匠はそう言って後ろの異形に目もくれずに続ける。
「第二問、氷属性に対して有効的な属性とは?」
「え、えっと……」
──風と水の派生なら、双方の各属性に優位性を持つ属性だよね……
仕方なく師匠の問いに再び思考の優先順位を移した。
「えーっと、土と雷?」
「正解!! その通りだよ愛弟子、流石ちゃんと学んでいるね」
師匠がリリムを撫でるが先の異形の異常性に普段なら嬉しい筈の
後ろの異形が眼窩より下の肉体を覆い隠す程の尋常ではない冷気を纏い始める中、
「さて、それじゃ最終問題! 第三──」
師匠が話す刹那、縮地とでも喩えればいいのか──、一手の内に師匠の真裏に踏み込んだ異形が斧を振り下ろし、目も合わせず刃先に合わせた師匠の小杖と衝突する。
鈍い金属音と共にかち合った人二人分はある大斧と片手に収まる小杖、その質量比でありながら
「貴様……今は愛弟子と話しているんだ、貴様の入る隙間は無い今すぐに離れろ、生き物にも慣れぬ紛い物風情が」
師の身体から溢れ出す殺気という言葉ですら甘い、
師匠の放つ身体中を突き刺す様なその圧は気圧される魔物だけじゃないリリムでも分かる、異常であった。
「恐怖で動くことすら出来ないか? 紛い物もここまで来ると紛いという言葉すら似合わんな……離れろ」
師匠の言葉の受けた
数週間前のリリムには、あれは魔法の
だが、今のリリムには視えた。
あれが魔法でも魔術でもない、単なる魔力操作の一環であると。
岩壁から剝がれ落ちる異形を背に先程の圧が噓だったかのような師匠がリリムに向いた。
「さて第三問目に行こうかと思ったが……予定変更だ。愛弟子、これより抜き打ちテストを始める!」
「抜き打──え!?」
「そう抜き打ちテストさ! ルールは簡単、今ぶっ飛ばしたあの魔物をぶっ壊せば満点だ」
「え、いやでも……俺だったら死んじゃうんじゃ……それに! 今飛ばしたので死んだんじゃないの!?」
帰路を塞ぐ様に動かなくなった魔物を指差しリリムが叫ぶが師匠は「チッチッチ」と指を振った。
「魔物とは活動出来なくなった瞬間に核のみを残して外殻は消失するのが一般的だ。あれはまだ消失していないだろう? まあ、さっきの一撃でかなりダメージは受けてる筈だから愛弟子でも破壊出来る筈さ! 大丈夫~、ちゃーんと私が遠隔の保護結界術式を愛弟子に掛けるから、愛弟子はただ破壊に専念すればいい、アレの攻撃を愛弟子は絶対に喰らわないし喰らわせない……私を、信じてはくれないかい?」
リリムの肩に両手を置いて向き合った師匠が穏やかな眼差しでリリムと視線を合わせる。
異形に対する恐怖でリリムの手はまだ僅かに震えていた。
だが、同時にリリムの胸の内ではここで異形を破壊することが師匠にまた近づく為の布石足り得るとも思った。
師匠が信じてと言うならばそれは絶対的な安全であり完全な庇護があることを意味する、リリムの中でもそれは確かな事実だったから──
「わ、分かった──やってみる」
リリムは
「──うん! 流石は愛弟子だ、良く言った!」
弾ける様な笑みで答える師匠はリリムを両手で抱えて自分と
「《
リリムの背に星座の様な複雑な術式が浮かぶ。
それがリリムの周りをふよふよと漂った。
「これは?」
「私の遠隔型の結界術式だよ、私の魔力がそれに送られて愛弟子の周りに結界を張ってくれる。私の魔力が尽きるまでは安全だよ?」
「師匠の魔力がなくなっちゃうなんてあるの?」
「うーん……
「あるかもって……まあ、師匠らしいや!」
片目を閉じて自慢げに話す師匠のお陰で少し緊張が解けた。
漂うその術式に手を添えようとするが手をすり抜けるそれはやはり触れることが出来ない。
それでも少し愛おしそうに撫でる振りをしていると、師匠が肩に手を乗せる。
「よし、それじゃあ愛弟子、向こうも第二ラウンドを始めたいらしい──行っておいで!」
師匠の差した指の先では断頭斧を支えに二人を睨み付ける様に起き上がる山羊頭の異形が居た。
無い筈の眼光が突き刺さる中、背中を押してもらったリリムも冷静に一歩、また一歩とその腹部の
そんな愛弟子の勇猛な背中を見た師匠は独り立ちする我が子を見送る母の様な眼差しでリリムを送り出す。
「師匠! 行ってきます!」
「ああ、ぶっ飛ばして来い!」
少し離れた距離で何処か吹っ切れた様な清々しい笑顔を浮かべた弟子の勇姿に師匠として見届ける覚悟を持って、元気よく返した。
◇◇◇◇◇
師匠の声を更なる励みにリリムは異形の前へと駆ける。
リリムを睨み付ける異形の眼窩から垂れ流された冷気がそのまま大斧に絡み付きその状態で凍結したことで戦斧は氷結斧へ変わる。
斧を振り上げた異形に合わせ、リリムも地面に踏み込みその勢いのまま空中に身を預けた。
エドレイスと遊んでいるうちに身に付いた驚異の身体能力から生み出された膂力はリリムを高く空中に飛ばした。
異形が振り下ろした氷結斧が空気をも震わす衝撃と共に地面に突き刺さる。
次の瞬間、斧を纏う氷結が地面を喰らい這う幾数の脈の様に伸び剣山と呼べるほどに鋭い氷柱となって地面を喰い破った。
地面を走り続けていれば串刺しになっただろう、いや、リリムならば師匠の結界術式で守られたであろうか。
「
土と火の複合魔法、鉱物質の外殻で圧縮に圧縮を重ね陽の玉と化した業火を覆い射出する。
リリムが始めて覚えた複合魔法だ。
魔力によって形成された鉱石球を異形へ放つ。
巻き戻る様に氷結が絡み着いた斧を引き抜こうとする異形がその豪腕を捻り引き抜く態勢から振り抜く態勢に転じる。
鉱石球と振り抜かれた氷結斧がかちあい拮抗する最中、その鉱石の殻を喰い破らんと氷結が纏わり付き始めみるみるうちに高熱であった筈のそれは氷の球体に変わってしまう。
鍔迫り合いの果てに押し負けた氷球は吹っ飛ばされ岩肌の天井に衝突した。
「まだまだ此処からが──あれ?」
土埃と共に天井から落下した氷球はうんともすんともせずに落下地点に鎮座し、それ以上の変化も無くリリムの想定から離脱する。
本来この複合魔法は初撃の鉱石球による打撃によって破砕した鉱石の殻が内側の高圧高熱を帯びる炎によって放射状にばら撒く砲弾として次撃に移行するはずなのだが……。
目の前の不動のそれは一切そのような素振りも無ければ凍結した為、熱すら消え失せ只の鉱石の塊と化していた。
「嘘!? えと、どうしよ……」
一瞬でプランが崩れ去ったリリムはあたふたとその場で困り果て、目の前の戦斧を掲げた異形の対処に遅れを取ってしまった。
重力を受け更なる加速を得た戦斧の一撃に無謀であると理解はしていたが咄嗟に腕で顔を覆う。
腕に僅かな風圧が届きそれで止まった、腕の隙間から見えたのは薄い膜の様な物が戦斧を防ぐ光景だった。
「これって……あ、そっか師匠の魔術……」
師匠の結界は言葉通り、リリムに傷一つを許さず完全に一撃を抑え込み寸での位置で止まっていた。再び振り掲げた隙を見てリリムは直ぐに距離を取り魔法の発動準備に入る。
「
凝縮された魔力の粒子が水に変化し、異形の窪んだ腹部へ水を一点照射する。
師匠のやった事の真似事だが、威力は同等……、いや、魔力を用いた技術全般が人類を超越した師匠には流石に劣ると言えようか。だが、水の貫通力とは時に────
──鋼鉄をも貫く──
「────ふふぁ……」
異形が、空気が抜ける様な音共に腕から先が霧散を始める。その異形の中心の窪みには確かに極小の穴が開き、霧散し始めた事実が正確に核貫いた証明となった。
霧散は次第に肉体そのものが砂の様に崩れる段階へ移行し、終わりには山羊紛いの頭骨と巨大な戦斧だけが勝利の勲章であるかのように残った。
転がった勲章を前に放心しているリリムの肩に温もりが触れた。
「よくやった」
振り返った先では穏やかな表情で笑う師匠が肩に手を当てて親指を立てていた。
「師匠……」
「美しい魔法だったよ、流石は私の弟子だ。だけど……愛弟子、魔術はどうしたんだい? 魔術は?」
打って変わってジト目で弟子の額にツンツンと指を当てる問い掛ける。
気まずそうに目を逸らして頭の後ろに手を回した。
「ふっ……まあ、初の戦闘にしては上出来過ぎる結果だ、褒め続けても足りない程にね。でも魔術の練習も積まないと法術師になることはできないよ?」
「うぅ……魔術は直感で使えないから苦手で……」
「確かに魔術は技量、経験、知識がものを言う領域だ。でも法術師には魔法だけじゃなれない」
「それは、そうだけど……」
法術師になる為の難解さは理解しているつもりだがまだ魔術分野についてはリリムには難度が高すぎるのも事実であった。
「まあ、とりあえず上に上がって時計を買って帰ろうか! きっとエドが美味しいランチを作って待っているだ!」
「うん!」
師匠の気分を切り替える言葉にリリムも元気よく頷き師匠の手を取った。
握られた手を握り返し微笑んだ師匠と共に地上を目指して歩いた。
魔女の師を追う孤児の弟子 神無月《カミナキツキ》 @kaminakituki
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