BAD END 後の世界 ~されど人生は続く~

忌野希和

BAD END 後の世界 ~されど人生は続く~

「必ず勇者様を救って、過去を変えて戻ってきます。それまで待っていてください」


 そう聖女が俺に誓い、賢者と共に過去に旅立ってから三年の月日が流れた。

 未だに死んだ勇者が復活することもなければ、聖女と賢者が戻ることもない。


 最大戦力である勇者パーティーの過半数を欠いた人族に抗う術はなく、魔族の侵攻は苛烈を極めた。

 大陸を二分し拮抗していた魔族と人族の版図も大きく変わった。

 人族は大陸東部へ追いやられ、もはや風前の灯火だ。


 廃墟となった市街地での潜伏、奇襲作戦が功を奏し魔族の侵攻速度こそ落とせているが、このままだと人族が存続したまま年を越せるかどうか。


 雪がちらつく夜空を廃墟の屋上から見上げながら、俺は過去へと旅立った聖女と賢者のことを考える。

 二人とも勇者にぞっこんだったから、死んだ時の取り乱し様といったらなかった。


 まさか魔王が自ら最前線に出てくるとは。

 魔王なら魔王らしく城の玉座でどっしり構えていればいいものを。


 勇者の奮闘で奇襲してきた魔王の撃退には成功したが、聖女を庇った際の傷が悪化してあっけなく死んでしまった。

 魔王の攻撃には、強力な呪いと毒が込められていたのだ。


 聖女にも解呪できないのだから、魔族と人族の戦争の結末は遅いか早いかの違いしかなかったのかもしれない。


 勇者が死んだ時点で俺は勇者無しでのこれからの戦い方を考えていたが、聖女と賢者は違った。

 賢い彼女たちは魔王の力を目の当たりにして、勇者無しでは勝ち目が無いと理解したのだ。


 愛する勇者に会いたい、という気持ちも少なからずあるのだろうが、それで勝てるなら俺に文句は無い。

 勇者が聖女や賢者だけでなく、人族を統べる王国の王女殿下からも慕われていたからといって、私情を挟む俺ではない。


 まあ私情が全く無かったとも言わないが。

 勇者自身もすごくいい奴だったから、慕われるのも当然だろう。


 死者蘇生は禁呪であり、死後間もないことが蘇生の前提であるため、そもそも間に合わない。

 そこで聖女と賢者が選んだ方法は、聖女が魔王の毒と呪いの対策を万全にした状態で、賢者の魔術で過去に遡り助けるというものだった。


 死者蘇生より大がかりに聞こえる作戦だったが、二人が出来るというのなら出来るのだろう。

 事実として、死者蘇生と同様に禁呪である過去に遡る魔術を僅か一年で習得した賢者は、聖女と共に過去へと旅立った。


「ごめん……」


 旅立ちの間際、何故か賢者は俺に謝った。

 普段は勝気な性格で、俺に対して謝るという行為自体が初めてで驚いた。

 肩口で切り揃えた藍色の髪を揺らし、伏し目がちの悲しそうな表情が脳裏から離れない。




 賢者は俺と同じ孤児の出身だったが、才能には天と地ほどの差があった。

 幼くして魔術の才能を見いだされ、王国の宮廷魔術師に師事し、若干十五歳にして賢者の称号を得て勇者パーティーの一員にまで上り詰める。


 俺も一応勇者パーティーの一員ではあるが、替えの利く存在なので賢者とは比べるべくもない。

 勇者たちは歳の離れた新参者、且つ後任者の俺を快く歓迎してくれた。


 若いのに本当によくできた奴らだった。

 有事の際には、前任者のように矢面に立つ役目なのに情けない。

 一番不要だった俺だけが生き残ってしまった。


 けじめを付けなければと戦い続けていても、ふとした瞬間に賢者の謝罪の意味を考えてしまう。


 蘇らない勇者。

 戻らない聖女と賢者。

 もしかして過去に戻る魔術というのは……。


「雪のちらつく寒い夜、か。四年前を思い出すのう」


 唐突に間合いの内側に現れた気配に向かって、反射的に短刀を投擲した。

 金属鎧くらいなら容易く貫通する威力だが、そいつが手の平をかざすだけで短刀は空中でぴたりと止まる。


 ならばと今度は側面に回り込みながら短刀を投げ続けるが、そいつが手の平を横に動かすと短刀は全て空中で停止した。

 互いの視界が大量の短刀で埋め尽くされたところで間合いを詰める。


 突進の勢いのまま放った前蹴りは、まるで巨大な岩石を蹴りつけたような硬い手応えに阻まれた。

 痺れる足を無視して、手近にあった空中に浮かぶ短刀の柄を掴んで力を籠める。


 ぎりぎりと、硬いものを削る感触と共に空間が裂けた。

 その向こうで白い顔に張り付いた紅い唇が弧を描く。


 突如、裂け目から突風が吹き荒れる。


 廃墟そのものを吹き飛ばしそうな程の暴風が、俺を含めた屋上にあるもの全てを吹き飛ばした。

 無数の瓦礫が地面に落下し、大量の土煙が舞い上がる。


「久しいな。勇者一味の生き残りよ」


 廃墟の屋上から、漆黒のドレスを着た絶世の美女が下界を見下ろしていた。

 月夜に照らされた長い銀髪が煌めき、紫紺の瞳が爛と輝いている。

 土煙が廃墟を隠し、まるで雲の上に佇んでいるようだった。


「……魔王が何の用だ」


「つれないことを。貴公に会いに来たに決まっているであろう」


 ドレス姿の美女……魔王が腕を振ると再び風が巻き起こり、舞い上がっていた土煙が晴れる。

 そして散乱する瓦礫の側でうずくまる俺を見つけて口角を上げた。


「わざわざ魔王が出張らなくても、人族はじきに滅ぶぞ」


「たった一人で人族の戦線を守り、我ら魔族の大将首を二つ取っておいてよく言うものだ。もうあの勇者を超えているのではないか?」


「俺が勇者より強いわけがないだろう。こうやって起き上がるのにも一苦労だってのに」


 そう言いながら俺は

 命を燃料にして、転落時に瓦礫に押しつぶされた足を癒す。


 癒えた後も尚湧き上がってくる力に任せて、足に乗ったままの瓦礫を蹴り飛ばした。

 砲弾のように瓦礫が飛翔して魔王のすぐ横を通過したが、彼女は何事も無かったかのように笑みを浮かべている。


「一苦労で到達できる領域ではないのだがのう。貴公のように能率の良い命の使い方をする人族が他にもいたならば、戦争は未だ混迷していたであろうな」


 この力を魔王の前で使うのは初めてだが、俺の手の内はあっさり看破されていた。

 魔王が廃墟から飛び降りる。


 重力が十全に働いていないのか、自由落下とは思えないゆっくりとした速度で地面に降り立つ。

 そして身構える俺に手の平を向けて言い放つ。


「降伏せよ。既に雌雄は決しておる。魔族は人族と違って無益な殺生は好まん。我の庇護に入るのであれば、人族の存続も認めよう」


「俺は人族代表じゃない」


「実質はそうであろう?〈勇者の後継〉。いや〈最後の希望〉殿かな?」


 勝手にそう呼ばれているが、どちらも俺には相応しくない称号だ。

 勇者が生きていれば今の俺より強くなっていただろう。


 皆は俺に希望を託しているようだが、俺は俺自身にも、それ以外にも希望を見出していない。


「魔族がもし俺たちの立場だったらどうする? 人族に追い詰められたとして、庇護のもと生きていくか?」


「……最後まで闘うであろうな」


「そういう事だ」


「まあ待て。聖女と賢者がどうなったか知りたくないか?」


 話は終わりだと命を燃やし始めた俺だったが、魔王の予想外の言葉に思わず動きを止めてしまう。


「お前はどこまで知っているんだ」


「全て知っているとも。貴公ひとりを置いて過去に旅立ったのであろう?」


「……そうだ。過去に遡り魔王、貴様を倒して戻ってくる」


「んん? 聖女と賢者は貴公に過去を変えて戻ってくると、そう言ったのか? それしか聞いていないのか?」


 何かが引っかかるのか、顎に手を当てて魔王が首を傾げる。

 しかしすぐに合点がいったのか、俺の心情を見透かすかのように、魔王の紫紺の瞳が妖しく光る。


「何故貴公を連れて行かなかったのだろうな。過去を改変するなら貴公も戦力として連れていけばよかろう」


「……それは、賢者に三人も過去に戻す力が無かったからだ」


 迂闊にも素直に答えてしまったが、それだけ俺は動揺していたのだろう。 

 連れて行かなかった理由だと?

 少なくとも賢者からはそう聞いている。


 俺に謝った賢者の顔が再び思い浮かぶ。


「ふむ、確かにその可能性はあるな。しかし明確な嘘がひとつあるな」


「嘘、だと」


「過去に戻っても結果は変えられないのだよ。考えてみよ。もし過去で我が倒されたとして、今ここにいる我はどうなる? 急に消えて無くなるのか?

 倒されるまでの数年間、人族を大量に殺したが、すべて元通りに戻るのか? それ程の大規模な事象の変化を起こすのに、どれほどの力が必要になると思う。たかが二人、過去に遡った程度でそれが起こせるのか?」


 魔王の言わんとすることはなんとなく分かる。

 だが俺は過去を変えるということは、そういうものだと思っていた。


 魔王は違うと言う。

 信じたくない。

 急速に体から力が抜け、立っているのが辛くなる。


「それに仮に過去を変えられるのならば、とっくに変わっていなければおかしいのではないか? まあ過去の我が返り討ちにした可能性もあるがのう。ただ白状するならば、我が勇者を倒せたのも紙一重の僅かな差であったから、もしかしたら倒されているかもしれぬ」


「結局何が言いたい?」


「まあ急くでない」


 丁度良い高さの瓦礫を見つけると、ドレスが汚れるのも厭わずに魔王が腰掛ける。

 隙だらけだが、魔王の次の言葉が気になり攻撃を仕掛ける気にはならなかった。


「過去に戻っても結果は変えられないと言ったが、それは今ここにいる我らにとっての結果という意味だ。過去に遡った聖女と賢者の未来は変わる可能性がある」


 魔王の言葉に理解が追い付かない。


「この世界そのものを改変するには膨大な力が必要となる。聖女や賢者は勿論、我にも不可能だ。それこそ神でもなければな。だが人族が二人過去に遡り、その世界で生きるのならば話は別だ。その後に我が倒されたとしても、その世界では改変された結果ではなく、正史となるのだからな」


「……つまり俺たちが今いる世界と、聖女たちが旅立った過去の世界は別物だというのか?」


「その通り。なかなか察しが良いではないか。現在を変えるには膨大な力が必要になるが、過去に……いや、勇者が倒される前の、この世界と似た世界に転移するだけなら可能というわけだ。通常の転移魔術の延長のようなものだ」


 理解の色を示す俺に対して、魔王の怪しい笑みが深まる。


「さて先程、我は明確な嘘があると言ったが、もう分かるな? 我らがいるこの世界で勇者が復活することは絶対に無い。そして勇者を求めて旅立った聖女と賢者が戻ってくることはない」


 なるほど……魔王の説明が正しければ、確かに聖女と賢者の言葉は嘘になる。

 いや、聖女は嘘をつくのが下手だったから、俺と同じように賢者に騙されていたのだろう。


 それにしても勇者パーティーの恋愛事情まで筒抜けとは。

 人族は負けるべくして負けようとしているのかもしれない。


 俺に魔王の言葉の真偽を確かめる術はないが辻妻は合う。

 合ってしまったし納得もできた。


「向こうの勇者を連れて戻ってくることは可能じゃないのか?」


「可能だが現状そうなっていない。つまりそうするつもりがないという明確な理由であろう」


 その通りだ。

 戻ってくるならとっくに戻ってこなければおかしい。

 遅くなればなるほど、人族は追い詰められるのだから。


 では戻らない理由はなんだろうか。

 向こうの世界の勇者を連れ去れば、当然向こうの世界から勇者が消える。


 魔王を倒した後だとしても、新たな脅威が現れないとも限らない。

 勇者本人だって自分の世界を捨てるのは嫌なはずだ。


 魔王が立ち上がる。

 俺の心を見透かすような笑みから一転して、慈愛に満ちた憂いの表情へと切り替わった。


「なあ貴公よ、我ら魔族の軍門にくだらぬか? 勇者は死に、仲間の聖女と賢者は貴公を裏切り別の世界に逃げた。残された人族の王族どもは貴公を最前線に放り投げて、自分たちは大陸東端に残された最後の国に籠る有様。人族の誰もが貴公を蔑ろにしている。

 我の元に来て忠誠を誓ってくれるならば、貴公を家臣として重用することを約束しよう。無論此度の人族への侵攻に加担する必要は無い。我の元でその心身に負った傷を癒すがよい」


 魔王の艶のある声音が俺の耳朶を打つ。

 言葉自体に魔力が籠められているかのようで、今すぐ両手を広げている魔王の柔らかい胸元へ飛び込みたくなる衝動に駆られる。


 確かに俺は勇者が死に、聖女と賢者が去り人族の未来が終わった世界で、たった一人で戦ってきたが……。


「一つ教えてくれ。聖女と賢者は間違いなく過去の世界に辿り着いているのか? 失敗する可能性は無いのか?」


「ん? ああ、失敗はまずしないだろう。魔術というのは良くできたものでな、魔術を行使するにはその魔術を熟知していなければならない。成功するかしないか、不確かなままだとそもそも魔術として成立しないのだよ。魔力不足だとか、詠唱を邪魔されたとかでもない限りは成功するのう」


「そうか……教えてくれて礼を言う。お返しに俺の素直な気持ちを教えよう。過去へ向かう間際、賢者は俺に謝ったんだがその理由が分からなかった。三年間考え続けて、魔術に詳しくない俺が強引に出した結論は、魔術の成功率が低いのではいかというものだった。

 過去に戻って勇者を殺されなかったことにするんだから、魔王の言う通りとてつもない力が必要になる。しかし真実は違った。賢者はこちらの世界に戻ってこれないことを謝っていたんだ。確かに考え方によっては俺は裏切られたのだろう。だが俺はそう思わない。

 聖女と賢者はこの世界を捨てたわけじゃない。向こうの世界を救いに行ったんだ。そして俺を連れて行かなかったのは、俺にこの世界を託したからだ」


 俺が導き出した答えを聞いた魔王の表情は、なんとも言えないものだった。

 無表情で黙り込んだかと思うと、やれやれといった感じで盛大に溜息を吐いた。


「はあ…………貴公、本当にそれで良いのか? どう見てもいいように利用されておらんか?」


「元々若者たちの尻ぬぐいが俺の仕事なんだよ。だから多少彼女らの都合が入ってても咎める理由にはならんよ」


「ちっ、説得の仕方を間違えた。素直に惚れたと言って攫ったほうが手っ取り早かったか」


 急に威厳を帯びていた魔王の口調が変わった。

 見た目相応の砕けた感じになっている。


「というわけで力づくで攫って行くから」


「やれるものならやってみろ」


「だからその命そのものを燃やす技は駄目だって。早死にしたいの? 馬鹿なの? 死ぬの?」


「!?」


 魔王の揶揄うような罵倒の直後、俺の体が動かなくなる。

 まるで首から下を固められた空気の中に閉じ込められたような感覚だ。

 ……ならば動けるようになるまで力を籠め続ければいい。


「舐める、なよ」


「あーもう! 言ってる側から使うなっての」


 命を焚べて増幅した力で強引に体を動かすと、魔王が阻止しようと手を伸ばしてくる。

 それと同時に、背後の上空に新たな乱入者が現れた気配を察知した。


 ここで新手か。

 対処しようと更に力を籠めた瞬間、視界が光で埋め尽くされた。


 夜だというのに太陽を直視したかのような光量に目が眩む。

 僅かな間を置いて衝撃と轟音が巻き起こり、俺は後方に吹き飛ばされた。


 落下の途中でようやく体の自由が利くようになったので、眩んだままの目をで癒してから受け身を取る。


 回復した視界に入ったのは、少し離れた位置にいる魔王と、空中に浮かぶ見覚えのない女。

 その女は宮廷魔術師である証のローブを身に纏い、手にはこの世界を造った創造神を崇める聖職者たちが扱う杖を持っていた。


 衝撃の余波で女の藍色の長い髪が、夜空に溶けるようになびいている。


「遍く大地をしろしめす御神よ 聳える御難に抗う衝角を この手に授けよ―――《聖撃ホーリースマイト》」


 女の聞き覚えのある声音が紡いだ神聖魔術によって、再び視界が光で染まる。

 遥か天空から滝のように光の柱が降り立ち、見上げる魔王へと落ちる。


「ちょっと待ちなさ……」


 何かを言いかけた魔王に光の柱が直撃し、十メートル四方が地面ごと抉り取られる。

 いや、抉り取るように消失した地面だったが、どうやら押し潰しているようだ。

 その証拠に陥没した地面の奥底から魔王の声が聞こえた。


「いや、だから……」


「―――《聖撃》」


「ちょ」


「《聖撃》《聖撃》《聖撃》」


 魔王の制止を聞かずに、謎の女は容赦なく魔術を放ち続けた。

 眩しい閃光と大地を穿つ轟音が繰り返される。


 合間に魔王の叫ぶ声が聞こえていたが、それが聞こえなくなったところでようやく女は攻撃をやめた。

 後に残ったのは、地面に出来た大穴だ。




「遅くなってごめん! 怪我は無い?」


 魔術で空中に浮かんでいた女は、俺の側に降り立つとすぐに謝った。

 歳は二十代半ばくらいだろうか。


 気の強そうな眼差しに緊張感を漂わせながら、俺のからだをぺたぺたと触って怪我が無いか確認している。


「あ、ああ。大丈夫だ。ところで魔王は?」


「多分転移で逃げられたわ。出来ればこの場で仕留めたかったけど。残念ね」


「ええと……お前はミアだよな?」


「うん、そうだよ……よかった。結構見た目が変わっちゃったけど気付いてもらえて」


 名前を呼ばれた女、ミアが俺を見上げながら濃紺の瞳を潤ませる。

 ミアというのは、三年前に聖女アナスタシアと共に過去へ旅立った賢者の名前だ。


 別れた時はまだ幼さが残っていた、というかほぼ子供だったが、今は立派な大人の女性に成長していた。

 僅か三年の月日でここまで育つだろうか?


「どうして戻ってきたんだ? というか戻ってこれたんだな」


「ごめん。本当はもっと早く戻ってくるつもりだったんだけど……それに遅れたこと以外にも謝らないといけないことが」


「勇者が復活しないことか?」


「!? 気付いてたの?」


「いや、さっき魔王から教えられるまでは知らなかったな」


「そう……聞いてくれる? 私がやろうとしていたことを」


 賢者ミアが、現在に至るまでの経緯を俺に告白した。




 魔王の言う通り過去に遡る禁呪 《時間遡航》を習得する過程で、ミアは歴史を変えることはできないと気が付く。


 しかしそのことを聖女アナスタシアには教えなかった。

 教えてしまえば、アナスタシアは過去に遡ることを諦めてしまうと思ったからだ。


 アナスタシアは勇者を心から愛し、再会することを生きる希望として修行に明け暮れていた。

 だが勇者が復活しないと知ってしまえば、この世界を捨ててまで過去に遡ることはしないだろう。


 聖女としての立場、矜持がこの世界を見捨てることを許さないからだ。

 しかし勇者との再会という希望を失えば、アナスタシアの心は壊れてしまう。

 仲間であり親友でもあるアナスタシアのために、ミアは嘘をついた。


「嘘をついてアナからはすごく怒られたけど、同時に感謝もされたわ。まあ当然過去には過去の私たちがいるから、ライバルはいるんだけどね」


「過去の自分に会うって、どんな気持ちなんだ?」


「最初はなんとも言えない違和感があったわ。すぐに慣れたけど。見た目や思考は限りなく似ているけど、決して同じではなく、意識が別々にある以上は他人なのよね。双子の妹がいるとあんな感じなのかしら」


 ミアとアナスタシアは過去の勇者パーティーと合流して、魔王との戦いに身を投じる。

 未来から持ち込んだ経験と情報には絶大な効果があったが、それでも尚、魔王は強かった。


 そして二年の歳月をかけて魔王を倒したが、代償として聖女が負傷する。

 負傷したのは俺たちの世界の聖女だった。


 魔王に狙われた聖女を庇ったのが勇者の死の原因だが、今回聖女は勇者に庇わせなかったのだ。

 むしろ聖女が魔王の攻撃の囮となり、その隙を利用して魔王を倒すことに成功したのだという。


「アナは間違いなく魔王の呪毒を解呪できるはずだった……でも、魔王は実力を隠していた。この世界より強力な呪毒を使ってきたの」


 追加の聖女と賢者を投入してようやく倒せるような相手だ。

 実力を隠していても不思議ではない。

 紙一重で勇者を倒せたとか言っていたが、嘘つきもいいところだ。


 魔王の呪毒を解呪しきれなかった聖女は、聖女としての力そのものの大半を代償にして、どうにか体を蝕む呪毒を押さえ込むことに成功したそうだ。


「アナは事実上の引退ね。面と向かっては言えないけど都合が良かったわ。もしアナが戦える状態だったら、私と一緒に帰ると言って聞かなかったと思うから」


 アナスタシアがこちらの世界に帰るということは、勇者との別れを意味する。

 親友思いのミアは聖女を向こうの世界に残し、単身でこちらに帰ってきた。


「私ね、どうやら聖女の才能もあったみたいなの。それで賢者だけでなく聖女としても修行を重ねて……六年かけてようやく魔王と対等に戦えるようになったから帰ってきたの」


「そういえばさっき使っていた《聖撃》はもともと聖女が得意だった神聖魔術だったな。聖女用の杖を使っているみたいだし」


 本来の賢者が得意とするのは真言魔術という別系統のものだ。

 ミアは一人で聖女と賢者二人分の修行をこなし、強くなって帰ってきたということになる。

 流石は若干十五歳にして賢者の称号を得ただけはある。


「時間の流れがよく分からないな。勇者が死ぬ一年前に遡ったのが今から三年前で、向こうで二年かけて魔王を倒して、その後六年間修行したということは……」


「私の主観だと貴方と別れてから八年経過してて、三年前の過去に戻ってきたことになるわ」


「つまりミアは今二十三歳か。もっと昔には戻れなかったのか?」


 極論を言えば、過去に遡る原因となった勇者の死の直後に戻っていれば、人族の被害は最小限に押さえられたはずだ。


「《時間遡航》にも色々条件があるの。時間の流れには大きな節目があって、その地点にしか遡れないし、私の力では三年前までが限度だった。もっと私に才能があれば……ごめん」


 他にも連続使用が不可能だったり、体への負担が大きかったりと、決して気軽に扱えるものではないそうだ。


 禁呪なのだから当たり前な話であった。

 そして自らの利己的な考えを後悔し、改める。


「俺の方こそ悪かった。助けに来てもらっておいて、もっと早く助けろなどと、どの口が言うんだ。助けに来てくれてありがとう」


 そう言いながらミアの頭を撫でた所で、俺は動きを止める。

 しまった、思わず昔の癖で撫でてしまった。


 ミアは勇者パーティーの最年少で見た目も子供っぽかったので、よくからかい半分で頭を撫でていた。

 その度に子供扱いするなと顔を真っ赤にして怒っていたのを思い出す。


 現在のミアは立派な大人だ。

 昔以上に怒るのではないかと、恐る恐る顔色を伺うと……。


「ん……」


 ミアは意外にも大人しく撫でられるがままになっていた。

 昔のように顔を赤くして俯いているが、怒っている様子は無い。

 高くなった頭の位置からも成長を感じつつ、そっと手を放して話題を変える。


「ええと、そうしたらさっさと魔王を倒さないとな。《時間遡航》が使えるようになり次第、向こうに戻るんだろう? 早く勇者に会いたいよな」


「えっ、私は別に勇者に会えなくてもいいし、これからはずっとこっちにいるけど」


「えっ、ミアも勇者が好きなんだろ?」


「誰がそんなこと言ったのよ! 私が好きなのは……」


 そこまで言って再びミアは俯いてしまう。

 先程よりも顔が赤い、というか耳まで赤い。


 さすがにこの反応を見て気付かないほど俺も鈍くない。

 どうやら過去の俺に対しての勝気な態度は、照れ隠しだったようだ。


 アナスタシアと一緒に勇者と仲良くしていたが、あれはあくまで親友としての振る舞いだったのか。


「まあ気付くわけないわよね。貴方には反抗してばっかりだったし」


「向こうにも俺はいるんだよな?」


「貴方もいるけど向こうの私もいるのよ。独り占めできないじゃない……そんなことより! 人族の状況を教えて。王家は存続しているの?」


「ああ。生き残っているぞ。大陸東端の城塞都市に……」


 ミアがわざとらしく話題をそらしてきたが、それに合わせてやるのが大人の対応だろう。

 向こうに戻らないのなら、魔族を退けた後にじっくり話し合えばいい。




 勇者が死に、聖女と賢者が去り、人族の終焉を迎えつつある世界。

 一人で抗う俺の元に賢者が戻ってきた。

 彼女と一緒なら、魔族の侵攻にも対抗できるだろう。


「そういえば私が駆けつける直前、魔王が貴方を倒すじゃなくて攫うとか言ってなかった?」


「ん? 俺に惚れたからとか言っていたが、まあ効率よく排除するための方便だろうな」


「あの野郎……! こっちの世界でも手を出そうとしたのね。ロイドは私のものよ!」


 その数か月後、何故か魔王とミアが一騎打ちをした。

 そして相打ちとなり、俺を共有するという話で落ち着いたりするのだが、それはまた別の物語だ。

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