山越えの書
小鳥の囀りが聞こえる。外からガヤガヤと活気溢れる声が聞こえてくる。
微睡の中、グッと体を伸ばし欠伸をしながら目を開きゆっくりと体を起こした。
辺りを見渡したが 部屋の中にカーマの姿はすでに無く私もそそくさと部屋を整え、旅支度を済ませ部屋を出た。
宿の外に出ると木陰の切り株に腰掛けたカーマが村の老人と何やら話をしていた。
しばらく老人と会話しているカーマを眺めていると、話を終えたのか老人は腰を上げ立ち去って行った。老人を見送ったカーマがこちらに気付き手招きをしている。
寝起きでまだ脳が働いていなかったのか、今更ながらカーマの姿を見て驚いた。
長い金髪を後ろで一つに括りフードを脱いだ状態で座っていたのだ。
私は慌てて近寄り声をかけた。
「おい!お前!フードを脱ぐと魔力が解放されるって言っていただろう!村人が危ないだろ!私の様に気を失ったらどうするつもりだ!」
そう言うとカーマはニヤリと笑って
「……これを脱いだだけで気絶した奴はお前くらいだったがな……さっき話していた老人が魔力を敏感に感じ取れる人間だったらしく、私の少し漏れ出ていた魔力に気付いてこれをくれたのだ。」
カーマが指先でなぞる首元には金で出来たチョーカーが付けられていた。
「封魔のチョーカーと言って漏れ出る魔力を完全に封じてくれる代物らしい。一昔前ここに立ち寄った大魔法使いが残していった物なんだと。」
ほう。と私は頷くと、物珍しそうにカーマの顔を眺めた。
「……なんだ?そんなに人の顔をジロジロ見て。気持ちの悪い。」
カーマは眉を顰めて顔を背けた。
「いつもフードを被って陰湿な雰囲気を出しているのに、そうやって顔を出せば多少はマシになるものだなと思って。」
フンと鼻で笑うと立ち上がり荷物の整理を始めた。
「お前が寝ている間にある程度の物資は買い込んでおいたぞ。薬全般。食糧に替えの靴。後はお前の装備品を買い揃えるだけだ。」
そう言うと私に向かって皮袋を投げてきた。チャラっという音と共に飛んできた皮袋をキャッチすると、貰った時はずっしりと重かった皮袋がかなり軽くなっていた。
「お前どれだけ使ったんだよ!あれだけパンパンに膨らんでいた皮袋が……それにたったこれだけで買える物なんてほとんどないだろ!」
袋を開けて中身を確認すると金貨3枚が残っているだけだった。
「……ねぇ、この残った金貨で何買えるか教えてくれない?」
出発の準備を整えていたカーマは面倒くさそうにこちらを見てため息を付いた。
「……そうだな。林檎くらいなら買えるんじゃないか?」
「食糧は買ったんだろ?それとも林檎を装備しろって言うのか?」
私が苛立ちを見せそう言うと
「……チョーカーが思ったより高かったんだ。すまん。」
気まずそうにそう言いながら再び背を向けた。
私は大きくため息をつくと、皮袋を乱暴にポケットに入れて出発準備に取り掛かった。
村の裏手に回るとすぐにカフト山脈の入り口になっていた。
村人から聞いた話だと、カフト山脈は見た目こそ高く険しそうに見えるのだが、割と整備の行き届いた山で少し前までは行商人や旅人などもよく通る山だった。だが少し前にどこからかやってきた凶暴な魔物が住み着いてしまったらしく、それからほとんど人の行き来は無くなってしまったのだと。
確かに人の往来の絶えてしまった道は、どこか不気味な雰囲気を漂わせていた。
私とカーマは周りを警戒しながら長い一本道の上り坂を進んでいく。
その魔物が住み着いてしまった影響なのかモンスターも多いのだろう。常に何かがこちらを見ている様な気配を感じる。
「なぁ?何かとんでもない魔物がいる気配とか感じるか?」
カーマは少し集中するような様子を見せ
「……いや、特にこれと言って特別な気配は感じないが……」
どこか返答の歯切れが悪い。
「なんだよ。なんか言いたいことがあるなら言えよ。」
周りを警戒しながらもカーマを見た。
「周りから感じる気配は恐らくモンスターがこちらを警戒して様子を見ているんだろうが、何だろうな……妙な胸騒ぎがする。」
カーマはいつにも無く真剣な表情で辺りを見渡している。
私達は警戒を強めながら慎重に進んでいると、カーマが何かに気付き声を上げた。
「……ここにいるモンスター達、最初こそ私達を警戒していた様だがこの付近のモンスター達は違うな。私達を見ながらもどこか別の方向を気にしているようだ。」
私はカーマを見ながら聞いた。
「つまり……ここにはお前と同等、もしくはお前より強い魔物がいると言う事か?」
自分より強いと言う言葉に少し腹を立てたのか、カーマは軽く舌打ちしながら
「……私は魔族だぞ?私より強い魔物などこの世に存在するわけないだろう……もしいると言うのなら連れて来てみろ?すぐに殺してみせる。」
私は呆れた様にカーマを一瞥すると
「もしかしたら。の話をしただけじゃないか。世界は広いんだ。もしかしたらいるかもしれないだろ!何をそんなムキになっているんだ?」
フンと言いながらそっぽを向くとカーマは何も言わなくなった。
私達は警戒はしながらも、お互い顔を背け無言のまま山頂への道を進んでいた。そしてもうすぐ頂上付近に辿り着くという所まで進んだ時だった。
何かの気配を感じ取ったカーマが後ろを振り返ると同時に、凄まじい風を巻き起こしながら上空を巨大な何かが通過していった。
「なんだ!?」
私は風に飛ばされない様踏ん張りながら通過した何かを目で追った。
「……怪鳥か。」
ボソリと呟くとカーマは頂上へと歩を進める。
「恐らく頂上付近に住み着いているのだろう。行くぞ。戦闘の準備をしておけ。」
「戦闘!?あんなデカいのと戦うのか!?」
私は置いていかれない様小走りで後を追いかけながら問いかけた。
「そう身構えるな。魔王!の私に比べたらあんな物はただ体がデカいだけの雛鳥だ。叩き落としてやる。」
さっき言った事を根に持っているのだろうか。やたらと魔王という言葉を強調してきた。
「お前からしたらそうかもしれないけど……私はあの鳥にとって餌にしか見えないだろう!……危険だ!迂回しよう!」
「迂回だと?せっかく通過しやすい様に一本道にしてくれてるんだ。使わない手はないだろう。それに森に入って道に迷う方が危険だし時間の無駄だ。さっさとあの鳥を倒して先に進むぞ。」
二人は騒がしく言い合いをしながらも山頂へ到着する。
「あれ……?いないじゃないか。よし!今のうちに走り抜けるぞ!」
そう言い終わると私は勢いよく駆け出した。
走り出して丁度、山頂の真ん中付近を駆け抜けていたその時、凄まじい勢いで上空から私の進路を塞ぐ様に一直線に何かが落下してきた。
凄まじい衝突音と共に激しい土煙が立ち昇った。
その土煙を翼でかき消す様にバサバサと仰ぎ、大地が震えるほどの咆哮が響き渡った。
土煙が散りその巨大な生物が姿を表す。
現れたその姿に私はゴクリと唾を飲んだ。鳥と言うよりも神に近い。そう感じるほどに神々しく輝く羽毛。
真っ白な羽毛の下で爛々と輝く真っ赤な目。鋭い嘴。
爪もドラゴンの様に逞しく翼を羽ばたかせる度に、凄まじい風圧が体を叩きつけてくる。
とてもじゃないが人間が戦っていい生物ではない。
この生物を倒す事など不可能だ。
私は既に戦う前から敗北していた。初めて目撃する巨大な生物に完全に気圧されてしまっていた。
カーマはゆっくりと私の側まで寄ってきて、軽く肩を叩くと
「一人で戦うつもりか?恐れるな。お前のパーティーには誰がいると思っているんだ?」
そう言うとカーマは右手に持っていた杖を左手に持ち替え右手で私の腰から剣を引き抜くと、怪鳥に向かって飛び掛かった。
怪鳥は激しく翼を前後に動かし強風を撒き散らすが、カーマは剣で風圧を切り裂きながら懐へと飛び込んだ。
必死に爪で掴もうとするが、カーマは首筋の羽毛を掴みその攻撃を避け飛び上がった勢いのままに首に数度切り付ける。
怪鳥の首から鮮血が舞う。更に空中へと飛び上がったカーマは左手の杖をクルクルと回すと、巨大な火の玉が杖の上空に出現し、それを怪鳥に向けるとその火球は勢いよく顔目掛けて飛んでいった。
火球が衝突した瞬間凄まじい火柱が上がる。
怪鳥はけたたましい悲鳴を上げバタバタと翼を動かした。
上空を舞っていたカーマが私の前に舞い降りた。
この短い時間のうちにとんでもないレベルの戦いが目の前で繰り広げられていた。本当に一瞬の出来事だった。レベルの高い攻防が一瞬の内に行われたにも関わらずカーマは無傷のまま目の前に降り立った。
カーマはチラッと振り返り剣を私に渡すと
「首を切り落としたつもりだったが切れ味が悪い。ラインドックに着いたら買い替えた方がいいな。」
チョーカーによって魔力を抑えられているとはいえ今までより激しく戦闘を行ったカーマに驚き、何も言葉を返せないまま固まっていると
「……ん?どうした?無駄口を叩かないお前は珍しいな?てっきりお前がチョーカーを買ったから剣を買う金が無くなったんだろうが!とか文句の一つや二つ返してくると思ったのだが。」
カーマは不思議そうに私の顔を覗き込む。
「……え?剣はほら……お前の……あの……城のほら……飾ってあった……ね?」
正直私は驚いていた。カーマが強いのはもちろん知っていたが少し力を解放しただけでここまであの巨大な鳥、いや私からしたら神にも近かった生物を圧倒してしまうとは思ってもみなかった。
カーマが何か私に言おうとしたその時、カーマはすぐに怪鳥の方に向き直した。その瞬間凄まじい風が巻き起こった。
私はその風圧に吹き飛ばされながらも何とか倒れず持ち堪える。
先程まで炎に包まれていた怪鳥は風の力で火を消し首付近に少しだけ血の跡を残しながらもまだまだ余力は十分な様子で空へと飛び上がって行った。
「……簡単には終わらんか。大技を使う。少し離れていろ。」
カーマはそう言うと杖を両手で握り何かを詠唱し始めた。
上空からけたたましい声を上げながら、爪を突き立てカーマに向かって突進してきた。
杖で爪を防御し引き摺られながらも攻撃を受け止め弾くと、バサバサと再び舞い上がろうとする怪鳥の上空に分厚い雲が発生し始めた。
みるみる内に集まってきた雲は、薄気味悪い程真っ黒な雲へと変貌を遂げ、内部で稲光を発生させ始めた。
「この魔法はあまり使いたくなかったんだが。」
カーマはそう言いながら先程の攻撃で指を負傷したのか左手の親指を舐めると夜と見紛う程徐々に辺りが暗くなり始めた。
怪鳥が再び空へと飛び上がった瞬間、凄まじい雷(いかずち)が怪鳥へと直撃した。
バチバチと上空で数度輝きを放つと真っ黒な煙を上げながら怪鳥が落下してきた。
ドスンと地響きをあげ怪鳥が地面に倒れ込む。
カーマは私の顔を見ると
「もう死んでいるとは思うが……一応首を切り落としておくか?お前の経験にもなりそうだし。」
呆然と立ち尽くしていた私に問いかけるが私は硬直したまま首を横に振る。
「……そうか。では急いで山を降りるぞ!大雨が来る。」
そう言い放つとカーマは飛ぶように山を駆け降りていく。
大雨が降る中、私は一気に決着のついてしまった一戦にまだ頭の整理が追いつかないままでいた。
(一瞬の出来事だった。到底普通の人間では捕食対象にしかなり得ないほどの怪物を前に、ほとんど擦り傷だけで決着を付けた。恐らく私の父が万全の体制で挑んだとしても勝てなかったであろう。それほどまでにカーマは強かった。神と呼ばれる存在ですら一瞬で屠ってしまいかねない魔王の力に心強さを覚えると共に恐怖を感じた。)
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