第9話 迷路の攻防

「ションホル殿、短い準備期間でよくやってくださった。感謝申し上げる」


 ズーンの王太子・エルデニが頭を下げる。

 今回の「れずの地」出兵に際し、ズーン王はアルタントヤーに随伴してきたヒュンナグ人たちを拘束した。ボルドゥの間諜である彼らを、ぎりぎりまで自由にさせておき、不意打ちで捕らえたのだ。

 ションホルはサラーナの指示でズーンにやって来はしたものの、彼らの目に留まりボルドゥに報告されてはまずいので、一度こっそりエルデニに引き合わされたきり、彼の母方の氏族のもとかくまわれていた。

 そして、ようやく身を隠す必要がなくなり、エルデニの客将として、ボルドゥを迎え撃つ準備を任されたのだ。


「もったいないお言葉です。殿下には余所者よそものである私のことをご信頼いただき、感謝の言葉もございません」


「気にするな。アルタントヤーがそなたは信頼できると言ったのだ。信頼しない理由など無い」


 何だか惚気のろけを食らったようで、ションホルは苦笑した。



 ズーン王宮に迫ろうとしたヒュンナグ軍は、平坦に見えた草原が実は波状なみじょうに大きく起伏していることに気が付いた。


「土塁、だと?」


 土を掘り返して積み上げたものではなく、土魔法を用いて、表層の草が生えた状態を維持したまま地面を盛り上げたものだ。

 だが、騎竜きりゅうで乗り越えられないほどの高さではない。


「ふん、つまらぬ小細工を」


 ボルドゥは一笑に付し、自身も含めた風魔法の使い手に炸裂魔法を放たせて、土塁の向こう側の敵兵の排除、および隠蔽された落とし穴などの罠の露呈を行ってから、先頭を切って一気に土塁を乗り越える。


 しかし、土塁の向こう側には、敵兵は潜んでおらず、隠蔽された罠などもなかったものの、深く掘り下げられており、手前側と比べて二倍ほどの高さがあった。

 そうと予測していたならばまだしも、無意識に手前側と同程度の高さだろうと思い込んでいたところにこの落差では、まともな着地は出来ない。ボルドゥは咄嗟とっさに風魔法を発動し、着地の衝撃をやわらげたが、他の兵たちは、転倒したりくらから転げ落ちたりするものが相次いだ。


 そしてそこへ、ズーン軍の矢が降り注ぐ。一つ先の土塁越しの曲射きょくしゃだ。混乱しているところへ持って来て、敵の姿は見えず、反撃もままならない。

 もちろん相手からもこちらは見えていないのだろうが、あらかじめ距離をはかっていたのだろう。視認なしの射撃にしては、思いの外狙いは精確だ。


 少なからぬ損害に歯噛みしながら、ボルドゥは部隊を立て直し、次の土塁を乗り越える。

 今度も同様に向こう側は深くなっていたが、予測していれば何とかなる。先ほどのような混乱は起こさずに土塁を越えたヒュンナグ軍。しかし、そこに敵の姿はなかった。


「矢を射放った後、土塁を越えて後退したか。くそ、手際のよいことだ」


 今度は矢は飛んで来なかった。また同じことを仕掛けてくるようなら、一気に次の土塁を乗り越え、突撃を掛けてやるところだったのだが。


「まあいい。やつらが多少小細工を仕掛けてこようと構わぬ。このまま一気に攻め潰すぞ!」


 元々、騎竜兵きりゅうへいの機動力を最大限にかした速攻は、ボルドゥが得意とするところ。ボルドゥの指揮のもと、ヒュンナグ軍はさらに土塁を乗り越えて行った。


 と、その時、部隊の背後でときの声が上がった。


「背後に回り込まれただと!? 一体どうなっている!?」


 土塁はズーン側の方が深く掘り下げられており、逆に乗り越えるのは難しい。留守部隊の中から別動隊をき、大きく迂回させて背後をいたのか? いや、それほどの余力はないはずだ。ズーン軍の主力部隊が「れずの地」から戻って来るまでにも、まだまだ時間的余裕はあるはず。


 ボルドゥは即座に決断した。このまま敵の本陣にまで迫って行って、背後に食いついてきた部隊と挟撃されるかたちになるのは願い下げだ。まずは後ろの敵を排除する。向こう側から敵本隊が土塁を乗り越えて来るのは困難なはず。麾下きかの兵たちにめいを下し、部隊を反転させる。


 が、ほどなくしてボルドゥは、その判断が誤りであったことに気付かされる。

 背後の敵を排除すべく反転させた部隊のさらに背後――容易に乗り越えられないはずの土塁の向こう側から敵兵があらわれ、挟撃されることとなったのだ。


 一体何がどうなって……と呟きかけたボルドゥの視界に、土塁の一部が崩れて通路状になっているのが映った。


「そういう……ことか! おのれ、小癪なマネを!」


 戦場で悔しさをあらわにするのは、ボルドゥにとっては初めてのことだった。



「どうやら上手くいったようだな」


 歓喜というよりもほっとした心境で、ションホルは胸をなで下ろした。

 ヒュンナグ軍を迎え撃つべく、彼がズーンの土魔法使いたちを指揮して築き上げた土塁群。それは元々一部を盛り上がらせずに、通路を切ってあった。そこに土を運んできて盛り、さらに草を被せて一見しただけではわからないようにしていたのだ。

 土魔法で時間を掛けて築き上げた土塁部分は、逆に土魔法で崩して平坦にするにも相応の時間が掛かる。しかし、即席で土を盛った部分を崩してしまうのは、土魔法を用いればごく短時間に行える。


 他に比べてその部分は軟弱なため、ヒュンナグ軍が騎竜きりゅうで乗り越えようとした際に脚を取られる者もいたのだが、違和感がボルドゥの耳にまで伝えられることはなかった。


 幾重いくえもの土塁で仕切られた巨大な迷路。その中にヒュンナグ軍を封じ込め、その機動力と大軍の利を奪う。それが、ションホルがエルデニ王太子らと相談の上で立てた策だった。

 ボルドゥ率いる精強なヒュンナグ軍を、兵数でも下回るズーンの留守部隊が迎え撃つための策。ズーンの者たちの中には、我らを弱いと侮るか、などと不快感を示す者もいたが、エルデニは思いの外柔軟な思考の持ち主であったらしく――あるいは、アルタントヤーが裏で説得してくれていたのかもしれないが――、ションホルの献策を受け入れてくれた。


 迷路の中での攻防は、どうしてもちまちましたものになってしまい、お互いに決め手を欠くが、ズーン側としてはそれでいい。このままなんとか、主力部隊が戻って来るまで時間を稼ぎ、ヒュンナグ軍を挟撃してボルドゥを討つ。


 特にションホルの本音としては、ボルドゥ一人を討ち果たせさえすれば、ヒュンナグ軍に過度の損害を与えたくはなかった。手加減などできるような相手ではないことは重々承知しているが、ボルドゥもろともヒュンナグ軍を殲滅――それがそう簡単にできるかどうかはともかく――しようなどとは考えていない。

 迷路の中でボルドゥを見つけて自分の矢で奴の心臓を射抜く――などという妄想と戦いながら、ションホルはエルデニから預けられた部隊を率い、ヒュンナグに時間稼ぎの神経戦を仕掛けるのだった。

 早く戻って来てくれと、ズーン主力部隊の一刻も早い到着を待ちわびながら。



「ふざけおって! 俺をいつまでもこんなところに閉じ込めておけると思うなよ!」


 内心の苛立ちをあらわにしながら、ボルドゥは部隊をまとめ上げて迷路からの脱出を図ろうとしていた。しかし、土塁で隔てられ分断された状況では、それも中々ままならない。

 そして、明らかに時間稼ぎのつもりらしいちまちまとした敵の攻撃に、神経を擦り減らされる。


「いや、焦っては奴らの思うつぼだ。それに、ズーンの主力部隊は、そうそうすぐには戻って来れぬはず」


れずの地」のズーン主力部隊に対しては、足止めの策は講じてある。正直、小細工に類することで、そんなものを頼みの綱とすることに、内心忸怩じくじたる思いもあったのだが。

 本来ならば、ズーン内の少数民族も内応させた上で、速攻でけりを付けることができたはずなのだ。

 誤算に次ぐ誤算。いや、何者かがボルドゥの手の内を読み、一つ一つその上を行っているのか?


(まさか……な)


 ありえない妄想を、ボルドゥは首を振って追い払った。




れずの地」に兵を進めたズーン軍。ズーン王バーブガイ自らが率いる大軍の中に、一人のヒュンナグ人の姿があった。

 ゾリグという名のこの若者は、やはりサラーナがアルタントヤーを介して送り込んだ、竜神の里の人間だ。


 竜の里の人間は、皆多少なりとも竜種りゅうしゅを操るすべを心得ているが、中でも随一なのはサラーナ。そして、それにぐのがこのゾリグだった。

 以前、「れずの地」でアルタントヤーの一行にサラーナたちが接触しようとした際、サラーナが手懐てなずけた野生の騎竜きりゅうの群れを彼女から引き継いで、一行の足止めをしたのが彼だ。


 サラーナがズーンに送りこむ人間の中に彼を人選したのは、ズーンがボルドゥに対する挑発のために「れずの地」に兵を出した際、野生の騎竜きりゅうの群れを排除する役を務めさせるためだった。


「ま、何ならボルドゥの軍に騎竜きりゅうの群れをぶつけてやってもよかったんだけどな」


 呑気にそうひとちるゾリグ。もっとも、ボルドゥはズーンの主力部隊を回避して本拠地をこうとするだろう、というサラーナの予測通りの動きをし、その機会はなかったわけだが。

 そもそも、今回ズーン軍との接触が懸念されるような場所には騎竜きりゅうの群れは見当たらず、ゾリグの出番自体が全く無かった。ほっとしたような残念なような、複雑な気持ちを抱えていた彼であったが――。


「お、おい。あれ、騎竜きりゅうの群れじゃないか? すごい勢いでこっちへ来るぞ?」


 周囲のズーン兵の間から、そんな声が上がる。

 ゾリグの目にもその様子は映った。

 数百頭規模の騎竜きりゅうの群れが、すさまじい勢いでこちらへ向かってくる。

 何であんなに怒ってるんだ、と呟きかけたゾリグは、群れから逃げるように――あるいは、誘導するかのように、こちらへ走って来る騎馬の男たちに気が付いた。

 人数は三人。服装から見て、騎竜きりゅうの卵を採取して商うことを生業なりわいとする少数民族・ウンドゥグ族の者のようだ。


採卵人さいらんびとがしくじって群れに追われている……?」


 それにしても何か不自然だ。助けを求めてこちらに向かって来ているというより、群れを誘導して来ているように思える。


 事情はどうあれ、このまま騎竜きりゅうの群れに突っ込んでこられてはたまらない。隊伍を崩さぬよう、回避運動を行おうとしたズーン軍だったが、騎馬の接近は予想以上に早かった。

 そして、部隊のすぐそばまで近付いたところで、彼らは何かをぶんぶんと振り回し始めた。

 石などを投擲するための投擲紐とうてきひも。そして、その先に引っ掛けて振り回しているのは、赤子の頭ほどもある騎竜きりゅうの卵だった。


「ちょ、ちょっと待てよ。まさか……」


 ゾリグが思わずそう呟くうちに、ウンドゥグ族の男たちは、ズーン軍に向けて卵を投げ放ち、すうっと横に逸れて軍との接触を回避していく。

 そして、卵を奪われ壊された怒りに駆られた騎竜きりゅうの群れが、まともにこちらに突っ込んできた。

 もはや、隊伍を保つ余裕もない。ズーン軍は散り散りばらばらに、群れを回避すべく逃げまどう。


 多数の死傷者が出るような事態にはならないにしても、このままでは部隊の立て直しに相当な時間を取られ、その間に本拠の留守部隊がボルドゥに壊滅させられてしまう恐れがある。

 金で釣ったか、あるいは脅迫でもしたか――。まず間違いなくボルドゥの差し金だろう。


「冗談じゃない。こんな怒り狂った群れ、竜神様ご本人でもなきゃ抑えられるもんか!」


 自分もさっさと逃げ出したい。恐怖に駆られるゾリグだったが、しかし、やるしかない。このままではサラーナが立てた策が瓦解する。


「ええい、くそ!」


 ぼやきながら、ゾリグは素早く群れを見回した。騎竜きりゅうの群れには、一団を統率するかしらがいる。そいつを見極めて抑えることが、群れを制御する唯一の手段だ。


「いた! あいつだ!」


 周囲の騎竜きりゅうたちが、一頭のひときわ体格の良い雄の騎竜きりゅうの挙動をうかがっていることを見抜く。こいつを抑えれば、群れ全体をどうにかできる……、


「といいなあ」


 とても楽観できる気分にはなれず、逃げ出したい気持ちと必死に戦いながら、恐慌状態寸前の愛騎をなだめつつ、ゾリグはかしらに近付いていった――。



 空が青い。

 草原に横たわり、ゾリグは天を見上げていた。


「ゾリグ殿、お疲れさまでした。……大丈夫ですか?」


 ズーン兵の一人が、彼をのぞき込んで心配そうに尋ねる。


「大丈夫っす」


 実際、怪我などはしていない。ただただ精魂尽き果てただけだ。

 ゾリグはどうにかこうにか、群れの制御に成功し、遠くへ移動させることが出来た。

 ズーン軍の混乱も収まり、体勢を立て直して、本拠の救援に向かう。


 ゾリグの様子を見に来た兵も、大事ないと判断したのだろう。隊の後を追って行き、彼は一人残された。もう少し、こうしていても罰は当たるまい。


「ツェレンちゃん、褒めてくれるかな」


 ジムス王子の守り役で、一族を殺されて今は竜神の里に身を寄せる姉妹の妹。男勝りだがときおり可愛らしい表情を見せる少女の顔を思い浮かべ、ゾリグは口元を緩ませるのだった。

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