五幕:「心機一転」

「ただいまー」


 三人が去った後、リリムも家に戻った。

 玄関で靴を脱ぎ、リビングへ向かう。


 さっき耳を引っ張られ引きずられていたエドレイスに対して若干の心配を胸にリビングを覗いた。


「何してんの……」

「ん? おやおかえり愛弟子。どうだい? あの子達とは仲良くやっていけそうかい?」

「うん……多分……というか、師匠は何してるの?」


 目の前に広がるその光景は、こう──なんと表現すればいいのか難しいものだった。

 言語化として正しいかどうかを除けば恐らく──


 エドレイスが師匠の尻に敷かれている。


 これが正しい表現の仕方だろう。

 最も、尻に敷かれているとは正しく言葉通りで、物の例えではない。

 四つん這いにさせられたエドレイスを椅子代わりに、師匠が座って本を読んでいる。

 何を言っているがわからないだろうが、リリム自身も何を言っているのかわからないのだ。


 そんな奇怪な光景を眺めていると後ろから背中を這い上ってルーザが肩から頭を出した。


「あ、ルーザ」

「ギャ……ギャア?」


 ルーザも普段との違いに気付いたのか、奇妙な二人組と化したエドレイスと師匠をまじまじと眺めている。


「おや、ルーザまで私の事を見て、そんなにおかしなことでもあったのかな?」

「うん、何もかもおかしいよ? なんでエドレイスは椅子になって、師匠も師匠でさも当然みたいにその上に座ってるの?」


 状況をそのまんま師匠に疑問形で話した。

 師匠は少し首を傾げた後、何か納得したように手を付いた。


「これは罰だよ」

「罰?」

「ああ、君の事を漏らした罰。奴隷クン呼びに戻るのは嫌だというのでね、だったら一日私のいう事を全て聞くということで手打ちにしたのさ!」


 さも得意げに説明する師匠だが。

 下で四つん這いになるエドレイスはというと、悔しさと屈辱の両方を混ぜて二で割った様な表情で助けを求めるかの如くリリムへ視線を送っていた。


「なるほど……まあ、うん! エドもガンバ!!」


 なんか、何でもいいやと思ったリリムはエドレイスに元気よく応援の言葉を送った。

 エドは血涙を流しそうな勢いで声を嚙み殺して、リリムを見ているが何となく面白かったのでリリムは気づかないフリに徹した。


「うーん……」


 横を向くと肩から顔を出すルーザと目が合った。

 青と緑、黄と赤、それが混ざり合う不思議な色を放っていて、

 魔力が視えるようになった今、その不可思議な生体がよりハッキリと分かるような気がした。


「えっと……水と風と……後、何だろう……」

「ん? いるんだい?」

「優位属性を視てるんだけど何の属性か分からなくて……あ……」


 いけない、もし授業中にやっていた内容であった場合の事態を忘れていた。

 

 ──寝ていたことが、バレたらまずい……


 言葉を切って冷や汗を流しながら師匠へ顔をむける。

 だが、そんなリリムの焦りとは裏腹に師匠は驚き混じりに満足げな顔をしていた。


「おお、とうとう愛弟子も予習をするようになったのか……うんうん関心関心!」

「あ、そうそう! 予習したんだけど忘れちゃって」


 良かった、どうやらまだ授業の範囲では無かったらしい。


 やっと気を張っていた胸をなでおろす。

 そして師匠の話に言葉を合わせた。

 師匠はというと、笑顔を浮かべてリリムの話に耳を傾けてくれている。


「なるほどねぇ」

「そうそう……それで、どうしても黄色と赤色が何だったか忘れちゃって……」


 リリムは流れる様に噓を付く。

 師匠はそれに気付かずうんうんと頷いて真摯に向き合ってくれている。

 何となく罪悪感が湧いたが、仕方が無い……噓だと正直に言って氷礫を喰らうよりかはマシだ。


「まあ、忘れる事は良くあることだよ、何度でも覚え直せばいい、いずれそれが脳に焼き付くその日までね」


 そう言って、エドレイスから降りてリリムの頭を撫でた。


「ちなみに、赤は火で、黄は雷だ、もう一度覚えておくと良い」

「うん、ありがとう師匠」

「これぐらいはお安い御用さ」


 師匠は温かい笑みを作ってリリムに見せた。

 そして、リリムは興味本位で師匠の優位属性も視えるか確認してみる。

 

 ──師匠の事だ、もしかしたら他者を欺く為に魔法か魔術を使っているかもしれないけど、試す価値はある!


「えっと……?? 白? じゃないし、あれ? 透明? 無色?」

「んん? ああ、もしかして私の優位属性も見ようとしたのかい?」

「あ、バレちゃった……」

「ハハッ! 別に構わんよ、師のことを知りたがるのは何にもおかしなことじゃないからね。それで、どんな色が視えたんだい?」


 てっきり怒られるかと、少し覚悟したが早計だったようだ。

 師匠は微笑して、自分自身を指差しながらどんな色だったかを聞いて来る。


「えっと……それがね、透明……なのかな……色が無いんだよね……」


 師匠の周りは僅かに空間が歪んでいる為、優位属性的な何かがあるのは確かだが、それが視えないのだ、ただ歪むばかりで色が浮かんでこない。

 不思議そうに悩むリリムに師匠は指を立てた。


「ふっふっふ……流石の愛弟子もここまでは予習していなかったようだね、色が無いか……うんあたらずといえども遠からずだね、その色の正解はね、さ」

?」

「そう、長けた属性も無ければ欠点たりえる属性もない、そういう人のことは透明に映るのさ」


 師匠は鼻高々といった様子で説明しているが、それはつまり裏を返せば……


「師匠って得意な属性が無かったんだ……」

「フフン、そうかわいそうな人を見る目は辞めてくれたまえ愛弟子よ」


 立てた人差し指を振る師匠はいつもと変わらぬ師匠だった。


「まだ無属性の説明は終わっていない、無属性は確かに長けた属性が無いだが、今言っただろう? 欠点たりえる属性も無いんだよ」

「欠点?」

「そう、優位属性がある者には必ず劣位的な属性が付いて回る、例えば、水の優位属性には土、土の優位属性には火だね、劣位的な属性は扱いにくかったり、防ぎにくかったりするのだが、無属性であればそれが無い……それどころか、訓練と鍛錬で磨くことが出来たなら、どんな属性の魔力だろうと極限の高みまで引き上げられる、全てにおいて優位性を持つという言い方だって出来る可能性を秘めた属性なのさ!」


 師匠のその雄弁な語りを聞いて、リリムは確かにその通りだと思った。


 師匠の魔法や魔術はその一端の先々までの全てが、洗練され鍛え上げられた一流の技であり、至高の域にまで達している。

 確かにその無属性という事を逆に持ち味として活かし、完璧な物としているのだ。

 リリムはいつも感じてはいたがやはり師匠は凄い人だと改めて実感した。


「やっぱり、師匠ってすごいね」

「フフフ、そうだろう? すごいだろう? 愛弟子が持った師匠とはすごいのだよ!」


 子供の様に少しはしゃいだ様子の師匠は自慢げに胸を張っている。

 そのタイミングで、リリムは少し気になった。

 自分自身の色は何なのだろうかと、


「師匠、じゃあさじゃあさ! 俺の色ってどんなの?」


 思い切って聞いてみた。

 師匠もまた視える人の一人だ。

 自分の色を知る為には師匠に聞くのが手っ取り早い。


「愛弟子の色かい? そうだねぇ……」


 師匠は屈んでリリムを覗いた。

 そしてじっくりと身体全体を見渡した後。

 くるりと振り返って言った。


「フフッ……私と同じ色だよ」


 静かだが何処か誇らしい様な声音で、師匠は言った。


 師匠と同じ。


 それはつまり、どんな属性であろうと扱える、可能性の色であって。

 リリムにとっては師匠に追いついて共に肩を並べる為の、その一歩となるものだった。


 ◇◇◇◇◇


「師匠と同じ……えへへ……」


 師匠が従者の様にエドレイスを連れて外に出てからというもの。

 ソファに座るリリムは、ただおもむろに師匠の言葉を思い出してはにんまりと笑顔を浮かべることを繰り返していた。

 膝に乗るルーザを撫でながらただただ脳内で師匠のあの誇らし気な声をリピートする。


「ギャア……」

「えへへ」


 撫でられるルーザにも何となく気持ち悪がられてる気がするが、リリムはそれを気にすることもなく撫でては脳内再生を繰り返す。


「はぁー……師匠と同じかぁ……頑張れば俺だってあんな風に魔法とか魔術扱えるって事だもんね! フフッそうなれば師匠と肩を並べて共闘なんてことも……」


 いけない、理想が膨らみ過ぎる。

 理想を語る事なんて幾らでも出来るが、問題はその理想に行き着く為の努力なのだ。


 リリムは浮足立つ心を何とか抑えて首を振った。

 浮かれた妄想から足を引き抜いて冷静さを取り戻す。

 ルーザを抱えて、ソファから立ち上がった。


 ──そうだ、俺の目標は師匠に追いつくこと、そして師匠と肩を並べる事だ。


 それならどうするべきなのか、リリムはつい師匠と同じだった事に浮かれていたが、結局は同じであっただけ──同じ土台を手に入れただけなのだ。


 ならばその土台にどうやって足場を組んでいくのか、どんな足場を使うのか、そこが上手く出来ないと師匠に追いつくどころか、追う事すら出来ない。


 リリムの思考は次第に浮かれ調子から冷静に未来の自分について考える方向へ変わった。


 師匠と同じ根本的な能力を持っている事が分かったことで少し、やるべき事と目標への道標が増えた気がした。

 これからは授業も実技も真面目にやろうと、そしてエドレイスの工房での作業を手伝ってリリム自身としても何かを制作する技術を得るのもいいかもしれない。

 そう考え出すとどんどんとリリムの頭の中のロードマップは広がっていった。


「うん、やろう……沢山の事をもっといろいろ」

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